2016年12月28日水曜日

あと四つ寝るとお正月

 
 
 
 
12月28日は仕事納めの企業が多い。
クリスマスだった先週末が終わり、月曜日から3日間だけ会社に行って、
もう次の週末はお正月というわけだ。
 
私は会社に勤めているわけではないから、
今週に入って早くも気分はお正月準備だったのだが、
そうはいっても、あまり早くに野菜や生ものを買うわけにもいかないし、
お正月用の花も月曜日から買い込んでは三が日、持たない可能性も高い。
 
そこで、花屋さんに聞いた最後の仕入れ日の28日から
本格的な正月準備に取りかかることにした。
 
朝イチにヘアーカラーをしてもらうために今年最後の美容院に行ったついでに
最寄り駅にある数件の花屋さんを覗いて、
リビングに飾る花をどれにするか見て廻った。
 
結果、大好きなグロリオサと大王松と
名前は分からないが南天より大粒の赤い実がなっている枝ものをチョイス。
それを引き立てるポンポンみたいなまん丸い白菊と南天なども求め、
いそいそと家に帰ってきた。
 
毎週のように見ていた『プレバト』で学んだ生け花とアレンジメントの違いを
今年はちゃんと出せるか
これが今回のテーマだ。
 
シンメトリーに活けてしまうとアレンジメントになってしまうということなので、
なるべくアシンメトリーになるようにし、
前後左右から見ても立体感があり、
高さや奥行きなどに変化をつけ、動きを出す。
 
てな感じに活けてみたのが今回の花だ。
假屋崎さんは何というか分からないが、自分ではなかなか良いのではと思っている。
 
そして、
玄関ドアの飾りと門松を立てると気分も上がり、「さあ、いくぞ」とスイッチが入る。
 
先ず、昨日から浸してあったモチ米を蒸して、ついて、お餅を作る。
つくといっても臼があるわけではない。
いつもこの時期だけ登場する餅つき機の出番だ。
本当はパン焼き器なのだが、パンを焼いていたのは買った年だけ。
今では暮れにしか活躍の場がない可哀想な奴。
 
でも、どこの家にもそんな家電のひとつやふたつあるのではないだろうか。
 
お餅を丸め終わると、次は小豆を煮る。
というか、このブログをアップしている最中に
小豆はコトコトコトコトぜんざいに変身中だ。
 
まだ、柔らかく煮えていないので、砂糖は入っていない。
だから、ぜんざいというより、茹で小豆というべきか。
 
この後は、今日から数の子を塩水につけ、塩出しを3日間かけて行い、
大晦日に出汁に漬ける予定だし、
夜には黒豆用の煮汁を作り、一晩黒豆を浸して、
明日、黒豆を半日かけて煮るつもり。
 
甘口の好物と、魚介系好物がこれで出揃うので、
辛口の好物として、松前漬けのするめと利尻昆布をキッチンばさみで切る作業が
本日、まだ、残っている。
 
2017年の元旦は次女とふたりだけの寂しいお正月なので、
こざっぱりと済ませようかと思っていたら、
新婚の長女が「おせち料理もしっかり作ってね。取りに行くから」と、
ちゃっかりアテにされてしまった。
 
そんな料理好きでない嫁と結婚してしまったことを婿殿に後悔させないためにも、
母は不肖の娘の尻ぬぐいをせざるを得まい。
 
実家のおせち料理を楽しみにしてくれていると思えば、作りがいもある。
そう思い直して、例年通り頑張ろうと思う平野レミ、
いや、萩原キミノなのである。
(字面もバタバタしているところも、ちょっと似てる)

2016年12月23日金曜日

12月は死出の月

先程、メールを開いたら、
いきなり「喪中欠礼」というタイトルの一文が飛び込んできた。
 
発信元のMさんとは、20年近く前にシンガポール駐在時代知り合って、
今日まで交遊がある。
私より10歳ほど年齢は上だと思うのだが、
その方のご次男の奥様が亡くなったということだった。
 
