2015年8月27日木曜日

華麗なる石田泰尚の世界

 
夕べ、久しぶりに石田泰尚のヴァイオリンコンサートに行って来た。
 
石田泰尚氏はブログにも何度か登場しているが、
私の中では『石田様』とお呼びして、ちょっと特別な存在である。
 
クラシック通でも何でもない私が、そのビジュアルから入り、
その『華麗なる世界』にズルズル引き込まれ、早5~6年にはなるだろう。
 
年に数回、彼が率いるトリオ・リベルタやらBeeやら、ピアニストとの競演やらと
コンサートに足を運んでは、
その圧倒的なパフォーマンスに酔いしれて帰って来る。
 
今回はピアニストの中島剛に伴奏をお願いしての演奏で、
印象としてはデュオというより、ソロコンサートといっていいだろう。
 
選曲がいつもの感じと違って、
前半に民族色の強い、あまり聴きなじみのない曲目が並んだ。
 
ファリャノ『スペイン民謡組曲』・クライスラー『ジプシー奇想曲』『ジプシーの女』
バルトーク『ルーマニア民族舞曲』・グラナドス『スペイン舞曲第5番』
という具合だ。
 
日本人のDNAにはあまり組み込まれていない異国臭の強いエキゾチックな曲目に、
会場の反応も遅く、
石田様のノリもじわじわという感じ。
 
それでも会場中に熱狂的な石田ファンが大勢きている空気は感じられ、
徐々にその石田ワールドが構築され、吸い込まれていく。
 
後半は石田様のファンなら「よっ、待ってました!」と声をかけたくなるような
選曲で、
最初にイザイ『無伴奏ヴァイオリン・ソナタop.27より第2番イ短調』で
これでもかと石田ヴァイオリンの真骨頂を見せつけ、陶酔させてくれた。
 
その後、
あま~いナイジェル・ヘスの映画音楽2曲に続き、
ピアソラの楽曲を3曲たっぷり。
 
そして、アンコールには3度出入りして、3曲も応える大サービス。
ピアソラものに続き、
最後は『時の流れのように』などという初お目見えの曲まで弾いてくれた。
 
後半はその細い体とヴァイオリンが一体となり、私には踊っているとしか見えない。
 
街で会ったら、
ちょっと怖いおじさんだなと思って、思わずよけそうな風体の石田様。
丸刈りにそり込みのはいったヘアスタイル。
とがった顔だちに白黒のメガネフレーム。
細身の体にダボダボの黒いスーツ、エナメルの靴。
 
書いてみただけで、相当怪しい。
 
そんな彼が1690年製Tononiなる名器を抱え、
最初の音を奏でた途端に、
「えっ」と思わせ、人を前のめりにさせる魔力を持っているのだ。
 
コンサートでのMCを最も苦手とする彼が
もそっと「今日はありがとうございました」と挨拶しただけで
会場から拍手喝采がおこる。
 
何かもっと言うのかと固唾を飲んで見ているのに、
脱力した不思議なポーズを取り、身動きしないというだけで、
また拍手。
 
本当におかしな人だ。
そして、本当に魅力的なヴァイオリニストなのだ。
 
その特異な風体だけじゃなく、
実力があるから、熱狂的なファンが追いかけていて、
彼のコンサートには大量のおば様達が詰めかける。
なのに、全国区とは今イチ言い難い。
 
その「いい人みっけ!」と思わせる感じ。
「彼の魅力は誰にでも彼にでもわからなくていいの」という女心をくすぐる感じ。
 
そんな感じが、夕べも会場中に充満して、
石田様の一挙手一投足に一喜一憂する客席とで作る空気がたまらない。
 
今朝、9月8日のみなとみらいホールの『YAMATO』のチケットも取れるならと
チラシを手に電話をし、1枚ゲットした後に
電話口の女性が「何でお知りになりましたか?」と訊いてきたので、
「夕べのコンサートです」と答えたら、
「夕べもよかったですね~」と急にファン同志の会話みたいになった。
 
そんな風に神奈川県限定かもしれないが、
彼の熱狂的ファンが中心になって、石田泰尚を支えているんだなと感じる。
 
私は夕べ一緒だった友人ほどではないけど、
時折、熱狂的ファンの末席に座ろうかなと考えている。
 
ファン心理をくすぐる不思議な男
それが石田泰尚なのである。


2015年8月24日月曜日

我が家のホームパーティ


 
昨日は年に1度の恒例ホームパーティを行った。
 
香港赴任時代の友人3組の輪番制で、30年以上も続けているこの会だが、
4年前、その内のひと組のご主人が若くして亡くなり、
昨年末、我が家のダンナが海外赴任になったことで、
しばらく休会することになっていた。
 
しかし、その後、思いがけず5月に我が家のダンナが帰国したので、
また、復活させようと思い、みんなに声をかけ来ていただくことにした。
「また、日本に戻ってきたからよろしくね」というパーティの趣旨だったのだが・・・。
 
ところが、またまた、思いがけず数日前、ダンナの再就職が決定した。
今回は10月にバンコクに赴任することになったのだ。
というわけで、
急遽、夕べのパーティはダンナのフェアウェルパーティという名目と相成った。
 
これから延々と続く退職後の暮らしについて
それぞれが悩みを打ち明け、おしゃべりで憂さを晴らすはずが、
65にして再就職が決まることもあるという喜ばしいニュースがあったためか、
パーティは夕方5時に始まり、夜更けて12時に終わるまで、大いに盛りあがった。
 
私は「三度の飯炊きばばあ」ともあと少しでお別れだと思うと、
いきおいパーティ料理にも力が入り、
到底食べきれないと分かっていても、たくさんの料理を作り、
自作の器に盛り、ブログにアップするため写真に収めることに余念がない。
 
ではでは、その数々をご紹介させていただこう。
 

まず、1品目
フェッタチーズのオリーブオイル漬、ミニトマト、巨峰の干しぶどう、牛タンペッパー
これは料理の手作り部分ゼロ 作ったのは器だけ
 
2品目
ジェノベーゼのじゃこのせトースト 
フランスパンにジェノベーゼソースを塗り、じゃことチーズをのせてトーストしたもの
自作の長い皿は横45㎝もある
 
3品目
生ハム入りカプレーゼ
カプレーゼだけだと味が生温いので、生ハムも重ねて塩味をプラス
エキストラバージンオイルとバルサミコをかけて
 
4品目
三つ葉入り枝豆バーグ
夏の定番 枝豆と三つ葉がたっぷりの和風ハンバーグみたいなもの
お皿はハスの葉の形
 
5品目
ほうれん草とスモークサーモンのキッシュ
十八番料理のキッシュ 今回はほうれん草、生しいたけ、ベーコンの他に
スモークサーモンも入れ、バージョンアップ
ここまでが前半戦?!
 
