2025年6月24日火曜日

硬膜下血腫 発覚

 いきなりの出来事だが、

26日木曜日に、脳の手術をすることになった。

2年ほど前から、時折、脳貧血を起こし、

頭から血が引ける感じになってふらつくなどの症状が

1か月に1度くらいあった。


昨年の夏、ダンナの目の前で一瞬気を失い、

倒れてテレビ台におでこを打つという事件があり、

「酔ってんのか」という失礼な言葉と共に

すぐ次の日、内科の紹介状をもらって

脳と首のMRIと脳波を撮ったことがあった。


その時は「梗塞も瘤も収縮もない若々しい脳」と

言われ喜んでいたのだが、

その後も脳貧血の症状は続いており、

とりわけ、本の執筆が始まった今年3月くらいから

脳の疲労は溜まっていると自覚していた。


4月には重いスーパーの荷物を車から降ろし

家にいくつも運び入れた後、

玄関先で意識が飛び、玄関ドアに激突。

右のおでこの上の方を強打した。

意識が飛ぶと上手に転ぶことができず、

そのまま体当たりになるので、ムチ打ち状態になり

床のタイルに顔を打ち意識が戻った時には

サングラスの柄が折れ、中のレンズが飛び出ていた。

幸い、顔に傷は出来なかった。


その時は後頭部と首と肩が痛くて

暫くは寝ていないと起き上がれないほど。


また、今年の5月は洗濯物を抱え畳の間で

たたもうと思ったらそのまま突っ伏してしまい

その時はメガネが歪み、

数日後、左目の下にお岩さんのような

内出血が現れ、全治2週間だった。


その間も本の執筆作業は佳境を迎え、

自分のPCスキルのなさに泣きながらも

どうにか6月13日、電子書籍が出版の運びとなった。


その週は紫陽花展の会期中でもあり、

私は毎日のようにギャラリーに通い、

お客様対応に追われていた。

展覧会のDMに本が出ることも宣伝したので、

本当に多くの友人に見てもらうことができた。


無事に会期を終え、作品も家に戻った6月16日。

パソコン操作をしながら左手に違和感を覚えた。

左手薬指と小指のミスタッチがやたらと多い。

「た」の文末はTとAを打つのに

左手の小指がAに届かずSを打ってしまう。

それが何度も何度も続いた。


また、カーブスのステップ台でステップを踏んでいると

真ん中にいるつもりが、

いつのまにか左に寄っていってしまう。

マシーンを両手を広げ、同時に握る時、

右手は出来るのに左手がグリップに届かない。


要は右手足の運動能力が10だとしたら

左手足は7~8くらい。

歩き方も早く歩けないし、突っかかる感じだ。


そのことを整体の先生にメールしてみた。

長文の返信が来て

「その症状が続くようならすぐ脳神経外科に

いくべきです」と書いてあった。

毎日、自分の状態を気にしつつ

数日過ごし、今週の月曜日、

カウンセリングの後に思い切って

近隣の脳神経外科に外来で行くことにした。


そこは昨年MRIをとった所ほど大きくはないが

緊急対応の中規模の脳神経外科だ。

行くと、いきなり、まずMRIとCTの

撮影室に連れていかれた。

聴けば「脳梗塞や脳溢血など緊急の場合は

一刻の猶予もなく処置が必要だから」と

言われた。

受付時の問診票で判断したと思われる。


先にMRIとCTを撮り、かなり待って

ようやく医師の前で結果を聴くことになった。

出された画像は昨年の夏に見たものとは

全く違う脳の半分が黒く塗り潰れた画像だった。

「この黒い部分は全部、血液です。

「硬膜下血腫という状態です」と言われた。

「すぐに抜いた方がいいので木曜日に手術

しましょう」と思いもかけない言葉が

医者から飛んできた。

木曜日?今週の?あと3日?

「入院は5~6日だと思います」

入院!?


