3年前の春、私達がみた雪がすこし降り積もったカッパドキアの風景
有楽町にある角川シネマで、昨日から上映されている『雪の轍』を友人と観てきた。
3年前の3月始めにトルコへ行った時、
カッパドキアでは雪が降り、
まるでシュガーレイズドされたような奇岩の風景にいたく感激した。
映画の舞台も同じような雪降るカッパドキアだと知り、
ちょっとしたセンチメンタルジャーニーのような感覚で
友人を誘い、この映画を観に行くことにしたのだが・・・。
『雪の轍』は
2014年のカンヌ映画祭におけるパルムドール大賞(最高賞)をとっているので、
そうした観点でもどんな映画なのか興味があった。
トルコ旅行は今回のイタリア旅行と同じ友人と行き、
カッパドキアで私達は気球にも乗ったし、
この映画の主人公と同じく洞窟ホテルにも泊まった。
だからきっとそこここに思い出深い風景や建物が映し出され、
トルコ語の語り、人なつこいトルコの人達が出てくるものと思っていたが、
映画はかなり暗くて、厳しい冬のカッパドキアの洞窟ホテルを中心に展開され、
テーマも人のあり方そのものに迫る重いものだった。
上映時間も3時間16分と相当な長さで
舞台はほぼ雪のカッパドキアの風景と洞窟ホテルの部屋だけ、
登場人物も主人公アイドゥンとその若い妻、
離婚したため一緒に住んでいるアイドゥンの妹、
他に4~5人のみ。
しかも、延々と言い争いのような会話が続いていく。
(トルコ人は議論好きなのかもしれないが・・・)
ものの考え方、捉え方の違う登場人物がそれぞれ自己主張する中、
暗く冷たく閉ざされた空間で、人間関係そのものががんじがらめになり、
しだいに息苦しくなっていく。
3時間越えの映画鑑賞にこちらのお尻も板のようになってきたと感じたあたりで
物語はようやく終盤の新展開を見せ、
最後は意外な結末を迎える。
誰かが撃ち殺されるとか、刺されるとかいう激しいシーンがあるわけでもなく、
誰も彼もが調和を保とうとしながら会話するも、
結局、誰もがあるところで我慢の限界を越える。
そんな劇中の危うい人間関係が、観ている私の心にも影を落としかける。
映画の登場人物は
私の見聞きしてきた人なつこい親日家のトルコ人とはまったく違う人々だったが、
「どこの国にもこういう人物はいるんだなぁ」と主人公アイドゥンの中に
自分のダンナとの共通点を見出し、ちょっとぞくっとした。
チラシの映画評はいずれも実に抽象的で、かつ絶賛しているが、
この映画が一般向けでないことだけは確かだ。
若い人には理解するのは難しいだろうと友人と意見の一致をみた。
頑固で融通が利かなくて、自分の価値観が絶対と思っている人が
近くにいる人は感情移入出来るかもしれない。
美しい雪のカッパドキアに対する興味だけで観に行くと
そのテーマの重さと会話の暗さに打ちのめされてしまうかもしれないので
くれぐれもお気をつけてご鑑賞あれ。
私は3年前、
美しすぎる雪のカッパドキアと人なつこい洞窟ホテルのホテルマンぐらいしか
見てこなかったんだと思うが、
今一度、トルコのアルバムをめくり、
最高に楽しかった10日間を思い出し、
ちょっとこの映画の暗さと重さを払拭しようかなと思う。
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