大学時代の同級生・尾崎ユタカが銅版画の個展を開いていたので、
神田の木の葉画廊まで出掛けた。
彼は大学卒業後、大学院には進まず、大蔵省造幣局に入局し、
銅版画の主にはビュランという技法を活かした仕事を手がけてきたと思われる。
しかし、卒業してから今日までに新しいお札は発行されていないので、
彼の手になる肖像画がお札になったという話はきいていないが・・・。
その間、大蔵省に勤めながら、作品作りは続けており、
大きな作品は創らないと決めていたらしく、
家のプレス機でも摺れる手のひらサイズの作品と限って制作してきた。
そんな小品ばかりの展覧会だった。
会期中に何度か本人が来て、
ギターを片手に歌も歌うということで、
演奏予定の曲目が手書きのボードに書いてあった。
イーグルスの「Take It Eazy」が必ず含まれており、当時のことがよみがえってくる。
肝心の作品は、大学3年の時に作ったという作品に始まり、
子どもが出てきたり、剣道をしている姿あり、犬の散歩ありの風景は、
彼の卒業後の生活を垣間見るような感じだった。
優しい友人の人となりが伝わってくるような展示を観た後、
私は有楽町で電車を降り、
銀座松屋でやっている「与勇輝展」を観ていくことにした。
先日、「徹子の部屋」のゲストに出ていて、本人を少し観ていたので、
ぜひ、彼の紡ぎ出した人形達も間近で観てみたいと思ったからだ。
案の定、展覧会場には大勢の人が詰めかけ、混んでいたが、
何とか人垣の流れを待てば、近くで観られた。
番組で紹介された何体もの人形が目の前で観られ、
30㎝ほどの大きさの人形が放つリアリティに圧倒された。
特に昭和初期と思われる着物姿の幼い娘達のちょっとしたしぐさ、表情、
そこはかとなく漂う色香のようなものが、
日本人のDNAという琴線に触れるらしく、何とも懐かしく愛おしい。
会場では当人の出てくる映像も流れていて、
「人形は目を描くときが一番、ドキドキする。目を入れると急に自己主張しだす」
「人形作りは日記。人形は自分自身です」と話していた。
期せずして、同じ日に観たふたりの作家から、
私は同じようなことを感じた。
どんなジャンルの作品も、作品は作り手の日記であり、自分自身だということ。
それは私も同じだなぁ・・・。
日々の暮らしの中からしか、作品は生まれないものなぁ。
そして、それが誰かの人生や暮らしを代弁してくれていると感じた時、
人はその作品をいいなと思うのだろう。
与勇輝の人形達の中に
「あるある」や「いるいる」を見つけてホッとする。クスッと笑える。
それが、多くの人を惹きつけている理由だと思った。
格好良くいうと、
個人の出来事が普遍性を得たということになる。
私もそんな作品を創りたいものだ。
そう想いを新たにしたふたつの展覧会であった。
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