昨日、開催が危ぶまれる中、
サントリーホールで行われた
『ーいのちの花ー』
『ひとり、ひとりが花..いのちの花曼荼羅をここに』
というコンサートにいってきた。
コンサートとは銘打っているが、
主催は真言宗豊山派仏教青年会豊山太鼓「千響」
真言宗のお坊さんが奏でるというか唱えるというか・・・。
ご詠歌と雅楽と太鼓で、
真言宗の教えを説き、
人々の心を癒し、勇気づけるというもの。
キリスト教でいえば、
讃美歌であり、ミサであり、ゴスペルであり、
といったところか。
私としてはこのコンサートに行った目的は
ひとえに林英哲の太鼓だったわけだが。
それはそれは不思議なコンサートというか
不思議な空間における体験だった。
確かにお坊さんがお寺の本堂で
僧衣をまとって太鼓をたたくシーンというのは知っているし、
大勢のお坊さんが唱える読経の迫力もわかる。
しかし、そのお坊さん達と、
太鼓打ちである林英哲と英哲風雲の会のメンバー5人が
一堂に会して演奏する様といったら、
それはもう
言葉にならない得体のしれない波動を浴びて、
私を金縛りにした。
林英哲はなんと真言宗のお寺に生まれたとのことで、
その関係で太鼓の師匠として招聘され、
今日まで各地で「千響」の活動を
指導し、時には共に演奏してきたという。
今回は「千響10周年」の記念の年で
サントリーホールでの開催になったらしい。
最初の曲は
パイプオルガンと独唱による
「アメイジング・グレース」だったので、
会場は一気に教会のような雰囲気に包まれた。
2曲目は林英哲の大太鼓。
去年の最後に見た林英哲の神々しいまでの背中。
1曲目で作られた宗教的空気の中で
言葉を超えた命の響きとでもいうような、
太鼓の音がうねりとなって伝わり、
幾度となく
私の中にこれが「魂」なんだという感覚が舞い降りた。
次に暗がりから大勢のお坊さんが現れ、
ご詠歌が演奏というか唱和された。
鮮やかな紫とエメラルドグリーンの僧衣をまとい、
朗々たる声で厳かに華やかに歌い上げる。
ご詠歌の内容はお大師様の教え、
大和長谷寺ご本尊十一面観音菩薩様のお徳を
優しく説いたものと説明にはあるが、
私たちには何を言っているのかは
皆目見当がつかない。
それでも、その神々しさと有難いという気持ちにさせる
迫力と説得力は
太鼓に勝るとも劣らない。
休憩なしの1時間半、
一気に形を変え、演奏は続き、
会場は教会からお寺の本堂になり、
コンサートホールになり、京都のお祭りのようになった。
時代と国籍を自在に飛び越え、
見るものを軽々と精神世界へといざない、
未知の経験を通して、
祈りの境地へと導いた。
本当に不思議な時間と空間だったが
会場を見渡せば、
ひとり残らずマスクをしているという状況も
異様な感じで、
そこで起こった神秘的な体験と、
今、信じがたい状況にある現実がせめぎ合っていた。
その日の夜、参加した心理学の講座は
2回続きの予定だったが、
来週の分が取りやめになった。
この先、日本はどうなるのか、
世界中に広まってしまうのか。
目に見えない新型のウィルス相手に
右往左往する人間の弱さが露呈し、
心がざわめいている。
サントリーホールで体感したあの感動を呼び起こし、
太鼓の響きを思い出し、
「大丈夫」と自分に言い聞かせようと思う。
そんなパワーをもらった演奏会だった。
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