2014年7月30日水曜日

真夏の過ごし方


 
昨日は少し風があって涼しいと感じたが、今日はまた一段と激しい暑さである。
『梅雨明け10日』という言葉にあるように1年で最も暑い日が続くといわれている。
このあたりの日々は不要不急の外出は避けて、家でおとなしく過ごすのがよさそうだ。
 
そこで今年は古典的な和柄の装丁が美しい文庫本を2冊買い求め、
今一度読み返してみることにした。
 
夏目漱石の『こころ』と太宰治の『人間失格』である。
 
いずれも日本文学の名作中の名作なので、大昔、既に読んだことのある本である。
しかし、まず、『こころ』を読み始めたが、本当に新鮮な驚きと感動に満ちていた。
 
たぶん、中学生あたりで読んでいるはずだと思うが
ほとんど何も覚えていないところをみると
当時の私には明治時代のものの考え方や言動が理解できずに
登場人物の『こころのひだ』に分け入ることが出来なかったのではと思う。
 
それが今回は違った。
 
長いこと生きてきたせいか、登場人物の『私』や『先生』の思っていることと
表に出す言葉や行動の違いが手に取るように分かるし、
明治時代の男女の有り様や結婚への段取りなども驚きに満ち、新鮮だった。
 
今、巷では、夏目漱石の『こころ』をみんなで読み解いたり、分析することが
一種の流行になっているらしい。
 
連日、新聞に関連記事が載っており
姜尚中氏は高校生と『こころ』を読み解くシンポジウムを開いたらしいし、
筑波大学教授で精神科医の高橋正雄さんは、臨床心理士の立場で漱石自身の
病歴と併せて読むと、彼が精神障害者に深い理解と共感をもっていたと解釈している。
 
なぜ、今、漱石の『こころ』なのか。
 
このパソコンやケータイ・スマホなどの発達した現代の人間関係の中で
一番見失ってしまったものがここにあるからだろうか。
 
約100年しか経っていない、すこし前の日本の驚くべき遅速な日々の暮らし。
 
大学を出るなんて限られた人だったし、
裕福な家庭に生まれた者は別に特段働かなくても食べていけた時代だし、
結婚は親に申し込めば女性の意志など確認しなくとも話が進められた。
女性を心密かに好きになっても口に出すこともせず、態度にさえださない。
 
どのひとつをとっても、平成26年の現代では考えられないことだ。
 
外は35度の猛暑日に迫ろうとしているけれど、
そんな時こそ、古典の中に生きている人々の心模様に思いを馳せ、考えてみる。
 
人が生きるってなんだろう。
人が死んでしまうってどういうこと。
自ら命を絶つ意味は・・・。
など、わずかな言葉のやりとりから深くわけいる登場人物達の心のひだを追随して
自分も思考の海に潜るのは悪くない。
 
おヒマついでに借りてきた韓国映画の『うつせみ』も
そうした意味では面白い映画だった。
主人公の男女ふたりが全編を通してひと言もといっていいほど言葉を発しない。
けれど、ふたりが心惹かれていくのがしみじみ伝わってくる。
 
無言の内にたくさんの感情と言葉があふれるという意味では
『こころ』と共通していると言えよう。
 
ひとり、部屋のクーラーを効かせ、窓の外に強い日差しとセミの声を感じながら
世の中から隔離されてしまったかのように
ひと言も発せず
こうした読書や映画鑑賞の時間をもつのも正しい真夏の過ごし方かもしれない。
 


2014年7月28日月曜日

猛暑稽古


 
 
 
日本古来、『寒稽古』『寒中水泳』など、
ものごとの鍛錬する時期としては寒い時に行うことが多い。
 
しかし、真夏のお茶のお稽古などは、その鍛錬以外の何ものでもない。
今日は先々週に続いてキモノでお茶のお稽古に伺ったので、
それをつくづく実感した。
 
といっても、他の誰も
お弟子さんは言うにおよばず、先生もサブについてくださっている先生も
キモノなど着ていないので、誰が私にキモノでと強制したわけではない。
 
単に買ったばかりの半幅帯を1度も締めない内に今年の夏が終わってしまうのは
もったいないという理由で
この難行苦行に挑んだというわけである。
 
表向きには「実にさわやかよ」と、誰にも理解していただけないのだが
その実、キモノの中はしたたり落ちる汗で大変なことになっている。
 
とりわけ、汗ばんだ太ももにキモノ下着が絡まりついて内股にへばりつくので
まともに歩けないほど。
お手前座に出ていくだけで、茶道具を両手に持ったまま転ぶのではと冷や冷やした。
 