6品目
冬瓜のカニあんかけ
冬瓜を白だしで煮含め、ずわい蟹の正肉と枝豆のあんかけにしてある
前日に作っておき、冷やしていただく
 
7品目
冷や奴の山形だしあんかけ
夏野菜を細かく刻んだ山形の郷土料理『だし』を冷や奴にのせたもの
 
8品目
ささみのフライ 梅しそ味とチーズしそ味
定番料理のささみのフライ 千切りキャベツとオクラは軽く塩味で
初めて作った大皿は天目釉をかけてある 揚げ物がよく似合う
 
9品目
生メカジキのマスタードソース
メカジキのムニエルに粒マスタードをきかせたホワイトソースがかかっている
まったくの洋食だけど、織部の大皿に盛ってみた
 
10品目
ポークフィレの香味野菜あえ
下味をつけたフィレをさっと茹で、香菜、セロリ、バジルなど香味野菜と和えたもの
にんにく醤油にはレモンがたっぷり入るので、さわやかな夏の一品
大皿は最新作で『水辺のホタル』という銘で秋の展覧会に出品予定
 
11品目
パイナップル入りタピオカココナツミルク 
おもたせにケーキや和菓子をいただけると想定し、冷たいスイーツを用意
予想どおりミニどら焼とアイスクリーム入りロールクッキーを頂いたので
最後はみんな平らげ、満腹中枢崩壊。
 
アルコールもビールに赤ワイン、シャンパンなど
朝起きたら酒瓶がゴロゴロ。
ダンナはこんなに飲んだ記憶はないなどと馬鹿なことを言っており、
やっぱり決まったばかりの再就職は嬉しいんだなと推察する。
 
こうして、今年も飽食の一夜が無事終わったが、
来年の夏、ダンナがバンコクにいるなら、また休会になってしまうだろう。
 
行きたいところには行く。
食べたいものは食べられるときに食べる。
明日は野となれ、山となれ。
 
人生、常なるものは何も無し。
 
歳をとっての財産は筋肉なり。
筋肉がなければ、行きたいところへも行けないし、
食べたいものも食べられない。
 
かといって、こんなに食べたら体に毒かも。
わかっちゃいるけど辞められない。

馬鹿は死ななきゃ治らない
嗚呼。
 

2015年8月22日土曜日

夕ざり茶会

芝増上寺のすぐ近く、浄運院というお寺の中で
『夕ざり茶会』と銘打たれたお茶会があり、
知人に誘われ、伺うことにした。
 
都会のど真ん中にこんなところがあったのかと思うような不思議な空間。
周囲はビルに囲まれているのに、
まるでタイムスリップしたかのような古民家と茶室があった。
 
まず、おしのぎとして、簡単な食事が供され、
お口湿しにと日本酒まで出された。
 
初物の松茸にはものお吸い物、
う巻き、生湯葉、赤こんにゃくなど、季節を感じる食材が
少しずつ盛られ、小腹を満たすように出来ている。
 
席主の先生はアイデアマンで本席に席入りする手前のお部屋に
いわゆるお茶のルールとは違うけれど、ユニークな品々を飾り、
お茶会に参加した私達を大いに楽しませてくれた。
 
これはネコの五徳の下に色石を敷き、
ティーポットをのせたもの。
中に氷水を入れ、目で涼しさを味わう趣向。
 
ティーポットの右に、本来表千家では使わない茶箱がしつらえてあり、
中にミニミニのお茶道具が仕組まれている。
 
入れ物である籠は東南アジアのどこかの国のものに
和紙で裏打ちし、布を貼って作られたとか。
中にはこんなにたくさんのものが納められていたのかとビックリする量の
茶道具一式が入っている。
 
その茶箱の中のお道具で、最後に冷たいお抹茶を点てていただいた。
 
先生はとてもおおらかな方らしく、
奢ることなく今日の茶道具の由緒をいろいろお話になりながら、
額に汗して、10杯以上のお茶を点ててくださった。
 
本席では夏限定の『お盆手前』でお薄が点てられた。
お盆を使ったお点前は本来、略式のものなので、
こうしたお茶会では行われることがないのが普通だ。
なので、逆にもの珍しく、
こうした趣向もいいものだなと感じた。
 
部屋が暗くて何も見えないが、
主茶碗は半透明のガラスに青いかわせみが描かれており、
まるでガレの作品のよう。
他にも氷柱を模したガラスの花入れにのうぜんかずらが入っていたり、
東京にもそんな窯元があるのかと驚くような茶碗が使われていたり、
席主のセンスが随所に光っていた。
 
 
普通、お茶会というと百人単位でお客様が押し寄せ、
3~4席ある茶席を順番に巡って、何杯かのお茶とお菓子を頂くのが常だ。
 
しかし、10名限定で、
おしのぎと薄茶を1服と主菓子をひとつ頂戴する
(今回は冷茶とお干菓子もいただいたが・・・)
そんな気軽で、それでいて趣向に富んでいて、
親しみやすいお茶会もいいものだ。
 
お茶事が本当に好きで、
席主のおもてなしの心がそこここに感じられる、
そんなお茶会を自分もやってみたいと思うが、
コソコソてびねりの抹茶椀を作っている程度では到底無理なので、
せめてこれを機会にまたこちらに寄せていただき、
楽しませてもらおうと思う。