予想だにしない展開にワタワタしたが

有無を言わさぬ口調で手術することが決まった。

どうやら、4月、玄関ドアに右頭部を強打したことが

原因で、すぐには内出血せず、

じわじわ染み出て血が溜まったということらしい。

右を打ったので、左に症状が出たのだ。


手術は頭蓋骨に小さな穴をあけ、管を通し

時間をかけて血を抜くのだという。


そこからは血液検査・心電図・尿検査と続き

入院の手続きまでどんどん進んでいった。

途中、家族LINEで報告したら、

次々娘達から返信が来て質問の嵐。

あっという間に私は手術予定の患者になった。


今日は6月24日火曜日。

なんとペーパーバックの最終の入稿があり、

この半年間の努力が実り、

後72時間以内にペーパーバックも市場に出る。


支えてくださったコーチ2人はもちろん

カウンセリング予約の入っていた

何人ものクライエントさんに来週までの

セッションのお断りのメールをすると

あちこちから心配の返信が届いた。

ありがたいことだ。


整体の先生からも心配するメールは届いたが

その文面からは自分が私からの問い合わせに対し

十分な返答をしなかったと悔やんでいる様子が

伺われた。

優しい先生だ。


こういう時、この事態の説明に対し、

友人やクライエントさん達の受け答えで

その方の性格や私への気持ちが分かるものだと

痛感した。


さて、みんなの温かい言葉に力を得て、

2日後の木曜日、私は手術台に臨む。

手術としては簡単なものとはいうが

麻酔をかけ頭蓋骨に穴を開ける以上、

リスクがゼロというわけではない。


「まな板の上の鯉」としては

もうお任せするしかないが、

無事の生還を祈っていて欲しい。


2025年6月21日土曜日

久しぶりの『石田組』

 






去年の暮れ以来、6か月半ぶりに
石田組のコンサートに行ってきた。
いつもの石田組フリークの友人と一緒だ。

場所はミューザ川崎シンフォニーホール。
収容人数2000人を超える大きな会場だ。

このコンサートは神奈川芸術協会が主催なので、
チケットの申し込みは
神奈川芸術協会の毎月のフライヤーの束の中から
先行発売のものを選んでfaxで申し込む。

イマドキ、Faxもないものだが、
電話よりNetより何より、
faxがいい席の取れる率が高い。

faxの申込用紙には「希望のお席」を書く欄がある。

いつもは私が担当で申し込むのだが、
今回は友人が申し込んで
幸運なことに舞台右手の最前列の席が手に入った。

申し込みの時の用紙を今日は見せてもらったのだが
そこには「希望の席」の欄にこうあった。
「私と友人は石田組の大ファンです。いつもいい席を
とっていただき、ありがとうございます。感謝。
前寄りのいい席を希望します。宜しくお願いします」

ちょっと脅迫ともとれるこの文を添えたことで
何と最前列が手に入ったのである!
しかも、その席からは石田組の立ち位置でいうと
石田さんが真正面。
譜面台の向こうに私達ふたりが見える位置なので、
まるで石田様が私たちのために演奏していると
思えるほど、逃れようもなく真正面に向き合っている。

他に本日の団員は総勢13名
第一ヴァイオリン3名
第二ヴァイオリン3名
ヴィオラ3名
チェロ3名
コントラバス1名

団員は放射状に並んで立っているが、石田様は
その半円の真ん中にいて指揮者の役もしているので、
舞台中央の譜面台に向き合うと
ちょうどその向こうに私たちが見えるという具合だ。

「今日も来ているわよ~」と手をふれば、
振り返してくれそうなすぐそばだ。

コンサートの前半は
シューベルト「死と乙女」
後半は
ラヴェル:「亡王女のためのパヴァーヌ」
レ・ミゼラブル・メドレー
シーザーズ・パレス・ブルース
「ボヘミアン・ラプソディ」
「21世紀のスキッツオイド・マン」

