2021年5月30日日曜日

「走り梅雨」を作品に

 











本日は久しぶりの「本摺り」

個展が終わって、すっかり気が抜け、
新作に取り掛かるのに時間がかかっていた。

新作は新しいシリーズでと思っていたので、
重い腰がなかなか上がらなかったのだ。

世の中はいつまでたっても
コロナの感染者数が減らず、
ワクチンの予約も取れず、
気分が上向くようなニュースがない。

個人的には本当にラッキーな週に個展を開催でき、
たくさんの方に来ていただき、
幸せなことだと思ってはいるが…。

かといって心浮き立つような事件も起きず、
まんぼうが出ているせいで、
お茶のお稽古はお休みだし、
淡々と粛々と
毎日が過ぎている。

そんな心模様を写すかのように
5月はよく雨が降った。

春先、温かくなるのも早かったが
梅雨入りも早そうな気配で、
五月晴れはどこへやら
かなりの日数、雨が降っていた。

新作のテーマは「雨」にして
現在の世の中の空気を
雨で表現してみようと思っている。

実は10年以上前に、
一度数点だけ雨をモチーフに作品を創ったことがある。

その時の作品が今頃になって売れたと
画廊から連絡があり、
にわかに思い出したのだが、
雨をデザイン化してみようという思いが
むくむくと湧いてきた。

それが今回の作品なのだが、
数日前から、試し摺りをしているのだが
何だかもうひとつピンとこない。

なのに、紫陽花展に間に合わせようとすると
今日をおいて、丸1日通して本摺りできる日がない!

やや焦っていたせいか、
朝4時半に目が覚めてしまった。
これ幸い、この時間から作業に取り掛かることにした。

「朝飯前」に雨のデリケートな摺りを終えられたら
相当気分が楽になる。

そんな目論見通り、
7時までに
雨と横のオレンジのラインの部分を摺り終わり、
順調に本摺りはスタートした。

絵具は昨日から調合してあるし、
もちろん和紙の湿しも完璧だ。

本摺り当日はミスなく
丁寧かつ迅速に
集中力と持続力の相反する能力を一気に発揮して
ひとり格闘する。

お陰様で「昼飯前」には
作品の下半分のグレーのベタが摺り終わった。

昼飯は昨日のとんかつの残りの1枚を揚げて
玉ねぎとしめじの入った卵とじを作って、
「かつ丼」にした。

夕べの「キャロット・ラぺ」も大量に作ったので、
それとかつ丼とで
野菜も肉もたっぷりのパワーフードになった。

エネルギーチャージをして
作業再開。
その後もトラブルなくミスなく、
無事に9枚の作品が仕上がった。

水張りの作業を終え、
「雨」のつく言葉をググると100個以上もあり、
その中からタイトルをつけるとしたら
「走り梅雨」が一番作品の感じに
ピタッとくるかなと思えた。

紫陽花がまだ咲く前から
毎日毎日雨が降り続いた5月。

紫陽花のつぼみが宝石のように輝いて、
コロナ禍の病んだ気分が一瞬華やいだ。

「走り梅雨」を採用するか
いつものように一文字シリーズにするか
少し悩んで決めようと思う。

とにかく4時半に起きられたせいで、
無事、夕方の4時半には
9枚の本摺りが出来上がったので、
ホッと一息な5月最後の日曜日である。

さあ、晩御飯はステーキにしよう。
きっとビールが美味いはず!









2021年5月23日日曜日

映画鑑賞『茜色に焼かれる』

 







久しぶりに映画鑑賞に行ってきた。

尾野真千子主演
『茜色に焼かれる』

どういう意味だろうと思うようなタイトルだ。
映画評では尾野真千子の演技が絶賛されており、
尾野真千子自身も「命がけで演技した」と
いいながら涙していたので、
とにかく観に行こうと思った。

場所はTOHOシネマズ川崎。
近所のTOHOシネマズでは上映されておらず、
わざわざ川崎まで出かけていった。

チネチッタとも違うビルの7階と9階を使った
不思議な造り。
不思議といえば、トイレが青緑色一色に染まっていて、
アミューズメントパークの「宇宙への旅」みたいだった。