2015年8月20日木曜日

ミューズ降臨

 
 
毎日寝苦しく、昨日もいったん寝付いたのに、夜中の2時頃目が覚めたら
そのまま眠れなくなってしまった。
 
クーラーは27度にセットされ、一晩中ついているけど、
その低いモーター音が耳障りだし、
こんなに毎晩冷房をつけっぱなしにして、どんな高額の電気代の請求がくるのか
そんな心配も頭をよぎる。
 
目をつぶり、左へ右へと何度となく寝返りをうち、
日中あったことをつらつら思い出したり、
人との会話を反芻したり、
これから先、やらなければならないことを思い浮かべたりしていた。
 
そんな時、11月に作品を出品しないかという要請がきていたグループ展のことを
思い出した。
 
田園調布にある新しい画廊が展示場所で、
2年前、オープニングパーティに行った折り、あまりに豪華で
いかにも田園調布の真ん中にあるという画廊らしからぬ構えに驚いた。
 
「銀杏の会」展が、そこに展示場所を移して3回目の今年、
幹事さんから「今年は音楽をテーマに創った作品で出品を」という案内が届いた。
 
新作でも旧作でもかまわないから、とにかく、何か音楽にインスパイヤーされて
創った作品を出品しなさいということらしい。
 
そう言われて、あれこれ思い浮かべたが、ここ数年、
そうした経緯で創った作品が自作に見当たらない。
 
しかし、5年ぐらい前、フラメンコを習っていた時に、
フラメンコ専用のスペインの椅子に大きな水玉のストールが掛けられ、
椅子の足元にフラメンコ用のシューズが置いてあるという
作品を創ったことを思いだした。
 
「やや旧作だが、それを出品すればいいか」と考え、まずは
出品か否かを知らせるハガキの出品に丸をつけ、意向を伝える返事を出した。
 
ところが、ハガキを出した翌日、その作品のサイズをあらためて測ったところ、
額をつけると出品規定より縦のサイズが10㎝近くオーバーすることが判明。
 
横幅は規定内に収まるから、壁を人より大きく使うことは無いので
隣近所に迷惑はかからない。
「なんとかお目こぼしを・・・」などと考えていた。
 
本当なら5年前の作品なんかじゃなく、
11月までに新作を創れればそれが一番いい。
「でもねえ、音楽をテーマねえ・・・。どうする?困ったわね・・・」
と、夕べも寝ながらうつらうつら考えていた。
 
すると半分寝ぼけた脳裏に、
ふいに「アルゼンチンタンゴ」という言葉と「ピアソラ」という言葉が浮かび、
1ヶ月ぐらい前に舞台で見た
タンゴを踊る赤いドレスの女性と黒いスーツの男性が
息がかかるほどの至近距離に密着し、ポーズを決めている映像が写った。
 
あの赤いドレス・・・。
あれを赤いグロリオサの花を使って表現したい。
と、そう思った瞬間、
風切るように踊るその風が渦巻きになり、
そこに赤いグロリオサと白黒のグロリアサが絡んでいる図が浮かんだ。
 
ほぼ最終の絵柄として脳裏に描かれた瞬間、
私は「これでいける」と確信した。
 
目をつむり、ベッドにウダウダころがっていた体をガバッと起こし、
そこら辺のレポート用紙とボールペンをひっつかみ、
ざっと今脳裏に浮かんだアイデアを描き留めた。
 
重要な色と形のキーポイントは言葉にして、注を入れ、
ホッとしたせいか、
またベッドに横になり、明け方少しだけ眠りにつくことが出来た。
 
こんな風に眠れなくてもがいている時、
ふいにミューズが降りてきて、新作のヒントをくれたり、
最終の形を映像で映し出してくれることが時々ある。
 
それを描き留めないで寝てしまうと、
起きた時に「何だったっけなぁ・・・」ということになるが、
今回みたいにとにかくラフスケッチでもいいからメモしておけば、
思い出して、そのまま、新作の原画作成に取りかかれる。
 
今回はグロリオサの季節ではないので、
モデルにする花を手に入れられないこともあり、
イメージが鮮明な内に早速、原画作成に取りかかった。
 
制作期間の猶予は2ヶ月。
それだけあれば、中ぐらいの作品には十分だ。
 
夏の夜は
暑いし、汗かくし、それでいて足首は冷えるし、クーラーの調整が難しいしで、
眠れないことが多い。
 
けれど、そんな寝苦しい夜にミューズが降りてきて微笑んでくれると
夏の夜の寝苦しさもまた、ありがたい時間になる。
私にとって、それはサンタのプレゼントより嬉しい。
 
ただし、辛くても寝ぼけ眼で起き上がり、ラフスケッチに留めなければ、
それは単に「真夏の夜の夢」になってしまうのだ。


2015年8月18日火曜日

芥川賞の2作を読んで

 
 
又吉直樹の『火花』の単行本発売当初、
芸人の書いた純文学ということで話題になっている頃から気になってはいたが、
本屋で実際に本を買うまでには至らず、日が過ぎていた。
 
そうこうするうちに『火花』は芥川賞まで取ってしまい、
これはやっぱり読もうかなと思いつつも、
単行本の表紙のドロッとした赤い人型のような気持ち悪さが気に入らず、
それを押しとどめ、
これまた日が過ぎていった。
 
そして、1週間ほど前にまた本屋に立ち寄ると
今度は『文藝春秋』がでていて、
それには、芥川賞を取った『火花』と『スクラップ・アンド・ビルド』の両方と共に
選者による選評も載っているとある。
 
これはもう、ここで買うしかないと思い、
分厚い『文藝春秋』を求め、るんるんで家に帰った。
 
早速、『火花』から読み出したが、
それはここのところよくテレビのインタビューや対談番組などに垣間見る
又吉直樹の実直で真面目で控えめながら
オタッキーでねちっこい人柄そのもののような小説だった。
 
