2019年12月26日木曜日

「さてと」と区切りをつけて

 
 
 
 
 
 
クリスマスイブとクリスマス、
じじばばふたりの生活にもはやクリスマスツリーや
クリスマス・プレゼントなどはないが、
やはりそれらしい食事ぐらいはしたい。
 
毎年、ケンタッキーの前に並ぶ長蛇の列を横目に、
我が家は手作りのチキンをと思っている。
 
今年のイブは
志帆のところの食事当番の日だったので、
多少はクリスマスめいたものをと思って、
メニューを考えた。
 
ただ、娘からのリクエストが
「鶏手羽元と大根の煮込み」
「青椒肉絲」
「酢の物」
「けんちん汁」
「ポークソテーの野菜あんかけ」
「焼きうどん」だったので、
和食ばかりでクリスマスらしさは微塵もない。
 
そこで、しかたなく
「フレンチトースト」と「焼きリンゴ」を加え、
他に「たらちり」など
全部で11品。
 
肝心の志帆は
まずは「フレンチトースト」
次に「焼きうどん」に手をつけたので、
かなり炭水化物の採りすぎだ。
 
ひととおり食べ終わり、
満腹になったところで、
いきなり志帆が、
「さてと」と言うから、
「さてと!?誰に教わったの」と訊くと
「おーママ」と答えた。
 
思わず、笑ってしまった。
『犯人は私か。へたなことは言えないな』
と思った次第である。
 
また、保育園からの連絡帳にも
おもしろいことが書いてあった。
 
「今日、公園で1歳児の○○君がブランコに乗りたそうにしていたのを見て、
志帆ちゃんが抱き上げようとしていました。
でも重かったようで
「むずかしい。だれかブランコに乗せてあげて」と言ったので、
保育士全員で大爆笑しました」
 
2歳児が1歳児を抱き上げようとして
「むずかしい」なんて言うなんて、
想像しただけで笑ってしまった。
 
それに自分だって、ひとりでブランコに乗れないくせに
「だれかブランコにのせてあげて」だなんて・・・。
 
どうやら志帆は
食べることと人のお世話が好きらしい。
 
2歳児はこんなにキャラがはっきりあったか記憶にないが、
娘の3歳ぐらいの時はもっと食の細い子どもで
女王様キャラだったから、
母親似ではないのかもしれない。
 
クリスマスイブは
そんなわけで自宅のじぃじは捨て置かれていたので、
クリスマスの夜は
少しはそれらしいディナーを作った。
 
定番の骨付きチキンをオーブン調理し、
キャロットラペや芽キャベツのバターモンテなどを添えた。
 
そして、我が家でも焼きリンゴを焼いてみた。
 
リンゴはそのままでも十分美味しいが、
焼くと、はちみつとバターがリンゴに染みて、
スライスアーモンドとシナモンの香ばしい香りが加わり、
何ともリッチな気分になる。
 
もちろん赤ワインがベストマッチ。
 
こうして、何とか
クリスマスツリーもプレゼントもないけど、
食卓だけはクリスマスらしく、
無事、2019年のクリスマスも終わった。
 
「さてと」
明日からはお正月に向け、
またぞろ、いろいろ準備が始まる。
 
せっかく年賀状の肩こり首こりを整体でほぐしてもらったけど、
今度は
大掃除とおせち作りで
腰と肩にくるに違いない。
 
毎年の我が家の年の瀬行事は次々押し寄せるけど、
こうして忙しく動けるのは幸せなこと、
そう思って今年もジタバタしている。
 
さてと・・・。
 

2019年12月21日土曜日

魅せられて

 
 
 
 
 
 
