半年ほど前に急に親しくなった方が、
膝の手術の後のプレートとボルトを取り除く手術を終え、
退院なさったというので、
その方のおうちで快気祝いをすることになった。
今までだったら、
快気祝いを祝われる当人の家でしたりせず、
外食でどこか美味しいものでも食べに行きましょうと
いうことになるのだが、
なにしろコロナの影響で外食もままならない。
そこで、私が料理を作って、
友人Tさんが車でお迎えに来てくれ、
Tさんはお酒係。
もうひとりの友人Fさんがケーキとフルーツ係。
ご当人のSさんは私の造った陶器の器を何種類かお持ちなので、
それを取り鉢や湯飲みに出してくださり、
話題は陶芸の話、個展の話、
膝の手術の話、マンションの坪庭の花の話、
コロナウィルスとオリンピックの話と、
縦横無下に広がっていった。
快気祝いといっても、
内臓系の手術だったわけでも、
膝そのものの手術だったわけでもなく、
1年半前の膝の手術時に埋め込まれたプレートとボルトを
抜き出す手術だったので、
胃袋とお口は達者なので、
食欲とおしゃべりはとどまるところを知らない。
おみやげに持ち帰ったというプレートとボルトを酒の肴に
和気あいあい、
誰に気遣うことなく、
ウィルス対策も特段講じず、
せっせと食べて、せっせと話し続けた。
2月末から続く外出自粛令は
日本中の人々を疲弊させ、
ストレスもたまり、
どこかへ行きたい、誰かとおしゃべりしたいという
気持ちは老若男女変わらず
パンパンに膨らんでいる。
しかも、コロナは軸足をヨーロッパに移し、
世界中が自国民からウィルス感染者と死亡者を出すまいと
かなり縛りのきつい政策を出しているのを見聞きするので、
いよいよ「一体どうなるの」という不安が頭に去来し、
制限された行動の自由の中で
鬱屈している。
そんな時でも、
友人と会えば、
いつもと変わらず、楽しい時を過ごせるし、
人と話すことで発散するので、
別れ際には、しみじみ「楽しかった」という言葉が出る。
ウイルスの蔓延や感染を止めるには、
人の動きを止め、人の接触を止め、
経済活動を止めることが必要なのかもしれないが、
それは人として決して健康的じゃない。
人はひとりでは生きていけないし、
ひとりで生きているわけではないから、
コミュニケーションしないと…。
あらゆるジャンルのコミュニケーションの方法を考え、
どうしたら感染リスクを減らせるのか対策を講じ、
社会生活を取り戻さないと、
世界中がひきこもって心が病んでしまう。
Sさんのおうちの坪庭ガーデンには
今を盛りと何十種類もの花が咲き、
観る者の目と心を潤してくれた。
私の作ったキッシュと焼き豚とピクルスも
みんなが美味しい美味しいと食べてくれるからこそ、
作り甲斐がある。
今の世界情勢も
みんなで心配したり、意見を述べたりするから、
乗り越えられる。
やっぱり、籠っていないで、
活動しよう。
「次は4月6日、個展の初日に行きますね」
その言葉に元気をもらい、
明日への力をチャージした1日だった。
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