2025年9月28日日曜日

出ずっぱりの天然忌

 









今日はお茶のお稽古で、年に数回行われる
特別なお稽古「天然忌」の日だった。

特別なお稽古というのは
「初釜」「利休忌」「炉開き」などがあるが、
忌のつく行事は仏前に供えるお茶とうと呼ばれる
お供え用のお茶を点て、
表千家茶道を開いた先人を奉るとともに
茶道に精進することを喜びとする日である。

というわけで、
「天然忌」のメニューは
まずは『お茶とう』
次に今回は『一二三』
ランチを挟んで、午後からは『且座の1組』
『且座の2組』ということになった。

お茶とう以外は「七事式」と呼ばれる
茶道のゲームのようなものの中から
毎年、違うものが選ばれ、
楽しみながらお茶の道を深掘りするのが目的だ。

お社中のメンバーの中で、今回の参加者は9名。
その中から、先生がその人の力量と
同じ役を近年、やっていないかを勘案して
役どころを決めて連絡がくる。

その連絡のLINEが先々週の土曜日にきた。
4つのエントリー種目があるうちの
2回にエントリーされている人と
3回エントリーされている人がいる。

私はなぜか3回エントリーされており、
お茶とう以外の3組に出場することになっている。
しかも、よくよく見ると、
「一二三」の亭主
「且座1組の半東」「且座2組の正客」とある。

「一二三」とはお客様4名の前で
亭主がお濃茶を点て、
そのお点前の出来具合、亭主の所作、濃茶の味など
総合的に観て、点数をつけるというもの。

いわば、濃茶点前の公開テストだ。

ほんの数年前にもこの役を振られた記憶があるので
一瞬「なぜ?また?」と思ったが、
LINEでは決定事項になっているのでしかたない。
マイノートを作って予習することにした。

お客様役の4名には
グループLINEの返信で
「お手柔らかに」と送っておいた。

そのお陰か、
点数を表す4枚の札は
「月の二」「月の三」「一」「一」と
軒並みの高評価をいただいた。

お点前の評価は9種類の小さな札の中から決める。
上から「月の一、二、三」「無印の一、二、三」
「花の一、二、三」とある中で
普段通りによくできたと思えば「無印の二」を
入れればいいとのことなので、
皆さま、大いに忖度してくださったのか、
本当によくできたと思ってくださったのか。

きっと
社中のお姐さんに配慮してくださったに違いない。

午後からは「且座(さざ)」と呼ばれるゲームで
5人一組で「花を生ける」「炭点前」「香をたく」
「濃茶を点てる」「薄茶を点てる」の5役がある。

それを「正客」「次客」「三客」「東」「半東」が
それぞれ分担して、
お茶のお稽古に出てくるいろいろなお点前を
一気呵成にお勉強するというゲームである。

一番大変なのは「半東」で
「且座」の間中、立ったり座ったりして
次に必要な道具を出したり引っ込めたりする。
そして、最後には薄茶を4人前点てなければならない。

そんなしんどい役回りなのに、
なぜか今年は1組の「半東」役が回ってきた。

午前中に「一二三」の亭主をやったことを
お忘れか?
もしかして「いじめ?「可愛がり?」と思うほど
忙しいお役なのだ「半東」は。

また、9名の参加者なので、誰かひとりは
1組にも2組にも出場するのだが、
なぜかそれも私が2組の「正客」になっており
床の間の前に出ていって、花を生けることに。

それが2枚目の写真の茶花である。

事前に作ったノートには覚えきれない「半東」の
役目にラインをひいたり〇で囲んだりしたが、
結局は午前中に集中力のすべてを使い果たし、
午後の「且座」は見学に回っている方に
あんちょこを見てもらって何とか凌いだ感じだ。

まあ、
お遊びなんだからそんなに緊張しなくてもと
分かってはいるのだが
ついつい頑張ってしまう自分がいる。

なんだかドッと疲れて家に着くと
今まさに大相撲の千秋楽では
大の里と豊昇龍が横綱対決で優勝を決める大一番。

本割では、あっけなく大の里は負けてしまい
ガッカリしたが、
その後の決定戦では大の里が寄り倒して
豊昇龍を破り、優勝賜杯を手にした。

まるで濃茶のように濃い1日。
着物を着た状態で目まぐるしく動いても
体調的にはふらついたりせず乗り切れたので、
何よりそれが良かったと思う。

大の里の優勝を祝いつつ、
自分も勝手に
お茶の世界の優勝賜杯をいただいた気になって
糖質ゼロのビールで乾杯した。
(ダイエットはそれなりに)