パティシエ学校の非常勤講師仲間の友人と、
汐留にある浜離宮朝日ホールに
「上野耕平サクソフォン・リサイタル」を聴きに行って来た。
 
夜7時からの公演だったので、
5時に落ち合って牛タンディナーで精をつけ、
いざ、朝日ホールへ。
 
なぜ、いざ!なのかというと
今日のコンサートは
サクソフォン奏者の上野耕平と
和太鼓奏者の林英哲のセッションだからである。
 
私達はかねてより「題名のない音楽会」などで、
このふたりには興味津々だったのだが、
そのふたりがセッションをすると聞き、
思わずチケットを求めた。
 
このふたり、
今をときめく情熱的な演奏者だと思うので、
そのつもりで気合いをいれて
会場に向かったというわけだ。
 
プログラムは
第一部が上野耕平とピアノ伴奏で4曲、
第二部の最初の2曲が
上野耕平のソロ、
3曲目が林英哲のソロ、
4曲目が世界初演「ブエノ・ウエノ」という
サクソフォンと和太鼓の競演
という構成。
 
プログラムの冒頭には
指揮者山田和樹が
「耕平は1音聴いただけでただ者ではないと思った」
ボストンオーケストラの指揮者兼音楽監督が
「サクソフォンのこんな音聴いたことがない。
目が飛び出るほど驚いた」とある。
 
さて、そう言わしめた
上野耕平の生のサクソフォンの音色とは。
 
確かにその細くて小柄な体の
どこからそんな音が出るのかと
驚くほどに
迫力があってキレのいい堂々とした音色だ。
 
2曲目に吹いた
ソプラノサクソフォンとピアノのための
ソナタ エクスタシスは
全編、私の脳裏に映像が浮かび、
体の中を駆け抜けていった。
 
その映像は
白い衣をまとった男なのか動物なのか、
とにかく、いきなりぐいっと私の手を取り、
体が宙に浮いたかと思ったら、
天上界に向かって風を切り上昇し、
雲を突き抜け、
光の中に羽ばたいた。
 
管楽器の持つ気高い音が、
どこまでも空の彼方に気持ちよく響き、
その潔さに私はなすがままになる心地よさを感じた。
 
しかし、第2部になると
様相は一変した。
 
最初の2曲は上野耕平のソロだったのだが、
サクソフォンは尺八のような音色だったり、
汽車の汽笛、船の警笛、
はたまた車のクラクション・・・。
 
友人にいわせれば、
「夜の動物園でいろいろな動物が
あちこちで鳴いているようだったわ」となる。
 
いずれも現代音楽なので、
メロディアスではなくなり、
おばさん達には理解不能の領域に
突入してしまった。
 
2曲、難解な曲を聴かされ、
脳裏に映像も浮かばず、
ヤレヤレと思いかけていたのだが、
3曲目の林英哲の太鼓独奏に度肝を抜かれた。
 
先ず、上が白、下が黒のかみしもを身につけ、
足には白い地下足袋。
そでのドアが開き、林英哲が舞台に入って来ると、
中央に据えた巨大な太鼓の前に進み
客席に背を向けひざまずいた。
 
上半身の白いかみしもを脱ぐと
その透き通るような白い肌が露わになった。
遠目からみてもきめの細かさがわかる
神々しいような美しい背中と腕だ。
 
67歳になるというのに、
初老の男のだらしない見苦しさは微塵もないし、
若い男の匂ってくるようなみだらな感じも全くない。
 
太鼓のバチを両手に取り、
静かに深く呼吸をし、
バチを大太鼓の面に打ち付ける。
 
サクソフォンとはまったく違う
重たくて温かい音が、会場の空気をふるわせ、
客席に波動となって伝わって来る。
 
徐々に激しく打ち寄せる音の波、
動いているのは太鼓のバチだけではない。
林英哲の背中から腕にかけての筋肉が波打ち、
光り輝きながらうねり、音を繰り出している。
 
その神々しい姿、その原初的な音、
まさにこれは神事だと思った。
 
林英哲の独奏が終わった瞬間、
私達は思わず顔を見合わせ、
「かっこいい~!!」と
目をハートにして叫んでいた。
 
最後の上野耕平と林英哲のセッションもよかったが、
林英哲ひとりの演奏の方が
もっとよかった。
 
打楽器の最たるものである和太鼓の音、
最もプリミティブな楽器なだけに
太古から神事に使われてきた人間の根源に触れる
揺るぎない音だと実感した。
 
帰り道、
上野耕平が聴きたくて買ったはずのチケットだったが、
おばさんふたりは
完全に林英哲に心を持っていかれ、
「次は林英哲と風雲の会の太鼓の演奏会に
絶対、行きましょうね」と
約束して別れた。
 
