2016年6月28日火曜日

リサイタル中にミューズ降臨

 
 
 
石田泰尚氏のリサイタルをみなとみらい大ホールに友人と聴きに行った。
 
石田様のヴァイオリンを聴きに行くことはかなりあるが、
大抵は300~400名ぐらいのホールで、
3~5名編成のグループのことが多い。
 
しかし、今日はリサイタルなので、
ピアノ伴奏に中島剛氏がつくとはいえ、
基本、石田様のヴァイオリン1本で
1200名近くのお客様を引っ張っていかなければならない。
 
演奏される曲目もクラシックばかりなので、
いくつか聞き覚えのあるライトな曲も含まれるものの、
いつも私が聴きに行くピアソラやイージーリスニング系に比べれば、
難解であり、大曲である。
 
まずはベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第5番ヘ長調「春」から。
 
会場の空気がいつになく緊張しているし、
いつにも増してしわぶきひとつ許さない感じが伝わってくる。
 
彼が所有する2本のヴァイオリンの内、
前から持っているTononiを使って、1曲目が始まった。
しかし、会場のだだっ広さに対して、音がやや小さい。
 
私達の席は2階の6列目の真ん中で、ほぼ会場のどん詰まりの後ろといっていい。
石田様ははるか彼方にしかいないし、
会場全体を俯瞰して眺めることが出来るほど、後方だ。
 
そこまでやっと届いているといってもいいほど、
ヴァイオリン1台の音色はか細く感じられたのは私だけではなかったようで、
1曲目が終わって、石田様が舞台裏に一瞬はけた時、
「音が小さいね」と、ふたり同時に同じ感想をいった。
 
曲目がクラシックだったせいと、
石田様の顔や姿が遠くて見えない位置だったせいで、
私はいつのまにか目をつむり、
会場全体を包み込む音色と空気感の中で、瞑想状態に入っていった。
 
遠くの壁に設置されたパイプオルガンの残像が脳裏から消えると、
代わりにこれから創ろうと考えていた時計草を使った作品が
具体的な形を伴って、浮かび上がってきた。
 
『絆』というタイトルの結婚をテーマにした作品と、
『サラバ』という西加奈子の小説の装丁プランが、
ほとんど同時に脳裏に実像を結んで見えている。
 
こういう状態を自分では「ミューズ降臨」と呼んでいるのだが、
作品の絵柄が具体的に見えているというか、降りてきているのだ。
 
大体こういう現象は、ベッドに横になっていて、寝入りばなに起きることが多いが、
コンサートで曲のイメージから引き出されることも時々ある。
 
今回は曲そのもののイメージというより、
会場全体の雰囲気や空気がもたらしたものらしく、
神々しいパイプオルガンのあるホールのほの暗い環境の中で、
ひとり身をくねらせヴァイオリンを弾く男のシルエットの美しさと音色が、
効を奏したに違いない。
 
リサイタルの前半が終わり、石田様が舞台袖に入り、会場が明るくなったと同時に
私は手元のプログラムに、今、脳裏に浮かんでいた絵をデッサンした。
 
いきなりペンを取り出し、プログラムの余白に何やら描きだした私を見て
友人は「わぁ、すごいところに居合わせちゃった」とすこし興奮気味。
 
「これが来年、本物の作品になって、展覧会で見られるかもしれないのね」と
作家が作品をつくる瞬間に立ち会ったことを
面白がっていた。
 
当の私もこの思わぬ収穫に満足し、
リサイタル後半は音楽自体をより楽しんだことはいうまでもない。
 
石田様の演奏は15分の休憩を挟んだとはいえ、2時間たっぷりあった。
そして、アンコール。
 
1曲目は「シンドラーのリスト」
 
観客はひとりで弾ききった石田様に惜しみない拍手を送り、
舞台袖に引っ込む石田様を見送った。
 
しかし、ここで終わるかと思った瞬間、
舞台袖から、黒地に朱赤の柄が目にも強烈なロングブラウスに着替え、
石田様、再登場。
 
今までの全身黒ずくめの衣装から、度肝を抜く派手なブラウスに変わったことで、
観客からは黄色い歓声と共に、やんやの喝采が起こった。
 
そして、なんとそこからその姿で3曲ものアンコール曲を弾くという
大サービス。
 
「エルチョクロ」「ジェラシー」「誰も寝てはならぬ」という
クラシックの枠を超えた石田様らしい選曲と
「なんじゃそりゃ~」と笑わせるど派手衣装とで、
満場の観客を大満足させ、リサイタルは無事、終了した。
 
