今日は脳の手術でとん挫していた作陶中の器の
釉がけをしに工房まで行ってきた。
陶芸工房の釉がけは3か月に1度しかない。
本来なら、6月第3週の土曜日に
釉薬をかける予定だった。
しかし、その日は紫陽花展というグループ展の
会期中だったので、
第4週に変更願いを出し、
そこでそれまでの3か月に作った器に
釉薬をかけるつもりだった。
ところが、その週の初めに
脳の右半分に血が溜まっていることがわかり、
私は急遽、脳の手術することになったのだ。
あまりの急転直下の出来事に動揺したが
入院し、手術をすることになったのを機に
陶芸は辞めてしまおうという決断が早まり、
工房の先生や仲間には申し訳なかったけど、
退会願いのメールを送って
手術に臨むことにした。
そろそろ潮時という気持ちは少し前から
あったのだが、
結局、これが引き金になってしまった。
そのせいで、釉薬をかけそこなった数点の器が
夏中、自分のクラスの籠の中で
素焼きの状態で眠ることになった。
手術からもうすぐ丸3か月、
傷口の髪の毛は約3㎝に伸び、
もはやどこが傷口だったかもわからないぐらいだ。
体調はほぼ元通りだけど、
未だに時折立ち眩みの症状があり、
少し悩ましい。
まだ、重いものを持って歩いたり、
疲労が溜まってくると
どこかのタイミングで意識を失うのではと
不安に思うことがある。
なにしろ、硬膜下血腫ができた原因は
急に気を失って玄関ドアに激突した衝撃で
脳内に内出血したからで、
医者からは「もう転ばないでね」と言われている。
しかし、いつまでも素焼きの器を
放置しておくわけにもいかず、
元気になったら
どこかで振り替えの振り替えで
釉薬をかけさせてもらわなければと思い、
重い腰をあげたというところだ。
久しぶりに工房に向かい、
会員の作陶日ではない日を先生に指定されたので
作業をするのは私一人。
先生は相変わらず事務所のパソコンの前にいた。
いつものように不愛想な挨拶をして
「その後どう?」と訊かれたので
「まあまあです」と答えた。
後は粛々と、記録に残しておきたいので、
時折、スマホで撮影をしながら、
撥水剤をかけ、釉薬を2種類攪拌し、
釉がけをほどこし、
器の底の余分な釉薬を拭きとった。
作業自体は長いことやってきているので
忘れたとかはなかったけど、
まずは「失透」という白い釉薬と
「油滴天目」という黒い釉薬の入ったバケツを
釉薬置き場から工房の中央へ
引っ張り出すことさえ重くてできないことに
愕然とした。
積んであるバケツを
床におろしてもらうところだけ
先生に声をかけ手伝ってもらったが、
そこからキャスターのついた台を転がし
移動させただけでふらつくほど重い。
そこから1種類につき17~18分
攪拌機で攪拌させるのだが、
飛び散らないよう手元のモーターを固定し
じっとしているだけなのに
手がしびれるほど大変な作業だ。
昼前にカーブスに行った続きで工房に来たので
カーブスで履いていた黒いパンツに履き替え、
釉薬が飛び散ってもいいように
真新しい白いスニーカーは脱いで
ダメにしてもいいつもりで靴下だけになった。
ひとりの作業なので、
ひとつひとつ丁寧にすることで
汚れも最小限にできるし、失敗もない。
白い釉薬と黒い釉薬をかけ分け、
予定に通りに作業は進められ、
7つの器に釉がけを終え
2時間で後片付けと掃除も終了した。
いつもの私だったら20~25個の器に釉がけして
3時間半の時間いっぱいいっぱい使うところだが
7つしかないので
ゆっくり丁寧に作業したけど2時間しか
かからなかった。
しかし、終わってみたら、
久しぶりということもあってか
とにかくこんなに重労働だったかと思うほど
疲労している自分がいた。
こんなに大変な作業を13年もやっていたのかと
驚きを隠せないが、
やはりものを創ることはエネルギーがいると
今更ながらに実感した。
本焼きが出来たら連絡をいただくことにして
帰路についたが、
駅の自販機コーナーでチョコレートを見つけ
ダイエット中なのに見境もなく買って
一気に半分も頬張ってしまった。
体が糖分を欲していると判るほど
疲れがドッと出た感じだ。
工房ではひとつひとつの作業をしながら
工房のあたりを見回し
道具類を眺め
「本当に辞めちゃっていいの」と自問自答した。
「陶芸はもういいかな」と
内なる自分がつぶやいた。
先生も特段、引き留めるでもなく
最後までパソコンの前にいた。
何だかあっけない幕切れだった。
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