想像以上に豊富な語彙を駆使して、
真っ向勝負で、こつこつ書き進めていったという印象だ。
 
面白くて一気に読み終わってしまったが、
逆に彼の持てる力を全部出してしまったんではないかと不安になるぐらい。
 
内容的にも芸人を目指すものの心理や
特殊な世界の先輩後輩のありようが事細かに書かれていて、
いわゆる「楽屋落ち」ともいうような感じだから、
同じ内容で2回目はもうないだろうし、
これから先、何をテーマに書くんだろうと他人事ながら心配だ。
 
それでも、又吉直樹の人の良さと飄々とした感じは憎めないので、
何とか、これを一発屋の打ちあげ花火で終わらせず、頑張って欲しいなと思う。
 
一方、羽田圭介の『スクラップ・アンド・ビルド』もなかなか面白く読んだ。
すでに何回も芥川賞の候補にノミネートされながらも、
取った時には相手に話題をさらわれ、腐っているのかと思えば、
案外それを「便乗できてラッキー」と捉えるあたり、皮肉やなのか骨太なのか。
 
文中にでてくる主人公と同じく
作家自身も肉体を鍛えることに余念がないらしいから、
今回の2作はどちらも作家自身がモデルなのではないだろうか。
 
どちらかといえば、私は『火花』の方が好きだったが、
芥川賞選考委員9名による選評も掲載されており、
ひとりひとりが実名で候補作について感想や評価を述べており、
そちらも小説そのものと同じぐらい面白かった。
 
なぜかといえば、
『火花』が圧倒的勝利というわけではなかったということが分かったし、
それぞれの人柄・好み・選考委員の中の人間関係みたいなものも
透けて見えるからである。
 
テレビや新聞の取り上げ方を見ていると、又吉直樹だけがちやほやされ、
羽田圭介なんか霞んでいるし、
ましてや他の候補作についてなど知るよしもない。
 
しかし、『文藝春秋』をくまなく読めば、
少なくとも、鼻の差で賞を取ったり逃したりする人生の機微を感じるし、
それが、今後の彼らの人生に微妙に影響することも予想できる。
 
賞取り合戦は何の世界でも同じことが言えるのだろうが、
すんでのところで取れた人と取れなかった人がいて、
その差は大きな差になるかもなどと思った。
 
又吉直樹、小説家として一発屋にだけはなるなよ!
そう、私はエールを送ろう。

2015年8月16日日曜日

オブジェのついたて

 
 
 
 
 
先週から、かなりの時間を費やし、
その間、何度か車を出して、
シマホ(島忠の方がなじみがあるが・・・)に工具や材料を買いに行き、
なんとかオブジェのついたてが完成した。
 
話は以前にも書いたとおり、
2月の現代美術展にオブジェの作品を出品することになったのはいいが、
六本木の新美術館の規定により、壁に釘やピンがつかえないことが判明し、
それに対応すべく、ついたてを作る必要性が生じたことに始まる。
 
とはいえ、あまり材料費をかけたくないという事情もあり、
リサイクルショップやニトリあたりで、安価なついたての支持体を購入し、
それに自作の和紙の千代紙を貼り回すことにした。
 
結局、ニトリで夏のついたてを4000円ほどで購入。
まずは順調な滑り出しだと思ったが、
何といってもこの猛暑の中、木版の摺りを行うのはやはり無謀なことだった。
 
それでも、ここまで始めてしまったら、もう後へは引けないと思い、
何とか雨の日を狙って、両面に貼り回すだけの大量の千代紙を摺りおおせた。
 
次にヒモで編んだだけのついたてに、いきなり和紙は貼れないので、
まず厚口画用紙を貼り、
更にその上に工作用紙というボール紙を貼って、
和紙を貼るための土台作り。
 
そこに脇に折り込む分を計算しながら
薄めた木工用ボンドを刷毛で台紙全面に塗り、
丁寧に木目の和紙を貼っていく。
 
新美術館の展示の時は
2点の作品中央についたてがあり、床にも木目のパネルが敷かれ、
背中合わせに椅子と半円テーブルを置くことになる。
 
本来、椅子やテーブルの後ろは壁のつもりなので、ついたてを使っていても、
壁のように平らでなければならない。
 
もちろんビジネス用品のパーティションなどを使えば
がっちり大きな壁代わりができると思うが、
単なるついたてに対し、リサイクル品だというのに2万円も使うつもりはないし、
第一そんな大きなついたてがいつもアトリエに置いてあるのも邪魔である。
 
そこで、折りたためるついたてを使うという我ながらグッドなアイデアの元、
ヒモ編みのついたてを使うことにしたのだが・・・。
 
3枚組のついたては本来屏風のようにくの字に折って使うもの。
それを真っ平らに伸ばしてしまっては立っていられない。
それを立たせておくためには端に何らかのつっかい棒が必要になる。
 
「まあ、何とかなるでしょ」と高をくくっていたが、
案外、これが難しい。
 
2度3度とシマホのDIYのコーナーに出向いて、
棚用の三角コーナー金具を手に取り、
最小の金具で最大の効果をと考えた。
 
180㎝の高さ×40センチの幅×3枚×厚み3センチに対し、
どれほどの大きさの金具が必要なのか、
物理だか数学だかの知識がなさ過ぎて、勘だけが頼りなので
はなはだ心許ない。
 
どこかにこういうことに強いボーイフレンドはいないものかと念じながら、
クーラーの効いたアトリエに籠もり、
ひとり黙々と作業を進めた。
 
今日は何とかニスを塗って一応の完成をみたが、
さて、本当に会場で真っ平らなまま立っていてくれるだろうか。
 
「金具の底に強力な両面テープか何かで補強したらまずいかな」とも思うが、
「壁に釘を使った人が美術館から壁の塗り替え費用として20数万円請求された」
という噂も聞いているから、やめといた方が安全だ。
 