さて。
話は7年前、自動車事故である日突然
夫を亡くした女性の話。

映画の題材は
正に『日本の現代』を扱っている。

元社会的地位の高かったおじいさんが
ブレーキとアクセルを踏み間違えて突っ込み、
人をはね、
30代の女性と小さな女の子が亡くなった事件。

元社会的地位が高かったというだけで
大して罪にも問われずうやむやになりそうだったが、
夫が裁判を起こしたあの事件を
完全に想起させる映画の内容だ。

映画では
社会的地位が高かった人は認知症が始まっていたというだけで
罪にも問われず、
その後ものうのうと生きて
7年後、92歳の天寿を全うした。

しかし、事故で夫を失った方の妻は
シングルマザーとしてどんな生活になっているか。
「汚いお金は受け取れない」と賠償金を固辞したため
生活に困窮している。

交通遺児になった13歳の息子は
学校で先輩から言われなき中傷を受け、
傷つく。

女性は生活のために
昼は家庭用品の量販店でバイトし、
夜は風俗店で男の欲望を満たす風俗嬢をしている。

映画はR15指定で
子どもは観られないのだが、
かなりきわどいシーンが
平然と毎日の営みかのように流れる。

そこで吐かれる男尊女卑そのもののセリフ。
今だに日本の男はこんな意識レベルなのかと
吐き気がする。

その底辺ともいえる状況にいる女性たちの
心の叫び。

「まあ頑張りましょう」というのが
ヒロインの口癖なのだが、
怒りを押し殺し、
何かを自分に言い聞かせ、
気丈に振る舞うその心の底に宿るものは何か。

現代の日本の抱える問題をいくつも提示し、
コロナ禍において
こうした人たちが被るとばっちりにも似た
不幸な出来事の数々。

正に「今ここで」
何が起きているのか、
だいぶいろいろなものが私にも刺さってきた。

尾野真千子の演技力の高さは
以前から定評があるが、
監督曰くの「怪物級」はその通りだった。

石井裕也監督が
2020年2021年の日本に住んでいたからこそ
監督として創らなければと駆り立てられ、
社会の膿を出したかのような作品だ。

「茜色に焼かれる」の「茜色」の意味は
想像していたように
夕焼けの茜色だった。

「焼かれる」も想像通りだったのだが、
それは会場で直に確かめてほしい。

生きることの辛さを
「まあ頑張りましょう」の言葉で
乗り越えようと必死に生きる女性の物語とだけ
申し上げておく。












2021年5月19日水曜日

いわさきちひろの絵のように

















5月に入って、
仕事復帰した娘の生活は
毎日、3歳児と0歳児の保育園の送迎から
始まる。

3歳児の方はすぐに新しい生活に慣れ、
お友達の名前も出るようになり、
担任の先生にも可愛がってもらえているようだ。

昨日も帰宅した時に
髪が複雑な編み込みになっていたので、
「誰が編み込みにしてくれたの」と尋ねると
先生の名前が返ってきた。

前の園でも同じだったが、
先生と仲良しになると、
先生は志帆の髪の毛を編み込みにしたり、
高い位置のお団子にしたりしてくれる。

一種のサルの「毛づくろい」のようなものだと
私は考えているのだが…。

一方、0歳児の方は
終始泣いていた4月初めに比べ、
だいぶ園の生活にも慣れ、
とりわけ担任の若い方の先生が好きみたいである。

こちらは毛づくろいができるほど、
まだ髪の毛は長くないが、
天然パーマのくるくるヘアーは
保育園でも人気の的にちがいない。

寝てばかりいる時代から、
しっかりお座り出来るようになったせいか、
いろいろな人と交流しているせいか、
0歳児の顔つきがしっかりしてきた。

個性も出てきて、
特に食欲が旺盛で、
食べ物に対する「もっとくれ~」のアピールは
お姉ちゃんをしのぐ勢いで、
近い将来、大食らい間違いなしの予感がする。

すでにお顔はまん丸、
腕と足はちぎりパン。

色白でほんわか顔だが、
自己主張強め。

毎食、自分の離乳食の後に
「まだ欲しい~」とばかりジタバタするので、
「おちついて~!!」と叫びながら
慌てて他に食べられるものを探す我が娘を
見ていると、
「この子の0歳の時とは大違いだわ」と思う。

