2021年7月31日土曜日

満1歳の伝統行事

 
















孫2号の由依が満1歳の誕生日を迎えた。

去年の夏はコロナの厳戒態勢の中、
戦々恐々とした気分で
娘の出産を待ちわびた。

世の中のコロナ事情は収まるどころか
ますます風雲急を告げている。
早く30代の娘世代にワクチンが回ってくることを
願うばかりの今日この頃だ。

孫1号が満1歳を迎えた時は
まだこのマンションに引っ越す前で、
西小山の賃貸マンションに住んでいた。

その時も同じように
志帆の満1歳の誕生日に
「一升餅を満1歳の赤子に背負わせる」
という伝統行事に習って、
大きな重たいパンを背負わせて
上手くハイハイできるかどうかという
イベントを行った。

しかし、志帆は大泣きして
パンを背中にくくり付けることさえ難しかった。

しかし、孫2号の由依は
日頃から食欲旺盛な活発な娘なので、
何とかこの重たい特注のパンを背負って、
頑張ってくれるのではと期待した。

まず、北斎漫画のお相撲さんが描かれた風呂敷で
そのパンを包み、由依の背中に載せて、
首下で結んだ。
(この風呂敷は私の仕込み。この行事の趣旨にピッタリ)

ちょっと迷惑そうな顔つきだが、
何とか背負うところまではできた。
そして、ハイハイ。

途中からは泣き出してしまったが、
何とか母親のところまでたどり着いた。

これで「一生食べるものには困らない」
というのが、
この行事の言い伝えである。

こんな風に日本の伝統行事が
節目節目に生かされているのはいいものだ。

この行事がどこの地域の風習か分からないが、
娘が友達やネットの情報で得たものか、
婿殿の出身地大阪の言い伝えか、
いずれにせよ日本的だし「映える」。

まるでちぎりパンのようなぷくぷくの手足と、
まん丸のお顔に、
体の大きさがすっぽり隠れるほどの大きな丸いパン。

はるか昔、私の娘たちが満1歳を迎えたのは、
ふたりとも香港だったので、
全く知らなかったこの伝統行事。

ばぁば世代になって初めて知ったが、
なかなか楽しい風習だと思った。

当人には迷惑千万な話だろうが、
大きくなったら笑えるだろう。
日本文化を大切にできる子に育ちますように!


























2021年7月30日金曜日

東京駅に熊を観に行く

 











