2月21日から日本でも封切られた『スキャンダル』を観た。
本当は封切り後、すぐに観たのだが、
今の新型コロナウィルス事件の世の中の空気とは
あまりにもそぐわない上に、
アメリカという国に違和感を感じたため、
ちょっとブログにアップするのをためらっていた。
しかし、3日前に安倍首相が
「3月2日から春休みまで、全国の小中高校の臨時休校を
要請します」と発表したのを受け、
世の中の機能がダウンしてしまったため、
暇な日曜日、
『スキャンダル』の映画鑑賞の感想を
アップすることにした。
小中高校生の子供さんばかりでなく、
その親御さん、特に働いているお母さんは
ここ2日ぐらいパニック状態で、
今後1か月をどう乗り切るか奔走されたことだろう。
このような上意下達で物事が決まる時、
批判は当然起きるし、
現場は大混乱する。
今回の安倍首相の判断が、
英断だったのか、そこまでやる必要はなかったのか、
渦中の今は結論はでない。
今までの1か月の判断が後手後手に回っていたとの
批判を受け、
先手先手に回らなければと思ってのことだと思うが、
いずれにせよ、国の動向を担うトップが、
ほぼひとりの考えで突っ走ったという見方が濃厚だ。
『スキャンダル』は全米最大のTV局で起こった事実を元に、
その事実を白日の下に晒すべく、
映画化されたものだ。
TV業界の帝王と呼ばれた男が、
いいポストにつきたいと願うキャスター希望の若い女の子や、
今の看板番組のキャスターにしがみつきたい売れっ子キャスターなどに、
自分の地位と権限をかざして、
性的な要求をしていたということが暴露された。
アメリカにおける女性性と男性。
男尊女卑と言ってしまえばそれまでだが、
日本人が感じているところの男尊女卑ともちょっと違う。
動物の雄と雌は
それぞれの「らしさ」を外見的にもあらわにして、
求愛のダンスをしたり、求愛の雄たけびを上げたりして、
男女の営みに持ち込もうとする。
ちょっとそれに近い様相で、
しかもそれは交配時期の一時ではなく年がら年中、
アメリカの女性は女性であることを強調した服装やメイクをし、
周囲の男女も
「そのドレスいいね」とか「髪型すてき」などと
あいさつ代わりに批評する。
そのドレスときたら、
体の線がこれでもかと出るようなストレッチのきいた
ピッタリしたものだし、
そんなハイヒールで仕事できるのかと思うような
ピンヒールを履いていたりする。
キャスター達はその見本のようないでたちで、
髪は元の髪色はどうであれ、
男性好みなのか、全員ブロンドだ。
若いこと、美しいことが女の最大の価値であるという
困った価値基準に基づいて、
容姿が落ちてきたキャスターは簡単に整形するし、
体系維持のため不断の努力を惜しまない。
そういう『女』を武器に世の中を渡る女性の弱みに付け込み、
権力を握っている『男』が
男であることを武器に女に要求を突きつけ、
自由にする。
日本の芸能界や政界あたりでも
私が知らないだけで、多かれ少なかれ、
こうした現象は起きているのかもしれない。
しかし、アメリカのこの状態はあまりにあけすけだ。
そんな恰好をしていては
誘ってくれと言っているとしか思えない。
日本人としては、
私は自分のスタイルとして、
ボディコンシャスなものが好きだし、
いくつになっても女であることを捨てたりはしないが、
それとあのこれ見よがしなアメリカンスタイルとは違う。
そして、アメリカ人男性の強引さと傲慢さ。
アメリカ人にとどまらず、
権力を握った男は
日本人も強引だし傲慢だ。
それは雄の魅力なのか、はたまた人権蹂躙なのか。
映画で感じた違和感は、
なぜか今回の安倍首相のいきなりのお達しにおいても
感じてしまった。
私には小中高校生の子供はいないが、
そうした子供たちを持つ働くお母さん達は
もっとリアルにその憤りを感じたことだろう。
これがリーダーシップなのか、
暴挙なのか、
決着がつくのはしばらく後になりそうだ。
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