享年39歳、壮絶な癌との闘病の末、力尽きたとのことだ。
 
そのメールには、ここ3年ほどの癌告知から出産を経て死に至るまでの様子が、
長い長い追悼文という形で綴られていた。
 
私は今朝、報されたもうひとりの長い知り合いの早すぎる死を悼んで、
ブログを書こうとパソコンを立ち上げたところだったので、
いきなり現れた新着メールの内容に打ちのめされてしまった。
 
今朝、かかってきた電話は見知らぬ女性からのもので、
聞けば、30数年もお世話になっている額縁屋さんが、19日に亡くなられたとのこと。
 
電話の主は額縁屋さんの奥様だが、
今まで直接お目にかかったり、お話ししたことはなかった。
しかし、ご主人の残した顧客名簿の中で、よく知る名前だと思われたようで、
直接、ご連絡いただいたという次第だ。
 
この春、2枚接ぎの大きな作品の接ぎの作業をお願いしたときに、
額縁屋さんの声が少ししゃがれていたので、
「お風邪ですか?」と尋ねたところ、
「咽頭癌になっちゃったんだよ」という思いがけない言葉が返ってきた。
 
「ちょっとセクシーな声になっちゃったよ」と笑いながら話されたのが印象的だが、
きっとあの頃、もうだいぶしんどかったのかもしれない。
 
奥様は初めての私にも、ここ数ヶ月のご主人の様子を丁寧に話してくださり、
電話の向こうで、時折、声をつまらせた。
 
享年65。
早すぎる。
 
23日の今日の段階で、まだ、火葬場が混んでいるらしく、葬儀は終わっておらず、
家族葬で営むのでご心配なくとのことだった。
 
ということは、まだ傍らに眠る額縁屋さんがおられるのかもしれず、
そうした中、ひとりひとり連絡なさっているのかと思ったら、
言葉にならない切ない思いがこみ上げてくる。
 
ちょうど1年前の12月10日に、私の親友が亡くなり、
故人の意向で親族のみのご葬儀が11日に営まれ、
12月16日には早くもご主人から喪中はがきが届くということがあった。
 
まるで用意されたかのようにすばやく投函された喪中はがきに、私は憤りさえ感じ、
今年中にとにかく決着をつけねばと逝ってしまった親友の覚悟を思った。
 
毎年11月12月には喪中はがきが送られてきて、
今年も16枚もの喪中はがきが届いて、多いなと感じていたが、
更に今日、はがきも間に合わない年の瀬に、
死出の旅路へと発たれた人の報告を受けてしまった。
 
死にゆく人の心中は計りかねるが、
たぶん、気力の尽きたところで、神様が許してくださり、
あちらの世界へと手を差し伸べてくださるのだとしたら、
1年がもうすぐ終わるこの12月という月は、
気力を振り絞りきって、静かに休みたいと願う節目の時かもしれない。
 
旅立った人は今年中におしまいに出来たと思っているかもしれないが、
残された人は次の年にも度々あなたを思い出し、
その方との関係によっては、苦しんだり悔やんだり、引きずることもある。
 
今年の私は親友のために「レクイエム」という作品を創ったのだが、
その2枚接ぎの大きな作品の接ぎの作業を請け負ってくれた額縁屋さんが、
今また、旅立ってしまった。
 
この秋、制作した長女の結婚を機に創った2枚接ぎの作品は、
一、誰が接いでくれるのか。
今、私は途方に暮れている。
 
これまで何度となく作品に合わせて額縁を注文してきたし、
版画協会の搬出入も、額縁屋さんに何十年もお願いしてきた。
 
私がなかなか準会員から会員に推挙されずにいた頃は、
私の色鮮やかな作品が引き立つよう、
モノクロームの作品と作品の間に受付がくるよう受付を通してくださったし、
晴れて会員になった年の版画協会のレセプションにはお祝いに駆けつけてくれた。
 