東京駅のステーションギャラリーに
「藤戸竹喜展」を観に行った。

藤木竹喜なる作家は初めて聴く作家名だった。
友人の義理のお兄さんにあたる人だということで、
招待券が送られてきたのだ。

なんでも北海道の美幌に生まれ、
幼いころから木彫り職人だった父親の下、
生涯、熊やアイヌの人々を彫って、
木彫家として生きた人のようだ。

作家自身は北海道から一度も外に出ることはなく、
阿寒湖畔に移り住んで、
一生を熊彫り職人として終えている。

今回はその代表作80点を
東京のど真ん中、
東京ステーションギャラリーに展示し、
公開するという展覧会だ。

ふだんならわざわざ東京まで
見にいくことはないかもしれないが、
この作家が友人と親戚筋だということに
興味があったので、観に行くことにした。

写真の風貌をみれば分かるとおり、
藤戸竹喜はまるでアイヌだ。

パンフレットにはアイヌとは書かれていないが、
どこかで浅からぬ縁があることは
疑いようもない。

そんなルーツの人物と
友人のお姉さん、もしくはダンナさんのお姉さんは
結婚したのか、
そのあたりはまだ解明されていないが、
私の好奇心を刺激した。

作品はお土産屋さんの熊の彫刻の域を
はるかに超越して、
その迫力と緻密さで迫ってきた。

「熊からすべてを教わった」とタイトルにあるように
土着の人が美術学校など経由せず、
魂の赴くままに木と格闘し、
大木の中に眠る熊を掘り起こしたという印象だ。

私など
東京生まれ東京育ち、
東京の美術大学を卒業し版画を彫っている人間なので、
同じ彫刻刀を握つていても、
作品へのアプローチも表現もまるで違う。

「難しいことはよくわからないけど、
木の中にすでに宿っている熊の形を
掘り起してやるのが私の仕事だ」

そのようなことを
最後のビデオで本人が話していた。

だから、すでに亡くなっているとはいえ、
自分の作品を東京のギャラリーに並べようなどという
気はさらさらなかったに違いない。

東京ステーションギャラリーは
東京駅丸の内北口の有名なドームの一角にある。

数年前に補修工事が完了し新しくよみがえった
昔の東京駅の駅舎のシンボル的存在のドーム。

その脇にあり、
木とレンガを駆使した
少しレトロな造り。

おちついた会場内部には熊や
アイヌの等身大彫像はよく合っているが、
目を転じると、
そこには駅前広場に強い日が差し、
コンクリートに照り返しで白く煙っている。

ここ数日、
東京のコロナの新規感染者数が
爆発的な数字を示し、
医療体制のひっ迫が迫っている。

その悲鳴に似たアナウンスの一方で、
オリンピックの日本選手の活躍が
毎日、各局の放送をにぎわしている。

相反するものがせめぎ合い、
出口を求めて右往左往する。

北海道から一歩も出ることなく、
自分の使命と信じて熊を彫る。

そんな一途な生き方は
都会の右往左往をあざけリ笑っているだろう。

計らずも都会人のひとりとして、
さあ、どんな立ち位置で生きていこうか。

それにしても今日も暑い。
雷鳴さえ遠くにとどろいている。

私に道を教えてくれるのは誰?
熊ではないことだけは確かだ。





















2021年7月28日水曜日

金メダルの重みとそれぞれのストーリー

 













オリンピックが開幕して4日。
日本の金メダルラッシュが続いている。

連日、テレビの各局は
各地で繰り広げられている熱戦をLIVE中継したり、
ハイライトに編集したりして放映している。

コロナは案の定、
猛烈な勢いで新規感染者を伸ばしているので、
2度のワクチン接種を終えた身としては、
一応、安心してはいるが、
おとなしくテレビの前で観戦し、
一喜一憂することにした。

どの種目の選手も
4年に1度のオリンピックな上に
コロナで1年延期されたので、
そもそもオリンピックの舞台に立つだけで
そこには相当なストーリーがあっただろう。

テレビの解説者はそれぞれのストーリーを調べ、
解説時にひとりずつの背景を紹介しつつ、
競技は進んでいく。

今回のオリンピックで私が印象的だったのは、
今回初めて採用の競技
スケートボードのストリートで
男子も女子も若い日本人が金メダルを取ったこと。

なんと、女子の方は13歳だというから
本当に驚きだ。

しかし、やはり、おばさんとしては
もっと長い時間戦い続けてようやく金メダルを取った
人たちの方により惹かれてしまう。

中でも今回、感動したのは
卓球の混合ダブルスの水谷隼と伊藤美誠ペアが
打倒中国の悲願を達成して
卓球界初の金メダルを取ったことだ。

柔道選手の金メダル以外は意味がない的な感覚は
ちょっと悲愴すぎて
ついていけない感じがしているのだが、
卓球は少し前のオリンピックあたりから、
選手たちのキャラの明るさも手伝って、
すごく面白いと思って観てきた。

だから、にわかファンながら、
今回の混合ダブルスの金メダルの瞬間は
LIVEで観戦していたのだが、
思わず立ち上がって拍手した。

中国ペアの冷静で大人な感じと
内心、負けたら国には帰れないぐらいの悲壮感に比べ、
12歳も年上のお兄ちゃんが
やんちゃで怖いもの知らずの妹をフォローし、
自由にさせてやるみたいな「みまじゅんペア」の方が、
観ていて断然ワクワクした。

