2015年1月22日木曜日

瀕死のガラケー

 
 
数日前、突然ケータイの電源が落ちた。
その1時間ぐらい前にはちゃんとメールが届いていたのに、
夕方、ふと気づくと真っ暗な画面になっていて、
ウンともスンとも言わなくなっていた。
 
そういえば、1ヶ月ぐらい前には画面の文字が点滅したっきりになり、
予備にもっていた新しいバッテリーに変え、事なきを得るという事件があった。
 
また、1週間ぐらい前には切ったはずのない電源が勝手に落ち、
また、自動的に再起動した。
 
こうした事象がSOSだったということかもしれないが、
とにかく、まるで脳梗塞で倒れたかのように、
いきなり電源が落ち、呼べど叫べど動かない。
 
こうなると、独立している娘二人、海外にいるダンナ、
いずれとも連絡がとれないことに気づいた。
 
最近のひとり暮らし族は家電なんてひかないから、
ケータイが壊れてしまうと連絡のとりようがなくなるのだ。
 
意外ともろい家族の絆にオロオロしながら、
とにかくSoft Bankの専門ショップに閉店間際に駆け込んだ。
 
ショップの男性に診てもらったところ、1度はやっぱりつながらず
それでもあれこれ話している内に、気を取り直したように復活したりして、
なんとかかろうじて踏みとどまっている感じだ。
 
しかし、もはや部品が揃わないので、
昨年末をもって修理は受けられない機種だと言われ、
いつまた電源が落ちるかわからない中、
早急な機種変更を余儀なくされてしまった。
 
『これはもしかして、この機にスマホに変えろということ?』
『でも、ひとり暮らしだし、取説もついてこないのに大丈夫?』
『けっこう使いこなせなくてガラケーに戻る人多いって聞いてるよ』
など、いろいろな思いが交錯し、すぐには決められない。
 
とりあえず次女にメールすると
「ありゃりゃ、そりゃ大変」と心配してくれ、来てくれることになった。
 
意外にも彼女の意見は
「ママはどうせ電話とメールしか使わないんだから、
ガラケーのままでいいじゃない」というものだったが、
そう言われるとちと悔しい。
 
でも、次女の意見が正論のような気もする。
 
が、電車に乗った時、誰もがスマホをいじっている側で
ガラケーを恥ずかしくて取り出せない自分もいる。
 
もし、ここでスマホに乗り換えなかったら、たぶん一生ガラケーのままだろう。
 
そんな逡巡する私の背中を押す1枚のチラシが今朝、朝刊に入っていた。
パソコン教室のチラシだが、
そこに『iphoneクラス』の文字。
聞けば、8回1クールでゼロから懇切丁寧にスマホの使い方を教えてくれるという。
 
次女にレクチャーを受けても、尚且つ分からなかったら、ここに飛び込めばいい。
そう考えたら、急に気が楽になった。
さっきまでのぐづついた気持ちも次女と会う頃には
iphoneへと大きく傾いて、
「私、やっぱりiphone6のゴールドが欲しい」と口にしていた。
 
「えーっ、そうなの。
女は人にどう思うって訊く時にはもう答えは出ていて
ただ、背中を押して欲しいだけっていう奴?」などと
冷やかされたが、気持ちは変わらない。
 
結局、月初めの契約がお得だということになり、
何とか瀕死のガラケーに月末までがんばってもらい、
SDカードにアドレス帳だけは保存して、
2月始めに出直し、そこで購入することになった。
 
月末には新車。
月初には新スマホ。
 
いずれもメカ音痴の私にとっては課題満載だが、
ここはひとつ時流に乗り遅れないよう、
ちゃんと使いこなせるまで頑張るしかあるまい。

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