2017年7月30日日曜日

お宮参り

 
 
 
 
 
 
今日は初孫志帆のお宮参り。
 
朝になっても雨がしとしと降っていて、少し心配したけど、
大阪から若旦那のご両親も来てくれていたので、予定通り、決行。
 
お宮参りは生後1ヶ月を過ぎたぐらいでするものという慣例からすると
大人の事情で生後2ヶ月を少し切るあたりのお宮参りになった。
 
場所は1月下旬に帯祝いでお祓いをしてもらった桜木町にある伊勢山皇大神宮。
お礼参りの意味も込めて、同じ神社でするらしい。
 
今年の1月、お腹の中にいた子どもが、この世に生を受け、
ここにいることの不思議と、
娘達にとって激動の2017年を思い返しながら、本殿へと向かった。
 
今日、お宮参りを希望した家族は同じ11時半の組だけでも8組もあり、
6月生まれは多いのかとビックリ。
 
しかも、そのほとんどが女の子。
華やかな赤やオレンジやピンクのお祝い着が並んだ。
 
ひとつ前の組は目の前を白無垢姿で通っていったカップルの結婚式だったので、
その厳かなたたずまいを見送りながら、
我が家の昨年11月の結婚式を思い出し、
その時、すでにお腹に志帆はいたのかと思うと、感慨ひとしおだった。
 
8組の家族は先頭に赤ちゃんの父親、
次に赤ちゃんを抱いた父方の祖母、
次に赤ちゃんの母親、
その後ろは母方の祖母、
更に後ろに父方の祖父、母方の祖父という順に縦に並んだ。
 
こんなに一緒にお宮参りが重なるとは誰も思わなかったようだったが、
祝い着を肩からかけられた赤ちゃんがずらりと並ぶと壮観だ。
ザ・日本の行事という感じ。
 
観るともなく観てると、同じ1ヶ月でも新生児っぽい赤ちゃんもいるし、
ウチの孫のようにしっかりした感じもいる。(髪の毛のせい?)
ずっと泣いている子もいれば、ぐずっている子もいれば、
ウチの孫のように、終始、寝ている子もいる。
 
すでに個性はあるんだなと感心しながら、つつがなく式は終わり、
本殿前で記念写真を撮って、
そこから横浜駅近くのホテルで懐石のお祝い膳を囲んだ。
 
まだ、2時間に1回、授乳が必要な赤子にとって、
初めての外での行事で、
幸い、雨が上がったとはいえ、お祝い着の中は蒸し風呂のようで、大変だ。
 
夏物の絽のお祝い着の人もベビードレスの人も様々だったが、
正絹に総絞りでのしめの柄はなかなかgood choiceだったのではないかと思う。
 
父方の祖母だの、母方の祖母だの、母親だのは抜きにして、
女性3人はかわりばんこに艶やかなお祝い着を肩からかけて、
何枚も写真を撮った。
 
(それにしても自分が母方の祖母という立ち位置に、まだ、なじめない)
 
肝心の志帆はなかなか笑顔とはいかず、寝ていたり、ぐずったり、大泣きしたり。
 
まあ、お宮参りの写真はそんなところだろう。
 
それでも、ちょうど1年前まではまったくの赤の他人だった2組の家族が、
ご縁があって親戚になり、
新たな命を迎えて、新しい絆を紡ぎ出す。
 
「子はかすがい」とはよく言ったもので、若い両親だけでなく、
その親世代にも幸せを運んで来てくれると、
心がほっこりしたお宮参りだった。
 
 
 

2017年7月26日水曜日

脱皮した海老さま

 
 
 
 
