いよいよ彫りの最終パート、木目の彫りを開始。
お盆休みは少し、カウンセリングが入っている以外、
お稽古事もお教室も遊びもお盆だからということでないので、
逆にヒマをもてあましている。
週一の孫の「おさんどんばぁば」も、
お盆休みで若夫婦は軽井沢に行くというので、今週はお休みだ。
なので、3度の家のおさんどんをしさえすれば、
後は渋滞情報を横目に、腰を据えて版木に向かうことが出来る。
木目のパートの原画を、面相筆という細い絵筆を使って、
水彩で描写する作業は、
版木の持っている木目を、目を皿にして『読む』という感覚だと書いた。
パット見ただけではよく見えないシナ材の木目を、
凝視することで浮かび上がらせ、
それをすくい取っていく。
そして、今度は描かれた水彩の描画を手がかりにして、
木目模様を彫り残す。
杉の板全体をバーナーで焼くと、柔らかい部分だけが先に焼けるので、
ワイヤーブラシでこすると、硬い木目部分が残る。
そうやって凸凹を板に作ることで、木目模様の版木が出来る。
それを自らの目と手で掘り起こすのが、
私の木目彫りだ。
水彩の描画はナビに過ぎないので、
それを手がかりに、より木目らしい表情を彫り残す作業は、
いってみれば『木目を編む』という感覚に近い。
編み物はひと目ひと目編み針に毛糸をからめて編んでいくが、
4,5ミリの丸刀と6ミリの三角刀を主に用いて、
一刀一刀彫り抜いて、残った部分こそが木目らしくなるように、
編むがごとくに彫っていく。
集中力が要求される作業だ。
「描く」のは描いたところが全てだけど、
「彫る」のは彫り残した形が全て。
そこが木版画の難しいところであり、面白いところ。
彫り残した部分に絵の具をつけて摺り取ることで、
彫った痕跡は、紙の白になって残る。
不思議な感覚。
うまく彫れれば彫れるほど、ナチュラルで美しいシルエットを残すことができる。
今回の作品で、木目の部分は1版しか用意していないので、
彫った部分はそのまま紙の白になる。
他のパートがほとんど2版重ねになっていて、
紙の白どころか、色が重なっていて複雑な表情をしているので、
それに1版で対抗する木目パートの紙の白の役割は大きい。
さて、あと数日で木目パートの彫りが終わると、
私の彫りに明け暮れた暑い夏が終わる。
きっと今年の夏はまだまだ暑いだろう。
ひぐらしがカナカナカナともの悲しい声をさせて鳴いている。
湿度管理の関係で、
クーラーが使えない摺りの作業は涼しくなってからでないと行えない。
こうして、いずれは訪れる秋を待ちながら、
頭は徐々に摺りへとシフトしていくのだ。
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