たかがついたて、されどついたて。
 
現代美術展に出品している自分のオブジェ作品という図に惹かれ、
ここまでやってきたが、
予想以上の手強さだった。
 
まあまあお疲れ様。
お好きな桃でもブドウでも、何でも食べて、一呼吸ひと休み。
残暑厳しき折り、ご自愛なさってお過ごしください。
てな、感じだ。

2015年8月13日木曜日

恵みの雨VS木版の摺り


 
昨日の夕方の天気予報で、今日の日中は雨が降ると分かった。
 
火曜日、34度の気温の中(夜中はもう少し低かったとは思うが)
木版の本摺りを決行したところ、
あまりの暑さによる発汗で、作業が思い通り進まず、
かといって辞めるわけにもいかず無茶をして、すっかり疲れてしまった。
 
久しぶりの本摺りだったせいか、ばれんが版とあたる部分の指の皮がめくれ、
暑さのためか力がうまく入らず、無理矢理摺ったための筋肉疲労がハンパなく、
2日経っても、夏バテのようなけだるさが重くのしかかっている。

所定の摺り(オブジェの衝立用に20枚の和紙の千代紙を摺る)は
まだ半分しか終わっていないが、
もう少し涼しくなってからでないと無理かなという気弱な考えが浮かんでいる。
 
しかし、ここ1週間の天気予報の図に雨マークがあるのは今日と明日だけ。
しかも、しっかり雨が降るのは木曜日だけと言われると、
何が何でもこのチャンスを逃すわけにはいかないという気持ちが湧いてきた。
 
そこで、急遽、昨日の晩、残りの10枚の和紙の湿しをし、
絵の具の調合をして、今日の摺りにそなえて寝ることにした。
 
幸い、朝起きると早くも外は雨。
最高気温も29度とある。
 
34度と29度では天と地ほども差があるということは、
土方作業をしたことのある人は分かるかもしれないが、本当に違うのだ。
元々加湿器で加湿しながら摺りは行うので、
湿度が高いことは承知の上。
 
それでも気温が30度を下回ると、滝のように汗が流れるなどということもなく、
時折、タオルでぬぐう程度で作業はサクサクと進んでいく。
 
もしかしたら、腕の力が弱くなっているのではと心配していたが、
腕力は衰えているわけではないようで、
雨の日は外気の湿度が高いから和紙の湿り気もキープされて
絵の具のノリと和紙への吸着がいいようだ。
 
そのため、無理な馬鹿力を出さなくても、そこそこの力で摺ることが出来た。
 
雨だから太陽が窓から差し込むための乾燥とも戦わなくていいので、
年甲斐もなく徹夜などしなくても、
日中、窓の外の雨の音をBGMに、ルンルンで摺り続けることが出来る。
 
お陰で今日は午前中だけで10枚の和紙の千代紙を摺り終えた。
 
これで、グレーの10枚、黄色の10枚が完成したので、
オブジェの衝立の両面に張り巡らす分の和紙が準備できたことになる。
 
世の中はお盆休みで皆、旅行に出掛けたり、帰省したりで忙しい。
でも、私は5月にイタリアに行っちゃったし、
帰省する実家とかもないし、娘達もこの時期帰って来る気はないようなので、
静かに家に籠もって作業ができる。
 
夏休みとか8月とかって、意外と孤独だなというのは昔から思うことだ。
いつもの活動がないと、人は案外誰とも会わないし、
暑いというだけで全体の活動量が落ちる。
 
そういう時にそうめんだけすすってやり過ごそうというのは
夏バテになる一番駄目な夏の過ごし方だと知っているので、
毎日、食事だけは気をつけ、
大量の野菜とほどよいタンパク質を採るよう心がけている。
 
たぶん、ダンナの目を盗んで、ひとり楽しんでいる果物の量が多いので、
果糖の採り過ぎではないかという心配はあるが、
この時期の桃やメロンやスイカのおいしさといったらたまらない。
 
しかし、本日も摺りの合間に桜桃にかぶりつき、
その瑞々しいおいしさで英気を養い、満腹中枢を満たして、
ひとり静かに作業を遂行したのであった。
 
すべての摺り作業を予定通り終えた満足感からか、
いつのまにか夏バテ気味のどんよりした疲れもなくなり、
「明日は衝立に貼るぞ~!」というやる気が
むくむく湧き上がってくるのを感じる現在、午後の10時である。


2015年8月11日火曜日

猛暑VS木版の摺り

 
 
 
 
5月の個展の折に、ある人から、出品していたオブジェの作品を指して
「2月の現代美術の展覧会にぜひ出品してください」というオファーを受けた。
 
版画作品ならともかく、遊びのような感覚で創っているオブジェ作品が
そのような形で取り上げられるのは嬉しいことなので、
ぜひ出品しようと考えていた。
 
その現代美術の団体展は六本木の新美術館で行われるらしい。
展覧会名を「NAU21世紀美術連立展」という。
 
1ヶ月ほど前、私の作品にオファーをくれたこの展覧会の副理事長なる人から
だいぶ先の話ながら、展覧会の出品要項が送られて来た。
 
それによると、
その展覧会は出品者の出品料をもって運営されるから、
招待作家だろうが、一般応募の人だろうが、おしなべて出品料は
支払わなければならないとある。
 
まあ、それは仕方のないことかなと思い、更によくよく規定を読み込んでいくと
どうやら私のオブジェはそのままの形での出品は難しいということが
分かってきた。
 
それは新美術館の展示方法の規定に関係があった。
 
新美術館の壁には1本たりとも釘やピンを使うことが出来ず、
「すべての作品は吊り金具で吊れる状態にして展示すること」とある。
 
私の作品はオブジェの椅子やテーブルの背景として、
貼れパネという発泡スチロールの板をピンで止め、壁の状態にしていたが、
それはそのままでは展示が不可能ということである。
 
そこで、思い切って副理事長さんに連絡を取り、
どのようにしたらいいか意見を訊いたところ、
壁は使わず、真ん中に衝立状のものを創って、その両面に椅子とテーブルを置き、
2点の作品を合体させ、床置きのオブジェとしてはどうかという回答を得た。
 
