2017年3月30日木曜日

小品のアイデア

 
 
 
私の場合、1年間に創作する版画の作品はだいたい5~7点になるが、
季節によって、展覧会の開かれる会期によって、
どんな順番で創るか決まっている。
 
季節的な問題でいうと、
暑い7月~9月に摺りの作業をするのは、体力的にもたないので、
そこはクーラーを効かせて、彫りの作業をすることが多い。
 
展覧会の会期事情でいうと、
毎年、6月に5~6点は展示が可能なグループ展があり、
次いで、9月の初めに『文学と版画展』で作品とその作品を使った本の装丁を発表、
9月下旬から10月初旬にかけて版17というグループ展で2~3点、
10月初旬から、版画協会展があり、大きな作品をここで出品、
11月に田園調布のグループ展に出す時は1点と、
秋に3つ4つの展覧会が続く。
 
どこの出し物もちょっとずつ違うけど、
先ずは6月の横浜で行われる紫陽花展(版画家は私だけ)というグループ展で
5~6点出品しなければならないことから、
この展覧会に照準を合わせて新作を制作するのが
ここ10年来のルーティンになっている。
 
個展がある年はこれに更に個展用の作品も創るわけだが、
今年も来年も個展の予定は今のところない。
 
つまり、前年の紫陽花展が終了すると、
6月下旬から新しい1年が始まって、次の5月下旬までに新作5~6点を創る。
 
そんな年間計画の中に、
家庭の事情、つまり、娘の結婚だの引越だの出産予定だのが入り込み、
ダンナの急な本帰国に翻弄され、
思わぬ病に襲撃されつつ、乗り越えていくわけである。
 
目下、今年の紫陽花展に向けて創った新作は大中合わせて4点。
まあ、これだけでも紫陽花展に出す作品数としては
そこそこクリアはしている。
 
しかし、ここからまだ少し時間は残されているし、
何か小品を創ってみたいという欲求もある。
 
そこで、今まで創ったことのないサイズ18×12㎝の小さな作品2枚を、
横に並べ1組にして、ひとつの額縁に入れるという作品案が閃いた。
 
しかも、2組、計4点。
 
モチーフは時計草で、ひとつは花、もうひとつは葉っぱ。
小さい分、遊び心を効かせて、デザインされた花と葉っぱにすることにした。
 
庭の時計草は目下、冬枯れ状態で、葉っぱはハラハラ落ちてしまったし、
花やつぼみもひとつもついていない。
 
写生する本物がないからこそ、勝手にイメージを膨らませることが出来る。
 
まだ、原画が出来、版に転写して、彫りがあらかた出来た状態だ。
 
ここで閑話休題。
 
なぜなら、実は1週間後に、友人とスペイン旅行にいくことになっているから。
しかも、10日間と案外長い。
5月下旬に娘が出産して、赤ちゃん連れで実家に戻り、
6月からしばらくバァバ生活が始まる前のリフレッシュ休暇である。
 
だから、この小品4点は旅行から帰ってきてから摺ることになる。
 
スペインの風をたくさん吸って、心を洗い、目にいろいろ焼き付け、
新たな気持ちで摺ろうと思っている。
 
In put とOut put
人生はメリハリのつけ方こそが大事。
そう、自分に言い聞かせ、彫刻刀は一旦置いて、
スーツケースを取りだそう!
 
何を着ていくのか、コーディネイトを考えるたり、細々買い揃えたりするのも、
立派なリフレッシュになるから、
旅行の準備を楽しもう!
 
 

2017年3月26日日曜日

3月の茶事

 
 
 
 
 
 
茶道の世界では季節ごとのに茶事がいろいろ行われているのだが、
1月から通っている北鎌倉の先生のところでは、
3月は利休忌(3月28日没)に合わせて、他のお茶事もしてくださる。
 