前半はクラシックなので、
真剣に聴かないと眠気に襲われる。
乙女にひたひたと忍び寄る死神の気配。

弦楽器のもつ怪しげな音色で
曲のもつ不穏な情景を表現している。

後半の1曲目。
「亡き王女のためのパヴァーヌ」の出だしの音。
この音が今まで聴いたこの曲の出だしの中で
最も柔らかく滑らかで美しい音色だった。

この1音を聴けたことに幸福感を感じるほど
美音であった。

後半、どんどん会場の空気が温まり、
メンバーがのってきているのが分かる。

今日の団員は東京交響楽団の人が5人もいたせいか、
音の粒立ちがとても揃っていて心地よかった。
このミューザ川崎という会場が
東京交響楽団の本拠地ホールだということも
手伝い、
ホームでの演奏ということが
ノリノリの要因のひとつと言えるだろう。

最後は2000名の大拍手と
スタンディングオベーションに送られて
石田様を始め皆、満足気であった。
もちろん聴いていた私たちも大満足。

出版のことで疲労困憊の私も
久しぶりにリフレッシュできた。

ここ2~3か月、煮詰まっていた気分を
少しだけ開放できた気がする。
自分にご褒美が大切と本に書いたくせに
全然できていなかったと反省しきりの1日だった。

コンサートの最後の方で
来年6月からまた、ミューザで
石田泰尚『熱狂の夜』が決定したと発表があった。
6月から11月まで毎月1回の
石田様主体のコンサートだ。

もはや石田様のライフワークとして
定着した感がある。
きっとまた友人と脅迫まがいの申込書を
faxで送って申し込むことになるだろう。
またひとつ来年の楽しみができた。

「癒し」と「ご褒美」
じょうずに自分にあげながら
自分らしく楽しい毎日を過ごせたらと思う。









2025年6月19日木曜日

映画鑑賞『国宝』

 


映画『国宝』を鑑賞。
175分もの大長編なので、今の自分の生活の中で
その鑑賞時間を捻出するのは難しかったが
どうしても映画館のスクリーンで観たかった。

観に行って本当に良かったと思える
ひと言でいうと「圧巻」の映画であった。

話は歌舞伎界の女形の役者の物語。

任侠の一門の家に生まれた喜久雄。
宴会の出し物の女形として演じているところを
歌舞伎役者の花井半二郎に見いだされ、
入門することに。

そこには御曹司俊介がいて、
ふたりは反目し合いうも
やがて切磋琢磨して歌舞伎界を突き進むことになる。

喜久雄を演じるのは吉沢亮。
俊介は横浜流星。

ふたりはタイプの違う女形だが、
「二人道成寺」「二人藤娘」「曽根崎心中」「鷺娘」など

女形の代表的大役を演じることになる。

歌舞伎を多少はかじっている身としては
吉沢亮の女形姿は菊之助
横浜流星はの女形姿は七之助にしか見えない。

菊之助と七之助のふたりは
ふたりとも名門の御曹司に生まれているが
この映画の中のふたりのように
本来ひとりで演じる「道成寺」や「藤娘」を
「二人道成寺」「二人藤娘」として
舞台に立ったこともあるので、
李相日監督がキャスティングの際に意識
しなかったはずはない。

インタビューでも
喜久雄は吉沢亮以外の役者は考えられないと言って
いるので、吉沢亮ありきで構想が練られ
作られた映画のようだ。

また、女形の大御所、お目付け役を田中泯が演じているが、
あの役は亡くなった歌右衛門を思い起こさせるし、
歌舞伎評論家に言わせると
ものの言い方や目つきまでそっくりだという。

女形の型の練習には1年半の時間を費やし、
徹底的に踊りやせりふ回し、所作が
叩きこまれたというが、
それにしてもよくぞあそこまでになったと思う。

花井半二郎役は渡辺謙
妻は寺島しのぶが演じている。
寺島自身、歌舞伎の一門の家にうまれ、
女性だということで、歌舞伎の舞台には
立てなかったわけだから、
裏方に徹する悔しさやふがいなさは
身をもって知っているはずなので、
それもこの役を通して痛感する。