今、じわじわじわじわと、いくつもの額縁屋さんとの思い出や
額縁屋さんの声が耳元によみがえってくる。
 
年の終わりはそれぞれいろいろな思いを抱きつつ、
新しい年を迎えようとしているが、
私は今年もだいぶ切ない年の暮れになってしまった。
 
聖夜は静かに在りし日の友を思い、安らかな眠りを祈ろうと思う。


2016年12月22日木曜日

やっぱりよかった 『君の名は。』

 
映画『君の名は.』は8月26日に封切られたアニメーション映画なのに、
12月末の今日の時点でもまだ上映されており、
予想をくつがえす興行収入を上げている。
 
当初、中高生向けの純愛アニメだとタカをくくっていた私も、
これは終了してしまう前にちゃんと劇場で観ておいた方がいいかなという気分になり、
ちょっと恥ずかしながら、チケットを取ってみた。
 
そうしたら、あに図らんや会場は木曜日の昼過ぎなのに、
子どもが数名と20代から70代ぐらいの男女で8割方埋まっており、
とりわけ男性が多いことにビックリ。
 
私の右隣は20代の男性だし、その向こう隣は30代男性か?
左はどう見ても60代男性で、皆、ひとりで観に来ている。
 
おもしろい集客層だと思いながら、映像が始まると、
とにかくその美しさに、またまたビックリ。
 
新海誠監督があちこちで取り上げられ、映像のしかも特に風景の美しさには、
定評があったが、実際に見て、クリエイターのひとりとして本当に凄いと思った。
 
主人公の男の子は東京に住んでいるから、新宿や代々木などの街の風景、
女の子は鎮守の森がある飛騨高山の山奥の田園風景が主な舞台だ。
 
それぞれ現代なり昔からある日本を代表するような場所なのだが、
そこの1番美しい時間や季節を切り取り、綿密な描写で見せてくれている。
 
特に秀逸なのは空の描写で、雲の動き、星や彗星の瞬き、
差し込む光など、本当に美しい。
 
そして、 
なんてことのない街路に雪が降っていたり、雨に濡れていたりすることで、
人の感情をも映し出すような街角になっているし、
田園風景の黄昏時のどこか切なくなるような映像には
その場の風の香りさえ漂っている。
 
そこここに日本人のDNAに組み込まれた
郷愁や誇りを思い起こさせる仕掛けがしてあって、
日本人に生まれてよかったと思わせてくれるのだ。
 
また、「片割れ時」などという雅な言葉や、
「黄昏時は誰そ彼とも書いて、誰か見にくい夕暮れ時のこと」を指すとか
「口噛み酒」のいわれなど、
美しい日本語や日本の神事にまつわる話が物語の伏線になっているので、
そのあたりにこの映画の奥行きと、日本人としての優越感を感じてしまう。
 
プロデューサーの川村元気氏が、「ひょっとしたらかなりの興行収入いくかもと
最初の1週間で思ったのの何倍も、予想を遙かに超えています」と言っていたが、
メインターゲットを若者層に絞っていたところ、
開けてみたら全日本人の心に響いたということだろう。
 
ピコ太郎も世界中でとんでもないことになっているが、
『君の名は。』ももはや社会現象。
 
その美しい映像と物語の温かさ、日本の伝統のよさに触れ、
年末年始をしみじみ過ごされることをオススメする。
 
娘の結婚に題材を得た新作のタイトルを『縁』にしようかと思っていたが、
『結』にした方がいいのではと、目下、思案中である。
 
謎解きは劇場で・・・。
 
 

2016年12月18日日曜日

2016年 年末に思う

 
 
 
 
2016年があと2週間で終わる。
 
12月に入ってから、
「今年の1年は本当に早かったわ」と何人かの人と言い交わしながら、
何度か忘年会と称して、ランチの機会を持った。
 
今日はその最後。
 
いつも海外旅行に一緒に行く友人と表参道のイタリアンへ。
 
代々木に住まいする彼女に、
「どこかクリスマスらしい雰囲気の味わえるところに行きたい」とリクエストして
予約してもらった一軒家レストラン。
『゜リヴァ・デリ・エトゥルスキ』
 