とりえず顔は涼しげにしているのだが
手に汗握っているせいか、袱紗でさえまともさばけない。
「いや~、こりゃ、1年中キモノで過ごさなければならない舞妓さんやら芸妓さんは
大変だわ」と、他人事ながら感心する。
 
今日あたり、昨日一昨日の異様な猛暑に比べれば、風もあるし30度ちょっとだし
まだまだマシだったはずなのだが・・・。
 
子どもの頃、日本の夏も30度を超えると「今日は暑い」と騒いだものだが
今は30度やそこらは、まだ序の口だと感じるから恐ろしい。
すでに亜熱帯気候になってしまった今の日本でキモノはかなりの苦行である。
隅田川の花火大会にも大勢のゆかた姿の観客が来ていたけれど
熱中症やら脱水症状でぶっ倒れた人もいたのではないだろうか。
 
こういう時は水分補給と塩分補給が大事とか。
 
お稽古から帰るなり、
ハラハラとまた帯を解き、キモノと襦袢からすっぽり体だけ抜け出し
まずは一杯の水、そして、塩飴を一粒。
 
落ちついたところで
お稽古場から持ち帰った北海道の銘菓「わかさいも」と鶴屋八幡「小清水」を
両方ともいただき、自ら招いた猛暑稽古の労をねぎらったのである。
 
お疲れ様でした~。

2014年7月25日金曜日

戦利品の茶箱

 
 
 
 
 
私が所属して地域で家事介護支援をしている団体が今年の夏で5周年を迎えた。
今週は感謝の気持ちを表明しつつ、今後のご愛顧を賜るため、
事務所の半分を開放して寄付品を安価にてお譲りする「のみの市」を行っている。
 
私が子育て支援で伺っているお宅からも大量の寄付があり、
ご実家に眠っていた古い食器や、タオル類など
もらい受けてきて並んでいる。
 
連休明けの火曜日の朝、イベントのお手伝い要員として呼ばれた私は
そちらこちらから集まってきた品物を見やすいように並べる係を仰せつかり
「いくら100円200円の世界でも、こんなもの誰が買うのかしら」と
内心、思いながら作業をしていた。
 
そこに集まっていたのは
昭和の匂いプンプンの銘々皿のセットや壁掛け、頂き物に違いない湯呑みセット
趣味がいかがなものかと思われる大きな絵皿やお盆、花瓶などなど・・・。
古本や未使用のタオル類もあるがどこかかび臭い。
衣類もかなりあるにはあるが、提供者の年齢が分かるような渋い逸品?ばかり。
 
しかも、どこのお蔵から引っ張り出してきたのかと思うほど箱もお疲れ様だ。
そこに無造作にグリーンのテープが貼ってあり、
100円だの300円だの500円だのとマーカーで書いてあるが、
いくら安くとも一向に買おうという食指が動かなかった。
 
そして、本日、金曜日はそのイベントも最終日。
またまた売り子として呼ばれた私はお客さんが来ないので
売れ残っている品々をひとつひとつ見ながら、あらためて品定めをすることにした。
 
ひとつひとつ吟味している私の背後から
理事長が声をかけてきた。
「面白いもので、こんなものだれが・・って思うようなものが売れたりするのよ。
また、いくらいいものと分かっていても興味のないものは売れないしね」と。
 
「その典型がこのお茶道具よ。これ、きっと高いものなんじゃないかな。
私はお茶のことは全く分からないけど、どう?」
そう言われて古い紙箱を開けてみると、中からなんと茶箱が出てきた。
 