同郷のふたりだが、
水谷の父の卓球場に通う小さな女の子美誠と
当時、すでに有力選手だった水谷隼。

ちょっとやそっとではないロングストーリーは
やはりにわかファンには語りつくせない重みを感じて、
凄いな~としか言いようがない。

そして、もうひとつ、
感動したのはソフトボールの決勝。
対アメリカ戦だ。

投手上野由岐子のロングロングストーリーも泣ける。

13年前、オリンピックで日本がアメリカ戦に勝って、
金メダルを取った瞬間の映像は
これまで何度も繰り返し流され、
LIVEでも観ていて印象深い。

その時の投手も上野由岐子だった。

しかし、観ている私たちはそこでストーリーは
1度終わっていて、
13年ぶりの今回だが、
当事者たちはその後、オリンピックの競技から
ソフトボールが外され行き場を失ったたり、
あごの骨を砕く大けがをしたりと、
艱難辛苦の長い道のりがあったと聞く。

上野由岐子はみるからにハンサムウーマンという感じで、
頼もしい限りだが、
そんな彼女も今や39歳。

10代で金メダルを取る子が出るような
若いことが必須条件のスポーツ界にあって、
39歳で先発投手を張り続けることがいかに大変か。

しかし、アメリカチームの投手陣も
だれもかれもが30代。
同じ13年前に戦ったメンバーだったりするあたりに
オリンピックにおけるソフトボールの面白みと
ストーリーの重みを感じてしまう。

そして、上野由岐子の後を引き継ぐ投手として
後藤希友20歳が育っており、
今回はどの対戦でもリリーフとして大活躍。

そのアンパンマンみたいな丸い顔にロングヘア。
子どもっぽい顔立ちに比して
身長もある堂々とした体格。

人懐こい笑顔がどこか日本人離れしていて、
物おじしない投球が大物感たっぷりだった。

ソフトボールに関しては新旧入れ替わりの
切実な感じより、
若きホープ登場という印象が強く、
「乞うご期待」という気持ちになる。

ただし、次回のオリンピックに
ソフトボールはないのが残念だが、
また、どこかで後藤希友の成長したピッチングを
みたいものだと思う。

こんな感じで
毎度、オリンピックの度に
にわかファンになっては
誰かや特定の競技を応援している。

さあ、今日からのにわかファンとしては
体操の橋本大輝に注目。

彼が名前のように大きく輝く金メダルを取れるよう
念じたいと思う。




























2021年7月25日日曜日

開会式に文句タラタラ







22日から日からオリンピックの日とやらで
4連休になった。

開会式は23日の午後8時からだったが、
前々日には女子サッカー、前日には女子ソフトボールと
リーグ戦の日にちがかかる競技は
少し前から始まった。

23日の昼過ぎには
ブルーインパルスによって
五輪の輪が大空に描かれ、
徐々に大会の雰囲気が盛り上がりを見せていた。

個人的にはオリンピックのチケットを取ったわけでもないので、
無観客になったからと言って
ガッカリすることもなかったが、
開会式は自国開催としてどんな風になるのか
楽しみにしていた。

しかし、開会式直前になって
開会式を演出した人物が辞退したり、
式典に使用する曲の作曲者が辞めさせられるという事態が
発生し、
一体このオリンピックはどこまでケチがつくんだと
呆れるばかりの状態になった。

開会式に関わるメンバーは
それでなくてもコロナのせいで
だいぶ前に当初の野村萬斎チームから
節約・倹約チームへと交代を余儀なくされた。

更にその節約チームの長だった人物も
渡辺直美を揶揄するような発言があったことが
発覚するや、
またもや交代。

そんなこんなのゴタゴタのさ中に
森喜朗が女性蔑視の発言をし、
大会の委員長まで橋本聖子に交代するという事件もおきた。

こんな状態では
誰がリーダーで、
どんなコンセプトで行うのか、
もはや誰にも分からないし、
残った関係者も
いつ過去の発言やら映像やらで炎上するか、
おちおち寝てもいられないという状況だ。

5年前のリオデジャネイロの閉会式の時、
安部マリオが登場し、
コンテンポラリーダンスで東京をアピールし、
小池さんが豪華な着物で大会フラッグを引き継いだ時には
日本のパフォーマンスにはセンスの良さを感じたし、
先進国としてパワフルな印象を受けたので、
さぞや素敵な開会式になるのではと期待した。

しかし、23日の午後8時、
無観客の国立競技場ではただ何となく式が始まり、
パフォーマンスも会場の広さだけが空しくなるような
ショボい感じだというのが
第一印象であった。