「新しいヴァイオリンも手に入れたし、彼は今、一番のっているわね」と
友人と話しながら、
私は次回作のラフスケッチというプレゼントまでもらって、
みなとみらいからウキウキ気分で家路についたのである。
 

2016年6月27日月曜日

東北六魂祭とブナの森

 
 
 
 
 
 
去年の夏休みを取り損ない、今月も15日間連勤でヘロヘロだという次女を連れ出し、
無理矢理休みを取らせて、3日間、青森と秋田に行ってきた。
 
旅のメインイベントは『六魂祭』といって、東北六県のお祭りを
順番に開催地を変えて、集結させて開催するという催し物を観ることだった。
 
しかし、その他にも初日は白神山地でブナの林で森林浴し、
吸い込まれそうな青池のブルーに目を清め、
3日目は奥入瀬清流のマイナスイオンを浴びて身も心も清めるというのが目的。
 
要は日頃の疲れを癒し、
祭りの活気でパワーを注入するという旅である。
 
しかし、現実には出発日の集合は
朝6時40分、羽田空港JALの団体カウンターだったから、
朝、4時過ぎには起きだして、
遅刻しないように5時50分の電車に乗り込まなければならなかった。
 
ひとり暮らしの次女など、徹夜明けの体でそのまま駆けつけ、
飛行機に乗っても、バスに乗り換えても、
どこかに座れば即、寝始めるという状態で、
なんのために青森くんだりまでひっぱりだしたのやら・・・。
 
それでも、白神山地のブナ林の黄緑色に全身染まり、
雨上がりの冷たい空気がほおをなでる頃には、
胸の奥にマイナスイオンが染み渡り、
ようやく少し日々のストレスが溶け出していくような気がした。
 
1日目でだいぶ命の洗濯をし、
2日目は今年の開催地青森の青森駅周辺で祭りのパレードとイベントを楽しんだ。
 
けれど、この日は時折小雨が降る寒い日で、
何より相当な強風が吹いていたため、
秋田の竿灯祭りのパレードが中止になってしまった。
 
一度、その勇壮、かつ華麗なさおさばきを間近で観てみたかったが残念。
前の日に風で煽られたさおが1機人垣に倒れてけが人が出たとあっては、
主宰者側は慎重にならざるをえない。
 
しかも、一番のお目当て、青森のねぶたの山車3機の内、2機も取りやめになり、
目の前を練り歩いたのは1機だけというのは、
ちょっと寂しい。
 
2日間で全国から観に来た観客は27万人と発表され、
たしかに凄い人混みだったけど、
気温15度の寒さでは踊り手たちもどこか寒そうでお気の毒。
 
夏祭りは暑いからこその夏祭りなわけで、
だれも買わないアイスクリームやサイダーの屋台は、
呼び込みの声も震えている。
 
青森ねぶたの山車の迫力と、その立体的な造作は観るものを圧倒するし、
その4tもある巨体を大勢の男衆が回す様は、
思わず歓声が上がるし、興奮するが、
やはり昼間のパレードではその美しさも迫力も今イチだ。
 
次はきっと8月のねぶた祭りに来よう、
そして、夜のパレードに参加して、
その勇姿とハネ子の熱気を間近で感じよう。
 
そんなことを思いながら、
今回は昨年の賞を射止めたいくつかの山車を展示してある展示場を観て廻った。
 
そこは暗がりの中に山車が浮かび上がるように展示してあるので、
夜観た時の臨場感が感じられるのだ。
 
そうした旅の日程の中でも次女の仕事は追っかけて来ており、
次女は旅行にパソコンを持ち込み、
夜中にゴソゴソ起きだし作業し、やりとりしたり手直ししたりしている。
 
可哀想だとは思うが、母親に出来ることは何もないので、
せめて気持ちが切り替わるよう、
旅行に連れ出すくらいしかできないというのに、
そこにも仕事から逃れられない現実が待っているのだから、お手上げだ。
 