それにしても
よく歌舞伎素人だった俳優があそこまで
女形を演じることができるようになったものだと
ただただ驚き、
映画を観終わった後も
あちこちで「凄かったね~」の声が聞こえた。

本当によくぞあそこまで出来たものだと
その言葉しか今は出てこない。

吉沢亮と横浜流星を
本物の衣装と歌舞伎メイクで着飾ったとしても
実際に舞台で演じる様をあそこまで追い求め、
突き詰めるには相当の鍛錬が必要だっただろう。

とにかく175分間。
まったく飽きさせることなく
観るものを圧倒し引きずり込む力に
ただただ恐れ入った。

カメラワークも巧みで
花道から出ていく後ろ姿、
花道から崩れ落ちるように戻る姿、
すっぽんから役者がせり上がり、
役者目線で観客を見る視線など、
映画ならではの迫り方で追いかけている。

俳優に役者魂があるだけではこなせない
それぞれが歌舞伎の世界に敬意を表し、
真摯に激しく向き合った役者たちに
感服した映画だった。

歌舞伎をよく知らない方にも観ていただきたい、
そんな素晴らしい映画だった。
私も時間を作ってもう一度観に行こうと思う。


2025年6月11日水曜日

25周年記念 紫陽花展

 





















6月9日(月)から関内の画廊楽にて
第25回の紫陽花展が始まった。

今回で25回、
正確にはコロナの時に1年パスしているので
26年経つのだが、
それにしても四半世紀続いているグループ展は
なかなかない。

しかも、メンバーは少しずつ変わっているとはいえ、
趣味の仲良しグループなわけじゃない。
それぞれプロとして作品に価格をつけ
発表しているメンバーばかりだ。

そんな紫陽花展だが、
私は第1回からの立ち上げメンバーのひとりだ。
今の8名の中では
初回からのメンバーは私ともうひとりだけ。
後は2回目からの人もいるが、それ以外は
この25年の間に少しずつ入れ替わっている。

今回は記念展ということで、
絵葉書セットを作り、
会場にいらした方にはもれなくプレゼントする。

今回から初参加の立体作品の作家もいるので、
とてもバラエティに富み、
会場も新鮮だし、絵葉書セットもいろいろな作品が
あるので、喜んでいただけているようだ。

私個人は13日に本の発売を控えているので、
案内状に本の宣伝もし、いつにも増して
案内状を書いて投函したし、アナウンスした。

そのせいで、今日で3日間が終了したのだが、
その間、ブログをアップする暇もなく
お客様対応に追われた。

実際には画廊にいたのは月曜日と火曜日なのだが
いずれも開場と同時にお客さまが見え、
お迎えしておしゃべりし続けた結果、
2日間とも持って入ったおにぎりを口に出来たのは
夕方4時を過ぎてからだった。

初日はブログで制作風景をお見せした時から
シマエナガの作品を予約してくださったAさんが
作品の背景色エメラルドグリーンを意識した
爽やかなグリーンのお着物を着てきてくださり、
エディションNo1にお買い上げの赤丸シールを
つけてくださった。

同じ買うならエディション1番が欲しいということで
初日に来てくださったというわけだ。

そして、2日目のお客様で
古くからご夫婦で来てくださっているKさんが
やはりシマエナガの作品が可愛いと
お求めくださったので
その方がエディションNo2ということになる。
期せずしてAさんの希望が叶った形だ。

また、最近の心理カウンセリングルームの
クライエントさんも多数お見えで、
それは出版の宣伝をさせてもらったおかげである。

今まではカウンセラーとしては版画家であることは
言わずに来ていたのだが、
ここ2~3年はそれを開示しても
怪訝には思わず、
皆さん快く展覧会にもいらっしゃるので、
有り難いことである。

さあ、13日に本が出版され、
そこから先、どんなことになるのか、
予想もつかないが、
今日は第一次販促をかける日で
インスタグラムやグーグルマップ、
カウンセリングルームのHP制作会社の担当さんに
連絡し、宣伝するお手伝いをお願いした。