いつもは他の曜日にお稽古にいらしている方も含めて、先生のお宅に参集し、
朝からお茶事が行われた。
 
まずは利休忌の茶事。
 
茶道の開祖である利休さんに供えるお茶を点てて、奉納する。
 
床の間には利休さんのお姿が描かれた掛け軸がかけられ、
菜の花が活けられている。
 
そこに薄茶のお点前の1服目として、お白湯にお抹茶を振り入れたお茶を点て、
点てられたお茶をお正客が床の間に飾る。
これをお献茶と呼ぶ。
 
続いて、人数分薄茶を点てて、お客はまず一服薄茶をいただく。
 
その後は、炭点前。
振られた方が炭籠をもって進み出て、お炭点前を行う。
 
あくまでもお稽古なので、担当するお点前の細かい注意を先生から受けながら、
それぞれ振られた役柄をこなしていく感じだ。
 
今日の私はその次に行われた『回り花』というお点前の亭主役だったので、
花台にいろいろな種類の茶花を乗せ、床の間まで進み出た。
 
床柱に掛けられた3箇所花を入れる場所がある竹の花器に、
お正客から順に花を活けていく。
 
今日はお客様役は5名なので、私も含めて2巡したところで、
最後は亭主である私が全体のバランスを考えて手直しをするというお遊び。
 
2巡する間には人の活けたお花を一度は抜いて、別の花に差し替える作業があり、
どの段のお花を抜くのか、
なかなかお仲間の活けたものを抜くのにためらいがあったりして、
お遊びとはいえ、美的センスと心理の綾を問われているようで、
ドキドキものである。
 
そこまででお昼時になったので、一度、休憩し、
お弁当をいただき、午後の部へ。
 
午後は『茶カブキ』という表千家七事式のひとつ。
『上林』と『竹田』というおなつめに入れた2種類のお濃茶をまずいただき、
続けて点てた3服のお濃茶のどれが『上林』と『竹田』なのか、
はたまた、いずれとも違うのか当てるというお遊び。
 
亭主に選ばれた人は
同じ濃さで、同じ錬り加減で5服の濃茶を点てなければならない。
 
飲み手は今回は4名で、私は正客だったので、
なるべくすばやく同じ条件で4名が飲みきるよう、
お茶を次客に回さなければならない。
 
記録を執っている役の人のところへ、
本茶を1服飲んだらすぐにこれと思うお茶名を書いた札を手元の箱にいれ回す。
 
3服とも飲んでから、先の2服とどれが同じか当てるわけではないので、
そのあたりが難しく、
結局、3服とも当てたのは、まだ、お茶を初めて間もない新人さんひとりだった。
 
ことほど左様にお茶のお遊びはなかなかに奥が深い。
 
華道の素養もなければならないし、
お茶の味わいや香りなどにも敏感でなければならない。
しかも、畳に5時間の正座である。
 
朝からキモノを着て、雨の中、北鎌倉まで出掛け、
楽しくお勉強させていただいたけど、
茶道の道は修行の道。
 
単なる「茶~でも、しばきますか」とは、ちょっと違う。
 
 

2017年3月18日土曜日

パティシエ学校の卒業式

 
 
 

 
温かな晴天に恵まれた今日、横浜のロイヤルパークホテル「鳳翔」の間で
私が非常勤講師をしているパティシエ学校の卒業式が行われた。
 
そこのパティシエ学校は蒲田に調理師専門学校が兄弟校としてあるので、
合同の卒業式と謝恩会である。
 
ここの非常勤講師をするようになって10年以上経つが、
今回初めてキモノを着て出席することにした。
 
非常勤講師と言っても、年に10回ほど、それも前期にしか授業がないので、
卒業式の時期には、授業から離れて半年もの年月が流れており、
年間通して教えている先生に比べたらお客様的な存在だ。
 
しかし、今回の学生は名前も顔もよく覚えている率が高く、
就職の結果も気にしていたので、
キモノを着て気合いをいれていっても大丈夫かなという感触をもっていた。
 
それは今回から記述式のテストを実施し、成績をつけるようになったからで、
単に一方通行で授業をしていた今までの学生より、
密な交流があったからだと思われる。
 
予想通り、謝恩会の席で、「先生のお陰でちゃんと就職できました」との報告や
「あの授業、すごく役立ちましたよ」との声をたくさん聴け、
記述式のテストの採点に苦慮した甲斐があったと感じた次第だ。
 
卒業式は延々2時間、成績優秀者の表彰に時間が費やされるので、
講師陣はひな壇の上でくっつきそうになる両のまぶたを開けておくのに必死だった。
 
しかし、読み上げられる名前に覚えがある学生が、袴姿に身を包み、
壇上で表彰状を受け取っている姿は凛々しくて、
これから社会人として巣立つ気概に溢れていた。
 
そして、最後に合唱する校歌は、半ば歌詞を見なくても歌えるほど、
なじみ深いものになっていることに自分でも驚いた。
 
1時間の休憩を挟んで、同じ会場を謝恩会式場にセッティングし直し、
学生と先生が入り交じり、料理や飲み物を手に歓談するとき、
半年前に別れて以来の久しぶりの面々が、正装し大人びて見えるが嬉しかった。
 