六本木の新美術館の現代美術展に展示されている床に衝立を挟んで置かれた
我が作品の椅子とテーブルを想像してみた。
 
何だか急に遊びのオブジェが、いっぱしの現代美術に見えてくる。
個展の時に
何人かのオブジェ賛歌をしてくれた友人(とりわけ作家達)の顔を思い浮かべ、
ここはひとつ、面倒くさくても衝立を創ろうかという気になった。
 
普段からもっとDIY女子だったら、こんなこと簡単なのにと悔やんだが後の祭り。
今持てる知識を総動員し、財布の中身と相談しながら、
ニトリで見つけた夏用衝立をベースに手を加えて創ることに決定した。
 
買ってきた衝立は木枠に太い紙ヒモのようなもので編んで作った簡単なものだ。
それを下地としてその上に画用紙と厚ボールをまず貼り、しっかりした平面を作り、
そこに自分の作品である木目の千代紙を貼るめぐらせることにした。
 
そのためにはまず、木目の千代紙を大量に摺らなければならない。
 
この猛暑に木版の摺りをするのは、危険行為といっても言い過ぎじゃない。
何しろ、木版の摺りは完全なる肉体労働な上に
どんなに暑くてもクーラーが使えず、加湿器をかけなければならないのだ。
 
それを昼間に決行するのは自殺行為なので、
幾分マシかなと考え、夕べ、夜中に摺りを取りかかったのだが・・・。
 
ショートパンツにTシャツ、ノーブラ、すっぴんにメガネ、髪はゴムで縛るという、
これ以上はできない簡易スタイルで臨んだが、暑さという敵は容赦なかった。
 
摺り始めるとさっそく汗は体中から噴きだし、
したたり落ちた顔の汗は首を伝い、メガネの縁に水たまりを作り、
みるみる内に脇と背中中央のTシャツの色が変わった。
 
足の腿に吹き出た汗は正座しているため、触れているふくらはぎとの間で
ニュルニュルと滑り、自分の汗でまともに座っていられない。
もちろん敷いている座布団にも染みて、裏返しても湿っているほどだ。
 
ばれんで勢いよく摺ると、鼓動が早くなるのが分かるし、
顔が上気して、血圧が上がっている気がする。
 
この過酷さは炎天下に日雇いで働いている道路工事のおじさん並みだと思うが、
やっている作業はもっとデリケートなものなので、
汗との戦いだけじゃなく、ばれんを持つ手の痛みも伴って、
熱帯夜の真夜中にこんなことを始めてしまった自分の浅はかさを後悔した。
 
しかも、作っているのは背景の衝立だ。
たとえ首尾よく出来上がったとしても背景は背景にすぎない。
 
手前の椅子やテーブルはみんなしげしげ見てくれるが、
背景の衝立の出来具合にまで着目してくれることはない。
 
このままうまく作りおおせれば、
真夏のアトリエで汗にまみれて制作されたことは、
2月の展示の時には笑い話になるだろう。
 
でも、これで熱中症で倒れたとなると笑い話にもならないから、
水分補給と休憩だけはこまめに取りながら、
もう少し頑張ってみようと思っている。
 
 

2015年8月9日日曜日

陶芸工房の暑気払い

 
 
 
通っている陶芸工房の暑気払いの会に出席した。
一品持ち寄り+1000円で飲み放題だ。
 
持ち寄る料理は手作りが基本だけれど、お総菜みたいなものでも可。
もちろん1品じゃなくて2品でも3品でも大歓迎。
 
今回は16名の参加で男性12名、女性4名だから、
圧倒的におじさん優位の会ということになる。
 
私は『なすの煮浸し』と『枝豆のハンバーグ』を持っていった。
どちらも好評だったので、一安心。
 
おじさんの中には自分では作れないからと奥さんに頼んで作ってもらった人も
何人かいて、
そんな場合は知り合いのおじさんのご家庭の様子が垣間見えるようで
微笑ましい。
 
もし自分のダンナの趣味の会のために、ダンナが何か一品作ってと頼まれたら、
案外めんどくさいなと思うから、
どんなやりとりがあるかは分からないが、
奥さん側の心理を思えば、温かな会話が聞こえてくるようでほのぼのする。
 
しかも、奥さんが作ってくれたおじさん達は皆一様に
恥ずかしそうに、誇らしそうに、
「これ、うちで取れたミニトマト」「こっちはピクルスね」とか
「何だかジェノベーゼとかいうドレッシングも作ったらしいよ」などと言いながら
ビンやタッパーを取り出す様が微笑ましい。
 
私のナスと枝豆バーグは先生が真っ先に小皿に取り、食べるなり
「これってさ、いかにも料理が得意ですっていう人が作った感じだよね」と
褒めてるんだか、けなしているんだか分からないコメントを頂戴した。
 
まあ、それでもいの一番に小皿に取ったんだから、
ずらり並んだ料理の中でまず食べてみたかったものだろうと
楽観的に受け止めることにした。
 
日頃からワイン好きで、特に赤ワインには一家言ある先生の工房には
赤ワインはもちろん、こだわりの日本酒や瓶ビール、焼酎など
各種取りそろっている。
更に中国に出張にいった時の怪しげなアルコール度数の異様に高いお酒なども
持ち込まれ、
真っ昼間の酒宴はだらだらいつまでも続いた。
 
いつもは陶芸工房にきて、ロクロの前に座り、
寡黙に作陶しているばかりなので、
なかなか個人的なことを知ることはないが、
こういう場ではいろいろ質問したりされたりしながら、
みんなのプライベートが明かされていくのが面白い。
 
先生が男性の場合、普段の日にあれこれ個人的なことを話すことは
ほとんどないが、
その点、女性ばかりの我が版画教室は手は動かしていても
口は空いているので、意外とみんなのプライベートが駄々漏れだから、
そんなあたりも男性中心の会は違うなと思う。
 
男性が好きな会話というと、
ご自分が仕事関係で行ってよく知っている中国という国についてとか、
赤ワインの講釈とか、
メンバーのひとりが社員であるTという粉飾決済で騒ぎになっている会社の
経営についてなど、
個人的なものはほとんどなく、社会批評みたいになる。
 