我が娘は食の細い子供で
食べさせるのに苦労した思い出しかない。

しかし、目の前の3歳児も0歳児も
我が娘の子どもとも思えない食欲旺盛ぶりなので、
羨ましい限りである。

今回の新メニュー「山芋のチーズ焼き」と
「新じゃがのニンニクベーコン煮っころがし」は
予想通り、
お気に召したご様子。

3歳児はお替りを3回して、
計4切れも山芋を食べていたのにはビックリ。

0歳児の方も、離乳食としては
ニンニク風味の効いた煮っころがしは
相当大人の味だと思うのだが、
意に介さず、お口に合ったようで
何より何より。

話が一向に「いわさきちひろ」に向かわないが、
今回はとりわけふたりの顔が
まるで「いわさきちひろの絵」に出てくる
子どものようだと思った。

日本人の記憶やDNAに組み込まれたかのような
典型的なぷくぷくの赤ちゃん顔。
しもぶくれの幼児の横顔。

ふたりのぷくぷくのわけは
ばぁばご飯のせいでもある。

「おかわりしていい?」のおねだりの声に
幸せを感じたばぁばなのであった。































 


2021年5月17日月曜日

大量の釉薬かけ

 








通っている陶芸教室の作陶展が
9月中旬に迫っている。

時間は多少あるように思えるが、
器に釉薬をかけて
本焼きに出すことができるのが、
5月後半と8月後半の作陶日しかないので、
そう考えると悠長なことは言っていられない。

窯で焼くという作業は先生に一任なので、
3か月に1度しかチャンスが巡ってこないのだ。

ゴールデンウィークの工房のカレンダーは
真っ赤に埋まり、
連日、陶芸の体験教室は大入り満員だった。

先生がひとりで教える役を引き受け、
おいしいところだけ体験の人は作って、
前後の土を練ったり
削ったり釉薬かけたり焼いたりの部分は
これまた先生がひとりでしているので、
焼き待ちの器が大渋滞だ。

なので、工房の会員の作品は後回しになりがちで、
かといって
誰も体験の人の作品を手伝うわけでもないので
先生のぼやきが聞こえてきそうな今日この頃。

そんな先生の状況を知っているくせに、
今回も大量の器を作陶し、
先週の土曜日の作陶日に釉薬をかけたのだが、
それだけでは時間が足りず、
本日月曜日にも工房に出向き、
残りの器に釉薬をかけることにした。

この3か月で大小54個もの器を作陶し、
土曜日に30個、
月曜日に24個の器に釉薬をかけた。

土曜日は
「失透=白」「黄瀬戸=黄土」「織部=渋茶」
この3色の釉薬をかけるシリーズのものを
てがけた。

同じ土曜日のメンバーで失透と織部をかける人が
いてくれたので、
私は黄瀬戸の攪拌を担当し、
みんなで釉薬の攪拌部分を分業して、
無事に自分の分、30個の器に
釉薬をかけ終わった。

土曜日にてがけた器は
ひとつに3色の釉薬がかかるシリーズで、
ファンがついていて、
すでに受注して作っているものである。

土曜日はあまりに作業が立て込んで、
写真を撮るのを忘れた。

今日は誰も会員はいない日に
工房の使用料だけ払って使っているので、
途中、撮影もしながら、
ひとり粛々と3色の釉薬を攪拌した。

1色につき15分ぐらい攪拌するので、
3色をひとりでかき混ぜるのは
それだけで腰にくる作業だ。

本日は
「黒天目=黒」「酸化ナマコ=紺」「失透=白」
この3色をかける器ばかりを残してあった。

こちらのシリーズはテープワークといって
メンディングテープを使って
ストライプの模様を作り、
釉薬をかけた後にテープをはがすと
そこだけ釉薬がのらないという手法を使っている。