3日目は奥入瀬の散策や発荷峠の展望台など、
また大いなる自然の中で、心というズタ袋のお掃除。
 
誰しも現実というストレスフルな環境の中で、
何とか心と体の均を保ちながら生きている。
 
そんな日々の中で、心に点滅信号が灯った時は、
思い切って自分を自然の中に解放する。
 
できれば、パソコンは開けないで・・・。
 
そう願いつつも、日中何度もスマホに届くメールをチェックし、
温泉にも入らず仕事して、
唯一、Wi-Fi環境のあるホテルのロビーで、真夜中にデータを送っている次女の姿に、
現実の厳しさを見せつけられ、諦めのため息をついていた。
 
人間は豊かに生きていくことのなんと難しいこと。
 
美味しい空気を吸い、
美味しい水を飲み、
自分の生まれた土地の惠や伝統を守って生きていく。
 
そんなプリミティブな歓びを知っている東北の人達が羨ましく思えた。
 
都会に生きる私達も、こうした機会に自分を見つめ直す
それが旅の目的なのかもしれない。
 


2016年6月21日火曜日

プロカメラマンによる撮影

 
 
 
 
 
1年半ぶりぐらいにプロカメラマンによる作品とプロフィールの撮影が行われた。
 
今回は13点の作品と心理カウンセラーとして使うためのプロフィール写真なので、
カメラマンH氏には埼玉県から私の自宅まで車で機材を運んで来てもらい、
アトリエとリビング両方をぶち抜き、スタジオのようにセッティングしての撮影だった。
 
まずは作品を1枚ずつ、ふすまの前に立てたボードに慎重に貼り付け、
色の階調を何度もテストして、
1点につき5~6枚ずつ撮影する。
 
額装してある作品のアクリル板を外して撮影した2点も含め、
2時間ほどの撮影時間で13点撮影終了。
 
ここまではなかなかスムーズに進んだ。
 
後半は心理カウンセラーとしてのプロフィール撮影なので、
イメージとしては「優しい先生 話易い感じ」を目指して、撮影開始。

場所はアトリエから隣のリビングに移り、
窓際のカーテンやサイドボードの上の飾り物を背景に利用することにした。
 
カメラマンのH氏は本来、人物写真が本業で、
主にはCDのジャケット写真や女優のポスター撮影などを多く手がけている。
 
なので、作品を撮っている間は丁寧かつ寡黙に作品に向き合っているが、
一旦、人物が被写体になると、俄然、おしゃべりになる。
 
時折、テレビでモデルを撮影するカメラマンとのやりとりを見かけるが、
正にあれだ。
 
「もう少し体を斜めに振って、顔だけください」とか、
「あぁ、今のはちょっと怖い先生。もっと優しく、優しく、そ~、それ!」とか、
「一旦、お顔、作り直してください」とか、言う。
 
被写体の私を上げたり下げたりしながら、欲しい表情と雰囲気へと誘導する。
 
こちらは本職のモデルではないから、顔を作り直せと言われても、
「どうしたもんじゃろのう~」という気分。
 
それでも、目力がきつくならないよう、顔をカメラ目線から一度外し、
間をおいてから、柔和な表情でカメラの方を向く。
 
「そ~、それ、いいねえ。バッチリです」の声に、
どこがよくなったのかちっとも分からないけど、
素人モデルながら、気分だけはその気になっていく。
 
怖いわ~。
あやうく勘違いするところだったわ。
 
そんな風にプロフィール写真だけでも300枚は撮っただろうか。
それをH氏は持ち帰って、ある程度粗選りし、
モデル(私)も納得した何枚かに多少の修正を加え、構図のトリミングをして、
何枚かプリントアウトもし、保存用にデータ化するという流れだ。
 
