2024年9月23日月曜日

難解な展覧会

 











私が通っている陶芸工房の先生が
工房を会場にして、個展を開くというので、
会期前日のオープニングレセプションに
行ってきた。

声がかかっていたのは
工房に会員として所属しているメンバーだけで、
数週間前から表が貼られ、点呼がとられていた。

先生は1年ほど前にも青山で個展をして
その時は新作のスクエアシリーズという、
器を並べ、展示した。

その個展の会期中、
私も会場係としてお手伝いに行くことがあり、
その時にじっくり作品も鑑賞した。

しかし、この個展の時、工房の会員で
青山まで展覧会を観に行った人が
先生の期待するほどにはいなかったようで、
そのことが先生にはかなり
ショックだったらしく
個展の後、ずいぶん嘆かれていた。

そこで、今回はみんなが通う工房を会場にし、
是非とも観てほしいとアピールし、
何なら、「会員なら必ず先生の作品は
見るべきだろう」というメッセージを
発信した。

この工房の会員は美術系の大学を出たり、
美術系の仕事に就いている人も少なからずいる。
もちろん、ごく普通のサラリーマンもいるし
主婦もいる。

工房では、私は木版画の作家として
アーティストであるということは
会員にも周知されているので、
この機会に
そのアピールの応えないわけにはいかない。

今まで、先生には何度も私の展覧会には
来ていただいているし、
会員メンバーも何人も来てくださっている。

なので、点呼の表には、真っ先に〇をつけ、
昨日は差し入れの乾きものを持って
夕方4時前に会場入りした。

会場は薄暗闇に照明を落とし、
中央に2台セッティングされたテーブルには
64株のティランジア(植物の名)の入った器が
整然と並んでいた。

工房の奥にはすでに来ていたメンバーが
10名ほどいて、
まずはケースに入った12枚のカードを渡され
芳名帳にサインし、会費を払うと
着席を促された。

誰も何も言わず、
4時の定刻までに20名ほどが集まり、
やや怪しげな雰囲気の夜会が始まった。

そこから先生の哲学的なというか、
こだわりの強い現代美術への自説が展開され、
皆は静かに聴いている。

内容は12枚のカードの裏に小さな文字で
びっしりと書かれていることの解釈なのだが、
その内容そのものがかなり難解なので、
皆、頭に???マークを浮かべながらも、
先生はふだんからそんなに小難しいことを
考えながら生きているのかと少し驚いた。

そして、最も驚いたのは、
先生が
そのティランジアの入った小鉢が並んでいる様や
自分が好きな文字「自」「孤独」「無と空」
「時」「結界」「気」などに対する考察を
誰よりも工房の会員に観てもらいたいと
思っているということだった。

先生は50年も美術制作に携わり、
高校の美術教師の職にあり、
工房は
自分の制作のアトリエであり、
会員は工房代を払うための資金源ぐらいに
考えているのかと思ったら、
一番に観てほしいのが会員だったり
古い友人だったりするというので、
その部分に驚いたというわけである。

なぜなら、会員は基本、自由作陶で
先生から手取り足取り教えてもらったことがなく
出来た器に対しても
褒めてもらったり、認めてもらった覚えが
あまりないからだ。

それが、今回は素直に「会員LOVE」と表明し、
必ず観て、意見や感想を聴きたいという。
それならば、真っ先に行くべきは
古株でもあるし、アーティストでもある
自分かもしれないと思った次第である。

先生の1時間にも及ぶご高説の後、
静かに聴いていた会員は
テーブルに近寄り、
それぞれが感じたことを話したり
質問したりした。

私の頭の中には
「承認欲求」と「自己肯定感」というふたつの
言葉が浮かんでいたので、
「心理カウンセラーだからかもしれないけど、
このふたつの言葉が脳裏に浮かんで、
先生が私達を大切に思っていることが
よく判りました」と伝えた。

私は13年間もこの工房で土を練り、
自分の造りたいものを造って
先生に焼成をお願いしてきたけど、
その他人の造った器をひとり焼きながら、
会員のことや工房の運営のことなど考え、
大切に思っていらしたんだと
初めて気づいた気がする。

個展の作品自体は
12枚のカードに書かれた内容も含め
同感できる部分も
なかなか理解しがたい部分もあったけど、
遠巻きにしかしてこなかった先生との距離が
ここで少し縮まったのを感じた。

先生は現代美術家として
頭で考えて作品を生み出し、
私はもっと生活に根差したところで
作品を生み出しているが、
先生が払う私の版画作品への敬意と同じぐらい
私も先生の生き方に関心をもっても
いいのかもしれないと思った。

























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