昨日から最寄り駅の映画館の『新午前十時の映画祭』で『砂の器』が始まった。
日本公開年が1974年とあるので、私の浪人時代だ。
確か、当時も映画館に足を運んで観た覚えがある。
ちょうどその頃、私は松本清張の作品にはまっていて、出版されるものされるもの
どれも綿密な取材に裏打ちされた構成と登場人物の心理描写に
いつも感心させられていた。
この『砂の器』もそのひとつだが、映像の迫力と加藤剛の端正な顔立ちゆえ、
どちらかというと小説より映像の方が心に強く残っていた。
後年、加藤剛の役を中居正広がやってテレビドラマになった時はそのノーブルさ
の差が気にいらず、なぜこういうキャストなのかとひとり憤慨したものだ。
その作品が久々にスクリーンに帰って来るというので、早速、観に行くことにした。
会場の9つあるスクリーンとしては小さめの部屋だったが、ほぼ満席に近い状態に
客席は埋まっている。
やっぱり当時、映画館に足を運んだ年齢というか、松本清張ファンとおぼしき
60代70代ぐらいの人、とりわけ男性が多い。
映画が始まってみれば、それはもうきら星のごとく当時、また、その後活躍した
俳優陣がごっそり出ているのでビックリした。
事件を主に追いかけている刑事は丹波哲郎と森田健作だが、後年の臭い芝居が
鼻についた丹波哲郎は自然な感じで熱心な刑事役を好演してたし、
暑苦しい元気が目障りな森田健作も、さわやかな若い刑事役で丹波と
いいコンビになっている。
他にも40年前の有名どころの俳優陣が目白押しで、すでに亡くなっている方も
大勢いたが、若き日の緒形拳、加藤剛、渥美清はこのあたりから実力を認められ
活躍の糸口をつかんだのではと思うのだ。
物語全体もしっかり構成され、骨太な大作として後世に残ったのはよく分かる。
しかし、惜しむらくは作曲家になって成功をつかんだ加藤剛がメインテーマの
ピアノ曲を弾くシーンが度々出て来て、時折、手だけがアップになるのだが、
だれか知らぬが本物のピアニストのその手がばかにぷっくりしていて、
どう考えても加藤剛のあの顔と背の高さに似つかわしくない手の持ち主なのが
気になった。
映像的にはモノクロームに近い夜の蒲田操車場で惨殺死体がみつかった時や
乞食の子どもが村の警官に突き飛ばされて転び、額から流血したときなど
馬鹿に真っ赤な血がどくどく流れ、べったり張り付き、わざとらしい。
案外、予想外に自然な演技の俳優陣が頑張っていただけに惜しい感じがした。
それでも映画全体としては十分見応えがあり、左隣のおばさんは最初は何か
ポリポリ食べていたが、後半は涙が止まらなくなったらしく、ハンカチを出したり
ティッシュを出したり忙しくしていた。
『午前十時の映画祭』に今年から加わった新顔の『砂の器』。
40年も前の作品とはいえ、あの頃の日本映画も頑張っていたことを実感できるし
「あの頃、君は若かった~」という見方もできるので、機会があれば是非ご高覧を!
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