2025年9月27日土曜日

帰巣本能

 




暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、
異様に暑かった2025年の夏も
今週に入って、急に涼しくなってきた。

今朝、いつもより少し遅く起き、
新聞を取りに玄関から外に出たところ、
戻ってきたら、玄関わきのたたきが
妙に汚れていた。

土くれやら小枝やらが散乱している。
「え?もしかして」と思って、
玄関わきの大きな金木犀を見上げると
なんと以前、鳩のポッポちゃんが巣を作って
小鳩をかえして巣立っていったその巣に
鳩がいた。

それがポッポちゃんかどうかまでは
よく分からないのだが
その子どものポッポ子ちゃんではないことだけは
確かだ。

「ポッポちゃん、帰って来たの?」と声をかけた。
返事をするはずもないが、
小首をかしげてこちらを見た。

ポッポちゃんのような気もするが
そうでない気もする。

いずれにせよ、伝書鳩はその帰巣本能で
飛び立った巣箱に必ず戻るというから
鳩の持つ能力は凄いなと思う。

あんまりじろじろ見るとお邪魔かなと思って
すぐにドアを閉めて
朝食を作り食べていたら、
今度はキッチンのたたきの窓の外、
裏庭を小枝を口にくわえた鳩がとことこ歩いていた。

どうやら、戻ってみたら
巣が手狭だったようだ。
たしかに前回はひとつ卵を巣から落としてしまい、
その割れた卵を見つけて
私たちは鳩が巣を作ったことを知った。

今回は前回と同じ轍を踏まないよう
あらかじめもう少し大きな巣にしようというのか。
少し涼しくなったので活動しやすいのか、
増築計画があるみたいだ。

昼前に写真を撮ろうと今一度見てみると
お尻をこちらに向けて横向きになっていた。
前はこちらから見て
常に真正面をむいて卵を温めていたので
まだ、その段階ではない様子。

前回は鳩がいると思ったら、
いつのまにかヒナがかえって二度ビックリし、
その後、親鳥が巣から姿を消したかと思ったら、
小鳩も10日位で巣立っていってしまった。

何だか
あっという間に姿を消してしまって
巣がもぬけの殻になり、
かなりガッカリしたので、
今回はたとえ同じように巣立ってしまうとしても
戻ってきてくれたことが嬉しいので
そっと温かく見守りたい。

金木犀は10月初めに
芳しいオレンジ色の花の時期を迎える。
今年の異常気象でまだつぼみは膨らんでいないが
満開の花に囲まれた鳩の巣になったら
どんなにか素敵だろう。

花の香りがきつくてポッポちゃんには
(ポッポちゃんだと決めている風だが)
迷惑な話かもしれないが
そんな光景が見られる日が待ち遠しい
2025年、秋の訪れである。





2025年9月22日月曜日

最後の釉がけ

 













今日は脳の手術でとん挫していた作陶中の器の
釉がけをしに工房まで行ってきた。

陶芸工房の釉がけは3か月に1度しかない。
本来なら、6月第3週の土曜日に
釉薬をかける予定だった。

しかし、その日は紫陽花展というグループ展の
会期中だったので、
第4週に変更願いを出し、
そこでそれまでの3か月に作った器に
釉薬をかけるつもりだった。

ところが、その週の初めに
脳の右半分に血が溜まっていることがわかり、
私は急遽、脳の手術することになったのだ。

あまりの急転直下の出来事に動揺したが
入院し、手術をすることになったのを機に
陶芸は辞めてしまおうという決断が早まり、
工房の先生や仲間には申し訳なかったけど、
退会願いのメールを送って
手術に臨むことにした。

そろそろ潮時という気持ちは少し前から
あったのだが、
結局、これが引き金になってしまった。

そのせいで、釉薬をかけそこなった数点の器が
夏中、自分のクラスの籠の中で
素焼きの状態で眠ることになった。

手術からもうすぐ丸3か月、
傷口の髪の毛は約3㎝に伸び、
もはやどこが傷口だったかもわからないぐらいだ。

体調はほぼ元通りだけど、
未だに時折立ち眩みの症状があり、
少し悩ましい。

まだ、重いものを持って歩いたり、
疲労が溜まってくると
どこかのタイミングで意識を失うのではと
不安に思うことがある。

なにしろ、硬膜下血腫ができた原因は
急に気を失って玄関ドアに激突した衝撃で
脳内に内出血したからで、
医者からは「もう転ばないでね」と言われている。

しかし、いつまでも素焼きの器を
放置しておくわけにもいかず、
元気になったら
どこかで振り替えの振り替えで
釉薬をかけさせてもらわなければと思い、
重い腰をあげたというところだ。