さてさて、どんな写真が出来てくるのやら。
 
以前、写真スタジオを使って、H氏にキモノ姿で600枚ほど撮ってもらった時は
いざという時には遺影に使ってほしいと思うような写真が出来てきた。
 
しかし、娘達には「いつものママとは違いすぎるから、遺影には使わないよ」と
言われてしまった。
 
今回はそういう意味では着ているものも洋装でそんなに華美ではないので、
「いつものママ」に近いものが出来てくるかも。
 
いずれにせよ、プロカメラマンによる写真はやっぱり素人写真とは違うので、
ナチュラルさは2割減、美しさは2割増しぐらいになるのではと、
今から期するところ大なのである。
 
優しいカウンセラーの先生、Come on!
目指せ、見た目年齢-15歳!


2016年6月18日土曜日

ピアソラ三昧の夜

 
 
 
今週はタンゴ、タンゴの1週間だった。
 
水曜日には銀座の朝日ホールで
三浦一馬君と石田様を前から2列目真ん中の席でかぶりつきで観て聴いて、
木・金とちゃんと仕事をして、
金曜日の夜は大学の生涯教育のタンゴ教室で前半は講義を聴いて、後半踊って、
土曜日の今日はトリオ・リベルタのコンサート。
 
トリオ・リベルタのコンサートには何度も行っているが、
結成15周年記念『ピアソラ・ストーリー』と題された、
全編、ピアソラの曲ばかりのコンサートだ。
 
それも、中岡君のMCゼロ、ピアソラの人生を物語仕立てにし、
俳優伊藤友樹がナレーションを務め、若き日のピアソラを彷彿とさせる役で登場、
時系列に沿った代表曲を16曲も演奏するという大盤振る舞い。
 
時間も2時間半の長丁場。
初めて聴く曲も多く、今更ながらピアソラの奥深さを知った。
 
会場は本郷台のリリスホールなので、客席数300の小さなところだ。
しかし、音響は定評があるし、会場の傾斜もあって観やすい。
 
その上、この特別な内容で全国ツアーに出るというわけでもなく、
今夜一夜限りのコンサートというのだから、実に贅沢だ。
 
私の席はF列13番で、前から6列目の真ん真ん中で、
ちょうどグランドピアノの鍵盤が目の前に真っ直ぐ奥に伸びている。
傾斜のきつい会場なので、さえぎるものが全くない状態で、
中岡君の鍵盤の上の指を斜め上から眺められ、
肝心の石田様は左斜め前にちょっと見下ろす感じでよく見える。
 
もうひとりのメンバー松原さんは
またちょっと太ったかもという熊さん体型で登場し、
なんと5本の音色の違うサックスを弾きこなした。
 
まったく個性の異なる3人が大好きなピアソラの曲を弾くため、
トリオ・リベルタを2000年に結成し、今年で満15年。
 
他にもピアソラを好んで弾くグループはあるが、
トリオ・リベルタのピアソラは、メンバーがいつでも楽しそうなのが何よりいい。
 
今夜も中岡さんは気持ちよさそうに2曲スペイン語の曲を朗々と謳い、
松原さんは体型そのままにタンギングのブホッブホッという音を軽快に鳴らし、
石田様は名器を抱きしめ、いつもより尚、身をくねらせ弾いて喝采を浴びていた。
 
周りのおば様達の黄色い声もあちこちから上がって、
その早弾きのパフォーマンスには大いなる拍手と共に笑い声が湧き起こる。
 
300人しか入らないホールの一夜限りのコンサートに
こんな特別なプログラムを用意して、
コスパ度外視で臨むトリオ・リベルタの心意気に惚れ直した。
 
まだまだこの3人でピアソラを愛してやっていこうという意思を受け取り、
私も1ファンとして、引き続き追っかけようと決めたところである。
 
ピアソラ、ブラボー!!
トリオ・リベルタ、ステキ~!!
石田様、アイシテル~!!