思いがけず、仕事で行けなくなってしまった友人から連絡を受け、
急遽、7月大歌舞伎の昼の部に行ってきた。
 
ここのところ歌舞伎にご一緒していた友人なので、
チケットは「蛇の道は蛇チケット」。
つまり、とあるルートを使って取った前から2列目のど真ん中21番という席だ。
 
6月7月は娘の出産後の里帰りで、孫に翻弄されると覚悟していたのに、
先週末、娘達が自宅に帰ったことで、体が空き、突然、行けることになった。
 
これで、ベイビーロスを癒そうと、私は心ウキウキ出掛けた。
 
7月の歌舞伎座は知ってのとおり、直前に麻央さんが亡くなってしまったため、
初日からニュースで大きく取りあげられていた。
 
海老さまこと、市川海老蔵が昼の部は連獅子、
夜の部は息子の勧玄君と宙乗りするとあって、
ファンはひと目親子の宙乗りを見ようと会場に詰めかけた。
 
私もニュースを見ながら、これ以上悲しい舞台姿はないだろうと、
その場にいられる人を不謹慎ながら羨ましく思ってみていた。
 
友人の持っていたチケットは昼の部なので、宙乗りはないが、
巳之助さんとの連獅子に期待がかかる。
何年か前に奈良の藥師寺の奉納歌舞伎で見た海老さまの鏡獅子の時と
どんな風に変わっているか・・・。
 
昼の演目は『矢の根』『加賀鳶』『連獅子』の3題で、
『矢の根』と『連獅子』はお正月でもいいような華やかな演目。
 
衣装もかつらも身につけているものすべてが豪華絢爛で、
内容も勇壮だし、豪快だし、歌舞伎らしい演目だ。
 
しかし、その2題より何より、世話物の『加賀鳶』という世話物の海老さまが
出色の出来。
 
海老さまは俺さまキャラなので、何をやっても謙虚さがなく、
渋い演技も嘘臭いと思っていたのだが、
今回の小悪党道玄は力が抜けて、道玄のいやらしさとかずるさを
白目の見せ方やわざとしている活舌の悪さでうまく表現。
 
何か1枚皮がむけたというか、真の悲しみを経験して、人間が大きくなったというか。
 
今までの海老さまとはちょっと違うと感じた人は多いのではないだろうか。
 
一方、父親の板東三津五郎亡き後、家元を継いだ板東巳之助の方は、
一生懸命なのは分かるが、抜けがないというか、溜がないというか、
硬くてストレートの剛速球という印象。
 
友人曰くの「ぶんぶん丸」だけど、一生懸命さだけはぶんぶん伝わってきた。
 
友人は三津五郎門下で踊りをしていたので、巳之助の行く末が心配なんだと
思うが、まだ若いから、これから経験をたくさん積んでよくなるだろう。
 
今日はひとり2列目のど真ん中21番の席で観劇だったが、
周囲のメンバーが濃かった。
 
1列21番、私の真ん前は最前列で「よっ」とか「いよーっ」とか
声をかけ続ける70ぐらいの女性だった。
 
大体、歌舞伎のかけ声は3階席の大向こうと呼ばれるところから、
「成駒屋!」とか「澤瀉屋!」とか男の人の声でかかるのが普通なので、ビックリ。
 
3列21番、私の真後ろの席は太った50ぐらいの女性だったが、
この人は決めポーズにさしかかるや否や拍手する人で、
とにかく会場で1番に拍手することに命をかけている感じ。
 
背後で首筋のあたりに拍手の圧がかかり、音と風が来たので、ビックリ。
 
左横、2列19番と20番は80近い老夫婦で、歌舞伎は何度も夫婦で観ている様子。
ただし、ダンナさんの方は歌舞伎にとても詳しく、しっかりしているが、
奥さんの方は少し認知症の気配。
 
幕間の話声によると・・・
妻「加賀鳶なんて知らないねえ」、夫「去年、観てるよ。観てないのは矢の根だけだよ」
妻「ん?加賀鳶なんて観たことないよね」、夫「・・・」
 
妻「あらら、暗闇の立ち回りは大変だ~」、夫「それがお決まりなの」
妻「あら、これは暗闇っていうことなの?」、夫「・・・」
 
妻「私、トイレに行っておいた方がいいかしら」、夫「そんなこと自分で決めなさいよ」
妻「やっぱりトイレは行った方がいいかしらね」、夫「さっさと行きなさいよ」
と、こんな感じ。
 
キャラの濃いメンバーに囲まれ、
ひとり「海老さま、よくなったわぁ」「巳之助、頑張ってるわぁ」とひとりごちながら、
大好きな歌舞伎の世界に戻って、浸れる幸せな時間を過ごしてきた。
 
 

2017年7月23日日曜日

トリオ・リベルタ最高!