2019年最後に
体に響き渡る太鼓の音を聴いて、
「よーし、来年も頑張るぞ~!」
という気持ちになった。
 
長く生きているのに、今まで知らなかったが、 
林英哲の太鼓という
人間のはらわたを揺さぶり、
パワーをくれるものに出逢い、
すっかりテンションが上がった
年の瀬のコンサートだった。

2019年12月20日金曜日

ハグして終わろう

 
 
 
 
 
 
12月に入って、次々、忘年会と称して、
あちらの会、こちらの会と
所属している仲間との締めくくりの飲み会が続いている。
 
昨日は今年最後の絵画教室があり、
カレンダーを組み立てる作業があって、
講評会の後、
場所を変えて、
スペアリブの美味しいお店で忘年会が行われた。
 
いつもはキリンビールの工場に併設された
出来たてビールが美味しいドイツレストランで行われる忘年会だが、
今年は趣向を変えて、
スペアリブがメインのレストランだ。
 
スペアリブにはもちろんビールがよく合うので、
結局はエールビールを注文したりして、
このメンバーとはいつもビールを飲みながら
1年を振り返ることになる。
 
1年は長いようで短いと感じるのが常だが、
私の周囲では、
今年1年の間に大きな怪我をしたり、
癌の疑いがかかってうつめいた心理状態に陥ったりと
心身共にきつかった方もいる。
 
そんな方にとっては
長い1年だったのかもしれない。
 
私が主宰するカウンセリングルームに通っている
クライアントさんをみても、
1年以上通っている方は
お悩みの深さも深刻で、
今はだいぶ道は拓けたとはいえ、
心の安寧を保てる時とそうでもない時がある方が多い。
 
そんなクライアントさん達も今週ぐらいから、
次回の予約が2020年の1月になり、
今年最後のセッションということになる。
 
夕べのクライアントさんも
2019年1月下旬に初回のカウンセリングを受けられ、
息子さんとの関係、
ご主人との関係などに悩んで来談され、
現在に至っている。
 
昨日は 
初回のインテーク面接の時の彼女の言葉を
カルテをみながら振り返ったりして、
今はだいぶ気持ちが落ちついて、
関係性も上手にコントロールできるようになってきていると
確認した。
 
セッションが終了し、
共に部屋を出てエレベーターの前まで来たところで、
彼女が手を出して握手を求めてきたので、
私は思わず彼女を抱き寄せ、
ハグをした。
 
「どうぞよい2020年になりますように」
 
そう願って、彼女の背中に回した手をポンポンとして、
少し力を込めて抱き寄せた。
 
その時、「先生に力をもらったようで嬉しい」と言って、
彼女の顔に笑顔がこぼれた。
 
日本には大の大人同士がハグするという習慣はないが、
ハグするとお互いの体温が伝わって来るし、
柔らかな体の感触に安心感を感じることが出来るのではと思う。
 
これからまだ、年内に数名、
今年最後のセッションを予定しているクライアントさんがいるのだが、
すでに長い間通ってきている方とは、
最後にハグして終わろうと思っている。
 
カウンセラーとクライアント、
その距離感をあまり縮めてはいけないと習ったけれど、
言葉でアドバイスしたり、励ましたりするのとは違う
何かがハグで伝えられるのではと思うので、
今年の最後はハグで締めくくることにしよう。
 

2019年12月15日日曜日

年賀状作成シーズン

 
 
 
 