お料理はこの季節にしかいただけないジビエ料理のひとつ、エゾシカのグリル。
 
前菜もメインも凝ったソースと幾種類もの食材が使われ、
メイン食材のまぐろとエゾシカを複雑なお味に仕立て上げつつ、
本来の素材の良さを引き立てている。
 
さすが予約がなかなか取れない人気のお店。
 
友人とふたりでランチするのは久しぶり。
毎年、海外旅行に出掛けていた仲だが、
ふたり共11月に大きなイベントがあり、2016年は旅行を見送った。
 
友人は長年研鑽を積んできたなぎなたの会の50周年大会があったし、
私には長女の結婚式があった。
 
いずれも会や式に出席すればいいというものでもなく、
運営や準備など、それぞれ重要な役どころで時間を費やすことが多かった。
 
今日はそんな私のために、思い出の結婚式場、表参道アニヴェルセルの近くに
レストランをセッティングしてもらい、夕方4時半の点灯を待って、
表参道がイルミネーションで彩られるのを見届けてきた。
 
まだたかだかひと月前の出来事なのに、ずいぶん前のことのように思われる。
 
今日もチャペルで式を挙げたカップルがいたに違いない。
 
夕方は風も冷たく、早くに日も落ちてしまったが、
11月の初めの結婚式はそれはそれは穏やかでいいお天気だった。
 
あの時、娘のお腹には新しい命が宿っていて、
来年5月末には誕生の予定だ。
 
一時帰国して結婚式に出席していたダンナは、バンコクに戻ってほどなく
本帰国が決まり、年明け早々に日本に戻ってくるという。
 
毎日、マイペースに作品を創ったり、趣味のお茶だタンゴだ陶芸だと
呑気に暮らしていた私の生活は
年明けと共に一気にドメスティックなものになるだろう。
 
あっちからもこっちからもお世話しなければならない人がやってくる。
 
急にいついつまでに作品を何点創らねばという
計画と計算をしなければならなくなり、何だか気ぜわしい。
 
クリスマスをどう過ごすか、お正月に何人お客様だから準備はどうするかとか、
大掃除はどうするかなど、
あと残された2週間のプランと
来年全部のスケジュールと。
 
いくら初孫でも、ドメスティックなバァバ生活一色に染まるのだけは回避すべく、
2016年の大きなイベントを無事、やり遂げた私達は、
来年4月に再び海外旅行に行く約束を交わし、原宿の駅舎前で別れた。
 
『行く年来る年』
華やかな結婚式の後には、娘の出産子育て、手助け婆やという現実が・・・。
 
でも、どんな現実も楽しみたい。
そんな風に考えている近未来のバァバである。
(決して、バァバとだけは呼ばせないぞ!)

2016年12月14日水曜日

歌舞伎座にて踊り鑑賞

 
 
 
歌舞伎鑑賞フレンドに前から2列目20番というこれ以上望むべくもないいいお席を
取ってもらい、今月は『二人椀久』と『京鹿子娘五人道成寺』を観ることになった。
 
お目当ては両方の演目のメインで踊る玉三郞の踊りだが、
友人は若手で今後が楽しみと期待する中村児太郎の踊りにも注目しているらしい。
 
数年前に菊之助と二人で踊る『二人娘道成寺』を観た時は
そのあまりの美しさに惚れ惚れし、
玉三郞が躍起になって育てている若手が、しっかり育ちつつあることに
安堵したものだが、さて、今回の五人娘道成寺は・・・。
 
連れの友人は舞踏家としての目で舞台を鑑賞しているので、
それぞれの踊り手の所作や動きに厳しい目を注いでいる。
 
その厳しさはなんと動きからその人の今の体の状態まで分かるらしく、
「玉三郞さんは一番うまいけど、
もしかしたら、右膝が痛いのをかばっているのかもしれない」という。
 