茶箱というのは例のお茶屋さんの大きな茶箱のことではない。
茶道で野点のように屋外でちょっとお茶を点てようという時に
お茶に必要な道具がすべてコンパクトにまとまって入っている茶道具のことである。
 
中を開け入っている小物達をとりだしてみると
名物裂のお仕覆に入った小さな茶碗と小さな茶入れ
象牙の茶杓、黄瀬戸の振出、茶筅立てと茶巾筒、波と千鳥の文様の出し袱紗など
それはそれは可愛い茶道具の数々だった。
 
中に金平糖を入れると言われている振出の底に黄ばんだシールが貼ってあり
2980円とある。
少なくとも昭和40年代か50年代あたりに求めたもので
振出ひとつが3000円だとしたら、
この茶箱の全体のお値段はいくらになるのか、ちょっと想像つかないが
それなりの金額になることは間違いない。
 
しかし、ものを知らないというのは恐ろしいもので
無造作に箱には1000円のテープが貼ってある。
 
げげげっ!
これこそ掘り出し物!
 
さっきまでゴミをつまむような手つきで品定めをしていたくせに
急に色めきだってきた。
 
その気で探すと、他にも西陣織の名物裂「亀甲鴛鴦」の懐紙入れや
乳白地に草と鳥が描かれた小ぶりの水差、唐津焼の花器、
菓子器に使えそうな鷺草が描かれた渋い陶器のお皿などが見つかった。
 
この歳になって、ものを増やしてはいけない。
それどころか、断捨離せねばともうひとりの自分が頭の後ろの方でささやくも
目の前に転がり出てきたお宝の数々に、気持ちはほとんどよだれを垂らしている。
 
結局、しめて2000円で、「持ってけドロボー!」と言われながら
これらを車に積み込み、嬉々として帰ってきた。
 
聞けば、この品々はすべて同じ方のおうちから届けられたというか、
老夫婦がホームに入ることになり、
家を取り壊す前にめぼしいものを何回かに分け、引き取ってきたものだという。
 
私も半年ほど前に一度お目にかかったあの上品なご夫婦が
短い間にそのような人生の選択をなさっていたとは・・・。
 
ちょっと切ない気持ちになった。
 
目の前にある品々は
きっと何十年と手つかずで押し入れ深く眠っていた物達だろう。
今回のことに際して
50代のふたごの娘さん達はいずれも母親の物は何もいらないと言ったとか・・・。
それもまた、悲しい話だ。
 
上品なあのご夫婦にも人には言えない親子の問題があったのかもしれない。
 
しかし、
このお道具達は、縁あって我が家にたどり着いたのだから、
また、私も押し入れに突っ込み放しになどにせず、使ってあげなければ。
 
そう思って、振出を手に取り、ふたを開け、中から金平糖が転がり出る様を想像した。


2014年7月24日木曜日

腰痛と冷え性に消える魔球



数年前から、夏になると足首や足の甲が冷えて、眠れないという症状が出始めた。
冷え性では全くないと思って長いこと生きてきたので、
これが夏場に起こりやすい『下半身型冷え性』だと知り、かなり愕然としてるところだ。
 
原因は『老化』と『梨状筋の固さ』にあるという。
数日前のテレビで1時間もの特集番組があり、
まさに私の症状だと食い入るように見たばかり。
 
梨状筋というのはお尻の奥にあるインナーマッスルで
ウエストあたりの背骨の両脇から斜め八の字に腿の付け根の骨にむかって
帯状に伸びている筋肉らしい。
 
その筋肉がパソコン業務などの前屈姿勢、
もしくは、座椅子に寄りかかるなどの姿勢を長時間とることで、負荷がかかり
柔軟性を損ない硬くなってしまうことから、座骨神経を圧迫し
ひいては下半身全体の血流を鈍らせ、冷えという症状になる。(らしい)
 
番組でも40前後の女性2名が登場し、
夏場はクーラーの効いた部屋にいるのに、
毛布で下半身をくるんで座椅子で長時間ケータイをいじっているとか、
前傾姿勢のままパソコンに向かっているなどと話していた。
 