最後は学生達の作るアーチをくぐり抜けながら、
講師陣があちこちで学生と手を取りあったり、ハイタッチしたりしながら、
これからの門出を祝福しつつ、エールを送るのだが、
今年は今までで一番手を取った学生の数も多く、印象に残る学年だった気がする。
 
パティシエや和菓子職人、パン職人、
いずれも厳しい職場だと聞いているし、
その割にお給料が少なく、3年以内にやめてしまう子も多いと聞く。
 
今日が晴れやかさのピークで、4月からの現実に押しつぶされたりしないよう、
幸多かれと母親のような気持ちで送りだしたのだった。

2017年3月14日火曜日

歌舞伎役者の真剣勝負

 
 
 
今年に入って初めての歌舞伎鑑賞。
昨年から上等なお席を取ってもらっている歌舞伎フレンドと一緒。
 
本日も前から2列目19番と20番というど真ん中のかぶりつきである。
 
演目は
『明君行状記』
『義経千本桜 渡海屋 大物浦』
『どんつく』の3本。
 
『明君行状記』は長セリフの応酬がつづく世話物。
『義経千本桜』は歌舞伎の代表演目のひとつで
平家再興を願った武将の末路を描いた義太夫狂言屈指の名作。
『どんつく』は陽気でおかしみのある江戸情緒たっぷりの舞踊で、
亡くなった三津五郎さんの三回忌追善狂言としての上演。
 
三演目のタイプがまったく違ったので、とても楽しめた。
 
時折、歌舞伎通であり、三津五郎門下として舞踊に通じている友人に
通人ならではの裏事情やら歌舞伎の見方などを教えてもらいながら、
本日も歌舞伎を堪能してきた。
 
前から2列目ど真ん中ともなると、本当に至近距離に役者がいるので、
ちょっとした目の動き、表情の変化なども手に取るように見える。
 
なので、生身の人間が演じているその臨場感や、当人の緊張感などが
ずんずん伝わってくるので、歌舞伎役者の凄さがつくづく感じられた。
 
先ず、よくぞあの長台詞を間違わずに(数回かんだが・・・)言えるものだと
梅玉さんに感心したし、
父の名に恥じぬよう頑張る三津五郎の息子の巳之助さんの一生懸命さにも
心打たれた。
 
そして、何より義経千本桜では友盛役の仁左衛門さんが、
自分の型で演じきるため、初老の身を正になげうって大上段から飛び降りたことに
驚いた。
 
この演目、最後の見得では、友盛が大きな碇を振り上げたところで終わる
スタイルが多いと思われるが、
今日観た仁左衛門さんはその大碇と共に後ろ向きに海に飛び込んで果てる。
 
その飛び降りるまでの狂気迫る演技と、途中、帝役の子役のセリフ回しのうまさに、
会場のあちこちで涙をぬぐう人の姿が・・・。
 
歌舞伎座であんなに泣いている人を見たのは初めてだ。
 
あの子役は誰かと調べたら、市川右近とあるので、
先日、襲名して右團次となった市川右近の長男に違いない。
 
数年前に歌舞伎界を担う役者さんが次々亡くなって、暗澹たる状態だったけど、
着実に次代を担うべく生まれてきた若い役者達は真剣に歌舞伎に取り組み、
伝統を守り、引き継ぎ、革新へと進もうとしている。
 
それを子役の右近君にも、大役に必死に取り組む巳之助さんにも感じた。
 
そしてまた、バトンを渡そうとしている大重鎮の仁左衛門さんや梅玉さんなど、
おじいさん達の覚悟と頑張りにも頭が下がった。
 
歌舞伎はひとりの力では到底出来ない。
ものすごく多くの人が関わって、更に役者達ひとりひとりの魅力が加わって
初めて成立する。
 
数日前に観た『モアナと伝説の海』も
エンドロールに流れる人の多さにびっくりしたが、
たぶん、歌舞伎も想像以上に多くの支える人がいるのだろう。
 
ひとつの作品を多くの人の手で創り出す映画や演劇の魅力に触れ、
羨ましく感じると共に、ひとりで生み出す芸術の気楽さと孤独を感じた。
 
今更、生み出す側には参加出来ないけど、
歌舞伎役者の真剣な思いを間近に感じる1ファンであり続け、
これからも応援していこうと思った。
 
最後に歌舞伎の衣装の美しさは特筆に値すると思う。
今回は巳之助さんが相模五郎役で身につけていた全身白づくめの衣装が
格好良かった。
 
そのままパリコレに出てきても可笑しくない。
 
歌舞伎の衣装はかなりにぎにぎしいものが多いが、どれも意味があり、
伝統に裏付けられている。
そのあたりが奥が深くて面白い所以だろう。
 
残念ながら舞踏家の目は持ち合わせていないが、
ビジュアル面で、カラーコーディネイトやファッションセンスの観点から
歌舞伎鑑賞するのも一興なのである。
 

2017年3月11日土曜日

本摺りの後は『モアナ』でエネチャージ

 
 

