2014年7月30日水曜日

真夏の過ごし方


 
昨日は少し風があって涼しいと感じたが、今日はまた一段と激しい暑さである。
『梅雨明け10日』という言葉にあるように1年で最も暑い日が続くといわれている。
このあたりの日々は不要不急の外出は避けて、家でおとなしく過ごすのがよさそうだ。
 
そこで今年は古典的な和柄の装丁が美しい文庫本を2冊買い求め、
今一度読み返してみることにした。
 
夏目漱石の『こころ』と太宰治の『人間失格』である。
 
いずれも日本文学の名作中の名作なので、大昔、既に読んだことのある本である。
しかし、まず、『こころ』を読み始めたが、本当に新鮮な驚きと感動に満ちていた。
 
たぶん、中学生あたりで読んでいるはずだと思うが
ほとんど何も覚えていないところをみると
当時の私には明治時代のものの考え方や言動が理解できずに
登場人物の『こころのひだ』に分け入ることが出来なかったのではと思う。
 
それが今回は違った。
 
長いこと生きてきたせいか、登場人物の『私』や『先生』の思っていることと
表に出す言葉や行動の違いが手に取るように分かるし、
明治時代の男女の有り様や結婚への段取りなども驚きに満ち、新鮮だった。
 
今、巷では、夏目漱石の『こころ』をみんなで読み解いたり、分析することが
一種の流行になっているらしい。
 
連日、新聞に関連記事が載っており
姜尚中氏は高校生と『こころ』を読み解くシンポジウムを開いたらしいし、
筑波大学教授で精神科医の高橋正雄さんは、臨床心理士の立場で漱石自身の
病歴と併せて読むと、彼が精神障害者に深い理解と共感をもっていたと解釈している。
 
なぜ、今、漱石の『こころ』なのか。
 
このパソコンやケータイ・スマホなどの発達した現代の人間関係の中で
一番見失ってしまったものがここにあるからだろうか。
 
約100年しか経っていない、すこし前の日本の驚くべき遅速な日々の暮らし。
 
大学を出るなんて限られた人だったし、
裕福な家庭に生まれた者は別に特段働かなくても食べていけた時代だし、
結婚は親に申し込めば女性の意志など確認しなくとも話が進められた。
女性を心密かに好きになっても口に出すこともせず、態度にさえださない。
 
どのひとつをとっても、平成26年の現代では考えられないことだ。
 
外は35度の猛暑日に迫ろうとしているけれど、
そんな時こそ、古典の中に生きている人々の心模様に思いを馳せ、考えてみる。
 
人が生きるってなんだろう。
人が死んでしまうってどういうこと。
自ら命を絶つ意味は・・・。
など、わずかな言葉のやりとりから深くわけいる登場人物達の心のひだを追随して
自分も思考の海に潜るのは悪くない。
 
おヒマついでに借りてきた韓国映画の『うつせみ』も
そうした意味では面白い映画だった。
主人公の男女ふたりが全編を通してひと言もといっていいほど言葉を発しない。
けれど、ふたりが心惹かれていくのがしみじみ伝わってくる。
 
無言の内にたくさんの感情と言葉があふれるという意味では
『こころ』と共通していると言えよう。
 
ひとり、部屋のクーラーを効かせ、窓の外に強い日差しとセミの声を感じながら
世の中から隔離されてしまったかのように
ひと言も発せず
こうした読書や映画鑑賞の時間をもつのも正しい真夏の過ごし方かもしれない。
 


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