 
 
 
 
すごく久しぶりにトリオ・リベルタのライブに行ってきた。
 
場所は関内にあるKAMOME Live mattersというライブハウス。
 
いつもなら、彼らの演奏は、300~400人ぐらい入るコンサートホールで
行われることがほとんどなので、珍しい形のコンサートということになる。
 
ライブハウスとコンサートホールの違いは、まず、その大きさにある。
ライブハウスは全部の広さが40畳ぐらいしかないから、
収容出来るお客さんも50名ぐらい。
 
先ずは食事をする時間が1時間あり、
お客さんは飲食をした後なので、リラックスした気分で演奏を聴くことが出来る。
 
更に、演奏者はお客さんと 同じ高さのフロアーで演奏する上に、
お客さんはテーブルを囲んだ低い椅子、
もしくはバーカウンターなどにあるスツールに座って、間近で聴いているので、
目の前の演奏者からダイレクトに音が飛んでくる。
 
今日は、友人が24と25番目という整理券をとってくれたので、
かなり早くに会場入り出来、演奏者とは4~5メートルの距離の席を確保出来た。
 
特にお目当ての石田様とは4メートルぐらいしか離れていない。
 
私達の前には1グループいるが、低い椅子に座っているので、
1段高いスツールに座っている私の体には、目の前の石田様のバイオリンの音が、
音のバイブレーションと共に臨場感をもって伝わってくる。
 
ライブハウスは天井も低いので、音響効果としてはホールより響いて
音の雑味のようなものまで拾ってしまい、
それがかえってライブ感というか、人間臭さを感じさせて、
ファンとしてはたまらない。
 
曲目は前半はクラシックを編曲したものから始まり、
いわゆる映画音楽に使われた物語のあるムーディな曲が続いた。
 
1番よかったのはミシェル・コロンビアの『エマニュエル』
 
3曲目だったのだが、そのあたりからのってきているのが手に取るように分かり、
石田様の少し紅潮したほおを、気恥ずかしいような気持ちで眺めてしまった。
 
ここ2ヶ月は子育て支援に埋没していたため、
仕事と趣味のお稽古しか自分のことはしてこなかったので、
溢れる音のシャワーを浴びて、
徐々に自分はこんな時間が好きだったということを思い出した。
 
休憩を挟んで、後半は前半より少しエロティックな大人の曲でという紹介があり、
「死刑台のエレベーターのテーマ」からスタート。
 
2曲目は「ラストタンゴ・イン・パリ」
3曲目は「ロクサーヌのタンゴ」
 
後半は石田様も演奏中だというのに、1曲終わるごとに白ワインを口にして、
会場の女性ファンが「ちょっと飲み過ぎじゃない」とざわめくほどに飲み干して、
首からほおまでピンク色に上気している。
 
どこかの組長風情の強面がウリの石田様が
目の前で次第に酔っていくのが見られるのは、ライブハウスだからこそ。
 
後半の後半はトリオ・リベルタの十八番ピアソラの曲が数曲続いた。
私もスツールの上でスイングしながら、まるでフロアーで踊っているような気分。
 
すっかり忘れていたタンゴのリズムに身を任せ、
仮想空間でダンスする。
 
妄想癖のある私はドレープのたくさんよったドレスに身を包み、
軽やかにステップを踏む度、ドレスの裾が翻り、胸元のスパンコールが光る。
「嗚呼、すこし前まで、タンゴのレッスンに通っていたのになぁ・・・」と
すっかり遠のいてしまったタンゴの世界を思い出した。
 
アンコールの最後には写真撮影も許されたので、
久々に拝んだ石田様をアップで連写。
 
一緒にいた友人も思わぬファンサービスに嬉々としてシャッターを切っている。
 
夜、コンサートやライブに出掛けるという楽しさを久々に取り戻し、
「また行きましょうね」と約束して、駅の改札で別れた。
 
夜道を歩きながら、エンドレスで「リベル・タンゴ」の曲が浮かんで、
「そうよ、私は自由なんだわ」と思った。
 
 

2017年7月22日土曜日

早くもシポロス

 
 
 
 
娘が女の子を出産し、退院後に実家である我が家に暮らして1ヶ月半、
遂に娘が自宅に帰るこの日が来てしまった。
 
ここまでの週末、娘婿は泊まりがけで我が子の様子を見に来ていたが、
昨夜遅くに泊まりに来て、今朝、挨拶した後は
家の中の荷物をまとめ、娘と孫と共に家を出る「人さらい」にしか見えなかった。
 