私も木板を彫るのも摺るのも思いっきりの前傾姿勢なので、心当たりは大ありだ。
私の症状は寝ている時が一番きつく、足首が寒くて夜中に起きたりする。
なので、今年は毎晩レッグウオーマーをして寝ているほどだ。
 
さて、この下半身型冷え性。
原因はこのお尻の奥にある梨状筋とやらで、硬くなってしまったこの筋肉を
柔らかくほぐす指圧こそが冷え性撃退の方法だという。
 
しかし、お尻は人体の裏側なので、
整体にでも行かない限り、自分でほぐすのは難しい場所である。
 
ツボは
背中のウエストのすぐ下の胞こう、お尻の真ん中の臀中、大腿骨の付け根の環跳。
左右一対になっている。
その3つの内、痛いところが凝っているというか硬くなっているというわけだ。
 
整体に行くと必ずといっていいほど、「そこそこ~」と叫ぶ場所でもある。
 
それを月に1度か2度の整体の日を待っていたのでは、
夏中、この冷えと戦わなければならない。
 
そこで番組では「軟式野球のボール」をこのツボに押し当て、自分の体重をかけ
ぐるぐる前後左右に回すことで、ツボ押し効果が得られると紹介していた。
 
折しも、昨日の朝、
1時間半ほど腰を二の時に曲げて裏庭のどくだみ取りに精を出したところ、
今日はギックリ腰一歩手前ほどの腰痛をウエスト下に感じている。
 
もしかしたら、この典型的な腰痛も軟式野球のボールコロコロで
何とかなるかもしれないと閃いた。
 
そう、思い立った私は夕方、スポーツ用品店に立ち寄り、
早速、2つ598円也で、ボールを購入した。
 
ひとつだけでころころすると番組では紹介されていたが
ツボは一対である。
2ついっぺんに並べてうまく両方のツボにあたるようにし、
体重をかけグルグルすれば、一発オーケーかもと考え、2個組のものを買ってみた。
 
そして、食後、さっそく畳の部屋に寝転んで
ふたつのボールをウエスト下に転がし、両方のツボにあたるように置いた。
 
体重をかけるまでもなく、それだけでヒーヒー言うほど痛い。
しかし、30秒はやると番組ではいっていたので、とりあえず
ひとり「痛い、痛い」と騒ぎながら、コロコロしてみた。
 
他の臀中はちょい痛、足の付け根の環跳は痛みなしなのに比べ
ウエスト下の胞こうなるツボは激痛だったが、
しばらくコロコロの後、ボールをはずしてみるとあら不思議。
 
明らかに腰痛が軽減している気がする。
 
まだ、明らかに冷えが改善されたとまではいかないが、
ボールによるツボ押し効果は間違いなくあると実感。
 
これも1週間ぐらい日に何回かころころする内に改善するかもと思えてきた。
 
もし、これで本当にこれで腰痛や冷えが直ったら
これぞ正しく(痛みや冷えが)消える魔球である!!
 
真面目に取り組み、いいご報告ができればと思っているところだが、
まずは、第一弾のリポートということで、
ここまで長々お読みいただき、ありがとうございました。

2014年7月19日土曜日

大量の湯呑み

 
 
 
2ヶ月間、創りためたものに今日は工房で釉薬をかけた。
釉薬をかけられる日は奇数月の後半と決まっているから、今日は人が多い。
 
工房には10人ほどの人が、それぞれ自分の器に釉薬をかける下準備をしたり
欲しい釉薬をグラインダーで攪拌したりして、黙々と作業している。
 
私も工房の机に12個の湯呑みと2つ残りの粘土で創った器がおいてあったので
「そうか、今日はこんなに釉薬をかけるんだ」と他人事のように驚きながら
黙って作業に取りかかった。
 
すでに同じデザインの大ぶりの湯呑みは8個、焼き上がっていて手元にある。
しかし、その先発の8個が思っていたより焼きで縮んだため、
今ひとつ焼き上がりに満足していない。
今日の12個の焼き上がり次第では満足のいかない中途半端な出来のものが
20個もできてしまうことになる。
 
