今、横浜美術館で行われている『魅惑のニッポン木版画』という展覧会に行って来た。
木版画は日本独自の代表的な美術ジャンルであるから
専門の美術館もあるし、北斎・広重・写楽など代表的な作家の特集は
なんどとなく行われているが
今回の展覧会は江戸末期ぐらいから今日までの変遷を網羅する
日本における木版画の歩み展とでもいう内容の企画であった。
まだ凸版などの印刷技術がない江戸時代には
木版画は人にものを伝えるための印刷物という意味あいが大きく、
他にもうちわの絵柄だったり、引き札や相撲の番付表だったり
生活に密着したところで使われてきた。
それが明治・大正と時代が進むにつれ
本の表紙やラベル、告知のポスターのようなものに使われるようになり
やがて、芸術として鑑賞するために作られるようになる。
そうした変遷を代表的な作品で展示し
現代においては
私もよく知る吉田ファミリー・野田哲也・林保次郎・小林敬生・山中現など
大学時代の恩師やら同時に学んだ先輩までが代表作家として登場し
その作品が陳列されていた。
こうした大きな美術館の歴史を遡る展覧会に
今も生きている同年代の作家の作品が並ぶのは不思議な気持ちがする。
どんな経緯でこれらの作家達が選ばれたのか
「多分に吉田ファミリーに肩入れした偏った人選なのではないか」とか
「ここに上野誠が入らないのはおかしいではないか」など
私の周辺でも口さがない連中が噂しあっている。
なにしろ、今まだ生きているメンバーが相当数入っているだけに
入っていない人にしてみれば「どうしてこういうことになるんだ」と
言いたくもなるのが人情というものかもしれない。
私も木版画を創る作家の端くれとして
自分もこのまま作り続けて、やがて、日本の木版画の流れの中に足跡を残せるのか
流れに埋没して忘れ去られるのか
危ういものを感じながら
それでも、そういうことは自分では決められないので
作家は黙々と創り続けるしか道はないと思っている。
しかし、自分が歴史に名を残せるのか否かはともかくとして
日本における木版画の足跡は、本当に世界に誇れる独自性のあるものなので
ますます追求の手をゆるめずに
自信をもってこれからも作品を創っていかねばと決意を新たにした。
会場では展示の最後の方に
現在作家のひとりとして
桐月沙樹という人の作品が10数点展示されていた。
木目の波の間に踊るダンサーが描かれている作品だったが
「版木の木目はすでにして1枚の絵のように見え、その木目の合間にダンサーが
見えてくる」というような本人の解説がついていた。
私が木目のシリーズを始めた時に感じたのと同じことをこの人も感じていると
驚きを禁じえなかったが
たぶん、名前の感じからして若い見知らぬ無名の女性の作品が
1点や2点ならまだしも10数点も展示されていることに
嫉妬と羨望と何らかの水面下の不穏な力を感じた。
木版画界の大御所達でさえ、1~2点ずつしか展示されていないのに
この大盤振る舞いはどういうことか。
くすぶる思いを胸に抱きつつ美術館を後にし
帰り道、大好きな「ブレドール」のパンを買って、地下鉄に乗った。
結局、人が生きていて、作品を創るということは
何かを食べ、生活するということだから
生きているのに歴史上の人物達と並んで美術館に並べられても
何だか居心地が悪いのではと
ひがみとも諦観ともとれる結論に達し
「人は人、私は私」でいくしかないと思ったのだった。