5月下旬に釉薬をかけた抹茶椀が、無事、焼き上がってきた。
同じタイプの釉薬をかけたものが、2ヶ月前にも焼き上がってきたのだが、
陶器は焼くと2割近く縮むので、
第1弾の3点は思っていたより小さく焼きあがり、
今回の第2弾が、そのリベンジということになる。
お陰様で焼き上がりの大きさは丁度よく、手に取ったときの収まり具合がいい。
ただし、釉薬のかかり具合は前回と同じにしたつもりが、
1回目と2回目では釉薬の濃度が違うのか、かける時の時間が違うのか、
焼成温度の関係か、よく分からないが、1回目とは少し感じが違った。
焼成自体は先生がしてくださっているので、
釉薬をかけた後は、あなた任せの無責任生徒なので、何とも言えないが・・・。
先生曰く、「全く同じ条件で焼いたつもりでも、毎回違う、それが焼き物だよ」と
いうことなので、生き物と考えるのが当たっているのだろう。
しかし、今回の4点を手に取り、ひとつずつしみじみ眺めてみると、
なかなかいい感じに焼けたのではないだろうかと思えてきた。
今日は午後の作陶時間の最後に、先生による講評会が行われ、
その時いた5人の会員の作品の講評がなされた。
1番古い20年選手の作品はろくろによるもので、年季がはいった手慣れた作品群だ。
ろくろにはなかなか手を出せずにいる私にとっては、
ある意味羨ましい作品だが、逆にいうと100均でも売っているような感じ。
先生の評価はかなり厳しく、
「ろくろに凝り固まって、作品がいつも同じだから、てびねりや板作りみたいな
他の手法をやってみたら?脱皮しないと」と、いうことだった。
他のメンバー3人は会員歴2年から18年と幅広いのだが、
キャリアのある人は、もっとチャレンジをという意見だった。
一方、まだ、入門して2年の人も、今のスキルでできるものばかり作らないで、
もっと大きいものを作ったらと言われていたので、
誰しも新しいジャンルに挑戦したり、難易度を上げるのは難しいということなのだろう。
もうひとり、基礎固めを怠って、
工芸作品として守らなければならないことを無視している男性は、
これまた厳しく「もっとちゃんと作れよ」と叱られていた。
陶器の厚みとか、歪みとか、高台と胴のバランスとか、
何でも適当に作って、歪んでいても味があるとか趣があるなどというのは
間違い。
自分を甘やかしてはいけない。
歪みを個性という2文字で誤魔化してはいけないのだ。
でもって、作陶歴5年半の私はというと、
先生の目にはとても強い発進力をもったハギワラワールド全開の作品に
見えるらしい。
これら4点は抹茶椀のつもりだというとようやく納得したようで、
「食卓にのせて他の器と並べようとするとちょっと強すぎるかなと思ったけど、
抹茶椀なら分かる。
薄暗い茶室に置くわけだし、料理ではなく抹茶が入るからね」という感想だった。
本人はさほど個性が強いものを作ったつもりはないのだが、
人が見ると相当個性的らしいことは、他のメンバーの反応を見ていても感じる。
ろくろがちっともうまくならない+あまりやる気にならないのは
ろくろの作品はつるりとして、きれいに丸く、薄いことを良しとしているからだが、
陶器の魅力をそのてびねりゆえの温かみに感じるのはどうしようもない。
ここから先、ろくろで新境地を開くのか、
あくまでてびねりで強い個性を更に確立するのか、
私も岐路に立っているのかも知れない。
先ずは、出来たての自作の抹茶椀で、お茶を一服点てながら、
この先を考えてみるとしよう。
孫はまだ産まれる気配がない。
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