雨が降りしきる中、
陶芸工房の友人とふたり、
上野毛の五島美術館に
「古伊賀 破格のやきもの」と題された
展覧会に行ってきた。
昨日は鎌倉の八幡様まで
お茶会のお客さんとして着物で出かけたのだが
幸い、小春日和に恵まれ、
着物でのお出かけには好都合であった。
本当なら、着物友達でもあるKさんとは
今日も着物で出かけようと
予定していたが、
あいにくの大雨予報に、着物は断念した。
五島美術館は上野毛の住宅街に
ひっそりとあって、
とても美術館とも思えないたたずまい。
しかも今日は雨がかなり激しく降っていたので
最初は来館者もまばらで
暗く照明を落とした会場で
静かに「古伊賀」の世界に入り込んでいった。
「古伊賀」とは桃山時代から江戸時代にかけて
今の三重県伊賀市で焼かれ、出土した器を指す。
写真の通り、
作品は水指と花器がほとんどで、
いずれも歪んだ形と碧緑色の「ビードロ釉」
赤く焼きあがった「火色」の褐色の肌
灰色のごつごつした風合いの「焦げ」を
有する焼き締めの陶器だ。
いわゆるシンメトリーの形、滑らかな肌合い、
細やかな絵柄といった器ではない。
一般の器に対する概念からいえば、
どれもこれも失敗作としか思えない
素朴と言えば素朴、
何でもありと言えば何でもありの器たち。
だからこその「破格のやきもの」という
ネーミングなのだろう。
日本人しか理解し得ない世界観かも…。
17世紀の伊賀の人もかくもたくさんの
同じように歪んだ器を創っていたのだから
昔から日本人の美意識の中には
こうしたものを面白いと思える
DNAが組み込まれていたに違いない。
中には銘があるものもあり、
当時の表千家の家元・了々斎が茶事に使用したと
文献が残されているものもあった。
しかし、不思議なことがひとつ。
本来、水指には必ず、共蓋といって
同じ焼き物で作られた蓋が付くはずだし、
水指の口も蓋が付いていることを表しているが
本展示には蓋がない水指がほとんどだ。
一番の出し物「破れ袋」という水指には
ゴロンとしたつまみのついた蓋があるはずと
思っていたが
それは、今回、展示されていなかった。
学芸員さんにそのあたりを尋ねてみたかったが
学芸員さんは皆、お庭にある茶室に行っていて
美術館にはいないということで
なぞは解明できなかった。
きっと水指の本体と蓋は別々に焼成されていて
蓋は出土されなかったか、
現在までに壊れてしまったか。
「破れ袋」の蓋は記憶にあるのに
この展示になかったのは謎のままだ。
今、通っている陶芸工房では
蓋物は身と蓋同時に焼くので
くっつく部分には釉薬をかけないのが通例だ。
しかし、展示物の水指の口には
全部に釉薬がかけられており、
しかも口の形が歪んでいるとあっては
身と蓋がぴったり合う蓋はどうやって
創ったのか??
いろいろ面白い謎が残されたが
そんなこんなの話をひそひそと
友人と話しながらの展覧は楽しかった。
陶芸に関わる者としては
「こんなにめちゃくちゃな形でいいなら
本当に何でもありよね」と
今の作陶時に、手びねりでの歪みを
訂正するのに必死になっていたことが
バカみたいに思えてくる。
もっと好きに創って
それを良しとするおおらかさこそが
作陶の歓びなのではと
ふたりは意見の一致をみた。
そんな風におしゃべりしながら
ゆっくり展示を見終わる頃、
雨は予報通りのどしゃ降りになっており、
しばし美術館で雨宿りをしていると、
着物を着た女性たちがぞろぞろとやってきた。
きっと件のお茶会に参加していたか
お客様か。
いずれにせよ、大雨の中、着物はお気の毒。
つくづくお茶会が昨日でラッキーだった。
やがて目まぐるしく天気が変わり、
私達は雨の止み間を縫って駅まで行き、
帰りは川崎でベトナム料理のレストランに。
古伊賀という常識を覆す陶芸のあり方と
アジアの異国の料理を味わったせいか、
普段の日常生活も
どこか既成概念に縛られずに
もっと自由でいいんじゃないかというような
空気を身にまとい、家路についた。
0 件のコメント:
コメントを投稿