2021年2月19日金曜日

作品撮影 そして 思わぬ展開










今日は毎年1回、
フォトグラファーのHさんに自宅に来てもらって
1年分の作品を撮影してもらうことになっていた。

1年分といっても
2020年はコロナのことがあって、
気持ちがふさいで、なかなか作品制作の気分になれず、
大幅に出遅れてしまったので、
大小合わせても4点しか作品を創らなかった。

しかし、大きい方の2点を
今回の個展の案内状に使うつもりなので、
どうしてもプロに撮影してもらう必要があった。

さいたま市から東京を越えて
横浜まで来てもらうので、
申し訳なかったが、
H氏は気持ちよく引き受けてくださった。

しかも、「小品は撮影して残すほどじゃないと思っているなら
大きい2点だけ撮影すれば」と
言ってくださった。

それでは撮影料が半分になってしまうのだが、
「そんなこと気にしなくていい」と言うので
本当に申し訳ないが、
仰せの通りに…。

2点の作品の撮影はあっという間に終わり、
お茶をしながら、
「今回はこんなものを用意してみたの」と
自分で制作の合間に撮った写真を
小さなアルバムにしたものを見てもらった。

「制作の途中経過が見てみたいとよく言われるので、
こんなものを作ってみたの。
まあ、摺ってる途中に自分で撮ってるから、
作家本人は写っていないんだけどね」というと、
「作家さんの制作風景は残しておいた方がいいですよ」と
いう答えが返ってきた。

昨年の作品撮影の時にも
似たような話は出たのだが、
そんな大作家でもあるまいし、
自分を撮ってもらってもギャラが払えないと思い、
話は立ち消えになっていた。

今回もまたその話になったので、
「Hさんにお支払いするギャラはおいくらぐらいですか」と
思い切って聞いたところ、
「それを商売にしようとは思っていないので、
その写真にクレジットを入れてもらえればそれで…」と
耳を疑うような返事が戻ってきた。
(クレジットとは写真の下に、撮影者の名前を入れること)

常に作品撮影をお願いしている作家に限り、
プロフィール写真は撮ってあげるといわれ、
実際に3回ほど、大量のプロフィール写真を
撮ってもらったことがある。
(1回など、スタジオを借りて
600枚ぐらい撮ってもらった)

H氏は元々、
有名演歌歌手や俳優などの写真を手掛けていた人なので、
人物をじっくり追いかけて撮ることが
本来のお仕事なのだとか。

もし撮るなら、
大きな作品の方がいいし、
実際に摺っている日にお邪魔して、
気配を消してスタンバイし、
時間をかけて好きに撮らせてもらって、
後でいいものを選ぶというスタイルにしたいという。

私がポーズをとったり、
いつもとは違う位置で作業したり、
ライティングしたりといったヤラセみたいなことではなく、
2日間、ベタっとアトリエに張り付いて、
動画を撮ったり、カラーやモノクロを使い分けたり、
ドキュメンタリー映画みたいに撮るのはどうかと
提案された。

実際は私の作ったアルバムに、
数枚H氏の撮った私の制作している姿が
加わるだけかもしれないが、
彼はできればじっくり時間をかけて撮ってみたいという。

私も撮るなら、
ばれんを手ににっこり笑っている偽物の姿より、
阿修羅のような形相で摺っている自分を撮ってもらいたいと思い、
最新作「天使のくちづけ」を再度、
実際に摺っているところを撮ってもらうことになった。

「天使のくちづけ」は
4枚仕上げるのに、3日間、体をあけ、
1日目は2度目の試摺りでイメージを固め、
後の2日間は、2日丸々使って本摺りをした作品だ。
(木版は1枚だけ摺ることはない)

今回は3枚に摺る枚数を落とし、
2日間、H氏にさいたま市から通ってもらい、
撮影してもらうことになった。

「プロフェッショナル ~仕事の流儀~」
といった感じだろうか。

大昔、自分の書いたエッセイが書籍化されたとき、
中の写真の1枚が、
当時、小学生だった娘に撮ってもらった
本摺りをする母の姿だった。

あれから25年ぐらい経っただろうか。

今度はプロがアトリエに張り込んで、
本摺りの様子をカメラに収めてくれるという。

当時、赤道直下の国シンガポールに住んでいた私は
ホットパンツ姿で太もももあらわな姿で写っている。

さすがに今回は太ももはあらわにはしないと思うが、
あまり作りすぎない素の自分をさらけだして、
木版画の摺りの修羅場を
写真に残せたらと思っている。

さあ、にわかに動き出した感のある
木版画家・萩原季満野

3月18日までに少しは痩せねば!
それが新たなミッションだ!










 

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