2015年6月15日月曜日

最後の紫陽花展に

 
 
 
 
昨日、第16回の紫陽花展が終了した。
 
毎年この時期に、同じメンバーで行われてきた紫陽花展だが、
16回目にして、どうやら閉幕してしまいそうである。
 
16年前、今はなくなってしまったギャラリーヨコハマという画廊の担当者が
女性ばかりのグループ展をやりたいと企画し、
当時、中堅どころで活躍し始めた女流画家10名を集め始まったのがこの会だ。
 
油絵・日本画・水彩・木版画と扱う素材も絵の表現も
本当にバラバラの個性がぶつかるような作品だったが、
なぜか、メンバーはとても仲良く、適度な距離とリスペクトを保ちつつ、
今日までやってきた。
 
今回もギャラリーヨコハマ、岩崎ミュージアムを経て
ガレリア・セルテという新しい場所に開催場所を移したにもかかわらず、
昨年から2名抜け7名の作品が収まるべきところに収まり、
なかなか落ちついたいい展示内容になった。
 
大勢のお客様にも来ていただき、
新しい展示スペース、関内駅前という立地の良さをご好評いただきながらも、
やっぱりここで一区切りをつけざるを得ないという結果になった。
 
7名の内、4名が身内に介護の問題を抱え、
はっきり言って、絵を描く余裕がない状況なのだ。
 
昨年で卒業したメンバーも母親の介護の問題と、ご自身の老齢化が理由だった。
 
16年も続けていれば、
16才、皆等しく歳をとったということで、
『老い』にまつわる問題は避けて通れないということなのだ。
 
4人の親をすでに見送ってしまった上に
ダンナがまだ健康に過ごしている私は
メンバーの中で1番お気楽なご身分ということになる。
 
女流画家は結婚したらしたで、子育てや家庭の維持に翻弄され、
子育てが一段落したら、今度は親の介護、
それも見送ったら次はダンナの介護、
気がつけば自分も病を得ているなんて笑えない状況になりがちだ。
 
そんな環境の中で、自分を奮い立たせ、
あるいはかえって絵に集中することで気分転換しながら制作している。
 
この会期中の1週間の間でさえ、
ダンナさんが40度の熱を出して救急車を呼んだとか、
お母さんをお姉さんに預けたら「洋服をどうやってきたらいいかわからない」と
いっているけど、どうしたらいいかと訊かれて閉口したとか、
今日もダンナさんに術後のドロドロおかゆを作って食べさせてきたとか、
現実の生々しい話が日々繰り広げられていると知った。
 
絵空事の世界に閉じこもっていたくても、
現実は待ったなしに押し寄せ、
絵描き仲間のモチベーションと時間を奪っていく。
 
7人でちょうどいい感じにうまったスペースを残りの3人で埋められるはずもなく、
目下、制作をしていられるメンバーの士気も下がる。
 
来週、打ちあげの会が催され、その時、今後のことが決まることになるが、
今まで通りの16年間続いた展覧会には終止符が打たれることは
間違いないだろう。
 
『無常』
また、この世には常に続く、永遠に続くものなど何も無いということに気づかされる。
 
そこから新しい形が生まれるのか、
本当に過去の記憶になってしまうのか、
まだ何も分からないけれど・・・。
 
それを受け止め、許容し、
咀嚼して前に進むしかない。
 
重く受け止めるのか、
♪ケセラセラ、なるようになる~♪ と受け止めるのか、
それすら、ひとりひとり違うのだ。


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