2016年6月15日水曜日

マルコーニ×一馬 『極上のタンゴ』

 
 
 
夕べは待ちに待ったコンサート。
ネストル・マルコーニ×三浦一馬 『極上のタンゴ』と題されたタンゴの夕べだった。
 
個人的には 
ヴァイオリニスト石田泰尚を追っかけている内にピアソラの曲が大好きになり、
ピアソラにはまる内にバンドネオンの音色に魅せられ、
延長線上でバンドネオン奏者三浦一馬も追っかけるという構図だが、
その三浦一馬の師匠がネストル・マルコーニというわけだ。

今回は師匠(マエストロ)ネストル・マルコーニが来日して
2日間、有楽町朝日ホールで東京公演が行われた。
 
2月頃、新聞に先行発売の広告が載って、速攻、チケットセンターに電話したところ、
なんと前から2列目のど真ん中の席が取れてしまった。
 
有楽町朝日ホールなるホールには初めて行ったが、
先ず、銀座の真ん中にこんなホールがあることにビックリ。
 
朝日新聞社の本社社屋の11~13階なのだが、古いタイプの多目的ホールで、
椅子は真っ赤なビロード貼り。
客席数も400ぐらいの中規模程度のホールだ。
 
そこにかなり年齢層高めのお客様が詰めかけ、場所柄かみんな、かなりオシャレ。
右となりは石田様を私に教えてくれたピアノ教師の友人で、
左となりは70代の裕福そうなご夫婦。
 
聞くともなく話を聞くと
おふたりで歌舞伎や演劇、コンサートに出掛けるらしく、文化水準高めのご様子。
 
それでも神奈フィル・コンマスの石田泰尚を見たのは初めてらしく、
「あの人見た目はヤクザみたいだけど、演奏している時の姿がかっこいいわね。
それにとっても上手」と、休憩時間に話していたので、
私は内心『そうでしょ、そうでしょ』と思っていた。
 
タンゴのセッションは通常、キンテートという五重奏で行われるが、
今回はマルコーニと一馬君の2台のバンドネオンという贅沢な六重奏。
 
しかも、一馬君はほんの3メートル先の真正面にいて、手を伸ばせば届く距離。
バンドネオンは座って弾く楽器なので、
横に長い譜面台の上に一馬君の顔と胸、譜面台の下に一馬君の足が見えている。
 
もっといえば、
タンゴはかなり切ない曲想が多いので、
目をつぶったり、反り返ったりする一馬君の切なげな表情もすぐそこにあるし、
演奏中に楽器を腿の上に乗せているため、
動かすことの多い膝から下の足や股間も、すぐそこにある。
 
私は育ちのよさそうな一馬君の顔だちも好きだが、
何より足の筋肉のつきかたのきれいな人だなと思っているので、
細身のパンツに浮かび上がる美しいふくらはぎに、密かに萌えてしまった。
 
一方、石田様はといえば、
とにかく新しいヴァイオリン(1700年頃イタリアで製作された名器らしい)を携え、
ノリノリ。
演奏中はヴァイオリンのソロパートも多く、
会場のお客さんもマルコーニも石田様の演奏に驚き、かつ、酔っているのがわかる。
 
最近手に入れたばかりのヴァイオリンは音色が華やかでよく謳う子なので、
石田様の超絶技巧もますます映え、
本人も得意満面だ。
 
マルコーニさんは静かな人で、派手なパフォーマンスをする人ではないが、
タンゴに対する愛情と情熱がじわじわにじみ出るタイプ。
それを一緒に演奏している日本人アーティスト5人がいずれも尊敬し、
敬愛していることがこちらにも伝わってくる、そんな演奏だった。
 
曲目は1部がクラシック・タンゴで2部がモダン・タンゴ。
 
1部で私や友人が知っていたのは「ラ・クンパルシータ」だけ、
2部もピアソラ作曲の3曲だけだったので、
全体に目新しい曲ばかり。
 
マルコーニさんが作曲した数曲は特に初めて聴く人も多かったと思うが、
その幻想的で扇情的な曲の数々は
アルゼンチンというまだ見ぬ異国に私達日本人をいざない、
想像をかき立てるに十分だった。
 
ここ半年、大学の生涯教育講座でかじりだしたアルゼンチンタンゴが、
今までより身近に感じられ、
とりわけ、1部の曲目のいくつかは踊りたいという衝動を突き動かし、
ますますタンゴへの興味を喚起してくれた。

