パティシエ学校の非常勤講師仲間の友人と、
汐留にある浜離宮朝日ホールに
「上野耕平サクソフォン・リサイタル」を聴きに行って来た。
夜7時からの公演だったので、
5時に落ち合って牛タンディナーで精をつけ、
いざ、朝日ホールへ。
なぜ、いざ!なのかというと
今日のコンサートは
サクソフォン奏者の上野耕平と
和太鼓奏者の林英哲のセッションだからである。
私達はかねてより「題名のない音楽会」などで、
このふたりには興味津々だったのだが、
そのふたりがセッションをすると聞き、
思わずチケットを求めた。
このふたり、
今をときめく情熱的な演奏者だと思うので、
そのつもりで気合いをいれて
会場に向かったというわけだ。
プログラムは
第一部が上野耕平とピアノ伴奏で4曲、
第二部の最初の2曲が
上野耕平のソロ、
3曲目が林英哲のソロ、
4曲目が世界初演「ブエノ・ウエノ」という
サクソフォンと和太鼓の競演
という構成。
プログラムの冒頭には
指揮者山田和樹が
「耕平は1音聴いただけでただ者ではないと思った」
ボストンオーケストラの指揮者兼音楽監督が
「サクソフォンのこんな音聴いたことがない。
目が飛び出るほど驚いた」とある。
さて、そう言わしめた
上野耕平の生のサクソフォンの音色とは。
確かにその細くて小柄な体の
どこからそんな音が出るのかと
驚くほどに
迫力があってキレのいい堂々とした音色だ。
2曲目に吹いた
ソプラノサクソフォンとピアノのための
ソナタ エクスタシスは
全編、私の脳裏に映像が浮かび、
体の中を駆け抜けていった。
その映像は
白い衣をまとった男なのか動物なのか、
とにかく、いきなりぐいっと私の手を取り、
体が宙に浮いたかと思ったら、
天上界に向かって風を切り上昇し、
雲を突き抜け、
光の中に羽ばたいた。
管楽器の持つ気高い音が、
どこまでも空の彼方に気持ちよく響き、
その潔さに私はなすがままになる心地よさを感じた。
しかし、第2部になると
様相は一変した。
最初の2曲は上野耕平のソロだったのだが、
サクソフォンは尺八のような音色だったり、
汽車の汽笛、船の警笛、
はたまた車のクラクション・・・。
友人にいわせれば、
「夜の動物園でいろいろな動物が
あちこちで鳴いているようだったわ」となる。
いずれも現代音楽なので、
メロディアスではなくなり、
おばさん達には理解不能の領域に
突入してしまった。
2曲、難解な曲を聴かされ、
脳裏に映像も浮かばず、
ヤレヤレと思いかけていたのだが、
3曲目の林英哲の太鼓独奏に度肝を抜かれた。
先ず、上が白、下が黒のかみしもを身につけ、
足には白い地下足袋。
そでのドアが開き、林英哲が舞台に入って来ると、
中央に据えた巨大な太鼓の前に進み
客席に背を向けひざまずいた。
上半身の白いかみしもを脱ぐと
その透き通るような白い肌が露わになった。
遠目からみてもきめの細かさがわかる
神々しいような美しい背中と腕だ。
67歳になるというのに、
初老の男のだらしない見苦しさは微塵もないし、
若い男の匂ってくるようなみだらな感じも全くない。
太鼓のバチを両手に取り、
静かに深く呼吸をし、
バチを大太鼓の面に打ち付ける。
サクソフォンとはまったく違う
重たくて温かい音が、会場の空気をふるわせ、
客席に波動となって伝わって来る。
徐々に激しく打ち寄せる音の波、
動いているのは太鼓のバチだけではない。
林英哲の背中から腕にかけての筋肉が波打ち、
光り輝きながらうねり、音を繰り出している。
その神々しい姿、その原初的な音、
まさにこれは神事だと思った。
林英哲の独奏が終わった瞬間、
私達は思わず顔を見合わせ、
「かっこいい~!!」と
目をハートにして叫んでいた。
最後の上野耕平と林英哲のセッションもよかったが、
林英哲ひとりの演奏の方が
もっとよかった。
打楽器の最たるものである和太鼓の音、
最もプリミティブな楽器なだけに
太古から神事に使われてきた人間の根源に触れる
揺るぎない音だと実感した。
帰り道、
上野耕平が聴きたくて買ったはずのチケットだったが、
おばさんふたりは
完全に林英哲に心を持っていかれ、
「次は林英哲と風雲の会の太鼓の演奏会に
絶対、行きましょうね」と
約束して別れた。
2019年最後に
体に響き渡る太鼓の音を聴いて、
「よーし、来年も頑張るぞ~!」
という気持ちになった。
長く生きているのに、今まで知らなかったが、
林英哲の太鼓という
人間のはらわたを揺さぶり、
パワーをくれるものに出逢い、
すっかりテンションが上がった
年の瀬のコンサートだった。
林英哲のパフォーマンスには衝撃を受けました!来年は是非コンサートに行きたいです。
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