2018年8月12日日曜日

木目を編む

 
 
 
いよいよ彫りの最終パート、木目の彫りを開始。
 
お盆休みは少し、カウンセリングが入っている以外、
お稽古事もお教室も遊びもお盆だからということでないので、
逆にヒマをもてあましている。
 
週一の孫の「おさんどんばぁば」も、
お盆休みで若夫婦は軽井沢に行くというので、今週はお休みだ。
 
なので、3度の家のおさんどんをしさえすれば、
後は渋滞情報を横目に、腰を据えて版木に向かうことが出来る。
 
木目のパートの原画を、面相筆という細い絵筆を使って、
水彩で描写する作業は、
版木の持っている木目を、目を皿にして『読む』という感覚だと書いた。
 
パット見ただけではよく見えないシナ材の木目を、
凝視することで浮かび上がらせ、
それをすくい取っていく。
 
そして、今度は描かれた水彩の描画を手がかりにして、
木目模様を彫り残す。
 
杉の板全体をバーナーで焼くと、柔らかい部分だけが先に焼けるので、
ワイヤーブラシでこすると、硬い木目部分が残る。
そうやって凸凹を板に作ることで、木目模様の版木が出来る。
 
それを自らの目と手で掘り起こすのが、
私の木目彫りだ。
 
水彩の描画はナビに過ぎないので、
それを手がかりに、より木目らしい表情を彫り残す作業は、
いってみれば『木目を編む』という感覚に近い。
 
編み物はひと目ひと目編み針に毛糸をからめて編んでいくが、
4,5ミリの丸刀と6ミリの三角刀を主に用いて、
一刀一刀彫り抜いて、残った部分こそが木目らしくなるように、
編むがごとくに彫っていく。
 
集中力が要求される作業だ。
 
「描く」のは描いたところが全てだけど、
「彫る」のは彫り残した形が全て。
 
そこが木版画の難しいところであり、面白いところ。
 
彫り残した部分に絵の具をつけて摺り取ることで、
彫った痕跡は、紙の白になって残る。
 
不思議な感覚。
 
うまく彫れれば彫れるほど、ナチュラルで美しいシルエットを残すことができる。
 
今回の作品で、木目の部分は1版しか用意していないので、
彫った部分はそのまま紙の白になる。
 
他のパートがほとんど2版重ねになっていて、
紙の白どころか、色が重なっていて複雑な表情をしているので、
それに1版で対抗する木目パートの紙の白の役割は大きい。
 
さて、あと数日で木目パートの彫りが終わると、
私の彫りに明け暮れた暑い夏が終わる。
 
きっと今年の夏はまだまだ暑いだろう。
 
ひぐらしがカナカナカナともの悲しい声をさせて鳴いている。
 
湿度管理の関係で、
クーラーが使えない摺りの作業は涼しくなってからでないと行えない。
 
こうして、いずれは訪れる秋を待ちながら、
頭は徐々に摺りへとシフトしていくのだ。
 
 

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