演奏活 動10周年とはいえ、
弱冠25才の可愛い一馬君とおじいちゃんのような師匠マルコーニ、
新しい恋人(ヴァイオリン)が可愛くてしょうがない石田様、
後ろでいい味だしてるコントラバスの岩ちゃんこと黒木岩寿さん、
いつもはクラシック畑なのにジャジーで軽快な演奏のピアニスト山田武彦さん、
このメンバーの中では寡黙で影が薄いギターの大坪純平さん。
 
完全に個性が際だっていた石田様と
深い愛情に包まれた師弟のふたり、
それを支える3人という6人編成。
 
日本での『極上タンゴ』はこの6人で紡がれ、
夕べ、会場にいた老若男女というか老々男女は
音楽の神様の降臨で、幸せで温かな気持ちに包まれたのであった。

2016年6月13日月曜日

紫陽花展 無事終了

 
 
第17回 紫陽花展が無事、終了した。
会期7日の間に400名ほどの来場者があり、まずまずの盛況と言っていいだろう。
 
今回、新規メンバーになった3人にとっては、初めての紫陽花展だったので、
自分の作品が自分とは別の素材を使った作品群と並ぶこともなかっただろうし、
旧メンバーとの折り合いみたいな部分でもいろいろ気を遣ったり、
心配していたと思う。
 
結果は、
日本画の人が両隣に油絵が並ぶことで、新鮮な見え方をしたというし、
油絵の人もしかりで、個性のぶつかる会場を楽しんでいたように思う。
 
私自身はひとり木版画という作品群で、L字型の会場の曲がった一角を
2面全部使わせてもらった。
紫陽花展の一部であり、ミニ個展コーナーみたいな扱いで、
優遇されていたんだと思う。
 
毎年思うが、他のメンバーのお呼びしたお客様は木版画の概念をくつがえす
鮮やかで色数の多い我が作品を見て、まずは木版画だということが信じられない様子。
 
驚きと共に疑問符がいっぱいつくようで、
会期中は質問攻めに遭いながら、
楽しく木版の技法の説明や作品のもつテーマやストーリーなどをお聞かせした。
 
今回は何といっても昨年末に亡くなった親友を想って創った「レクイエム」が
作品のもつ意味合いとして重かったので、
お話しすると涙ぐまれる方が何人かいたほど。
 
秋の団体展に間に合えばと思っていたのを、巻きで制作し、
間に合わせたことで、大勢の方に直接、作品のストーリーをお話しできて、
いろいろな反応をいただけ嬉しかった。
 
天国の友人も見ていてくれたかもしれない。
『人のこと、ネタにつかわないでよ』といいながら・・・。
 
 
7名の内、3名が卒業して、3名が新規加入してくださったわけだが、
今までとは展覧会のテイストが少し変わることで、
今回は紫陽花展という展覧会自体がリフレッシュしたのではと思っている。
 
しかも、そんな新生紫陽花展だったにも関わらず、
神奈川新聞のインタビューがあり、
会期2日目の火曜日には写真入りで大きく記事が載った。
 
ちょうど搬入してセッティングの日だったので、
動きやすい普段着だったのが残念だが、メンバー中6名はその場におり、
来られなかったひとりの赤い作品が大きく写っている。
 
17回やってきて、写真付きの記事になったのは初めてなので、
メンバーの士気が上がったのはいうまでもない。
 
他にも朝日新聞の神奈川マリオン(展覧会情報)の欄にも
小さな記事が載り、
案内状を送って事前告知した2社の両方共が記事にしてくれたわけだから、
これはちょっとした快挙と言っていいだろう。
 
さて、今は箱に入って我が家に出戻ってきた作品達。
これをしまうのも、また、一仕事だ。
 
来週、作品撮影のためにプロのカメラマンが家まで来てくれるので、
「それが終わるまではこのままで放置かな・・・」と
一区切りつくとちょっと力が抜けて、
重い腰が上がらない展覧会明けの今日この頃である。