いずれもとても親切にNET上にアップする作業を
引き受けてくれ、大感激だ。
「どんどん宣伝した方がいいし、
こんな方法があるので、13日に載せましょう」と
言ってくれた。

PCスキルの乏しい私を全面的にバックアップして
応援してくれるのは本当に助かる。

後は電子書籍に次いでペーパーバック版が
うまくできて販売される日を待つばかり。

15日までの紫陽花展の会期を乗り切り、
来週もぎっしり埋まっているカウンセリング予約を
ペース配分しながらこなすこと、
それが私の当面のミッションだ。

支えてくださる方、
応援してくださる方、
皆さまに感謝申し上げます!!!






























2025年6月9日月曜日

孫1号8歳の誕生会

 















昨日は孫1号の誕生会が
長女の自宅で行われた。

生れてから、恒例になっている
子どもの誕生会を自宅で開いてお祝いする会だ。

この時ばかりは母親である長女が料理に腕を振るい、
次女も早めに書けつけて2~3品応援する。

早いもので、孫1号は満8歳。
今、小学校の2年生だ。

祖父母の私達はリクエストのあった
プレゼントを車に積み込み、
約束の時間を目指した。
今年のオートトへのリクエストは「ブレード」

今、孫1号の周辺で大流行らしく、
学校脇にある公園で、放課後、
学童もそこそこに2年生と3年生の女の子が
ブレードを手に手に集結し、
毎日のように練習しているという。

孫1号の友達は全員1学年上の3年生で、
すでにブレードを持っている子が多く、
お友達のブレードを借りて練習していたので、
自分のブレードが買ってもらえる日を
指折り数えて待っていたという。

昼過ぎ、全員が揃うと、まずは乾杯し、
娘二人が作ったパーティ料理をいただいた。
毎年、出てくるメニューもあるけど
少しずつ腕を上げ、
だいぶホームパーティの体を成してきた。

食事の後はプレゼントの開封だ。
待ちかねたブレードを手に孫1号の目が
キラキラ輝いた。
他にもイマドキのサンダル、
イマドキのバルーンスカート、
イマドキの手作りビーズのセットなど、
それぞれみんなが選んだプレゼントが並ぶ。

孫1号は昨年のりかちゃん人形のような遊びより
細かい作業が必要な工作関連か
体を動かす自転車やブレードのようなものが
好みのようだ。

きっと手先が器用で
半面、体幹が強く、運動神経がいいのかも。

ケーキカットの後は
早速、ブレードの試乗にマンション下の
長い廊下にでて、
そのバランス感覚の良さを見せてくれた。

もうすぐ5歳の妹も負けじと
補助輪つきの自転車に乗ってみせた。

孫2号はマイペースののんびり屋なので、
なんにつけ「トロい」というのが周囲の印象だが、
最近はすっかりカードゲームの「UNO」覚え、
やりたいとせがむので
皆でやってみると
なかなかに勝つための攻略など心得たもので
「UNO」初心者のわたしなぞ
コテンパンに負けてしまった。

いつのまにか孫は成長し、
ばぁばは年をとる。
他人事のように思っていた現実を実感し、
全くやれやれなことだ。

夕方から、私は9日から始まる紫陽花展の
搬入と飾り付けがあり、誕生会を早抜けした。

5時にメンバーが画廊に集まり、
まずはそれぞれの絵の場所を合議制で決める。

今回から立体作品を創っている作家さんが
参入してくれたので、
その立体作品を会場のどこに設置するのか
まずはそこから決めたので、
会場全体もいつもとは違う雰囲気になり
とても新鮮だ。

場所が決まり、実際に壁に吊る作業は
画廊のおじさんたちがしてくれる。
なので、私達は画廊の奥の部屋で
25周年の記念展のために作った絵葉書の
封入作業をベルトコンベア方式で行った。