まあ、ダンナの悪口や子どもの悩みみたいな話しかできない女の人も
どうかと思うので、
どこも男性はこういう話が好きだと感じながら、
得意分野について演説をふるう男性諸氏の話を聴いていた。
 
陶芸についてのアプローチもまったく同じで理屈っぽいので
ある男性が、先生から「お前の陶芸は頭で考えてるから駄目なんだよ」と
言われているのを聞いて、
目の前の『冬瓜のカニあんかけ』を見て、私が
「冬瓜に話しかけながら、今日、あんた何になりたいと訊けば、
冬瓜が答えをくれるんじゃないかな」というと、
「そうだよ。粘土ともっと話し合えばいいんだよ」なんて話にもなった。
 
陶芸工房で何年も作陶し、日常雑器や大皿を大量に作っておきながら、
自分では料理をしないおじさん達は、
やっぱり社会批評しか出来ないんだよねと内心思いながら、
男性と女性の興味の矛先や、ものの考え方の違いを再確認した。
 
だんだん歳と共に決まりきった人としか話さない生活になりがちだけど、
時には普段話さない人と話さないことを話してみるのもおもしろい。
そんな暑気払いの1日だった。

2015年8月5日水曜日

『セバスチャン・サルガド』の世界

 
 
日曜日は気分じゃなかったので、観なかった『セバスチャン・サルガド』だったが、
ちょっと調べたらなかなか評判がいいようなので、
やっぱり観に行くことにした。
 
みなとみらいの横浜ブルク13では1日2回しか上映しないし、
8月1日から始まって、1週間で打ちきりになるかもしれない感じだったから、
行くとなると今日しかない。
 
それでも、夏休みの子ども向け映画などとは違って、
かなりマニアックな内容だから、誰も観に行かないだろうと高をくくっていたら、
何と、今日は夏休みなだけじゃなく、水曜日だからレディースディ。
1800円のものを1100円で観られるとあって
ブルク13の券売機は長蛇の列。
 
日曜日も相当並んだが、その比じゃない。
 
どこが最後か分からないぐらいの長蛇の列に並んではみたものの、
あと15分で開演時間だ。
10分は予告編だとしてもかなりやばい。
 
何とか開始5分過ぎぐらいに会場にたどり着いたが、
やっぱり前日までに予約しておいた方が確実だ。
 
さて、肝心の『セバスチャン・サルガド』であるが、
報道写真家セバスチャン・サルガドがどんな生い立ちで
どのように写真家になり、どんなテーマを追いかけ今まで写真を撮ってきたか
それをヴィム・ヴェンダース監督がドキュメンタリー映画にしたというもの。
 
きっかけはヴィム・ヴェンダースが
サルガドが撮った1枚の金鉱に群がる人々の写真を気に入り、
買ったことに始まる。
 
サルガドの写真は
モノクロームで、しかもかなり陰影をはっきりさせた独特な画像なので
扱っているテーマがもつ重さと悲惨さとも相まって、
ひとくちで言えばおどろおどろしい。
 
通常、平和な世の中で暮らしている都会の人間は、
一生涯見ることはないと思われるような、
戦地や干ばつ地帯など、死と隣り合わせの極限に生きる人々、
生きることは叶わず死にゆく人々、累々とした死体の山が容赦なくでてくる。
 
そんな情景がこれでもかと映し出されるから、
その人間の存在のちっぽけなことに鳥肌が立つ。
 
しかし、約10年ぐらいの単位で追いかけている大きなテーマも何回か変化し、
時に極寒のアラスカ、時にアマゾンの密林などに分け入り、
そこに住む動物のリアルな生態、
そこに住む先住民族のプリミティブな生活も、銀板に切り取られていく。
 
そして、最後には地球本来の営み、自然のもつ驚異的な生命力、
そうしたものに気づいたサルガドは、
目の前に広がる森へとファインダーを移行させる。
 
その写真家としてのテーマの探し方と、
表現者が自分が信じるテーマを持つことの重要性を
再認識させてくれたという意味で、
版画家としてこのドキュメンタリー映画を観てよかったと思った。
 
会場はレディースディだったせいか、40~50代ぐらいの女性が多かった。
水曜日の真っ昼間に映画を観に来ることができる彼女達が
どんな仕事や生活をしているか全く分からないが、
この映画を観て、何を感じ何を持ち帰るのだろうと少し気になった。
 
60代以降の男性女性もチラホラいたが、
映画のエンドロールの時の会場の反応は総じて冷めていた。
 
世界にはこんなに悲惨な生活や体験をしている人がまだまだいることの現実と
決して見聞きすることがないだろう地域の人間や動物の有りようには
たしかに驚かされる。
 
しかし、淡々とナレーションが流れ、
延々とサルガドの白黒写真が映し出され、
時折、サルガド自身が語るドキュメンタリー映画という静かな表現と、
外気温35度という猛暑の中、真っ青な空に映えるみなとみらいのビル群が
あまりに不釣り合いで、
外に出た途端、一瞬めまいがしそうになったのは私だけではあるまい。

2015年8月2日日曜日

大人の映画『インサイドヘッド』

 
 
連日の猛暑の中、家にいても暑いだけなので、
『セバスチャン・サルガド』という写真家が捉えた地球の姿という映画を観るため、
みなとみらいの映画館に出掛けることにした。
 
最寄り駅にも大きな映画館はあるのだが、
こうした一種マニアックな作品はやっていないので、
みなとみらいの横浜ブルク13まで足を延ばすことにしたのだ。
 
桜木町の駅前広場に降り立つと、案の定、そこは夏休みの親子連れでいっぱい。
映画館のあるフロアもどこも長蛇の列。

いつもは前日までにネット予約をするのだが、今日は何もしていないので 
自動券売機の列に並び、順番を待っているとき、
『セバスチャン・サルガド』のけっこうおどろおどろしいトドか何かが叫んでいる
ポスターが脳裏に浮かび、
一瞬、ここにいる誰もこの映画を観にきてはいないだろうなと感じた。
 
