7月初めから、
81㎝×81㎝の版画としては大型の作品2点分の彫りを続けている。
平彫りといって、アウトラインを彫って、周囲を5㎝幅ほど削り、
島状に浮かび上がらせる作業は
予定通り、7月中に終了した。
8月に入ってからは、
飾り彫りと称している木版ならではの彫りに入っている。
おしべやめしべなどの繊細な部分や花びらの2版目。
背景にあたる無地のパートの2版目。
紐の2版目の組み紐らしい表情。
そして、木目をすべて彫りで表現するという作品の主要部分だ。
今はいよいよ最後の木目部分に差し掛かって、
昨日から木目の原画を直接、版木に水彩で描いている。
木目が木版画で描かれていることは時々あるのだが、
大抵は、杉の板をバーナーで焼いて、硬い部分だけを残し、
それに油性絵の具をつけて摺られていることがほとんどだ。
杉の板を使った鍋敷きを思い浮かべてみれば分かるとおり、
凸凹を作りさえすれば、木版画の版としては成立するので、
わざわざ彫ったりしないで、そうした素材を用いる。
しかし、7~8年前から、私はあえて木目をすべて自らの手で掘っている。
なぜなら、杉の板ではカーブに添った木目には対応できないのと、
欲しい木目の大きさとは限らないからだ。
そして、何より私は木版画家だから。
木目は思い浮かべて適当に描いたり、
何か写真あたりを参考にしたりして描くと、
ウソっぽくなる。
だから、版木そのもの、つまり、シナの木の木目を利用している。
版木は目を懲らして見ると、わずかに木目が浮かび上がってくる。
それを私は0,1の裸眼で、版木に顔をなすりつけるようにして、
まるで棟方志功が乗り移ったかのような感じで、写し取っていく。
いってみれば、
『木目を読む』ような感覚だ。
メガネをかけていると、そのわずかな色の差や流れを追っかけきれず、
適当になってしまう。
近視と乱視と老眼が入り乱れているから、やっかいだ。
なので、いっそ裸眼で、わずかな色の差や線の行方を追いながら、描いていく。
そして、徐々に浮かび上がる木目を前にして、
彫っていくときのイメージを作り上げていく。
私のお盆休みは
今度は本当に棟方志功みたいに、版木に顔を近づけて、
目玉に刀が刺さるのではという勢いで、
木目を彫り続けることになるだろう。
猛暑の夏は、大きな作品の彫りをする。
そう決めて10年以上経つが、
今年はとりわけ暑い夏。
クーラーをフル稼働して、
最後の直線を疾走しようと思っている。
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