2015年3月15日日曜日

倒れても尚

 
 
 
 
5月から7月までの期間限定で『就職対策講座』という講座を受け持っている
横浜にあるパティシエ養成学校の卒業式と謝恩会に出席してきた。
 
前期に10数時間程度しか会っていない学生達だったけれど、
ちゃんと就職できているか心配だったし、
久しぶりに顔が見たかったので、出席することにしたのだが・・・。
 
まず、卒業式のひな壇に講師のひとりとして並ばされた時、
その中央にいた車いすの女性が目に飛び込んできた。
この学園の理事長=学園長の姿だった。
 
学園長はこの学園の創始者で、
小さな調理師育成学校を開校したのが45年前、
更に製菓製パン学校を設立したのが15年前、
いずれも順調に生徒数を伸ばし、
それぞれの校舎を新しく大きく建て直すなど、
その敏腕はこの世界に広く鳴り響いている。
 
しかし、目の前の車いすの老女は左半身にマヒがあるようで
斜めに体と首をかしげ、表情も乏しく、学園長の見る影もない。
 
私に限らず、ほとんどの教職員と講師、更には学生もその姿に息を飲み
ざわめきがひたひたと広がっていくのがわかる。
 
どうやら倒れてから初めて公の場に出られた様子で、
極一部の職員を除いて、学園長が倒れたことは知らされていなかったようだ。
 
その後、卒業式は何ごともなかったかのように粛々と進み、
遂に学園長挨拶の時がきた。
 
いつもは息子である校長先生のお話より、送辞や答辞の言葉より
何より説得力のあるいいご挨拶をなさり、話のうまさに定評のある学園長である。
 
しかし、目の前の学園長は介添えの女性に車いすの位置を動かしてもらい
震える右手で何とかマイクをとり、話し始めたその声は低くてか細い。
 
ただ、少しすると声にも張りが出てきて、こうおっしゃった。
「私は思いがけず2ヶ月前に病人になりましたが、
今日は皆さんの前で、皆さんより元気があるということをお話しようと思って
この場にやってまいりました」と。
 
その話しぶり、声の調子、
話せば時折よだれを拭いてもらわなければならないその様子、
どれも壮健な頃の面影さえないご様子だけれど、
身を挺して訴える「生きる気持ちの強さ」に会場中がどよめいた。
 
きっと間違いなく倒れた直後は精神的にどん底に突き落とされたであろうに
卒業式という晴れの場に自分の車いすにのった姿をさらすことで、
今から社会に出て行く若者に
「しっかり目的をもって、たくましく生きていって欲しい」と訴えたかったのだろう。
 
後から講師達は口々に
「今回の卒業生はあの学園長の姿を一生忘れないだろう」と噂した。
 
ひとりの女性がこれからは食の大切さをわかっている料理人が必要と
横浜に小さな調理師養成学校を創り、
その強い信念に基づき、多くの学生を教育し、卒業生を世に送りだしてきた。
 
本当の我が子は校長になった息子ひとりだけれど、
今日、卒業式を迎えた何百人という卒業生は、皆子どものように思っている。
 
ひとりひとりを真心込めて教育し、
就職の心配をし、
何かあればいつでも母校に帰ってきて相談しなさいと待ってくれている。
 
どこまでそれが学生達に届いているかは疑問だと思っていたが、
さすがに今日の学園長の姿と、
強い口調でありながら、
時折涙がまじるその声と話はかれらの胸に響いたに違いない。
 
今、生きるために必死に辛いリハビリに取り組んでいるという学園長の言葉に
私も勇気をもらって、
左腕の神経痛がどうしたなんて泣き言は言うまいと気持ちを立て直した。
 
信念をもって生きる。
 
ただ、ひたすらに生きる。
 
一生懸命に生きる。
 
それが人に与えられた使命なんだろう、きっと。
 
そんなことを感じながら、
今週は最後の本摺りに取りかかろうと思う。


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