2016年3月12日土曜日

心にささった映画『遺体』

 
 
『遺体』というセンセーショナルな題名の映画を観てきた。
 
ドキュメンタリー作家の石井光太氏が東日本大震災の翌日から現地入りし、
そこで見聞きしたものをまとめた『遺体 震災、津波の果てに』という本を下敷きに
君塚良一監督がメガホンをとり映画化されたものだ。
 
本郷台のあーすぷらざという120名しかはいらない映像ホールで
今日の午前と午後の2回だけ、無料で上映された。
 
会場は開演10分前に満席になり、主には70代とおぼしき男女で埋め尽くされた。
 
映画は先ず、普通の生活を営んでいた人々の様子がいろいろ映し出される。
そして、
大地震があったというテロップのあとに、
自宅で被災した西田敏行扮する民生委員をしている70代男性が,
自分は丘側で大したことなかったが、海側の惨状を知り、
元葬儀社で働いた経験を活かし、
遺体安置所でボランティアとして活動する10日間を追っている。
 
舞台は釜石。
釜石という土地は甲子川を挟んで山間地区と海浜地区とに分かれており、
海浜地区は津波によって壊滅的な打撃を受けた。
 
津波による死者が土でドロドロのシートに包まれ、
遺体安置所に指定された廃校の中学校に次々運び込まれてくる。
 
事の次第が飲み込まれていないうちに
役場の若手職員達は遺体安置所の整理係を命ぜられ、
街の医者は死亡確認のため、体育館に招集された。
歯科医師は遺体の身元を特定するために歯のデータをひとりひとり取っていく。
 
冷たい泥水を大量に飲んだ遺体は膨れあがり、
死後硬直で固まった腕はバキッと折らないと組めないし、
口をこじ開けないと歯のデータも取ることが出来ない。
 
若い市役所職員達はいずれもなすすべもなく、立ち尽くしているだけで、
何をどうしたらいいのか分からないでいる。
 
遺体を運んでくる男達はあまりの惨状に神経がマヒして、
死体をぞんざいに扱って、大きな音をたて体育館に放りだしていく。
 
そんな光景を元葬儀社に勤めていた男性が
「これは死体じゃない、ご遺体なんだ」と声を荒げ、
ひとりひとりに寄りそい、
「よく頑張りましたね」「もうすぐご家族が迎えにいらっしゃいますからね」と
優しく声をかけていく。
 
人は人知を越えた災害に直面すると思考が停止して、
きっと何をしていいのかわからなくなってしまうのだろう。
 
泣くことも悲しむことも許されず、目の前の状況に対処しなければならなかった
その事実は、都会に住む私達の想像をはるかに超えて
すさまじかったに違いない。
 
映画を観ているすべての人の心にズーンと重いものが刺さって、
会場のあちこちからすすり泣く気配が伝わってきた。
私も照れ隠しにマスクをしていたので、後半は涙が流れるにまかせていた。
 
フジテレビが制作したものなのに、
テレビで放映しないのはもったいないなと思いながら、帰路についた。
 
午後、1年間務めた町内会の組長として、
地元の町友会館で行われた組長さんの集いに参加した。
 
そこで、期せずして防災のビデオが上映され、
「いざという時に役に立つのは地域の結束だから、
ふだんから隣近所とは仲良くして、もしもの時には組長がみんなを束ねて欲しい」
という話がなされた。
 
老人ばかりで茶話会したり旅行したりしているのが町会だと思っていたので、
そこにいたみんなに意見を求められ、思わず手を挙げ、
午前中に観てきた映画の話を例に取り、
組長とは何ぞやとか、町内会の結束を深めることの重要性など
ぶち上げたところ、たくさんの拍手をいただいた。
 
その後、婦人部の方や長寿の会の会長さんとかから声をかけていただき、
さっそく町会運営に参加するよう、勧誘を受けた。
 
映画に感動して、私も地域のために何かをしなくちゃと考えたが、
案外、目の前に転がっていることから始めろということかもしれない。

見聞きしたもの、知り合った人々、住んでいる場所など、
すべてに意味があり、ご縁があるということならば、
今ある自分を大切にしなければといけないという事だろう。
 


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