今回はこの8枚セットの葉書を
会場にいらした方全員にプレゼントする予定だ。
なかなかいい絵葉書セットができたので
喜んでいただけると嬉しいが…。

こんな風に毎日毎日やることが多くて
相変わらず体調がイマイチでフラフラしているが、
「優先順位を決めて1位の順にやる」という
章が本の中にあるので、
呪文のように唱えながら
目の前にあるひとつをこなしている。

さあ、ペース配分を考えて、
今日から始まる
紫陽花展の1週間を乗り切ろうと思う。
皆さま、どうぞご高覧くださいませ!!!
お待ちしています。

























2025年6月7日土曜日

陶芸の友の送別会

 








長らく同じ時間帯で一緒に陶芸をしていた友人が
今月で工房を辞めることになった。

個人的には辞めてしまうAさんとは
大相撲に誘っていただいたり、
一緒に笠間の火祭りに行ったり、
着物を着て会食に行ったりと
もはや陶芸工房の域を超えたところで
おつきあいをしているので、
きっと辞められても交友は続くであろう。

しかし、同じ曜日の他のメンバーにしてみれば
第1と第3土曜の午後組のメンバーが
ひとり欠けることになるのは
寂しい限りなので
送別会を開くことになった。

場所は工房の近くの商店街の中に
オープンしてほどない「fill」というお店だ。

Aさんとはランチタイムに利用済みの
元アリスのシェフが独立・開業したお店だ。

なので、テイストはアリスのまま、
絵画のように美しいプレートが並ぶ。

まずはシャンパンで乾杯し、
Aさんが辞めるに至った経緯などを話し、
私は本の出版に至る経緯を話した。

工房ではそんなプライベートな話は
ほとんどすることもなく
みんな静かに作陶に向き合っているので、
陶芸以外の話題はこういう時でないとできない。

Aさんが元教師としての教師のあり方や
趣味に求めるものなど
熱く語り、
それを聴きながら、
自分にとっての陶芸について考えた。

私はすでに14年くらいの作陶歴があり、
家の中にはと使いきれないあまたの器が
ごろごろ転がっている。
いったいいつまで続けるのか。
そろそろ潮時という気がしている。

趣味を通じた友人関係は大切にしたいが、
使いもしない器がたまりにたまって
会費の値上げだけが押し寄せてくるのは
いかがなものか。

ものごとには始まりがあれば
終わりもある。
人も出会いがあれば、別れもある。

そんなことを感じながら、
一皿一皿、心を込めて作られた
美しいお料理をきれいに食べ終えた。

今日、一諸に会食したメンバーは
気持ちよくこの度の本の出版を喜んでくれ
13日の発売日には電子書籍の注文を
約束してくれた。

単に同じ時間帯に土をこね
器を作っている以上の親交がここにあって
お互いに親しみを感じていることが判る。

趣味を通した友達とは
そうした人間関係なんだなと
あらためてありがたい存在だと思った。

Aさんが辞めてしまっても
また、美味しいものを食べにいきましょう。
そう約束してレストランを後にした。

歳をとればとるほど
友達は出来にくくなるので
別れても、努めて繋がる機会をもつことが
大切だと感じた送別会だった。














2025年6月4日水曜日

本の入稿1日前

 











6月3日、
朝と夜に本の入稿フォローのためのセッションが
行われた。

朝8時半、
担当のコーチとの1on1toと呼ばれる
1対1のミーティング。

今まで1月から入学した出版スクールでは
月に2度のペースでこうした
担当コーチによるミーティングが行われてきた。

すべてWEB上でのやりとりなので、
生のコーチに会ったことは一度も無い。
この半年で出版スクールの社長をはじめ
関係者とのやりとりはすべてZOOMで行われた。

こうして半年間、
PCスキルの乏しい生徒は、
社長の講義を受講し、WSに参加し、
何十もの課題を提出してきた。

また、コーチとのミーティングを通して
レクチャーを受け、3月4月と自分で執筆し、
今ここに1冊の本が創り上げられ、
Amazonのkindleから出版されようとしている。