 
1年で一番憂鬱な季節到来。
 
そう、年賀状を版画で創って、
ひとりひとり手書きでコメントを入れ、
宛名を書いて出すということ。
 
じゃあ、手書きを辞めればいいじゃん、
じゃあ、版画じゃなく自分の作品のプリントでいいじゃん、
せめて宛名書きにソフトを使えばいいじゃん、
と、
何十年も前から思っている。
 
しかし、木版画家としての意地とプライドが許さない。
 
作家仲間達はとっくに手で摺りをすることを辞め、
宛名もソフトに入力して済ませている。
 
しかし、作品の面を1枚1枚手で摺っているのに、
宛名がプリントでは
作品の方もプリントかと思われても仕方ない。
 
いっそもう年賀状そのものを辞めたらという
誘惑にも
10年ぐらい前から駆られている。
 
そのぐらい、
年賀状作成はめんどくさいし、
時間がかかるし、
チマチマしていて性に合わない。
 
5年日記の12月中旬は
毎年毎年、年賀状についての
不平不満が毎日、続いている。
 
昨年なんかは一度作ったイノシシの版画を摺ってみたら、
全然気に入らなくて、
結局「亥」という漢字を大きく木目で表したものに変更した。
 
日記の文面からは
相当ストレスがかかっていることが分かる。
 
しかし、今年の「ねずみ年」は
版は一発OK
摺りの色の決定も一発OKで、
もちろん彫ったり摺ったり、
作成時間は何日もかかったが、
あまり深く悩まず作業を進めることが出来た。
 
というより、
あまり思い悩まないことにした。
 
今回は木版画に適したハガキを180枚用意し、
年賀状用切手を150枚購入した。
 
名簿を作成してみると、
喪中はがきが12枚着ていたので、
その方を除き、新たに数名増やし、
ちょうど150名。
 
160枚摺って、
10枚は年が改まって、
先にいただいた方への返礼に使うことにした。
 
相葉君のCMではないが、
1枚ずつ相手の方の顔を思い浮かべながら、
ひとこと書き添えつつ、宛名を書くとき、
どんな1年を過ごしているんだろうと想像する。
 
案外、最近知り合いになった人は
LINE交換したりして、
住所を知らなかったりする。
 
あけおめメールで済ませてしまう若者達とさして変わらず、
むしろ、近々会うから別にいいわなんて調子で
年賀状を送り合うこともない場合が多い。
 
しかし、
私の場合は展覧会に来ていただいた方には
芳名帳に住所を書いていただくようにしているので、
そのお礼を兼ねて
まずは私の方から年賀状をお出しする。
 
中にはもう20~30年ぐらい会っていないのに、
年賀状だけが行き来している方もいる。
 
毎年、もう辞めようかと悩む。
今回も同じく悩んだが、
来年4月の個展にもしかしたら来てくださるかもと思い、
お出しすることにした。
 
その結果で、
どうするか決めようと思う。
 
そのぐらい個展は私にとっては一大事。
 
来年は4年に1度のオリンピック・イヤー、
私にとっては
5年に1度の個展の年。
 
さて、どんな1年になるのやら。
まずは2019年をきっちり終えること、
それが肝心だ。
 
12月15日、
年賀状受付初日。
 
早々に年賀状150枚を投函し、
年末の一大仕事をひとつやっつけた。
 
 
 

2019年12月12日木曜日

一番好きなのは「ひじきの煮物」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
週に1度の食事当番の日は、あっという間に来る。
 
毎週毎週、何を作るかが問題だ。
 
どこの家の主婦も献立に頭を悩ますが、
いっぺんに10品前後のメニューを考え、
食材を準備するのは、
案外、作ることそのものより大変だ。
 
毎週、日曜日の夜には長女からメールがあり、
今、家にある野菜やお肉の情報が入る。
それと共にいくつか料理のリクエストもくる。
 
今回のリクエストは
「ひじきの煮物」
「れんこんバーグ」
「焼きうどん」
「カリフラワーのグラタン」
だった。
 
あとは野菜、肉、魚のラインナップを見て、
バランスを考え、私がメニューを組み立てる。
 
というわけで、今回の献立は
更に
「ブリの照り焼き」
「白菜とカブのクリームスープ」
「コールスロー」
「ロール白菜」
「鮭としその混ぜご飯」
「ほうれん草と舞茸のごまよごし」
以上、合計10品。
 
