東京・横浜は只今、桜満開!
気温も急上昇して、まさに春爛漫。
桜が咲くというのは、なぜ、こうも日本人をわくわくさせるのだろうか。
長い冬の終わりを象徴しているからか。
入学式や入社式のような人生の大きな節目の時期に咲くからだろうか。
完全に日本人のDNAに組み込まれているソウル・フラワー(そんな名称はないが・・・)だ。
人は人生の終盤になると、
「あと何回、桜が観られるだろうか」とか、
「何とか桜の季節までは頑張りたい」とか願うものだが、
それは桜の命が1週間と短く儚く、散り際もはらはら切なく美しいからだろうか。
逆に初めてという意味では、今年の上野恩賜公園は
満開の桜とパンダのシャンシャンを観るために
異様な数の人が押し寄せているらしい。
我が家のパンダというか、シャンシャンと5日違いで生まれた孫の志帆にとって、
今年の桜は生まれて初めての桜ということになる。
志帆の住むマンションの目の前の道は、沿道の両脇に桜が植えられているし、
我が家のすぐ側にも桜道と呼ばれる小径がある。
先週の土曜日は結婚式に招待された長女のために、
志帆の家まで子育て支援に行ったし、
今週は月曜日から長女と孫が親子で遊びに来ていたので、
その両方の満開の桜を愛でることが出来た。
もちろん本人は桜の花の美しさも分からないし、
特別な意味も感じてはいないのだが、
志帆をバギーに乗せ、春風をほおに感じながら桜並木をいくと、
大人の方はしみじみとした想いがこみあげてくる。
生後10ヶ月、
最近はハイハイでどこでもいけるようになり、
離乳食は好き嫌いなく何でもよく食べ、
だからびっくりするほどぷくぷくに太って、なのに背は伸びずおチビちゃん。
言葉はまだ何も話せないが、意思表示はだいぶ出来るし、
「苺、好き?」と聞けば、ニコニコして手を叩く。
自分であ~と声を出しながら、指でくちびるをはじくと、
レロレロとおもしろい声に変わるのが楽しくてしょうがない。
それが今の彼女のブームだ。
こちらは志帆をとおして、人間の著しい成長を、再び、間近にみながら、
懐かしいような、新鮮なような妙な感慨がこみ上げてくる。
長女の妊娠・出産・子育てと、命と向き合ったこの1年。
4月から長女の仕事復帰が決まり、孫の保育園生活も同時に始まる。
我が家にとっても、桜はやはり門出の花だ。
いつもの年とはひと味違う心持ちで、桜を見あげ、脳裏に焼き付けた。
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