それだけは勘弁して欲しいと心の中で自分に話しかけながら
予定していた黄瀬戸と織部と失透という3色の釉薬を攪拌し、釉がけに備えた。
 
てびねりなので全く同じとは言えないまでも同じ重さの粘土で創った
同じ土、同じデザイン、同じ釉薬の器達。
微妙に大きさも形も釉薬のかかり方も違うので、
狙いとしては、シリーズものであり、かつ、一点ものである。
 
陶芸も2年半の月日をかけ、自分のスタイルというものが徐々にできてきて
また、そこそこ狙った形のものが創れるようになってきている。
 
てびねりの歪みもまた、味があるとは私は思っていないので
歪みではなく、そういう温か味のある狙った形にしたいと考えているのである。
 
この大ぶりの湯呑み。
一応、湯呑みということになっているが、小鉢としても使えそうな気がしている。
白和えとか、わけぎのぬたとか、うざくなんかよさそうだ。
 
器にかけた黄瀬戸の渋い黄色、織部の渋い緑、失透の白、
その重なりあう3色と和風の和え物はきっとよく似合う。
 
帰り道、生業はウェブデザイナーをしているという陶芸教室で一緒の女性と話した。
「ねえ、なんでおじさん達って、あんなつまんないものしか創らないんだろう」
「自分が料理をしないから、
この料理をのせるために、こんな器っていう発想がないからじゃないですか?」
「確かに。私なんて完全に自分の料理をのせるための器作りですもの」と。
 
料理と器。
まあ、それを語れるほどの料理人でもないし、陶芸の腕もまだまだだけど、
気持ちだけは魯山人。
 
イメージを大切にして更なる高みを目指すのは悪くない心がけといえよう。
 

2014年7月14日月曜日

キモノはつらいよ

 
 
 
 
 
本日の横浜は気温32,9度、十分な猛暑でした。
そんな中、私は朝から絽のキモノに半幅帯を締め、
車に
貸し出し用の浴衣と帯、キモノ下着や紐の類を大きな風呂敷ふたつにまとめたものと
姿見を積み込み、子育て支援の保育室に向かった。
 
午前中は7月の月イチイベントとして、
『浴衣の着付け教室』を開催することになっていた。
 
しかし、今回、参加してくださったママ達は
揃いも揃って自分の浴衣は持っていないということなので、
週末、家中の浴衣をかき集め、5組ほどの浴衣と帯のセットを持ち込んだのである。
 
歳の頃は似たり寄ったりだが
タイプの違う3人にそれぞれ雰囲気のあう浴衣があり、まずは一安心。
 
浴衣を持っていないということは、浴衣用の下着ももちろん持っていないだろうと
そちらも新しいものを買い増したりしての大サービス。
「大の大人の女性が浴衣の前をはだけながら
太ももやパンティもあらわに着付けのお稽古はみっともないでしょ」と
チクチク大年増の嫌味を織り交ぜながらも、
着付け教室はなごやかに進んだ。
 
それぞれに似合う帯結びの形も違うので、そのあたりの話もすると
皆、興味深くきいてくださり
キモノ文化を若いママさん年代の人達に継承して欲しくて
ついこちらのレクチャーにも熱が入る。
 
お陰でこちらは気づけば熱中症寸前の疲れ加減で、足元がふらつくほどだが
みんな最後は笑顔でキモノ姿を写メったりして嬉しそうなので、こちらも嬉しくなる。
 
結局、子育て支援の仲間である大おばさま達に『貝の口』という結び方をレクチャー
したのは、若いママ達を見送ってからのほんの少しになってしまったが
まあ、保育室の利用促進が目的のイベントなので仕方あるまい。
 
午後は気を取り直し、呼吸を整え、
再びキモノで車を運転し、お茶のお稽古に。
 
お茶のお教室の先生やお弟子さん達も
この(くそ)暑い日にキモノを着てきた姿を見て、皆さんビックリ。
 
それでもさすがお茶メンバーはキモノについて詳しい方ばかりなので
たくさんのお褒めの言葉をくださって、私も着ていった甲斐があったというもの。
 
夕方、家にたどり着いた時には疲れもとうにピークを過ぎ、
速攻、着ていた帯とキモノを脱ぎ捨て、髪につけたヘアピースを引きちぎり、
クーラーをガンガンに効かせた和室に、しばらく裸で倒れ込んでいた。
 
さっきまでの上品な着付け教室の先生と、お茶のお稽古に通う奥様はどこ行った?
 