リクエストにあった
「カリフラワーのグラタン」と「焼きうどん」は
長女が実家にいた頃の一番好きなメニューだ。
 
どちらもバターを隠し味に使うので、
そこが長女の味覚にヒットしているようだ。
 
「れんこんバーグ」も娘のリクエストだが、
今はなぜか孫のブームではないらしく、
夏の枝豆入りはんぺんバーグほど
食が進まない。
 
今、志帆の一番のお気に入りは
「ひじきの煮もの」だ。
 
渋い好み!
2歳6ヶ月とは思えない!
さすが、ばぁばの料理で育っているので、
若いママの料理とは違う。
 
我が家の「ひじきの煮物」は
総菜屋さんのひじきの煮物みたいに
味が濃くない。
また、買ったお弁当の端についているみたいに
ひじきと油揚げしか入っていないわけでもない。
 
うちの「ひじきの煮物」には
ひじき、鶏もも肉、人参、こんにゃく、
大豆の水煮、長ネギ、油揚げ
が入る。
 
それをすべて1㎝角や千切りに切って、
ゴマ油で炒めてから、
だしと酒、砂糖、醤油で煮る。
 
そのまま食べても、
ご飯と混ぜておにぎりにしてもいいような
形状と味付けにしてある。
 
志帆は保育園から帰ると、
先ず、10品、見渡してから、
「ひじき」と「ちゅるちゅる」から食べると要求したので、
その2品をお皿に取り分けた。
 
ちゅるちゅるとは焼きうどんのこと。
先週は春雨スープだったが、
要は麺類が総じて好きなのだ。
 
「ひじきの煮物」と「焼きうどん」
その2品だけで
使った食材の数は13にもなる。
 
食べながら、
「もやし」「ニラ」「にんじん」「こんにゃく」「お豆」など、
日本語習得中の2歳児は
どんどん野菜中心にものの名前を覚えていく。
 
「もやし、しほ、好き~」
「ひじき、食べる~」
「ミニトマト、切ってください」という具合。
 
今回は
「カリフラワーのグラタン」を食べながら
「ブロッコリー?」と訊くから、
「カリフラワー」と答えると
リフレインしようとするけど難しい。
 
それでも「大好き~」「おいしいね~」と言って
ほおばりながら、
きっとすぐに「カリフラワー」も覚えるだろう。
 
好きこそものの上手なれ。
 
いつもながら志帆の食欲と言語習得力には驚かされる。
 
今週の食べっぷりはというと
「ひじきの煮物」
「焼きうどん」のおかわりつき
「ミニトマト」
「ほうれん草と舞茸のごまよごし」のほうれん草だけ
「カリフラワーのグラタン」
「れんこんバーグ」少し
 
そして、ママが帰ってきてから、
お腹に隙間が出来たせいか、
「ぶりの照り焼き」も追加。
 
舞茸はどうやら好きな味ではなかったようで、
いったん食べて「食べられな~い」と訴えた。
 
おかげで
「しほ、まいたけきら~い」と
「まいたけ」という言葉も習得したに違いない。
 
志帆2歳6ヶ月、
1番の好物・ひじきの煮物
 
食育順調
食欲順調
日本語習得順調
 
よくできました(花丸)
 

2019年12月4日水曜日

食い倒れの火曜日

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
毎週火曜日の孫宅の食事当番。
昨日も午後の1時過ぎには留守宅に入り、
ひとりキッチンに立った。
 