今は乳児室だった和室に、
ベビーを寝かせていたゆりかごベッドもなく、
2客の客布団と枕が畳まれてあり、
汚れた紙おむつの入ったビニール袋がポツンと部屋の片隅にあるだけだ。
 
孫の志帆は今日まで順調に成長してきたが、
その間、母親である娘は母乳の出が悪く、何度か母乳相談にでかけ、
マッサージをしてもらったり、育児のアドバイスを受けたりした。
 
お陰で最初はミルクと母乳の混合だったものが、100%母乳育児に移行出来、
夜中の授乳が楽になったと喜んでいた。
 
一方、飲む方は順調だったのに比べ、自力でうんちを出すのは難しいらしく、
娘は、毎日、オリーブオイルで湿した綿棒でつついてはうんちを促してきたのだが、
ばぁばの私はそれすら面白がって、
その力む可愛い顔を動画に撮ったり、脇で励ましの声をかけたりして、
今日まで来た。
 
それが、今朝、娘は私と顔を合わすなり、
「ママ、今日は志帆の記念日になったわ」と喜び勇んで報告してきた。
何かと思えば、
今朝、初めて志帆が自力でうんちをしたという。
 
赤ん坊の仕事はいっぱいおっぱいを飲んで、たくさん寝て、
大きな声で泣いて、いいうんちをすることだと、何かの本で読んだが、
正に、自力うんちは実家を卒業する合図。
 
綿棒で排便を促すのは、女の子の赤ちゃんによくある「赤ちゃんあるある」で、
半年ぐらいまでは腸の活動が未熟だからしかたないとか・・・。
 
それでも、毎日つつかないと出ないなんてと心配していたところだった。
 
そういう意味でも自力うんちは、ひとりの育児に旅立つ朝にふさわしい成長の証だ。
 
1ヶ月半前にこの世に生を受けた子どもと、
母親という役目を負った娘。
 
父親という役目を負った婿もいるにはいるが、
結局、日中の育児は母親がやらざるを得ないし、
どんなに協力的な父親でもおっぱいが出るわけじゃない。
 
自分も同じようにふたりの娘の母親として、ここまでやってきたのだが、
間近で見ると、女にとって母親になることは本当に人生の激変だと思うし、
その責任の重さは計り知れない。
 
そんなホヤホヤの母親に、
ひとつ距離をおいたところで、自分の経験談を話したり、
娘の赤ちゃんの時のことを回想したりする時間はとても楽しかった。
 
そして、
志帆のすべすべの腿を「なんてムチムチなのかしら」とさすり、
ぷくぷくのほおを「うーん、可愛い可愛い」とつっつき、
立て抱っこしていろいろ話しかけるのは至福の時だったが、
それも今朝で終わった。
 
この1ヶ月半だけでも、志帆は相当変化を見せたので、
ここでしばらく離れると、次はまた違う表情を見せてくれるに違いない。
 
新しい命の尊さをあらためて知り、
いたいけな命を慈しむ母性に再び目覚め、
楽しくおせっかいを焼く。
 
そんな愛しい日々にしばしピリオドを打ち、
自分らしい日常を取り戻そうと思う。
 
それにしても、早くも「シポロス」である。
 
自分も単に孫が可愛くてしょうがないばぁばだったと実感している今日この頃である。
 

2017年7月20日木曜日

生ビールで暑気払い

 
 
 
 
誰かと会えば、先ず、「暑いですね~」の挨拶から始まる今日この頃、
連日の暑さにすでに夏バテ気味の人も多いのではないだろうか。
 
かく言う私も毎晩、寝苦しくて寝不足だし、
大して食べていないつもりなのに、例年通り夏太りだし、
三度のご飯作りがめんどくさい。
 
そういうグダグダな毎日には、パーッと一気にビールを飲むのが一番と、
今日は絵画教室のメンバーと暑気払いにキリンのビール工場に出かけた。
 
生麦に絵画教室を移して以来、夏と冬、年2回、
キリンのビール工場の敷地内にあるドイツレストランで、
出来たてのビールをいただきながら、食事をするのが恒例になっている。
 
数年前の最初の1回だけ、工場見学もしたが、2回目からはレストランに直行し、
その場で作った作りたての一番搾りや
フレイバーの効いた珍しいビールを飲むことにしている。
 