なんでそんなことが分かるのか不思議だったが、
いつもより腰の位置が高いし、下半身の捻りが浅いように見えたから」という
分析結果をおしえてくれた。
 
わたしなぞ、「あ~、なんて美しいんでしょう。
どの姿形も、まるで日本画の一幅の絵のようだわ」としか思えないのに・・・。
 
それでも大昔から玉三郞の追っかけをやっている身としては、
歳をとったことは否めないし、体調があまり思わしくないと聞けば、
顔の張りがないし、目に幾分力がないなと感じてしまう。
 
長年、舞台に立ち続け、後人を育成しつつ、
自分もヒロインとして
常に歌舞伎座を満員御礼にしながらお客様を喜ばせるのは並大抵のことではない。
 
『二人椀久』は大阪の豪商椀屋久兵衛が遊女松山に恋い焦がれ
入れあげた末に身代を傾けたため座敷牢に繋がれ、
そこから抜けだし、幻の松山と再会して逢瀬を楽しむも儚く消えてしまうというお話。
 
久兵衛を勘九郎、
松山を玉三郞が演じている。
 
舞台は青白い照明に落とされ、そこに切々とした長唄が吟じられる。
面やつれした久兵衛は顔を青いドーランで塗ったのかと思うほど傷心した様子で、
立ち役の豪快な役が多い勘九郎には珍しい役どころ。
 
踊りの見極めが素人の私には
素顔のお茶目で明るい勘九郎が透けて見えるので、ちょっと笑いそうになる。
 
松山の玉三郞が巷の噂で具合が悪いと聞いて、
より儚げに悲しげに見えてしまう。
 
現代はというか、自分の今の生活では、人に恋い焦がれて気が狂うなんてことは
あり得ないので、
ある意味、純粋で羨ましいと思いながら、
解説にある「人生の儚さを描く幻想的な舞踏劇」を堪能した。
 
一方の『京鹿子五人娘道成寺』は
白拍子五人に、玉三郞・勘九郎・七之助・児太郎・梅枝。
 
玉三郞がもちろん一番の年長だし、踊りの名手だし、人間国宝だしということで、
他の四名を引き連れ、育てている最中ということになる。
 
勘九郎が女形!?というのも興味のあるところだったが、
こちらは七之助と組んで踊るシーンが多かったが、
どうも女らしくしなくちゃと思うあまり、首をこきこきくねくね動かしすぎで、
顔の表情もずっと八の字眉で悲しげにしかめたままなのが、逆に笑えた。
 
勘九郎も女形もできる役者に育てたいのだろうか・・・?
無理があると思うのは私だけ?
 
友人ご贔屓の児太郎さんは幼少の頃よりの踊りの修練と
持って生まれた日舞の素養が開花しつつあるようで、将来が楽しみだ。
 
友人曰く、
「児太郎さんはこれから歌舞伎座で道成寺を何度も踊る役者になるんじゃないかしら」
「玉三郞さんが現在の力量では、足が折れていようとも、あの五人の中では
一番若く見えて、一番深くて素敵だと思います」とのこと。
 
深いわぁ・・・。
 
私が「やっぱり玉様が一番綺麗だし、優美だし、惚れ惚れする・・・」
なんて、うっとりしている間に、踊りの上手下手をしっかり見定めているなんて。
 
今後も一緒に観に来られるときは、友人にいろいろご指南賜らねば。
 
いずれにせよ、来年は歌舞伎に限らず、
日本人は日本の伝統行事、文化に親しむと
運気が上がる年回りだとか。
 
 私が個人的に言われたわけでもないのに
「待ってました」と機に乗じて、
来年もこうした機会を楽しもうと思った年の瀬なのである。

2016年12月10日土曜日

親子ごっこ

 
 
 
私の実の母親は約30年近く前に亡くなっているのだが、
その母の友人と長いことおつきあいがある。
 
Tさんは単に母の友人のひとりだっただけではなく、
私がまだ小学生だったときから知っているので、
言ってみれば、母親代わりのような存在だ。
 
そのTさんが数日前に89歳の誕生日を迎えたので、
今日は上野広小路にある『梅の花』という豆腐料理のお店に誘って、
お祝いをすることにした。
 
15年ぐらいは一緒に歌舞伎に行ったり、温泉に行ったり、ご飯食べしたり、
母代わりの親孝行ごっこも楽しく続いていたが、
ここ2年間ぐらいは腕を骨折したり、以前の輸血による血液異常が見つかったりと、
Tさんは身体的にも精神的にも落ち込むことが多くなって、
すっかり出億劫になってしまっているという。
 