もはや誰がみても、身も世もなく裸で転がっているトドさながらだ。
いやいやこんな姿、トドにだって見せられやしない。
 
そんな過酷な夏キモノの1日だったのである。

2014年7月13日日曜日

砂の器

昨日から最寄り駅の映画館の『新午前十時の映画祭』で『砂の器』が始まった。
日本公開年が1974年とあるので、私の浪人時代だ。
確か、当時も映画館に足を運んで観た覚えがある。

ちょうどその頃、私は松本清張の作品にはまっていて、出版されるものされるもの
どれも綿密な取材に裏打ちされた構成と登場人物の心理描写に
いつも感心させられていた。

この『砂の器』もそのひとつだが、映像の迫力と加藤剛の端正な顔立ちゆえ、
どちらかというと小説より映像の方が心に強く残っていた。
後年、加藤剛の役を中居正広がやってテレビドラマになった時はそのノーブルさ
の差が気にいらず、なぜこういうキャストなのかとひとり憤慨したものだ。

その作品が久々にスクリーンに帰って来るというので、早速、観に行くことにした。
会場の9つあるスクリーンとしては小さめの部屋だったが、ほぼ満席に近い状態に
客席は埋まっている。

やっぱり当時、映画館に足を運んだ年齢というか、松本清張ファンとおぼしき
60代70代ぐらいの人、とりわけ男性が多い。

映画が始まってみれば、それはもうきら星のごとく当時、また、その後活躍した
俳優陣がごっそり出ているのでビックリした。

事件を主に追いかけている刑事は丹波哲郎と森田健作だが、後年の臭い芝居が
鼻についた丹波哲郎は自然な感じで熱心な刑事役を好演してたし、
暑苦しい元気が目障りな森田健作も、さわやかな若い刑事役で丹波と
いいコンビになっている。

他にも40年前の有名どころの俳優陣が目白押しで、すでに亡くなっている方も
大勢いたが、若き日の緒形拳、加藤剛、渥美清はこのあたりから実力を認められ
活躍の糸口をつかんだのではと思うのだ。

物語全体もしっかり構成され、骨太な大作として後世に残ったのはよく分かる。

しかし、惜しむらくは作曲家になって成功をつかんだ加藤剛がメインテーマの
ピアノ曲を弾くシーンが度々出て来て、時折、手だけがアップになるのだが、
だれか知らぬが本物のピアニストのその手がばかにぷっくりしていて、
どう考えても加藤剛のあの顔と背の高さに似つかわしくない手の持ち主なのが
気になった。

映像的にはモノクロームに近い夜の蒲田操車場で惨殺死体がみつかった時や
乞食の子どもが村の警官に突き飛ばされて転び、額から流血したときなど
馬鹿に真っ赤な血がどくどく流れ、べったり張り付き、わざとらしい。

案外、予想外に自然な演技の俳優陣が頑張っていただけに惜しい感じがした。

それでも映画全体としては十分見応えがあり、左隣のおばさんは最初は何か
ポリポリ食べていたが、後半は涙が止まらなくなったらしく、ハンカチを出したり
ティッシュを出したり忙しくしていた。

『午前十時の映画祭』に今年から加わった新顔の『砂の器』。
40年も前の作品とはいえ、あの頃の日本映画も頑張っていたことを実感できるし
「あの頃、君は若かった~」という見方もできるので、機会があれば是非ご高覧を!