 
今週は水曜日を除いて、ずっと家に籠もって、版画を摺っていた。
1月2月で彫り上げた2点分の版の内の2点目の作品である。
 
しかし、月曜日にまず試し摺りを取ったのだが、
1点目の作品とは違う雰囲気にしようと試みた背景の渋い紫がいけなかった。
思い描いた色を先ずは何色か版に乗せて全体に摺ってみたが、どこか品がない。
そして、まとまらない。
 
こうなると、試し摺りは難航する。
 
一度頭から背景に使った紫を追い出し、一から出直すしかない。
 
ここがもっともアーティスティックな局面だ。
 
悩んだ末に出した結論は、1点目と対の作品なので、同じ色調にするというもの。
逆に同じ色調にしたせいで、2点には『静と動』という違う特徴があるということを、
今更ながら感じた。
 
火曜日、同じ色調にした試し摺りをもう一度取り、ようやく心が落ちついたので、
これで仕切り直して、木曜から本摺りに向かうことにした。
紫系の背景の試し摺りはすでに丸めてゴミ箱に・・・。
 
水曜日はお茶のお稽古と心理学の講義を受けたため、
昼前から夜遅くまで家を空け、木版から一気に離れた感じだが、
本摺りに向け、気持ちをリセットするにはこの方がいい。
 
自分の体力や集中力が落ちていることを考え、
木曜日から金・土と3日間も予定を入れず、本摺りに備えた。
 
最近気に入っている朝に和紙の湿しをして、5時間、間を開け、
午後から摺り始めるという方式で、1日目にある程度まで摺り、
2日目は朝から気持ちもスッキリ、1日中頑張り、夕方6枚を摺り終えた。
 
3日目の今日は午前中、多少のリタッチと作品の水張りと
絵の具や筆の後片付けをした。
 
以前はこれを1日に詰め込んでいたが、今はそんな無茶をしても、
摺りが雑になるばかりでなく、詰めの甘いいい加減な作品になるだけだ。
だから、これからは余裕をもって、これぐらいの時間割りで進めようと思う。
 
そして、午後は朝、ネット予約した映画を観に行くことにした。
『モアナと伝説の海』
 
今日、封切られたばかりのディズニー映画だが、
家から徒歩10分にある最寄り駅の映画館でやっているので、誠にありがたい。
 
会場は1番大きな5番スクリーンなのだが、小学生ぐらいの親子連れで満席。
私の両脇も左が小学校の低学年とおぼしき男の子とお母さん、
右が幼稚園年長さんぐらいの女の子とお母さんだった。
 
私ぐらいの年齢でひとりで観に来ている人はほとんど見かけないが、
そんなの関係ない!
ひとり映画鑑賞には何の問題もなし。
 
この映画、予想以上によかった!
海や人物の表現も凄かったし、美しかったし、
物語のテーマもいろいろ考えさせる深い内容でよかった。
『アナ雪』と同じチームが創っているということもあって、
耳に残る迫力のある挿入歌も心に残る。
 
月曜から苦労した試し摺りに引き続き1週間かかって本摺りを終え、
今週は私のエネルギーのすべてを版画に注ぎ込んでしまったので、
もはやエンプティランプが点滅していたのだが、
この映画で十分、ガソリン満タンにチャージできたという気がする。
 
アニメーション作品だったせいで、人が創り出す描いたものがこれほどまでに
人を感動させるのだと、同じ絵描きチームの人間として嬉しい。
 
自分の作品はひとりシコシコと日本の伝統文化の流れの中で創っていて、
世界を席巻しているディズニー映画とは規模も何もかも違うけど、
伝統は大事にしないと『モアナ』も言っている。
 