久しぶりに工房に向かい、
会員の作陶日ではない日を先生に指定されたので
作業をするのは私一人。

先生は相変わらず事務所のパソコンの前にいた。
いつものように不愛想な挨拶をして
「その後どう?」と訊かれたので
「まあまあです」と答えた。

後は粛々と、記録に残しておきたいので、
時折、スマホで撮影をしながら、
撥水剤をかけ、釉薬を2種類攪拌し、
釉がけをほどこし、
器の底の余分な釉薬を拭きとった。

作業自体は長いことやってきているので
忘れたとかはなかったけど、
まずは「失透」という白い釉薬と
「油滴天目」という黒い釉薬の入ったバケツを
釉薬置き場から工房の中央へ
引っ張り出すことさえ重くてできないことに
愕然とした。

積んであるバケツを
床におろしてもらうところだけ
先生に声をかけ手伝ってもらったが、
そこからキャスターのついた台を転がし
移動させただけでふらつくほど重い。

そこから1種類につき17~18分
攪拌機で攪拌させるのだが、
飛び散らないよう手元のモーターを固定し
じっとしているだけなのに
手がしびれるほど大変な作業だ。

昼前にカーブスに行った続きで工房に来たので
カーブスで履いていた黒いパンツに履き替え、
釉薬が飛び散ってもいいように
真新しい白いスニーカーは脱いで
ダメにしてもいいつもりで靴下だけになった。

ひとりの作業なので、
ひとつひとつ丁寧にすることで
汚れも最小限にできるし、失敗もない。

白い釉薬と黒い釉薬をかけ分け、
予定に通りに作業は進められ、
7つの器に釉がけを終え
2時間で後片付けと掃除も終了した。

いつもの私だったら20~25個の器に釉がけして
3時間半の時間いっぱいいっぱい使うところだが
7つしかないので
ゆっくり丁寧に作業したけど2時間しか
かからなかった。

しかし、終わってみたら、
久しぶりということもあってか
とにかくこんなに重労働だったかと思うほど
疲労している自分がいた。

こんなに大変な作業を13年もやっていたのかと
驚きを隠せないが、
やはりものを創ることはエネルギーがいると
今更ながらに実感した。

本焼きが出来たら連絡をいただくことにして
帰路についたが、
駅の自販機コーナーでチョコレートを見つけ
ダイエット中なのに見境もなく買って
一気に半分も頬張ってしまった。

体が糖分を欲していると判るほど
疲れがドッと出た感じだ。

工房ではひとつひとつの作業をしながら
工房のあたりを見回し
道具類を眺め
「本当に辞めちゃっていいの」と自問自答した。

「陶芸はもういいかな」と
内なる自分がつぶやいた。

先生も特段、引き留めるでもなく
最後までパソコンの前にいた。
何だかあっけない幕切れだった。

























2025年9月17日水曜日

生横綱「大の里」と 幕内力士「友風」と

 


























令和7年、大相撲9月場所の3日目
両国国技館まで
大相撲観戦に行ってきた。

今場所は私の『推し』の力士にとって特別の場所。

先々場所にスピード出世で横綱にまで
昇りつめた「大の里」だったが、
先場所は途中から崩れていいところなし。

今場所は期するところありの大切な場所。

先場所は名古屋だったので、
そのふがいない姿はテレビで観ていたが、
今場所は東京、両国の国技館なので、
是が非でも生横綱をこの目で観たいと
勢い込んだ。

いつも国技館のチケットを取ってくれているのは
Aさんご夫妻で、
Aさんの旦那さんは「友風」関の中学の時の先生。
相撲部で相撲を教えていたのだ。
以来、ずっと親のような気持ちで
「友風」を見守り、応援している。

「友風」は幕内にいた時、とても大きな怪我をして
相当下まで転落してしまった。
しかし、
努力の甲斐あって数場所前に十両へ昇格。

私がAさんと親しくして大相撲観戦に
伺うようになってからはずっと十両力士だった。

更に、先場所「友風」は勝ち越したことにより、
今場所はなんと幕内の前頭十六枚目に復活した。

これは本当にすごいことで、
十両と幕内では全然待遇面も違う格段の差なのだ。

もちろん、そんな「友風」を応援するため、
川崎の後援会を中心とした応援団は
まとめた位置に席をとり、
タオルやうちわを手に手に
「友風」に力水ならぬ、黄色い声援でエールを
おくるため国技館に集結した。