テープをはがすと、
そこには土の色が出ることになるので、
あらかじめ土に「練り込み土の黒」を混ぜ、
グレーの器に焼きあがるように作ってある。

この手法はこの工房では私しかしていないので、
作陶展に出した時に
「萩原」のものであるという証になるだろう。

今日、釉薬をかけた24個は
素焼きの段階でやや反りが出ているものが
いくつかあり、
これは本焼きで是正されるのを祈るばかりだ。

釉薬をかけ、裏の撥水剤の始末をし、
本焼きに出してしまうと
あとは自分にできることは何もない。

体験教室の人が作ったあまたの器を横目に
「本焼き、宜しくお願いします」と声をかけ、
工房を後にした。

版画も出来上がった作品からは
想像もできないめんどくさい作業が裏にはある。

陶芸もしかり。
体験工房に来た人ほどお気楽じゃないが、
会員も素焼きと本焼きは先生に任せてしまっているので、
だいぶお気楽だ。

それでも途中でひびが入ったり、
釉薬がうまく発色しなかったりしたら、
会員は「えーっ、なんで!」などと
ぶつくさいう。

物を作るということは
そういうこと。

買った方がずっとリーズナブルだし、
けがして血を観ることもないし、
肩や腰も痛くならない。

それでも辞められないのは
ひとえに作ることそのものが好きだから。

帰りがけ、先生に
「大量過ぎてご迷惑なので
焼きあがった頃に車で取りにきます」と言うと、
「6月の講評会まで待って。
これだけ3か月でできたことを皆に見せた方が
他の人の勉強になるから」と言われてしまった。

呆れているというか、
困っているというか、
先生の気持ちは計りかねるが、
会員の中でもダントツの作陶量に対して、
何か講評会で「モノ申そう」ということらしい。

ヤレヤレ。
お疲れ様。






2021年5月15日土曜日

血を見た朝

 







先週、新作の原画を起こし、
トレッシングペーパーに写し、
更に版木に転写して、
いよいよ彫りをスタートできるところまできた。

ここからしばらくは
いろいろな彫刻刀を使い分けながら、
彫りの作業が続く。

彫刻刀はアウトラインを彫る印刀、
大きく彫り進める浅丸の幅広のもの、
アウトラインと粗彫りをきれいにならす丸刀など、
種類と幅の違うものを
合計50本ほど持っている。

50本の内、よく使っているもの30本ほどを
個展の少し前に
プロの研ぎ師さんのところに研ぎに出した。


自分でも多少は研ぎはするが、
少しずつクセっぽくなってしまうし、
自分では研げない丸刀系の彫刻刀もあるので、
1~2年に1度、
プロにお願いして研ぎ直してもらうことに
している。

そうすると、
胸がすくほど切れ味がよくなるので、
「さあ、また新作を創らなければ」と
気合が入るのだ。

今朝はアウトラインが彫れた後の
ザクザク彫りの作業を進めていた。

幅12ミリの浅丸刀を手に、
気分よく彫り進めると、
大きな木片がシュッシュッと勢いよく版上にたまって、
いかにも仕事をしているという気分になる。

研ぎたての彫刻刀は
造作なく版木に食い込んで
滑るようにアウトラインとアウトラインの間を進み、
大きな木の片が飛び上がるように
削り出る。

そうやって快調に彫り進めていた時だった。
彫刻刀を持つ右手の前を
削り取った木片を払おうとする左手が横切った。

脳からの指令にちょっとした誤差が生じ、
右手と左手の連携にミスが起こったのだ。

まるで餅つきのふたりの呼吸が合わず、
杵を下したその時に、水を打ってしまったように…。

その瞬間、左手の人差し指の先に
12ミリ幅の浅丸刀が一瞬触れた。

あっと思う間もなく、
血がにじみ出て、
指先に膨れ上がり、版木に垂れた。

痛いというほどの感覚もなかったけれど、
真っ赤な血が版木にポタポタ落ちたので、
慌ててティッシュペーパーで指を巻いた。

彫刻刀で指をけがしたのは
10年ぶりぐらいだろうか。

思いがけず、
研ぎたて彫刻刀の切れ味のよさを
自らが身をもって体験することになった。

彫りの作業は
職人のように体で覚えた動きで
無駄なく両手をあやつり進めていく。

しかし、久しぶりの彫り作業だったせいか、
ぼーっと生きていたのか、
とにかく右手の動きに対して、
左手がフライングしたというか、
彫刻刀の行く手に、瞬間、左手を出してしまった。

