日曜日は気分じゃなかったので、観なかった『セバスチャン・サルガド』だったが、
ちょっと調べたらなかなか評判がいいようなので、
やっぱり観に行くことにした。
みなとみらいの横浜ブルク13では1日2回しか上映しないし、
8月1日から始まって、1週間で打ちきりになるかもしれない感じだったから、
行くとなると今日しかない。
それでも、夏休みの子ども向け映画などとは違って、
かなりマニアックな内容だから、誰も観に行かないだろうと高をくくっていたら、
何と、今日は夏休みなだけじゃなく、水曜日だからレディースディ。
1800円のものを1100円で観られるとあって
ブルク13の券売機は長蛇の列。
日曜日も相当並んだが、その比じゃない。
どこが最後か分からないぐらいの長蛇の列に並んではみたものの、
あと15分で開演時間だ。
10分は予告編だとしてもかなりやばい。
何とか開始5分過ぎぐらいに会場にたどり着いたが、
やっぱり前日までに予約しておいた方が確実だ。
さて、肝心の『セバスチャン・サルガド』であるが、
報道写真家セバスチャン・サルガドがどんな生い立ちで
どのように写真家になり、どんなテーマを追いかけ今まで写真を撮ってきたか
それをヴィム・ヴェンダース監督がドキュメンタリー映画にしたというもの。
きっかけはヴィム・ヴェンダースが
サルガドが撮った1枚の金鉱に群がる人々の写真を気に入り、
サルガドが撮った1枚の金鉱に群がる人々の写真を気に入り、
買ったことに始まる。
サルガドの写真は
モノクロームで、しかもかなり陰影をはっきりさせた独特な画像なので
モノクロームで、しかもかなり陰影をはっきりさせた独特な画像なので
扱っているテーマがもつ重さと悲惨さとも相まって、
ひとくちで言えばおどろおどろしい。
通常、平和な世の中で暮らしている都会の人間は、
一生涯見ることはないと思われるような、
戦地や干ばつ地帯など、死と隣り合わせの極限に生きる人々、
一生涯見ることはないと思われるような、
戦地や干ばつ地帯など、死と隣り合わせの極限に生きる人々、
生きることは叶わず死にゆく人々、累々とした死体の山が容赦なくでてくる。
そんな情景がこれでもかと映し出されるから、
その人間の存在のちっぽけなことに鳥肌が立つ。
しかし、約10年ぐらいの単位で追いかけている大きなテーマも何回か変化し、
時に極寒のアラスカ、時にアマゾンの密林などに分け入り、
そこに住む動物のリアルな生態、
そこに住む先住民族のプリミティブな生活も、銀板に切り取られていく。
そして、最後には地球本来の営み、自然のもつ驚異的な生命力、
そうしたものに気づいたサルガドは、
目の前に広がる森へとファインダーを移行させる。
その写真家としてのテーマの探し方と、
表現者が自分が信じるテーマを持つことの重要性を
再認識させてくれたという意味で、
版画家としてこのドキュメンタリー映画を観てよかったと思った。
会場はレディースディだったせいか、40~50代ぐらいの女性が多かった。
水曜日の真っ昼間に映画を観に来ることができる彼女達が
どんな仕事や生活をしているか全く分からないが、
この映画を観て、何を感じ何を持ち帰るのだろうと少し気になった。
60代以降の男性女性もチラホラいたが、
映画のエンドロールの時の会場の反応は総じて冷めていた。
世界にはこんなに悲惨な生活や体験をしている人がまだまだいることの現実と
決して見聞きすることがないだろう地域の人間や動物の有りようには
たしかに驚かされる。
しかし、淡々とナレーションが流れ、
延々とサルガドの白黒写真が映し出され、
時折、サルガド自身が語るドキュメンタリー映画という静かな表現と、
時折、サルガド自身が語るドキュメンタリー映画という静かな表現と、
外気温35度という猛暑の中、真っ青な空に映えるみなとみらいのビル群が
あまりに不釣り合いで、
外に出た途端、一瞬めまいがしそうになったのは私だけではあるまい。
0 件のコメント:
コメントを投稿