今日は「夏のホワイト3種類飲み比べセット」という誘い文句に惹かれ、
先ずは小さめの3つのグラスに注がれた明るい黄色のビールから。
 
ニュージーランド産のホップの白ワインのような香りが特徴の『on the cloud』
小麦麦芽のフルーティで爽やかな酸味の『white night』
ゆずと山椒を使ったジャパニーズホワイトの『Daydream』
 
いずれもライトな飲み口で、「まずはビール!」とのどを潤すのに最適の味。
特にゆず入りのビールはゆずが絶妙に効いていて、日本人のDNAを刺激した。
 
料理のラインナップも冬に来た時と同じ鉄板メニューもあれば、
初めてのものもあって、どれにするか目移りしたが、
鉄板メニューの中から『ソーセージの盛り合わせ』を、
新顔メニューの中から『各種スモークの盛り合わせ』『ケールのサラダ』をチョイス。
 
いずれもはずれのない美味しさで、
ここのレストランのシェフには脱帽だ。
 
真っ昼間だというのに、ビールもおかわりし、
出来たてホヤホヤの一番搾りは、やっぱり間違いない味だった。
 
〆にスパイスの効いた『ジャンバラヤ』というご飯ものを注文し、
みんな満腹ほろ酔い気分。
 
話も弾んで、また、冬もここにこようと約束して、帰路についた。
 
最近の私に起こることのひとつに、
気に入っているレストランやブティックがある日、なくなるということが度々あって、
悲しい思いをしているのだが、
これだけ大きなキリンのビール工場がなくなることはないだろうから、
敷地内のレストランも未来永劫、営業して欲しいと願っている。
 
ビールが目的なだけに、車で行くということは出来ないが、
その日だけは電車と徒歩で教室まで行くので、
生麦の絵画教室の半期に一度の親睦会は当分ここにしようと、
今日も思ったのであった。
 
京急沿線にお住まいの皆様、オススメ!です。
 

2017年7月18日火曜日

産後の料理教室

 
 
長女が子どもを出産し、退院後に我が家に来てから1ヶ月以上の月日が流れた。
 
その間、産後の肥立ちのことを考えて、
先ずはゆっくり娘の体を休め、回復を促し、健康によいものを食べさせ、
お乳の出を心配する日が続いた。
 
お陰様で母乳の出も順調になり、
赤ん坊の成長も著しく、今週末に娘は自宅へ帰る予定になった。
 
そうなると、次なるミッションは
娘が自宅で母親としての務めを果たすことにシフトする。
 
今の女性は結婚しただけでは、なかなか主婦というポストに収まらない。
最近の女性は働くのが当たり前、
従って、家事が女性の担当だという意識もなく、
食事作りが自分の役割だとも感じていないらしい。
 
娘のところも、夫婦が仕事に出掛ける時間や帰宅時間がバラバラな上、
娘もハードワーカーだったため、
料理は自分の分は自分でみたいなルールになっていた様子。
 
しかし、子どもが生まれたとなると事情は違ってくる。
今はまだ乳飲み子に乳を与えるだけが子の母親としての食事当番かもしれないが、
近く、家族のきちんとした食事を作れるようにならなければ、
家族の健康は維持できない。
 
そこでオーママの役目として、
実家から巣立つ前に、何品かの家庭料理を伝授することが必須課題となった。
 
それは娘といわず、婿といわず、
得意な者がこなせばいいというか、
時間があるものがするという現代の風潮にのっとって、
ふたりに向け、課すことになった。
 
これまでに
「親子丼」「煮込みハンバーグ」「サバの味噌煮」「かぼちゃの煮物」
「枝豆はんぺんバーグ」「スペアリブの黒酢煮込み」「ポテトのチーズ焼き」
「ひじきの煮物」「春巻」などを伝授した。
 
最後の仕上げは
「オリジナル餃子」
 
我が家の餃子は白菜ベースで作る。
他にニラや長ネギは勿論のこと、にんじんと生しいたけが入るのが特徴だ。
豚挽肉500㌘を基準に大量の野菜を投入し、あんを作る。
 
実は長女はにんじん嫌い。
次女は生しいたけ嫌い。
 
そんな嫌いな野菜も餃子の具に入ってしまえば、避けようがない。
子どもの野菜嫌いを克服させる方法として編み出したオリジナル餃子だったが、
今では生しいたけの香りとにんじんのつぶつぶ食感が特徴の
我が家のおふくろの味に成長。
 