伝統文化の実践で疲れた我が身にはもってこいのエネチャージだったのである。

2017年3月5日日曜日

陶器の貯金箱

 
陶芸工房の課題として、『貯金箱』と『抹茶椀』というふたつが出され、
会員はそれぞれ創作に励んでいる。
 
いつもは課題が出ても、中には創らない人もいるし、私もパスのこともあるが、
今は11月の1年おきに開かれる工房の展覧会に向け制作しているので、
マストで創らなければならない。
 
さて、陶器の貯金箱といえば、ぶたの貯金箱が定番だが、
どんな形にするのか、老若男女の会員、それぞれの個性と実力が問われている。
 
中年の男性がピンクのぶたの貯金箱はないだろうし、
かといって子どもっぽくないテーマとなると案外、難しい。
 
そもそも貯金箱という存在自体が、自分達の生活にはないものだから、
孫のために創る人もいるし、
自分のためとなるとどうする?という壁にぶつかる。
 
私も例外ではなく、すぐにはテーマが思いつかず、
まずは抹茶椀をいくつか手びねりしながら、イメージを練った。
 
かたわらで貯金箱に取り組んでいる仲間達は、ロボット型、ロケット型、
竹の節を切り取った形、ふくろうの形など、
それぞれ思いついた形に横スリットを入れ、貯金箱として成形している。
 
実は貯金箱、技術的にも案外難しく、
中が空洞で、
開いているのはお金を投入するスリットだけで、後は閉じられているというのは、
成形するのも、焼成するのも、ハードルが高い。
 
通常、花瓶みたいに筒状のものを創る時は、先ず、底を創り、
中にペットボトルや缶などに新聞を巻き付けた型を底に立て、、
引き延ばした土を巻き付け、胴を創ることが出来る。
 
その場合、成形後に上から型を抜き取れば、綺麗な円筒状のものが出来る。
 
しかし、貯金箱は上から型を抜き取ることが出来ない。
 
底の土の上に芯無しで、いきなり板状に引き延ばした土を立てるのは、
かなりの技術と、職人的な勘と、土と折り合いをつける会話力が必要だ。
 
『土と会話する』
これが実は陶芸をやっていて、もしかして一番大切じゃないかと最近、思う。
 
菊練りといって、土を何十回となく錬りながら、
土の硬さ、瑞々しさ、腰、ねばりなどを肌で感じ取りながら、
その日の気象条件、温度湿度などとも相談して、
「あんた、今日、何になりたいの?」
「貯金箱にするために、板作りで背を高くしたいけど、大丈夫?」などと
話しかけるのである。
 
そうして、創りたい形をイメージしながら、手元の土の硬さや水の含み具合をみて、
ちょうどよい錬り具合に整えていく。
 
今回の土は戸外のポリバケツに入れておいた残りの土だったので、
とにかく冷えていて硬かった。
 
それを心の中で「よしよし、今、暖めるから待ってね」と話しかけながら、よく錬り、
5ミリの厚みで30㎝四方になるまで専用の麺棒で引き伸ばす。
 
端っこで、直径8㎝の円を底土用に切り取り、
その側面、つまり、5ミリの厚さに圧着して、
20㎝以上の高さの土を支えられるところまで、
しっかり練り上げる必要があるのだ。
しかも、支えの芯無しで・・・。
 
イメージとしてはワインの瓶をラッピングしたような形をと思っていたので、
くびれの部分までとそこから上とで土を区切り、
切り目を入れて、首がすぼまるようにした。
 
前回それを大きな1枚の土で創ったら、寄せた部分のギャザーが多すぎて、
きれいにすぼまらなかったので、
今回はもう少し計画的に平面図に興してから創ってみたというわけだ。
 
いずれもお金を入れるスリットは縦にして、
いかにも貯金箱という感じにならないようにした。
 
コインがたくさん貯まって、
リボンのかかったくびれの部分をもってカシャカシャいわすイメージは、
お宝という感じで、貯金箱らしいデザインなのではと思っている。
 
さて、ここから、まず、乾燥でヒビとかが入らず、素焼きもうまく通過し、
釉薬をかける段まで進めたら、全体に白い釉薬をかけるつもりでいる。
 
リボンだからといって、そこだけ赤くしようとかは考えていない。
 
とにかく、縦のスリット一箇所だけという焼成テクニックの難しさを乗り越え、
無事、焼き上がりますように。
自分で焼成段階はやっていないので、じれったい。
 
あとは焼成時に先生にうまくいくよう、念を送ってもらうしかない。
 
私にできるのは、先生が念を送ってくださるよう、先生に念を送るだけだ。