アナウンサーの声で
何を表しているとか説明が入るのだが、
一向に心に刺さることなく、
コンテンポラリーダンスの時の
ダンサーが引っ張る赤いゴムがうねうねとのたうち回っていた。
(赤いゴムは血管を表していたらしいが…)

とにかく予定時間をオーバーして
日付が変わるのでは思うほど、
ダラダラ続いていたので、
途中で何度も飽きてチャンネルを変えたから、
順番が怪しいが、
選手の入場行進もすこぶる変な感じだった。

まず、プラカードを人や
お迎えして手を振る人などの衣装がとてつもなく、変。

漫画の吹き出しを模したプラカードを
アニメに出てくるようなダボダボのシャツを着た人が
持っているのだが、
その役に応募した人が恥ずかしくて着たくないと
コメントするようなおかしな服装だった。

お迎えする人も黄色いダボっとしたTシャツで
そちらもアニメの何からしいが、
大人なんだか子どもなんだか、
よく分からん幼稚な印象の服装だった。

日本の文化を強調するなら他にいくらでもあると思うが、
アニメにしようと誰が言いだして
誰がそれに賛成したのか?

入場する各国の選手も閉会式並みのリラックス度で
スマホで写真を撮りまくりながら、
ざっくりと入場してくる。

以前はきちんと揃いのスーツに身を固める国が
多かったのに、
今回はスポーツウエアのデザインの国も多く、
よりカジュアルな印象だ。

そんな中できちんとしたnationalcostumeを着た
アフリカや聞いたこともないような小さな国の面々は
凄く素敵だった。

日本も着物というnationalcostumeがあるんだから、
行進の時の選手団は無理なのかもしれないが
他の場面の人はもっとストレートに
着てほしかった。

プラカードを持つ人とか…。
お迎えする人とか…。

オリンピックの旗を持つ5大陸代表みたいな6人は
着物をアレンジした洋服を着てたみたいだが、
体格の良すぎる外人女性の背中に
お太鼓の帯みたいなものが蝉みたいに止まっていて、
笑うしかなかった。

全編を通して、
すっきり分かりやすかったのは、
真矢みき率いる纏をもった江戸の若衆と提灯ぐらいで、
あとは日本らしさをアレンジして
伝統と現代を融合させようとしているのか、
どれも中途半端なものになってしまった。

橋本聖子の話もバッハの話も
とにかく長かった。

長い上にコロナのことがあるから暗い。

華美なものは控えようということか
橋本聖子の着ているものも
いつもと同じパンツスーツなので、
見ていて面白みがない。

最後に大好きな上原ひろみを引っ張ってきて
一瞬、「お!」と思ったが、
なぜか海老蔵の「しばらく」の舞と組み合わされ、
どっちを見たらいいのやら?
お互いにやりずらかったのではないだろうか。

なにしろ長くて、
いつテレビのスイッチを切ろうか悩むほどだったが、
ミーシャの堂々とした国歌斉唱と
最後の大坂なおみの聖火点灯だけは
可愛かった!

4連休、
私はカウンセリングと木版の彫りという
仕事モードで過ごしているが、
そんな真面目な日常に
オリンピック選手の活躍とメダルの報告が
唯一の楽しみなのだから、
是非、日本選手には頑張ってほしいところだ。

因みに今のところ
「推しメン」は女子ソフトボールの後藤希友20歳。
上野由岐子投手が疲れた時に交代で登板し、
ピンチを切り抜け、
堂々としたピッチングを見せてくれた投手だ。

もちろん大坂なおみちゃんも初戦突破したので、
優勝目指して頑張ってほしい。

スケボーの金メダルを取った男の子も
イケメンで可愛い感じなので、
今夜は何度もハイライトで見てみよう。

毎日、いろいろな競技があっちこっちで行われ、
歓喜の声や無念の涙が流される。
コロナが大爆発しないことを祈りつつ、
暑い暑い毎日は
なるべくおうちで過ごそうと思っている。




 

2021年7月21日水曜日

夏きものと老夫婦の物語

 