瞬く間に血がしたたり落ち、
すばやく止血したので、
すぐに何事もなかったかのように
痛みすら消えた。

切れ味鋭く切れた傷はピタッとくっつくから、
意外と治るのも早く、
1~2日でバンドエイドも必要なくなるだろう。

しかし、大したことない朝の珍事だったのだが、
その血の美しい赤は
思いがけず鮮烈な印象をもたらした。

夕べの情報番組で見た
コロナの重症患者さんのエクモの管から出たどす黒い血と
きれいになって再び体内に戻される鮮血との差が
脳裏をかすめた。

今朝、私の指先から噴き出した血は
美しい赤い色だった。

この色の血が巡っている内に
無事、ワクチンを接種し、
コロナ禍を何とか乗り切りたいものだ。

そんなことを考えた
朝の流血騒ぎであった。





2021年5月12日水曜日

版画新シリーズ









個展が終わって、早1か月近く経つ。

事後処理が1週間ぐらいあり、
月末になり、ゴールデンウィークに入り、
弓削瓢柑のコンフィチュールを
大量に作った。

その間にコロナの状況はどんどん悪くなって、
東京は緊急事態宣言を出すに至った。

住んでいるのは神奈川県だが、
横浜もマンボウが出ているので、
気分は緊急事態宣言が出ているのと
大して変わらない。

それが今日から5月月末まで延長になった。

このコロナ禍を打破するのは
ワクチンしかないと言われているのに、
接種券が届いても予約の電話がつながらず、
全国でトラブルが発生。

横浜もご多聞にもれず、
ネットも電話もつながらないばかりか、
老人も6月いっぱい予約が取れないことがわかった。

どうなるニッポン。

個人的には
弓削瓢柑のコンフィチュールをおすそわけするのに、
全国各地に宅急便を出したり
ご自宅にお届けしたりで忙しい。

パティシエ学校の非常勤講師として
就職対策講座も始まったし、
心理カウンセラーの需要もそこそこある。

週に1回のばぁばご飯も
ゴールデンウィーク以外は再開したので、
火曜日は孫の家のキッチンに立っている。

そんなこんなで1日延ばしになっていたのが、
版画の新作に取り掛かるという問題。

個展が無事に終わって気が抜けたというのも
あるが、
何と言っても重い腰が上がらない理由は
新作は新シリーズでいこうと決めていたからだ。

時計草と木目と紙風船と。

相当数の作品を
このモチーフを使って制作してきた。

それをそのまま踏襲するのはいかがなものか。

新しいシリーズを始めるには
個展という大きな区切りは
絶好のチャンス。

しかし、次なるシリーズは
作品コンセプトがあって初めて始められるのだ。

このコロナで一向に出口の見えない世の中。
そんな中でも無事にふたりの孫は誕生し、
順調に成長している。

その喜びはすでに作品化した。

では次は何がテーマなのか。

それを悶々と考えていたせいで、
ついつい時間がずるずると経ってしまったというわけだ。

あ~あ~。
いつまでこの沈鬱な感じが続くのか。
心に雨が降っているようで、
ぱあっと晴れないなぁ。

と、そんな今の世の中の気分を
「雨」というモチーフを使って表現してみた。

昨年、コロナを扱った時は
わけのわからない何かが覆いかぶさるような感じを
箱の中に閉じこもって
恐れているというイメージで作品にした。

1年経つと
コロナ慣れというわけではないが、
正しく恐れ、新しい生活という捉え方には
なってきた。

ただ、鬱陶しさはぬぐい切れず、
雨の日のような憂うつな気分の毎日だ。

雨の日は雨の日で楽しまないとと
思ってはいるが、
心が晴れやかになるのはいつなのか、
そんな気分をシリーズにすることにした。

シリーズだからといって何点出来るか
かいもく見当もつかないが、
とりあえず2点の原画をおこしてみた。

6月半ばの紫陽花展、
今年は開催の方向だけど、
本当にどうなることやら。

2点の内、
1点は展覧会に間に合うかどうか、
それまた、心のお天気次第なのかもしれない。

私のところにはまだ来ていないが、
ワクチンの接種券がきても
うまく予約が取れなければ、
心理的にどしゃ降りになる可能性は高い。

ヤレヤレ。