本を執筆したのは確かに私だが
そこには
鉛筆ナメナメなどという昭和然とした手法は
1ミリもなく、
すべてパソコン上で原稿も打ち込み、
アップロードしたり、
Amazonとの契約書を交わしたりなど
全編、WEB上のできごとなので、
新鮮かつ驚くべき体験だった。

昨日の朝の30分の1on1では
途中まで入稿準備が終わっていたにも関わらず、
目次設定ができていなかったり、
改ページがちゃんとできていないページがあり、
スマホで見た時にズレている箇所が散見され
最後の保存ボタンを押すところまでは
全く至らなかった。

最後の1on1で入稿できる人なんていないらしく
コーチは「入稿締め切りまでまだ3日もあるから
大丈夫ですよ」と励ましてくれた。

しかし、励まされても不安は募るばかりで
ミーティングの後すぐに長女に連絡し
「目次設定に不備があるみたい」と泣きついた。

目次設定と最終の校正は長女に頼み、
もうひとつの視点があった方がいいと思っていたが
まさか、長女が担当した目次設定が
うまく作動しないなんて…。

長女も出かける予定があったけど、
母が泣きついてきたので、
急遽、対応してくれ大助かりだ。

日中は自分でできる改ページや段のズレなど
指摘された部分の修正をして、
夜8時半、今度は別のコーチがついてくれ
続きの入稿作業が行われた。

午前中に娘が手直ししてくれた目次は
無事、設定されていた。
本の目次の途中をクリックすると
電子書籍の場合、
そのページに飛ぶことができるのだが、
ちゃんと飛ぶことが確認された。

あとは62000文字もある原稿が
スマホ上でどのように反映されるのか
原稿をアップロードし、1ページずつ点検し
元のWordの原稿を開いては修正し
保存をかけ、
今度はAmazonに行って
それがどのように反映しているか確認する。
延々とその作業の繰り返しだ。

途中、
Amazonの入稿ページで
「誤字脱字はありません」という表示が出た。
62000文字、自分で校正し推敲した結果、
誤字脱字は見当たらないとお墨付きをもらったので
その表示には
何だかジーンとくるものがあった。

勝手に62000文字もの長い原稿を書いたはいいが、
出版社側の校正サービスは25000文字だけ。
それ以降の37000文字は自分で校正しなければ
ならなかった。

まずは長女に投げて見てもらったが、
最終的に文章を削ったり、長文を2つに分けたり
指摘された言い回しを変えたりするのは
すべて著者である私の責任だ。
ここ1週間、原稿と格闘した結果の
「誤字脱字はありません」だったので、
ひとまず胸を撫でおろしたというわけだ。

夜の部のミーティングで
どのようにスマホ画面に合わせて調整するかが
分かってきたので
後は自分が納得できたら
最後の「保存」ボタンをクリックするだけだ。

そのボタンを押してしまうと、
市場に出てしまうので一切、変更ができなくなる。
スマホなのか、電子書籍リーダーなのか
タブレットなのかで、横幅が違うので
どの機種にも完璧はない。

ただ、文字化けや文章のズレなどが
最小限で済むように調整が必要なのだ。

今はそれもできたので、
明日の午後、カウンセリングから帰ったら
コーチに一声かけて
最後の保存ボタンをクリックするつもりだ。

長い長いこの半年。
自分がパソコンスキルがないと
思い知らされた半年だったが、
いい勉強をしたと思う。
今は
果敢に挑戦した自分を褒めてあげたい気分だ。

ペーパーバック版は
昨日の夜のコーチが担当なので、
こちらはコーチから調整のためのお声が
かかるのを待つばかり。

つまり、明日、保存ボタンをクリックすれば
私のやるべきことは終わる。

後は本当にAmazonの検索で出てくるのか、
本当にお買い求めくださる方はいるのか、
印税はいつか本当に入ってくるのか、
6月13日の出版日を心待ちにしているところである。

皆さま、よろしく!!!