本日も気温34度の猛烈な暑さだった。

水曜日はお茶のお稽古の日で、
大雨でも降らない限り、ドレスコードは「きもの」だ。

気温34度は、どう考えても着物を着るには
暑すぎると思うが、
水曜日のメンバーはけなげに着物でお稽古に向かう。

昨日、今回のお稽古には何を着ようかと
タンスの中を探したところ、
まだ、一度も袖を通していない夏の着物が
出てきた。

総柄の縮みとおぼしき風合いの着物で、
数年前、とあるご縁で
人からいただいた夏の着物である。

そのご縁とは
私が所属していた福祉団体のボランティアで
伺ったおうちの奥様が
施設に入られ、
結局、ご自宅を手放すことになったことに始まる。

当時、私はそのお宅に伺って、
お買い物代行や調理などのサービスを行っていた。

その頃は旦那さんが相当弱っていて、
足腰が不自由で、
奥様は病弱で家事の負担が大きくなっていた。

最初は人の助けを借りていたけど、
次第に大きなおうちを維持できなくなって、
お二人で施設に入所、
ひとり娘はすでに独立していて、
実家にある物にも実家そのものにも
興味はなく、
遂には取り壊すことになったという。

そこで、タンス一竿分の着物も処分することになり、
「もったいないので、誰か着てくれる人がいたら
差し上げます」という連絡がきた。

昨今、着物をくれるといわれても
喜ぶ人はさほど多くはなく、
何回かボランティアで伺っただけの私にも
連絡が来たというわけだ。

主を失った空き家はすでに黴臭く、
着る人のない着物の中から、
私は色無地の訪問着と袋帯、
そして、今回、着ている夏の着物をいただくことにした。

しかし、人様の着物は自分が選んだものではないので、
なかなか出番がないまま、
月日が経ってしまった。

5~6年ぶりに出してきたその夏の着物には
まだ、しつけがかかっており、
あの奥様でさえ、
袖を通さなかったことがわかる。

昨今の日本のこの湿度と暑さは尋常ではなく、
よほどのことがない限り、
着物で出歩くこともないので、
買い求めたはいいがタンスに眠っている着物が
何枚かあるのが実情だ。

きっとこの縮みの着物もそんな1枚だ。
自分の持っている夏帯の中から
墨色地に雪輪模様のものを合わせ、
指し色にダークローズの小物を添え、
着てみることにした。

いざ、袖を通してみると
その涼しいことといったら、
今までの夏着物の中で群を抜いている。

全く肌にまとわりつかないし、
シャリシャリした風合いで
ほどよく風を通し、何と言っても軽い。

夏物の涼しさを表現するのに、
「蝉の羽のような」という言い方があるが、
正に蝉の羽のような透け感と軽やかさだ。

お茶のお社中の皆さんにも褒めていただき、
先生も、
「こういう風合いの着物を夏になると着ていたわ」と
着物巧者のお母さまを例に
お話ししてくださった。

あんまり着心地がいいので、
帰り道、行きつけの呉服屋さんに寄って
「これは何という着物ですか」と尋ねたところ、
「きっと小地谷縮ですね」という答えが返ってきた。

その呉服屋さんは
新潟出身なので、
この着物が小地谷縮なのは間違いないだろう。

麻の糸で織られた織物で、
夏の小地谷縮は涼しいので、
夏中、手放せない人も多いとか。

こうして誰の手も通さず、
しつけがかかったまま、
持ち主を転々とした夏の着物は、
2021年のオリンピックが始まる直前に
ようやく本領を発揮することになった。

今頃、あの時のご夫婦はどうなさっているのやら。
あの気難しい旦那さんは亡くなられたと
風の便りに聞いたけど、
奥様の方はまだご存命かしら。

この着物をいただいたお礼もせずに
何年も過ぎてしまったけれど、
この先も夏になれば、
きっと私はこの着物に袖を通すだろう。

私の持っている他のあまたの着物たちも、
暑いからとか、めんどくさいからとか言って、
着ることを敬遠していると
同じような道をたどることになるかもしれない。

着てこそなんぼの着物たち。

残りの夏のお稽古も
頑張って着物でいこうと思った次第である。