Aさんご夫婦と私は着物を着て、
晴れの舞台のお祝いの気持ちを表現した。
私の着物と帯はトンボの柄で
トンボは「勝虫」と呼ばれ
勝負事には縁起がいい。
これがゲン担ぎの大切にする世界での
せめてもの応援の気持ちである。

私もその一員に紛れ込ませてもらっているので
もちろん、「友風」の出番では「友風」ファンだ。
しかし、なんと間の悪いことに
3日目の「友風」の対戦相手は「翔猿」だ。

「友風」は威風堂々、大きな体を活かした押し相撲だが
「翔猿」はその名の通り、小兵ながら
すばしこい動きを得意とする負けん気の強い力士。
闘争心むき出しに何をしでかすか分からない。

そんなところが全く油断ならないので、
今日はまずい相手との対戦だなと
だれもが思っていた。

内心、無理かなと思っていた「友風」ファンも
少なからずいただろう。

「友風」の取り組みは中入り後の4番目。
私たちは2時には集合して、席に着くなり
お稲荷さんやいぶしさんまの押し寿司など
お昼ご飯をいただきながら、十両の取り組みを観た。

最近はまだ髷も結えないような力士が力をつけ、
十両の土俵で活躍している。
そうかと思えば、41歳にしてまだまだ幕内上位で
初日二日目の横綱と対戦した「玉鷲」関もいる。

今場所、大関を狙う位置にいて注目されているのは
「若隆景」関だ。

3日目にして「若隆景」はこの「玉鷲」と対戦する。
さて、この若武者と重鎮との対決やいかに。

そんな感じで自分の「推し」は押さえつつ、
他にも何人か気になる力士の順番を気にしながら
途中で写真撮影会したり、
「絵番付」という幕内力士の似顔絵(全身像)で
描かれた番付表を買いに行ったりと
手慣れたAさんについて歩いて
国技館の生観戦を楽しんだ。

「友風」は「翔猿」相手に長い攻防のあるいい相撲を
取って、勝ちを収めた。
取り組みが終わってすぐに物言いがつき、
長い協議時間にはハラハラしたが
「翔猿」の足が先に土俵から出ていると
ビデオ判定があり、「友風」が勝ち名乗りを受けた。

「友風」は取り組みの後、10分ほどで国技館を
後にするのが通例なので、
私たちは勝った「友風」の顔を一目見ようと
外に出て出待ちした。

まだ、興奮冷めやらぬ様子で赤い顔をした
「友風」は
川崎の面々やAさんご夫妻の顔を見て
顔をほころばせた。

負けて出待ちに応えるのと
勝って出待ちに応えるのでは
全く心持ちが違うだろうから、
本当に応援団がたくさん来ている時に勝てて
ホッとしているに違いない。

もの凄い声で「友風~」「ともかぜ~」と
叫んだ私たちの野太い声は
きっと「友風」の耳にも届いていたことだろう。
私も着物のマダム風情ではあったけど、
ちゃんと腹式呼吸の低い声で
Aさんご夫妻と共にしっかり声援した。

話が前後するが、
今場所の見どころのひとつに
横綱の土俵入りがある。

中入り後、幕内力士の土俵入りがあり、
引き続いて、横綱の土俵入りがある。

もちろん「大の里」の横綱のまわしをつけた姿は
初めて生で観る。

ふたりの横綱がそれぞれ太刀持ちを従え
堂々たる所作で土俵入りした。
先に「大の里」が「隆の勝」と「高安」を従え
土俵に上がった。
白いもちっとした肌質の横綱に
目も鮮やかな白い綱が神々しくさえある。
美しい。

豊昇龍の組は一段肌が浅黒く
格闘家というイメージだ。

さあ、2日目まで土つかずできている横綱ふたり、
3日目はいかに。
また、ひとり大関の「琴桜」はどうか。

場所の最初に横綱や大関がころころ負けると
場所が引き締まらない。
2日までは3人とも勝っているので
このままの調子で場を盛り上げてほしい。

3日目の対戦は
「琴桜」の相手は伸び盛り「安青錦」
「豊昇龍」の相手はこちらも伸び盛り「伯桜鵬」
そして
「大の里」の相手は苦手の「阿炎」

「阿炎」も負けず嫌いがまわしをしているような
力士で長い手足でぐいぐい来る。
「大の里」は苦手意識があると聞くので
圧倒されて引いてしまう悪い癖がでないといいが…。