2016年6月6日月曜日

料理自慢のオープニング

 
 

 
紫陽花展の初日を迎えた。
 
展覧会の初日にはオープニングパーティが開かれることが多いのだが、
我が紫陽花展も今までの17回、毎年、お客様を迎えて
オープニングパーティを行ってきた。
 
最初10年はその時のギャラリーがケイタリングの業者に料理を頼んで、
飲み物なども用意してくれていた。
 
次の5年間は、別のギャラリーで、最初はやはりケイタリング業者にお願いした。
しかし、値段をかけた割りには大したことない料理を前に、
2年目からは女流画家展らしく、自分達で料理も作ろうということになった。
 
今のギャラリーに移って2回目の今年も、パーティ料理は自力で作ることにした。
 
例年、カナッペ数種とくるみとオリーブのサラダ担当のKさん、
いつもはキッシュとピクルス担当の私。
そこに美味しいと評判の唐揚げ屋さんの唐揚げと
フルーツ盛り合わせ。
そして、奈良の吉野から取り寄せている柿の葉寿司。
 
これがここ数年の定番メニューだった。
 
私もアツアツのキッシュをパーティの時間に合わせて焼き、車で運んできて
みんなに食べてもらっていた。
 
しかし、今年はその定番のキッシュとピクルスを取りやめ、
小アジの南蛮漬けと、枝豆入りはんぺんバーグを作ることにした。
 
専用の駐車場がないギャラリーなので、車で来ることが出来ないのが最大の理由だ。
 
小アジの南蛮漬けなら、前日から作ることが出来、冷やして食べる料理だ。
作るのがめんどくさい料理なので、
分かる人には分かってもらえるだろうし、
ビールやワインにも合う。
 
もう1品の枝豆入りはんぺんバーグもしかり。
常温で大丈夫なものだし、ビールやワインにもOKだ。
 
初出しの評判は上々でメンバーもお客様もお気に召した様子なので、
来年も作ることが決定。
 
オープニングパーティの料理が美味しいし豪華という声は
今年もいただいたので、この展覧会のひとつの特徴として定着したようだ。
 
今年から参加の新メンバーも鶏手羽中の甘辛焼や
ショウガの砂糖漬、伊達巻など、自慢の一品を作ってきてくれ、
オープニングの食卓に色を添えてくれた。
 
新規メンバーにとっては、途中参加で今までのグループの様子見の1回目だし、
私達旧メンバーにとっては、これまで培ってきた紫陽花展のやり方に
新メンバーはなじんでくれるかなと心配な1回目だったが、
どうやらすんなり溶け込んでくれたようだ。
 
前回でこのグループ展を卒業した3名も来てくれ、
和やかに新生紫陽花展はスタートした。
 
大きな節目の年の初日を終え、
何だかとてもホッとした。
 
同じグループが17年も続くのは珍しいことらしいので、
新体制でもうあと数年は少なくとも頑張ろうと、思いを新たにしたところだ。

2016年6月5日日曜日

第17回紫陽花展 搬入

 
 
 
 
 
明日から第17回目の紫陽花展が始まる。
今日は夕方、画廊に作家達が集合して、展示が行われた。
 
場所は関内駅前にあるCERTEの3階、その名も『GALERIA   CERTE』
 
昨年から、こちらの画廊に展示会場を移しての開催だ。
 
しかも、昨年までの7名のメンバーの内、3名が脱退したため、
新たなメンバー3名を迎えての展覧会となり、
今までとは趣がガラリと変わった展示になった。
 
相変わらず版画家で参加しているのは私ひとり。
日本画1名と油絵2名が抜け、同じく日本画1名と油絵2名が新メンバーに加わった。
 
しかし、絵肌は今までのメンバーとだいぶ違うし、
テーマもテイストも違うので、当然、会場全体の雰囲気が相当変わった気がする。
 
夕方4時過ぎ、メンバーが三三五五集まってきて、
すでに箱から出され、画廊のオーナーによって適当に並べられた作品を眺め、
配置をどうするかみんなで検討する。
 
自分の作品がどの壁になるかとかなりたいかという思惑もあるとは思うが、
それより、全体の配置として、隣同志の作品が相乗効果をもたらす配置を
みんなの感性で決めていく。
 