この前、一緒にでかけたのは
2年前の冬に、海老蔵の『石川五右衛門』を演舞場に観にいった時だというので、
その間、何度も電話では話していたものの、
これは引っ張ってでも連れ出さなければと、半ば強引に約束を取り付けた。
 
久しぶりに見る彼女はすっかり小さくなってしまっていた。
前にも増して、歩くことが困難そうだけれど、
口だけは達者で、耳も遠くないし、会話のテンポも以前のままだ。
 
お豆腐のコース料理も少し私に手伝うよう促されたが、八割方食べられたし、
今日明日にどうこうはなさそうだったが、
本人はすっかり気弱になっていて、
「歳をとるといいことなんてほとんどないわ」と寂しいことをいう。
 
長女の結婚式の時の写真はミニアルバムにして送ってあったが、
今日も大きなアルバムにまとめたものを持っていき見せると、
楽しそうにゆっくりページをめくりながら、
細かいことにも気づいて感想を言ってくれる。
 
折々に「お母さんが生きていたら、きっとさぞかし喜んだと思うわよ」に始まり、
私の結婚が決まった頃にまで遡って、懐かしそうに思い出話に花が咲く。
 
母が生きていたら同い歳なので、9月に89歳になっていたはずだが、
60歳を目前にした59歳で亡くなってしまったので、
母の89歳は想像することさえ難しい。
 
でも、まったく姿もタイプも違うとはいえ、
母のことをよく知るTさんが、今でも私の家族の出来事を共に分かち合い、
喜んでくれるのは、本当にありがたいこと。
 
「もうお誕生日だからって、大層なプレゼントはやめてね。
私、和菓子が好きだから、和菓子にしてくださる」と言われていたので、
今日は梅の花のご飯と、源吉兆庵の和菓子を適当に選んで持っていった。
 
すると、Tさんも神戸のチョコレートと金沢の佃煮を持ってきていた。
そして、「ご飯だけで十分なのに、和菓子もだなんて、いただき過ぎだわ」と言って、
私がトイレに行っている間に、梅の花の「蟹シュウマイ」を買って追加してくれた。
 
いつも何かにつけて、季節のフルーツやゴディバのチョコレートが送られて来て、
また、それにお礼をすると、
私の個展だの娘の結婚だのと「お包み」が送られてくる。
 
いつまでたっても贈り物がいったり来たりしていて、
私の「もらい過ぎ」は一向に減らない。
 
それでも「お金はお墓に持って入れないんだから・・・」がTさんの口癖だ。
 
私の母もよくそんなことを言っていた。
 
そして、
母は家に友人を招いては、拙い手料理を振る舞い、
「さあさあ、遠慮しないで、食べて食べて」と
急かしながら、みんなに箸を勧めていた。
 
そういう日、私はお茶出し要員としておば様達の輪に加わっていたから、
おば様達の会話にもよく入っていたし、私の身辺の話も話題によく上っていた。
 
「お母さんは何かとせっかちだったわよねぇ。
食べて食べてってあんまり急かすから、あなたが『お母さん、そんなに言わなくても
皆さん、召し上がるわよ』ってよく言ってたわ。懐かしいわね。
せっかちだから、あんなに早く向こうにいっちゃって・・・」と、
今日もすでに何度も聞いた昔のエピソードを話してくれた。
 
母とのエピソードを語る相手は今やTさんひとりしかいないし、
亡き母のような年代で、一緒にご飯できる人もひとりしかいない。
 
帰り際、
タクシーに乗り込み、上野広小路から上野駅方面に向かう後ろ姿を見送りながら、
「これが最後になんてなりませんように」
そう祈る私がいた。
 
89歳、Tさんが九の坂をうまく越えられるますよう、
年始のお参りにいかなければ・・・。
 
2016年12月、夕方、風が急に冷たくなって、
師走の街はそそくさと暮れていった。

2016年12月4日日曜日

冬の陶芸工房

 
 
