生後満5ヶ月ちょっと前。
少し周囲の人が分かってきて、愛想がよくなってきた孫が、
3泊4日で遊びに来た。
生後100日のお食い初め以来、我が家にきたのは久しぶり。
その間、ほんの少しだけ会ったけど、会う度に出来ることが増えてきて、
今は抱き上げると膝の上で足を突っ張って立とうとしたり、
座らせるとグニャグニャに屈伸しちゃうけど、何とか座れる。
バウンサーなる椅子に座らせると、右足をグルグル回しながら空中でキックし、
椅子の揺れを勢いづかせて遊ぶことを覚えた。
アーだのウーだの、叫び声を上げながら、おしゃべりをし、
人が顔を覗き込むとニコニコする。
こうしたお泊まりは
母親である娘を多少なりとも子育てから解放するのがひとつの目的だけど、
何と言っても、オーママの顔を認知し、慣れさせることの方が重要事項。
そして、日に日に成長してしまう前に、この瞬間にしか見せない表情やしぐさを
この目に焼き付け、
この手で抱きとめたいという思いから、
日帰りではなく、お泊まり保育と相成ったわけである。
自分が育てたときとはまったく違う感慨がこみ上げ、
実際は通常の時間が止まってしまったかのような拘束感があるのだけれど、
それもまた良しとこの小さな命を秋の日差しの中で眺めていた。
子育てネタで作品をいつまでも創るわけにはいかないかも知れないが、
(また、先輩からお叱りをうけるかも・・・)
やっぱり自分の中にある母性というか祖母性?が、
この小さな命を前にきゅんきゅんしてしまうのは素晴らしいことだと思う。
命が連綿とつながっていく感じ。
娘の小さな時とそっくりな孫、
そんなところまで似なくていいのにというところまで似ているので、
30数年前の記憶がよみがえる。
自分が感じたのと同じ歓びと心配と驚きとを毎日、感じながら、
娘も奮闘しているに違いない。
現代は少し情報過多かなと思う面もあるけど、
目の前の自分の娘の発するメッセージを読み取って、
上手にコミュニケーションをとりながら過ごして欲しい。
まだ、物言わぬ娘と、交信できる母親なり、父親なり、ばーばやじーじなりが
子育てには必要なのではと、そんなことを感じた3泊4日であった。
0 件のコメント:
コメントを投稿