2014年7月8日火曜日

ふとっちょ人形展

 
 
 
 
 
 
六本木のギリシャ大使館の隣にある展示スペースでやっている
粟辻早重さん制作の『ふとっちょさん』という人形の展覧会に行って来た。
 
粟辻早重さんは次女の勤めるデザイン事務所の社長のお母さんだ。
お年の頃は確か80歳。
(昨年、ホテルで人を招いて盛大にお祝いをなさったと思う)
 
しかし、白い会場を埋め尽くしているのはとてもカラフルで
キュートでユーモアのセンスを感じるふとっちょ人形達だった。
とても80歳の方が創ったとは思えない。
 
もちろん40数年間の集大成というか、
創り溜めたものを虫干しもかねて引っ張り出し展示したとあるから
30代から創り続けたものなのであろう。
 
その昔、生まれたご長女のための抱き人形として創ったのが人形作りの始めとか。
 
どれが最初の一体かはわからないが
制作年代を追うと、年齢を重ねてからの方がはじけっぷりがいい。
早重さんはデザイナーという職業から人形作家と自覚なさってからの方が
何かをふっきったということかもしれない。
 
会場を見て回りながら、何回かふふっと笑ってしまう。
ふとっちょさんのもつ可愛らしさとおかしみと
はじける元気な色あいに
観ているこちらの心が弾んでくる。
 
でも、早重さんは最初の男の子を預けた保育園の過失で亡くしているというし
ご主人の粟辻博さんも比較的若くして亡くなっている。
 
今は
デザイン事務所に勤めるメンバー全員の夕食を作り
彼女のむすめ(社長)を始めとする、みんなの健康を気遣うゴッドマザーということだ。
 
その豪快で前向きな生き方は人形達を観ていれば伝わってくる。
 
ものを創って表現することを生業にしている者は
その生き方そのものがそこに現れてしまうのだから
こんな風に
元気でチャーミングで可愛い作品で
観るものにパワーを注入できるって素晴らしいなと思った。
 
小難しいこと考えたり、訳のわかんない絵描いてないで
こういうストレートなものの方が真っ直ぐ伝わってくるよね。
 
多いに参考にして
私も頑張りま~す!!

2014年7月6日日曜日

半幅帯に目覚めて

 
 
 
季節はもうすぐ夏本番。
昨日も小雨が降っているというのにゆかた姿の女性を何人か電車の中で見かけた。
こんな天気の中、花火大会にでも出掛けるのだろうか。
 
自宅開催のなでしこの会も6月に夏の着物着付け教室を開いたが
参加している子育て支援の会でも今月のイベントとして
『ゆかたの着付け教室』をすることになっている。
 
参加者が集まるのかどうか、
チラシの効果のほどはもう少し経たないと分からないが
講師を頼まれた私としては自分もキモノに半幅帯を結んででかけようと考えた。
(なでしこの会では夏のキモノに夏の二重太鼓を締めていた)
 
来週の月曜日に予定されたイベントの日は、午後、お茶のお稽古もある。
そこで朝から夕方までキモノで過ごすことにし、
素足にゆかたではお茶室に入ることは許されないので
夏の絽のキモノに半幅帯を結ぶことにした。
(もちろん足袋をはく)
 
長らく自分の中では
半幅帯というアイテムはゆかたの時に締めるものと決めつけていたが
家に買い置いてあった帯結びの本をあらためてめくってみると
なんとなんと半幅帯にも結び方がたくさんあって
十分、小紋のキモノなどに粋な着方ととして使うことが出来ると分かった。
 
半幅帯を若いお嬢さん達が着ているつけ帯の蝶々結びに結んだのでは
さすがに還暦の私には子どもっぽ過ぎる。
かといって、貝の口という結び方や後見結びではおばさんっぽい。
 
確かにおばさんではあるが、そこはすこし抵抗して
おばさん仕様の変わり蝶々結びとでもいう結び方をしてみたい。
 
そう思いたち、今日はひとり和室にクーラーをガンガン効かせ
鏡の前であれやこれやと結んでみた。
 
ようはリボン結びの理屈なので
それさえ踏まえれば、
手持ちの半幅帯の長さを活かして、いろいろできることが判明。
 
案外、小粋な感じになるので夏はこのスタイルがいいかもとひとりほくそ笑んだ。
 
何ごとも決めつけはいけないということと
もっと好奇心をもって取り組めば、何ごとも奥が深い。
と、本日の学びはそんな感じ。
 
何十年もタンスの底に眠っていた半幅帯に
いよいよ登場の機会が巡ってきそうで
『お得感』を味わった私であるが、
よく考えると、
当時、大枚はたいて買ったもののこの半幅帯を1回も締めていないことに
懺悔したのである。
 
