2015年6月22日月曜日

目覚めよ日本人に

 
 
 
 
展覧会の類がすべて終わり、
イタリア旅行でいろいろショックを受けた反動で、
自分が日本人であるということを再認識した私は
ミーハーにも形から入って日本人であることを実感してみようと考えた。
 
個展みたいな大きな展覧会が終わるととりあえずもぬけの殻になってしまうので、
次なるステップを踏み出すまでに時間がかかるのはいつものことだ。
 
ダラダラと同じようなテーマを作品にするのも意味がないし、
かといってそんなに「自分は何者か」とか「生きる意味は」なんて重たいことを
毎日考えているわけではないので、
次なる一手はそう簡単に繰り出せるわけではない。
 
しかし、リフレッシュ旅行と称して出掛けたイタリアでは
やっぱりこれでもかとイタリアの底力を見せつけられ、
結局は「日本人として生きていることをもう一度ちゃんと考えなければ」と
いうところに矛先が向かっているのを感じている。
 
自分のルーツ、
それはだいぶ昔から私の中のテーマではあったので、
今までにも作品にそうした気配が見え隠れしていたのだが、
そろそろちゃんと向き合わなくちゃという気がしている。
 
ということで、
日本人は日本人らしく、
本日はお茶のお稽古にキモノで出掛けることにした。
 
6月下旬といえば
一重のキモノを着る最後のチャンスだと思い、
タンスの中でしばらく登場の機会がなく、
しわになっていたベージュの格子柄の一重を引っ張り出してみた。
 
キモノ地そのものが細い畝になっているので、
一瞬ちりめんのような風合いに感じられ、
肌触りがさらりとしている。
 
それに墨色の絽の名古屋帯を合わせることにした。
こちらは細い金糸で雪輪模様が描かれている。
 
雪輪はもちろん冬の雪を図案化したものだけれど、
冬しか着てはいけないということもなく、
夏の帯に用いて涼しさを演出しようということらしい。
 
個人的に雪輪は大好きな模様で、
日本の図案の中で1,2を争うパーフェクトな図案だと思っている。
 
それに少しグリーンを帯びた水色の帯締めと帯揚げをし、
オフホワイトの夏用の草履、
細かい編み目の籠バッグを小物に用意した。
 
幸い外は薄曇りで強烈な暑さもなく、時折涼しい風が吹いている。
 
水色の日傘を差し、
お茶の先生のご自宅まで30分ほどかけて歩いて向かった。
 
途中、汗でキモノの裾がふくらはぎに絡まりつき、
それでなくても小さな歩幅がますます小さくなり、転びそうだったが、
涼しい顔で歩き通した。
 
湿度の高い日本の夏に、
キモノを着て、茶の湯を楽しむ。
 
そんなパフォーマンスの中から日本人であることの何かが分かるとも思えないが、
やる前から諦めるのも大和なでしこがすたると思い、
やってみた。
 
美の女神、ミューズが降りてきてささやく気配はまだないが、
気持ちだけは凛として悪くない。
 
とはいえ、これを今、書いている私は
ハーフパンツにキャミソール。
腿も二の腕もあらわな、あられもない姿なのである。
嗚呼。

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