人の家のキッチンは慣れたとはいえ、
なかなか使いづらいし、とにかく狭い。
 
大体のものは事前に打ち合わせて、
分かりやすいところに出しておいてもらうのだが、
時にはかつおぶしはどこだ!みたいになって、
家捜しすることもある。
 
昨日はリクエストにあった
「真鱈のフライ」
「具だくさんのオムレツ」
「鶏手羽元のトマト煮込み」
「中華風春雨スープ」
に加え、
 
「ブロッコリーのごまマヨネーズがけ」
「ほうれん草と舞茸のごまよごし」
「小松菜と厚揚げの煮もの」
「鶏唐揚げの甘酢あんかけ」
「さつまいもの炊き込みご飯」
「もやしとニラのお浸し」
以上10品。
 
最近は孫の志帆もたくさん歯が生えそろったので、
子ども向けに柔らかくとか
肉は挽肉にしてというようなこともなく、
大人と同じような感覚で、
しかし、食べムラがあるので、
好みのものをなるべくバランスよくと心がけている。
 
昨日、保育園に迎えにいくと、
私の顔を見るなり、
飛び跳ねて歓迎のダンス。
 
ママじゃなくても、嬉しそうにしてくれるので、
こちらも嬉しい。
 
手を繋いで帰宅し、
お手々を洗い、うがいをし、
まずは椅子によじ登ってひとあたり食卓を眺める。
 
何から食べようか決めているらしい。
 
夕べは、大好きなちゅるちゅるから。
つまり、『中華風春雨スープ』だ。
器用にフォークに春雨としらたきをからめながら食べていく。
挽肉がからまると「お肉出てきた~」と嬉しそうだ。
 
食べてるそばから、
次は『さつまいもの炊き込みご飯』を指さし、
「これください」と催促する。
 
なにしろ芋娘なので、
これはもう止まらない。
「お代わりください」の請求は却下し、
次へ。
 
結局、
『真鱈のフライ』
『ミニトマト』
『もやしとニラのお浸し』
『小松菜と厚揚げの煮もの』の厚揚げ
と、2歳半とも思えない量と種類を平らげた。
 
聞けば、お風呂上がりに
『鶏手羽元のトマト煮込み』もがっつり食べたとか。
 
夕飯時、食べたかったけど、もう入らなかったものを、
お腹にスペースが出来たので、
入れたものと思われる。
 
1点だけ駄目だったのが、
『具だくさんオムレツ』で
見た目卵焼きだと思ったみたいで、
食べたがったのに、口に入れた瞬間あれっという顔をし、
しばらく噛んでから、
「たべられな~い」と出してしまった。
 
どうやら小さく切ったピーマンの味が駄目だったみたいだ。
玉ねぎ、トマト、ハム、エリンギ、チーズに紛れたピーマン。
むむむ。
恐るべし、2歳児の味覚。
 
それにしても、明らかな食べ過ぎだ~。
 
きっと今朝は食べられなかった他の料理にも挑戦し、
元気に保育園に行ったに違いない。
 
最近、急に興味をもったものに「おっぱい」がある。
2週間前、いきなり私の胸を指さし
「これなあに?」と訊いてきた。
 
「おーママのおっぱいよ」というと、
「おーママのおっぱい?」と繰り返した。
 
ママは私の娘なのにぺちゃぱいなので、
このボリュームは見慣れないもの。
 
すぐに
「しほ、な~い」というから
「志帆はないねえ」と繰り返した。
 
すると
「ママもな~い」というので、
「ママもないねえ」と続けた。
 
その話を帰ってきた娘にいうと
「失礼ね、ちゃんとこのおっぱいで母乳で育てたわ」と
息巻く長女。
 
先週行くとセリフが変わった。
「おーママのおっぱい」
「志帆、な~い」
「ママ、ちっちゃいおっぱい」と。
 
どうも長女の仕込みがあったようだ。
 
確かにそのおっぱいで母乳育児を経て、
今では食べ過ぎ注意報を発令するまで、
何でも食べられるまでに成長した。
 
時の流れと人類の成長を間近に感じ、
これからも
好きなものは作ってあげようと思うばぁばであった。