独立した娘達の帰省時リクエストナンバー3ぐらいにランクインしている。
 
それを、今度は自分達で作れるよう、
ふたりにキッチンに立ってもらうことにした。
 
先ずは包丁使いがへたっぴ~な長女に膨大な量の野菜のみじん切りを、
次に婿に肉の錬り方と味付け、野菜との混ぜ方を指南した。
 
ちょうど、そのあたりでベイビーがぐずったので、
娘があやす係になり、
ダイニングのテーブルに婿と私が対面で座り、
黙々と餃子のあんの皮包み。
 
婿は手先が器用で、上手にひだを作りながらあんを包んでいく。
 
考えてみれば、婿殿とふたり、対面でこんな風に作業するのは初めてかも。
共通の話題に乏しいふたりにとって、いいコミュニケーションの機会になった。
 
モチ米入り大判の皮2パック分を包み終え、
最後に焼きのコツを伝授。
 
そのためにオーママは新しいフライパンを購入し、
この日に備えるという熱の入れよう。
 
何しろ、餃子はテフロンの効きが命。
古いフライパンでは焼き上がりがパーフェクトにならない。
 
大小2つのフライパンを駆使して、大量の餃子を一気に焼き上げ、
事前に用意の焼きトウモロコシ、空心菜の中華炒め、枝豆、わかめの中華スープを
リンビングに運び、
最後に焼き上がった餃子を並べて、無事、餃子ディナーの完成だ。
 
焼きたての我が家の味に、みんな、ウンウンと納得の笑顔で、
餃子と共にビールを飲み干す至福の時。
 
こうして、歩きだした新米ママのため、
熟練ママの持てる技は徐々に伝承されていく。
 
後は「キッシュ」と「けんちん汁」を覚えたいという娘のため、
どのタイミングで教えるか算段するオーママなのであった。
 

2017年7月16日日曜日

秋の陶芸会準備

 
 
 
11月中旬、2年に1度の陶芸工房の展示会が予定されている。
 
2年に1度、展覧会を行うのをビエンナーレ、
3年に1度はトリエンナーレと呼ぶのだが、
2年に1度は案外、あっという間にやってくる。
 
自分が属している版画協会の展覧会は当然のことながら1年に1度なので、
私の1年のサイクルはそこに照準を合わせ、
版画の制作プログラムを組み立て、大小の作品を創ることになる。
 
趣味の陶芸とはいえ、
発表するとなると、まとまった量の作品を、あるコンセプトに従って
揃える必要性がある。
 
2年の間に作り溜めたものを、ランダムに並べればいいと思っている人も
会の中にはいると思われるが、
一応、もの作り人の自分としては、
コンセプトに一貫性のないものを、ダラダラ並べるのは良しといないので、
あと会期まで数ヶ月の今、
いよいよ佳境にはいってきた感がある。
 
今回のお題は『抹茶椀』と『貯金箱』なので、
その2種類に関しては、すでに複数個制作して、
中からいいものを選んで展示する予定なのだが、
そこで選ばれなかった物でも、自分の作品テーブルにのせる可能性は十分ある。
 
今日、釉薬をかけたものは5つ、
削りをしたお皿が4枚だが、
抹茶椀として作ったものは1個しかないから、
他はいい感じに焼き上がったら、個人の作品展示の一品となる予定だ。
 
釉薬としては渋い焼きあがりの黄瀬戸2号を全体に施し、
失透という名の白を使い、太筆で勢いよく線描き模様を配したシリーズなので、
同じテイストの今までの作品と合わせて、展示できればと思っている。
 
このシリーズは、先生曰くの「萩原節さく裂」の作風らしいから、
これから数か月もその手を緩めることなく大胆に白筆で模様を描きまくり、
渋さの中にダイナミズムを感じさせる作品を目指すつもりだ。
 
とはいえ、陶芸教室の釉薬は2ヶ月に1度しかかけられる日が巡ってこない。
そう考えると、なんと展示会までに釉薬をかけられるのは、
普通にしていたら9月の1回だけ、
無理を願い出れば、もう1回間際にかけられるかどうか。
 