そのポスターはいかにも暗くて、深遠な地球の不思議を物語っている。
各国の映画祭で絶讃の嵐とか言っているけど、
どう考えても明るい映画ではないことは明らかだ。
 
版画家としてこれは観なければと思った決心が少し揺らいだ。
 
その時、目の前の券売機の映画タイトルのラインナップの中に
『インサイドヘッド』という文字を見つけ、
心の中の誰かが「こっちにしたら」とささやいた。
 
『インサイドヘッド』は今注目のPIXERが創ったアニメ映画だ。
先日も他の映画を観た時、予告編をやっていて、気になっていた。
 
その時、瞬間的に心理カウンセラーの私が版画家の私の意向を無視して
『インサイドヘッド』を選択して、ボタンを押した。
 
なんだか心理カウンセラーとして、これを観ないわけにはいかないという
天の声がしたのだ。
 
はたして、夏休みの子ども達や30代40代の親達と共に観た『インサイドヘッド』は
ディズニーのアニメとはいえ、全く子ども向けというより、
大人に向けに分かりやすく人の感情や心理について解いてくれていた。
 
11歳のレイリーという女の子の感情が
住み慣れたところからの引越という事件をきっかけにどう変化するのか、
「ヨロコビ」「カナシミ」「ビビリ」「ムカムカ」「イカリ」という5人が
解き明かしてくれる。
 
私達も自分の身に起きたことをどう感じ、どう捉えるかで、
毎日いろいろな感情に包まれている。
 
自分の中に様々な感情が集合している司令塔があるなんて知らなかったけど、
そう考えて、ちょっと客観視してみると、
自分の中でいろいろな感情がせめぎ合っていたり、話し合っていたりするのが
分かるかもしれない。
 
心理カウンセリングに訪れた人には必ずそうした自分を客観視することを
勧めている立場からこの映画を観ると、
この映画をレイリーという女の子の物語としてだけでなく、
自分を分析して、より楽しく「ヨロコビ」に満ちた毎日にするよすがにできるなと
思えた。
 
ちょっと映画館にいた大勢の子供達にどんな感想を持ったか
訊いてみたい気がしたが、
ひとりで鑑賞していた場違いなおばさんの私は黙ってその場を立ち去った。
 
『セバスチャン・サルガド』の方を観ていたら、どんな気分で映画館を出てきたか
それは観ていないので分からないが、
少なくとも『インサイドヘッド』を観た後は心の中がほっこりして、
もっと自分の気持ちを大切にしようという気持ちになれたので
観てよかったと思う。
 
それにしても連日のこの猛暑、
毎日、寝付きが悪くて睡眠不足で「イライラ」しがち。
「ヨロコビ」で満たされるためには、
快眠のためのクーラーの調節と寝具やパジャマの用意、
そして、足のむくみと足首の冷えの対策をしなければ・・・。
 
「感情」は「知恵」や「知識」とも戦い、
「行動」に支えられていると実感したのである。


2015年8月1日土曜日

ホタル柄の新作器

 
 

 
 
 
先週の土曜日に釉薬をかけたばかりの作品が、早くも焼き上がってきた。
 
今回のものは直径30センチの大皿に
初めて鬼板という顔料を使って絵を描いたので、
それに合わせて使えるように他の器にも共通の絵柄を描いてみた。
 
大皿のテーマは『水辺のホタル』
 
赤土で作った大皿に
化粧泥という絵の具状に溶いた白い粘土を刷毛であらかじめ塗って素焼きをし、
それに鬼板と黄色い染料で線描の水と水草、ホタルが描かれている。
 
通っている陶芸工房で器に絵を描く人はほとんどいないので、
材料だけ教えてもらって、後は自分で試すしかないという
実験的試みでできた作品である。
 
絵柄の感じはまあまあイメージどおりに出来てきたが、
透明の釉薬と鬼板との相性が今イチで
はじいてしまう部分があったのは残念。
 
しかし、周囲のメンバーはけっこうな率で大皿に割れやひびが生じているので、
それに比べれば最後までいききったので、上出来なのかもしれない。
 
他の小さめの器にもついでにホタルを飛ばしたところ、
女性好みの可愛い器が出来上がってきたので、
どんな風に使うか考えるのが楽しみだ。
 
10月始めに予定されている展示会の出品作品としても使えそうなので、
一安心。
 
今回の私のテーマは
『日本のアフタヌーンティ』
 
午後に友人を招いて、和菓子やおせんべいやクッキー、チョコレートなど、
和洋取り混ぜたお菓子でお茶をしながらおしゃべりするという
日本ならではのお茶スタイルに合わせた器のラインナップである。
 
磁器の洋食器を使わずに陶器の器だけで
和菓子も洋菓子も盛り付けようと思っている。
 
他に共通のテーマとして『大皿』というお題が出ているので、
『水辺のホタル』はそちらに並べるつもり。
 
徐々にラストスパートに入ってきた展示会向けの作陶だが、
出来上がってきた作品と過去の作品をただ並べるだけでなく、
敷物や見せ方など、テーブル全体のセッティングにもセンスが問われている。
 
今日の工房はいつになくおじさん達が真剣で、
無駄口ひとつ叩かずに、ろくろにしがみついている姿から
『話しかけないで』オーラがにじみ出ていた。
 
きっと、それぞれ思い描くテーブルセッティングに向け、
最後の作陶に忙しいのだろう。
 
ただでさえ暑いのに、
思い通りにいかないもどかしさゆえか頭から湯気が立ってみえるほどの空気に
おじさん達の可愛さを感じる。
 
私はと言えば、
本日、新たに創った3点の器をビニールシートに包んで
再来週の削りに備え、
大量に焼き上がってきた器を新聞紙にくるんで持ち帰ることが出来た。
 
たかだか陶芸歴3年半、
なのに
ちょっと余裕のヨッちゃんの私なのである。