2015年も明けて、早9日目になってしまった。
その間、アップしたブログは1本だけという体たらくだが、
別にインフルエンザで寝込んでいたとかいうわけではない。
(まあ、私をよく知る人は、誰も私がインフルで倒れたかもとは思わないだろうが)
4日の日曜日、娘ふたりを車でそれぞれの家に送り届けてからは
布団の片付けや部屋の掃除を済ませて
完全に版画モードに切り替え、
5日から連日家に籠もって新作の摺り準備をしていた。
試し摺りをとり、版の微調整を行い、
試しの一部取り直しをしながら、本摺りへとイメージを固めていく。
そんな作業を週前半に行い、
昨日、今日の2日に分け、本摺りを決行。
6枚の作品が先程摺り上がった。
少し前までは、本摺りといえば、早朝から夕方まで10時間摺りで
身も心もクタクタですなどとハードワークを自慢しては
整体の先生に「休み休みやってください」などと呆れられていたものだが、
最近はそうした無茶が効かなくなってきた。
集中力も持続力も続かなくなってきた上に、
体力の総量も減ってきているので、
10時間労働などというバカげたことができないのだ。
そこで、昨日、夕飯の後、8時から11時半まで、まず第一弾の摺りを終え、
作品にシートをかぶせて休憩、ではなく、本気で就寝。
今朝、8時作業再開。
午後2時半終了。
というように2日がかりで作業するようにした。
そうすれば、無茶な作業計画の果てに体力も知力も追いつかずに
適当でいい加減な摺りになっても自分を甘やかす
みたいなことにならずに何とか冷静に摺りおおせることが出来るのだ。
年賀状もしかり。
本当に毎年毎年、手摺りで150枚仕上げるのがきつくなっているのだが、
それは私だけではなかった。
今日も、大学院時代の同級生で銅販画家の友人から年賀状が届いたのだが、
そこには面々とこんなことが書いてあった。
「ビュランの酷使で左手の手首の骨がズレ、
痛みで版画どころか鉛筆で字を書くことさえ出来ません。
医者に行ってもひと言『加齢』と書かれるだけ。
年賀状も遂にコピーになり、申し訳ないと思いつつ、
約200枚の毎年の作業から開放され、
ホッとしてもいます。
手摺りの人は無理をしないように」
それでもギリシャ神話に出てくる羊飼いと羊たちの姿を作品にし送ってくれた。
コピーしたせいか、色が何だかぼんやりした印象は否めない。
こんな風に同級生でさえ、
制作に支障をきたす事態になっていることに驚き、
自分も若くないことに気づかされる。
幸い私はまだ、腱鞘炎になったことも一度もないし、
腰が痛いだの、肩や首が凝っただのと大騒ぎしながら整体に駆け込めば
何とかなる程度で、現状復帰出来ている。
しかし、骨がズレてビュランはおろか、鉛筆で字を書くこともままならないとなると
版画家としてはかなりやばいと言わざるを得ない。
まあ、私も同級生の言葉をありがたい忠告と受け止め、
無茶をウリにするのだけは辞めようと思う。
慌てず騒がず、
ゆっくりじっくり。
疾走する午年が終わり、未年になった今、
干支にならってイメージチェンジをしよう。
ニューヨークで感じたことを作品にした『象徴』という作品。
自由の女神が爆破されたワールドトレードセンター跡地のプールに立っている。
今週はフランスの新聞社が襲撃され、大勢の犠牲者が出ている。
犯人はまだつかまっていないが、新年早々嫌なニュースで気がかりだ。
今回の作品は
テロの標的になって、あの9.11事件につながってしまった
アメリカという国の世界で置かれた立場を表現している。
タイトルは『象徴』
正確には『象徴としてのアメリカ』という意味である。
ニューヨークやボストンの楽しかった思い出は思い出として、
やっぱり作品に残すべきはこっちかなという気持ちで創った。
新年早々テーマが重いが
今回のフランスの襲撃事件といい、
他人事ではなく日本人の私たちも真剣に考えなくてはいけないんだと思う。
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