そろそろ自分の作品テーブルのコーディネイトを考えながら、
不足の数点を作る時が迫っているし、
先生に追加でもう一度釉がけを願い出る日も見えてきた気がする。
 

2017年7月15日土曜日

お客様対応

 
 
 
 
志帆は生後5週間と半分が過ぎ、
だいぶ目が見えているらしく、最近は抱っこしてくれている人の顔をじっと見る。
 
「オーママ」の私が抱くと、たいがいニコニコと愛想笑いをしてくれるので、
本物のママは「なぜ?おっぱいをあげているのは私よ」と悔しがる。
 
そろそろ世の中デビューも始まっていて、
ママの母乳相談に行くときと、パパが来ている週末に赤ちゃんホンポに行くときは
ベイビーも一緒に出掛けている。
 
また、「赤ちゃん見せて~」と古い友人がたずねて来たり、
「ようやく仕事に一区切りついた~」と次女がやってきたりと、
いつもの固定メンバーとは違う人がやってきて、
抱っこしたり話しかけたりという刺激も加わって、
少しずつ、人間社会のお勉強の始まりだ。
 
そのせいか、発するのは単なるうめき声や泣き声だったものが、
「あ~」とか「う~」になってきて、
まるでお話ししているようだと感じるのは親(親の親)の欲目か?
 
日々、顔つきも変わってきて、
元々髪が黒々しているせいと、急に赤ちゃんぽく太ってきたせいと、
足のキック力が強くなったせいで、
まちがいなく「どすこいシポリン」の道を歩み出している。
 
こんなに変化するものだったかとか、
こんなに手がかかるものだったかとか、
なにしろすっかり忘れているものだから、何を見ても何をしても新鮮だ。
 
この生活もあと少し。
娘はあと1週間で自分の家に帰るという。
 
こちらは毎日のおさんどんにだいぶ疲れてきたが、
日々の変化と成長を見ていると、本当に今日の志帆は今日だけだと感じるので、
1日1日を大切にして、楽しんで過ごそうと思う。
 
娘にとってはエンドレスに続く子育てで、楽しむ余裕はないかもしれないが、
上手に人の助けを借りたりして、
子育てを味わって欲しい。
 
私も折々に助っ人に走りながら、
娘達が実家を離れたら、早速、
この命の輝きを作品化することに取り組みたいと思っている。
 
 
 
 
 

2017年7月6日木曜日

生後4週 課題はダイエット

 
 
 
ベイビーは早いもので、生後丸4週間を迎えた。
 
ふと気づくと、生まれたての壊れ物のようないたいけな感じは
すっかりなくなっている。
 
いつのまにか腿がむっちりしてきて、
ミルクを飲んだ後など二重アゴで満足げに唸ったり、
寝起きは盛んにオヤジのようなうなり声と共に伸びをして、
足をジタバタ蹴り上げ、
その様子はふてぶてしささえ漂わせている。
 
目がだいぶ見えてきたせいか、周囲をじっと見渡し、
ただ放っておかれると不安になるらしく、体位交換しろと要求して、大泣きする。
 
腿だけに留まらず、お腹もポンポコリンになって、
そのくせ、うんちはまだ全然上手に出せないので、
毎日のように娘はオリーブオイルで湿らせた麺棒でつっついて排便を促している。
(くせにはならないから、安心してつっついても大丈夫と産院で言われたらしい)
 
一方、娘の母乳の出は今イチのようで、
退院当初からミルクと併用で、日に何度となくミルクを与えては
ノートに飲んだ分量を書き込んでいるが、これで本当にいいのか心配のようだ。
 
どうもお乳を与える方も飲む方も上手じゃなく、
親子の(乳)飲ミュニケーションがうまくいっていないらしい。
 
私の時は母乳一辺倒でいけたので、アドバイスしたくても、参考にならない。
 
そこで、
実家に逗留して3週間と少したったところで、娘は近くの母乳相談を受けることにし、
ほぼ初めての親子外出をして、
硬く張ったお乳について相談することにした。
 