そのあたり、誰かが1番いい場所取りのために自己主張するといった
醜い争いがないあたりが、この会を17年も存続させてきたいいところだろう。
 
今年もメンバーが入れ替わったにも関わらず、
何のトラブルもなく、スムーズに位置取りが決定し、
私の作品達は昨年同様、ギャラリーの外から見える2面の壁と決まった。
 
人物を描いていたメンバーが抜け、ちょっと寂しいが、
代わりに力強い山や建物の人、真っ赤でダイナミックな花の絵の人など、
今までと違うタイプの絵が会場に並んで、華やかだ。
 
明日のオープニング・パーティには毎年いらしている常連さん達が
来て下さるだろう。
新しい紫陽花展にどんな感想を言ってくださるか楽しみだ。
 
『紫陽花展』というチームにもメンバー交代の大きな転機がやってきて、
新しい風が吹き込まれた。
 
旧メンバーのひとりとしては、新たな風を刺激に、
リフレッシュして次なる作品に取り組めたらと願っている。

2016年6月4日土曜日

陶芸 マイスタイル

 
 
 
 
5月の下旬に釉薬をかけた器が焼き上がってきた。
 
今回、出来上がってきたのは計8点。
 
失透という不透明な白い釉薬をかけた3点と
黄瀬戸2号と織部と失透の3色をかけ分けた5点の2パターンある。
 
ひとつも欠けたり反ったりせず、無事に焼き上がってきた。
 
むしろ、大きめのオーバルの器は素焼きの段階で少し反りが出て、
テーブルの上でカタカタ座りが悪く、
釉薬をかけて本焼きすることで、もっと反ったら、失敗作だなと思っていた。
 
しかし、驚いたことに本焼きをしたら反りが収まり、
テーブルに置いたときにピタッと乗るようになった。
どういう理由かは分からないが、そこが焼き物の不思議なところだ。
 
しかも、
そのオーバルの器やレモン形の器などに今回初めて使ってみた黄瀬戸2号という
釉薬が、思いがけないいい味を出してくれ、
これからも自分の器のシリーズに仲間入りしそうだ。
 
通常、使っている黄瀬戸7号という釉薬は透明度の高いきれいな黄土色。
しかし、黄瀬戸2号は基本的には濃い目の黄土色だが、
部分的に赤く発色したり、焦げ茶に発色したりで、想定外の表情が出る。
 
しかも、他の釉薬と違って、つや消しなので、
落ちついた和テイストの器になる。
 
私の場合、黄瀬戸2号1色だけをかけたものはなく、他に織部や失透という白も使って
かけ分けになっているので、
ひとつの器にテラテラ艶のある部分としっとり艶のない部分ができる。
 
それが、今回、とても面白い効果を生むことが分かり、
今日は新たな表現を手に入れ、気分がいい。
 
釉薬をかける日に、同じ曜日に作陶しているおじさんの攪拌した黄瀬戸2号を
試させてもらった「ちゃっかり」がもたらしてくれたプレゼントだ。
 
なかなか思い通りの色や表情に焼き上がらないのが陶芸の面白いところであり、
不自由なところなのだが、
今回の釉薬の組み合わせは「面白い」方に軍配が上がったという感じ。
 
もうひとつのマイスタイル、雪ん子ファミリーの方も
新たに三日月型のおうちが出来上がったことで、
玄関の下駄箱の上の一角に新しいオブジェが加わった。
 
てびねりで出来そうな作品はもはやだいぶ思うように作れるようになって、
家中に陶芸作品が溢れかえってきた。
 
この先は、この4年半、見て見ぬ振りをしてきた電動ろくろに1から挑戦して、
ろくろでしか成形できないまん丸い器を作れるようになりたいと思っている。
 
デッサンもちゃんと出来てこそのピカソの絵だと思うので、
ここらでひとつ普通に丸い茶碗やお皿も作れることを証明したいと考えているのだ。
 
さて、どうなりますやら・・・。