ごめんね~。
来週、着てあげるからね~。


2014年7月5日土曜日

土と向き合い、自分を見つめる

 
 
 
外は今日もしとしと冷たい雨が1日中降っていた。
 
6月後半はグループ展があったので、毎日のように会場に通い
お当番を務めたり、会場で友人を迎えたりしている内に
あっという間に過ぎていった。
 
気づけば、今日は早7月5日。
今年も半分が終わり、後半に突入してしまった。
 
1年が短く感じられるようになって随分経つが
今年も呆気なく半分終わってしまい、いささか焦っている。
 
個人的には、別に来年の個展に作品の数が揃いそうにもないとか、
今日明日に間に合わせなければいけない提出物があるとか、
そういうことではないのだが・・・。
 
こんな気持ちを落ちつかせるのに
雨の日の作陶作業はもってこいである。
 
工房には第1と第3に登録している土曜日メンバーが全員揃っていた。
奇数月の2回目が釉薬をかける日なので
次回のその日に向け、だれもが黙々と手を動かしている。
 
自由作陶がこの工房のスタイルなので、
今月の課題は『れんげ』だが、れんげを作っているのは数人だけ。
あとはそれぞれ思いのままにばらばらのものを作っている。
 
一番古いSさんは180㎝ぐらいの背で100㌔はあろうかという大きな体を丸めて
なんと骨壺を作っている。
ご自分のものというより、知り合いの80代の方からリクエストされたとか。
 
最初に骨壺と聞いたときは驚いたが
自分の骨壺も自分の作品だったらステキだなと今は思っている。
 
隣で一心不乱にれんげに取り組んでいたOさんは
正にリタイア後は陶芸でも・・・というよくありがちな日本男児なので
不器用そうな手つきで、バランスをとるのが難しいれんげに苦戦している。
 
一方、この工房に入門して半年のNさんは30代の女性で新婚さん。
大学時代は美大の工芸科だったとかで
陶芸はプロ裸足。
不器用なおじさん達が四苦八苦しているのを横目に
難なく電動ろくろでパスタ皿をひいている。
 
先生も他の人も皆、一様に黙ったまま粘土と格闘していて
今日はいつもおしゃべりなおじさんもなぜか寡黙だ。
 
今日の私は前回作った揃いの湯呑み4個の高台削りから始まり
新作のクッキー皿とサラダボールを作るのに集中していた。
 
人の数はそれなりにいるのに話し声もなく、工房にクラシック音楽が流れている。
外の雨は音もなく降り続いていて
7月とも思えない冷たい風が工房を吹き抜け、長袖でないと寒い。
 
私は古信楽という土を練りながら
揃いのおおぶりの湯呑みに合わせたクッキー皿をどんな形にするかイメージする。
土が答えを教えてくれるまで、静かに菊練りを続ける。
 
今日は湿度が高く土がいつもより軟らかい。
 
手のひらに冷たい土の感触を感じながら
今年に入ってからの半年を振り返る。
そして、9月の沖縄のこと、10月のニューヨークのことなども考える。
で、ふと現実に戻り、今日の夕飯のことを考えた。
 
今、作っている湯呑みとクッキー皿は来年の個展のことを思っての作陶だけれど
こうして人は目標になる個人的ビッグイベントに向け
1日1日確実に小さな何かを積み上げつつ前に進むしかない。
 
毎日、何も考えずに過ぎてしまうのはもったいないが
今この時を大切に
昨日を今日に、今日を明日に
バトンを渡しながら生きていくしかない。
 
そんなことをつらつら考えながら
今日は新しくクッキー皿とレモン型のサラダボールができた。
 
これが無事、素焼きを経て、釉薬がかかり本焼きに進み、形になった時、
作陶しながら考えたこともいい思い出になるだろう。