2022年9月27日
安倍元首相の国葬が執り行われた。
その日、私はシポリンワークの日だったので、
長女の家のリビングダイニングで
料理をしながら、横目で
国葬の様子をオンタイムで観ていた。
テレビの情報番組は各局ぶっとおしで、
昭恵夫人が遺骨を抱いて家を出るところから
ずっと追いかけ続け放送していた。
ついこの間行われたエリザベス女王の国葬の
記憶が新しいので、
赤と黄色の棺にかけられた布や
兵隊さんたちの制服の色鮮やかさに比べ、
安倍元首相の国葬は黒と白しか色彩のない
厳かと言えば厳かだが、
式典としての圧倒されるような迫力に欠ける
シンプルな映像ばかりだ。
献花台に並ぶ人の波はかなり続いているけど、
同じぐらいの人が
当日になっても「国葬反対」のデモに参加し、
賛否両論まっぷたつに分かれたまま、
強行突破の形で式典は進んでいった。
私はキッチンで野菜を切ったり、
鍋で春雨スープを煮込んだりしていたので、
テレビの前に座り込んでいたわけではないが、
国内外の参列者が着席し、
最後の方に皇族方が入場した。
日本の国葬は
しきりにどの場面でもぺこぺこお辞儀をし、
葬儀委員長の岸田さんを先頭に
次に白い手袋をして遺骨を抱き
喪の着物を着た喪主の昭恵夫人が続く。
白い制服の自衛隊の音楽隊だろうか、
演奏するテンポに合わせて歩いているせいか、
岸田さんがずんずん歩いているせいか、
昭恵さんは着物にしてはかなりの大股である。
私にはテレビの音は遠くてよく聞こえないので、
そんな映像からの印象しか伝わってこない。
暫くしてから、岸田さんの葬儀委員長としての
挨拶が始まったが、
堅苦しい言葉と空々しい感じがいかにもで
とにかく長すぎるという気がした。
そして、何人かの弔辞を挟んで、
最後に菅さんが友人代表として
壇上に立った。
その出だしから、私は「おっ」と思い、
キッチンからテレビの前に移動した。
そこにはあのしどろもどろの覇気のない
前首相の菅さんではなく、
大切な友を失って悲嘆にくれる安倍さんの
無二の親友の姿があった。
菅さんの首相時代は原稿に目を落とし、
つっかえつっかえ小さな声で原稿を読む
田舎臭いおじさんでしかなかったが、
初めて自分の言葉で話す菅さんは
朴訥で温かく、とても正直な人だと分かる。
銃撃事件のあった日、一報を聞いた菅さんは
とにかく同じ空間で同じ空気を吸いたいと
矢も楯もたまらず病院に駆けつけたという。
その「同じ空気を共にしたい」という表現から
始まった弔辞は
随所に菅さんらしい言葉がちりばめられ、
ふたりがどれだけ昔から助け合って政治の世界で
やってきたかがうかがい知れる内容だった。
菅さんは弔辞の最後に、
安倍さんの机の上にあったという本の中の
「山形有朋」の歌を引き合いに出した。
彼が長年の盟友・伊藤博文に先立たれた時に
故人を偲んで詠んだ歌に
期せずして安倍さんがしるしをつけていたという
エピソードを語った時は
ちょっと出来過ぎじゃないかと思ったが、
きっと本当にそんなことがあったのだろう。
『かたりあひて 尽くしし人は 先立ちぬ
今より後の 世をいかにせむ』
その歌のエピソードの後に
「総理、本当にありがとうございました。
どうぞ安らかにお休みください」と
弔辞は結ばれた。
そして、静まり返った葬儀の場にも関わらず、
海外からの賓客から拍手が起こり、
(全員、イヤホンで翻訳された弔辞を聴いている)
日本人の参列者もそれに続いたので
会場が拍手に包まれたという。
テレビではコメンテーターの橋下徹が
「あのふたりは小学校の時の親友みたいだった。
同じ空気を吸いたいなんて言われたら…」と
言葉を詰まられながら感想を述べ、
他のコメンテイターや司会者の目にも
涙が浮かんでいるように見えた。
個人的には国葬自体は反対であっても、
菅さんが
大切な人を突然失った悔しさや無念さは
切々と伝わってきて、
それとこれとは別の問題なんだと感じた。
ネットでも
「今回の国葬で一番感動したのは菅さんだ」と
もっぱらの噂になっている。
私たちは菅さんの頼りないダメなところしか
今まで知らなかったんだなと思う。
これがあの巨額の税金の無駄遣いの中で
唯一のほっこりエピソードかもしれない。
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