遂にこの目で、生の玉三郞様の『阿古屋』を観ることが出来た。
歌舞伎座を解体する前のさよなら公演でかかった時、
あまりにチケット入手が難しく断念した演目だった。
それを当時の映像と共に、玉三郞さまの解説で、
数年前「にっぽんの芸能」で取りあげられて以来、
次にかかる時があるなら、是が非でも観に行かなければと思っていた。
何がそんなに・・・と言えば、
この演目では、阿古屋が舞台で実際に、お琴・三味線・胡弓を奏でるのだが、
単に上手に演奏するのではなく、
平常心で奏でることで阿古屋の心情を表現するという
難しい役どころだからだ。
現在、この阿古屋を演じられるのは玉三郎さまだけだし、
昭和の時代では歌右衛門さまだけしか出来なかったといわれる難役だ。
それを今回、Aプロでは玉三郞丈が、
Bプロでは若い児太郎と梅枝がかかんに挑戦している。
10月の揚巻を七之助が演じたように、
玉三郎さまが、白羽の矢をたてた若手に芸の伝承をしようといている。
私にとっては、まだ観ぬ玉三郞さまの阿古屋を見ずして、
若手の仕上がりを観てる場合ではなく、
とにかく、生で玉さま扮する阿古屋の演奏を観なければと言うわけだ。
この演目は元はといえば、人形浄瑠璃。
その名残で岩永という赤っ面の役は人形振りで演じられる。
物語は遊君阿古屋がなじみの客・景清の居場所を詮議され、
「知らない」と拒否したため、拷問と称して、楽器を弾くよう命じられる。
幕府の代官の前で、
お琴・三味線・胡弓を平常心で弾くことで疑いが晴れるという、
不思議な詮議なのだが、
歌舞伎の筋立てそのものより、
役者がいかに三つもの楽器をまねごとではなく実際に弾きこなせるか、
そこに醍醐味がある。
それを玉三郞丈は、幼い頃よりの鍛錬の賜で見事に弾き、
しかも遊君としての威厳にも満ち、
景清を思う切ない気持ちも伝わって来る。
衣装も自前の豪華衣装で、正に美術館もの。
立体的にクジャクの羽根が刺繍されただらりの帯、
蝶と紅白の牡丹がレリーフ状に刺繍された打ち掛け。
総重量30㎏ちかくある衣装とかつらをつけて、
楽器を演奏し、謳い、心情を表現する。
まさに圧巻の玉三郞の『阿古屋』と、昨日の新聞の劇評にも報じられた。
夕べは遂にそれを目の当たりにしたことで、
興奮冷めやらず。
そうしたら、同じ日に中学高校の同級生も観ていたらしく、
facebookにアップしていた。
その友人も歌舞伎通で、毎月のように歌舞伎を観にいっていることは
知ってたのだが、
どんぴしゃ同じ日に同じ演目を観ていたことは今までになかったので、
驚き、そして、芸の凄さを共感出来、嬉しかった。
こういうことが同じ時代を生きるということなんだと思った。
高校の頃から、玉三郞さまのデビュー以来、追いかけてきて、
遂には人間国宝になり、
これからまた、芸を若手に伝承しつつ、
自分自身でも円熟の境地を見せてくれるだろう。
いつまで追いかけていけるか分からないが、
同じ時代に生きる歓びを噛みしめ、
玉三郞丈を見続けていこうと思った、そんな一夜である。
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