すると、助産師歴35年のベテラン助産師さんに、のっけから
「なんでもっと早く来なかったの。乳腺炎一歩手前になってるわよ」と怒られたらしい。
 
なんとお乳が緑色になっていて、
つまった乳腺からお乳がわずかに出ているらしいが、
本来あるべきお乳ではなく、
賞味期限切れのまずいお乳だったとか。
 
それを無理矢理、毎回、何十分も吸わされ、更に粉ミルクも飲んでいる内に、
ベイビーはどんどん太り、
生後3114㌘だったものが、丸4週間で4300㌘にまでなっていた。
 
助産師さんがお産の時みたいに
またしても馬乗りになってお乳をマッサージしてくれたお陰で、
娘のお乳は無事貫通し、すっかり柔らかくなって、泉のごとく溢れ出てきたそうで、
吹き出たお乳が顔に降り注いだのでビックリしたと言っていた。
 
確かに家でもベイビーの吸っている勢いと音が違う。
 
これで母乳中心にして、最小限の粉ミルクにすることで、
生後4週間にして太らせすぎとイエローカードが出されたベイビーを
ダイエットさせるらしい。
 
やれやれ・・・。
 
こうして丸4週間、ほとんど家に籠もっていた親子は、
少しずつ世の中に出ていく練習をしながら、
そろそろ実家を飛び立つ準備をはじめた。
 
今日はお宮参りの日取りを決め、
会食の場所とお宮参りのお祝い着の予約も済ませた。
 
新生児はいつのまにか乳児になり、
娘は母親1年生になり、
と、同時に、私も「オーママ」になっていく。

2017年7月3日月曜日

本の装丁用原稿出来上がり

 
 
先週の木曜日にフォトグラファーのH氏に撮影してもらった作品データが、
超特急で現像・トリミングなどを終え、手元に届いた。
 
これで、自分が考えた本の装丁アイデアスケッチと合わせてギャラリーに提出し、
そこからはギャラリー側のデザイナーさんと印刷屋さんとで、
本の表紙へと作り上げてくれる段取りだ。
 
この『文学と版画』展は銀座のギャラリー志門で2年前から始まった企画展で、
昨年から私もそのメンバーに加えてもらっている。
 
初回にも声はかけてもらったが、展覧会の会期間際だったので、
本の選定や作品制作が間に合わないと判断し、やむなくお断りした。
 
その時から、面白い企画だ思っていたので、
以来、次の装丁はどの本を使おうかとひそかに考えながら本を読んでいる。
 
実は以前にも紹介した恩田陸の『蜜蜂と遠雷』が気に入って、
是非、ブックカバーを作ってみたいと思ったのだが、
そう思ったのが5月では、実現にはちと時間が足りず、
6月に娘が出産へと突入したため、版木の途中まで掘り進めたところで頓挫した。
 
結果、来年の装丁の出し物はもう決まったことになり、
気が楽になったといえば、そうかもしれない。
 
今回の小池真理子の『沈黙のひと』は
実の父親がパーキンソン病にかかって、手足の自由や言葉を失っていく様を
作家の目で間近で見ながら、
父親の男性として人としての人生を想像するといった内容の私小説だ。
 
『沈黙のひと』というタイトルの本に対して、
私が使った作品は『ふたり静かに』である。
 
この本の装丁に使うためだけに作ったわけではないが、
もちろん本の装丁にした時の文字の配置などは意識して作られている。
 
横位置の作品を真ん中で切って、
本の表の表紙と裏の表紙に分割して使用するデザインだ。
 
本の中で父親と女性の『ふたり』は病気の性質上、
なかなか気軽には遭えない状況になり、
『ひとりひとり』にならざるを得ない。
 
そこに流れる想いが、作家の目を通して描かれているので、
作品を切り離して、咲いている時計草が離れ離れになるよう使ってみたのだが、
そんなことは装丁デザイナーとしてのお遊びだから、
ぱっと見には分からなくてもいい。
 
本の装丁を考える面白みはこういうところにあると感じている。
 
 
 
本当なら6月末が提出期限だったので、
明日、自ら銀座に出向き、
ギャラリーオーナーにあいさつ方々手差しで届けようと思っている。
 
人にゆだね、自分の作品が1冊の本の表紙になるのを見るのは
とても楽しみだ。
 
現実には書店に並ぶわけではないけど・・・。
 
他の作家たちがどんな本を選ぶのかも気になるところだが、
まずはいい感じに出来上がってくることを心待ちにしたい。