そんなこんなでハラハラドキドキしていたが
最後の3番は
若い「安青錦」が勝って
すごすごと大関「琴桜」は下がっていった。

横綱は二人とも、相手をぶちかまし、
さすがの実力を見せつけて3日目は終わった。

取り組みがすべて終わった後は
河岸を変えて「ちゃんこ寺尾」で祝勝会。
ちゃんこ鍋の具材の上には
大根で作られた「白星」が。

貸し切りで大盛上がりの応援団の面々は
もちろん、「友風」関の今宵の取り組みを肴に
美味しいちゃんこと美味しいお酒を
心ゆくまで楽しんだ。

私が国技館から一路、京急電車に揺られ帰宅すると
夜10時過ぎ。
世界陸上の110mハードルの決勝が終わったばかり、
メダルを狙っていた村竹ラシッド選手が
ほんのコンマ数秒遅く5位に終わり
「何がいけなかったのか」
「何をすればよかったのか」と
人目もはばからず号泣して悔し涙を流していた。

戦うスポーツ選手の姿が
ここにもあることを見ながら、
私も自分にできることに真摯に取り組み、
真っ向勝負でやらなくては。

そんな熱い思いがこみ上げてきた。


























2025年9月14日日曜日

新作版画 次のステージ

 




3連休の2日目。
1日中、家に籠ってハスの葉っぱの下絵を
描いていた。

ダイエット月間と銘うった私の8月は
完全に木版画の新作の平彫りとカーブスに
明け暮れた。

幸いというか残念なことにというか
8月は暑すぎたせいか
カウンセリングの件数が少なく、
その上、入っていたものまで
何件かキャンセルまでされてしまった。
お財布事情は厳しくなったが
もう覚悟を決めて彫りの作業に徹するしかない。

その甲斐あって
大きな作品2点分の平彫り部分はすべて
ミッション・クリアできた。
その上、カーブスにはひと月で18回も通った。

そして、9月に突入。
9月はパティシエ学校の学生に課した
習熟度テストが2日に行われ、
その解答用紙が3日には家に届いた。

毎年、この時期はその採点に追われる。

このテスト「全く誰がこんな点数をつけるのが
めんどくさい記述論述式のテストにしたんだ」
「そうかお前か!」と
ノリツッコミをしながらの採点になる。

就職対策講座のテストなので、
どうしても「自己PR」やら「志望動機」を
書かせると
記述論述式にならざるを得ず
それにただ〇✕をつけるだけではなく
1枚ずつ1問ずつにコメントを書き入れるので
非常に採点に時間がかかるのだ。

というわけで9月の第2週は丸4~5日も
採点に時間を取られ、クタクタだ。
そして、なぜかカウンセリング数も復活。
なのに
相変わらずの暑さの上に湿度が高く、
本当に不快指数が高い。

と、2週目は文句の多い週だったけど、
月の半ば、今日から
ようやく版画の次のステージに取りかかることが
できた。

次なるステージとは、
平彫りの終わった版の内、2版目を重ねる部分の
下絵を水彩画で描くという作業だ。

今日はその内のハスの葉っぱの葉脈を
黒い水彩絵の具で面相筆を使って描いた。

このパートは描くように彫るための下絵なので、
作家の気持ちを表現する重要な部分。
気持ちよく彫るためのガイドになる線を
抑揚をつけて描いていく。

トレッシングペーパーの原画ではこの部分は
5mmのボールペンでなぞった均一の線なので
抑揚はついていない。

それに太さの強弱をつけることで
「私のハスの葉」になっていくわけだから、
この部分は彫る上でとても重要な下絵になる。

朝から夕方まで、アトリエに座り込み、
3時半からは大相撲の初日の様子を横目で見つつ、
なんとかハスの葉の作品2枚分を描き終えた。

昨日から、世界陸上も始まったので、
今週はあつちもこっちも見ながらなので忙しい。

世界陸上はこの蒸し暑い東京の夏、
選手は倒れたりふらついたりしながら
頑張っている。

私も脳が虚血状態になりかかっているのを
感じながら、
倒れる前に水分補給を怠らず、
時折、立ってストレッチなど差しはさんで
作業した。

今日からは大相撲初日、
友人Aさんの推し「友風」と私の推し「大の里」は
白星発進できた。
今場所も一喜一憂しながら過ごす15日間が
始まった。

明後日は両国国技館まで行って
相撲観戦の予定なので、
横綱になった大の里を生で見ることが出来る。

チケットは完売で当日売りはないという
盛況ぶり。
本当にいつもチケットを取ってくださっている
Aさんには感謝感激!である。

先週は推しの「聖矢君」のピアノを聴いたし
今週は推しの「大の里」の相撲を観られる。

こんな風に自分に飴とムチを与えながら
いくつかのわらじを履き替えつつ
毎日、頑張っているのである。