 
冬場の陶芸工房では、工房の真ん中に大きなストーブが焚かれている。
 
灯油で焚いていると思われるが、
着火と消火の時には、ボンッと軽い爆発音がするし、
点けて1時間もすると30畳ぐらいある工房が蒸し暑くなるぐらいの火力がある。
 
この大きなストーブを囲んで、皆、寡黙に作陶作業に取り組んでいると、
「あ~、今年も暮れだな」と思う。
 
今年から工房主宰者の先生が、一般の人を対象に
「陶芸体験教室」を開いて以来、
毎週末には初めて陶芸をしましたみたいなお客さんがやってきて、
楽しそうにろくろで湯呑みやお茶碗なんかを作っている。
 
私は基本、月2回、土曜日の午後に工房に行っているので、
大抵、先生は体験希望の人にかかりきりで、説明したり手助けしたりしている。
 
元々、この工房は自由作陶の工房だから、
先生に習うという形式ではなく、
私達は生徒ではなく、会員という形で、
会費を納めて工房を使わせてもらうということになっている。
 
だから、初めてろくろを経験しているお客さんの素朴な疑問や
初めての人向けの懇切丁寧で分かりやすい説明を何度となく小耳にはさみながら、
会員はひとり自分の作品を制作している。
 
今回は私は板作りといって、土を5ミリ厚さに麺棒で伸ばし、
十二角形の型紙で切り取ったたものを、型にかぶせて、
大きめのサラダボールとお皿を作ることにした。
 
直径30㎝ぐらいある真っ平らに引き延ばした土を
木のサラダボール状のものにかぶせてなじませるには
傾斜がついているのでヒラヒラと余った土を殺しながら型に沿わせなければならない。
 
ひとり、静かにその作業をしながら、土を対話するような気持ちが大切だ。
 
ストーブの火が燃える音と陶芸体験のお客さんの声と先生の説明をBGMに、
私の目の前にサラダボールとお皿が出来上がった。
 
十二角形を切り落とした残りの土をまとめ直し、
2客、湯呑みも作って、手元の土を全部使い切り、一呼吸している時だった。
 
体験教室に参加していた若い女性が、ろくろでひとつ茶碗を作り終えた後、
残りの土を平たく伸ばし八角形の型で抜いて、キッチンで使うボールに伏せ、
小さな小鉢を作るよう先生に促されている。
 
「えーっ、伏せるって、粘土余っているところ、どうすればいいんですか」
「そのままボールの形になじむように、そっと上から抑えてみて」
「えーっ、無理です無理です、余ってますもん・・・。しわになっちゃう・・・」
「大丈夫だから、静かにそ~っとそ~っと」
「あら~、ホントだ。小鉢っぽくなってる、すご~い。どお?!」と、大騒ぎ。
 
ふたり組はお互いの作品を褒めあったり、写メを撮ったり、
「想像していたより大変だったけどおもしろかった」などと感想を言って、楽しそうだ。
 
もはや私にとっての陶芸はそんな未体験の楽しいものではなくなったし、
けっこうな大物にも挑戦できるようになっている。
 
というか、工房では「大物狙いのハギワラさん」で通っている。
 
それでも、まだ、思い通りの器が焼き上がってくることはなかなかないし、
時には素焼きでヒビが入ってしまったり、
釉薬がうまくかからなかったりする。
 
陶芸を初めて、そろそろ5年。
 
初めての体験に大騒ぎで大喜びな時期はとっくに過ぎたので、
そろそろどこに向かって、何を目指して作陶するのかしないのか、
考えなくちゃなぁと感じる暮れの陶芸工房である。

2016年12月1日木曜日

新作に向け始動

 
 
 
今日から12月。
2016年も最後のひと月になってしまった。
 
歳をとると年々歳々、1年の過ぎるのが速くなるというが、
今年はとりわけ、春に娘が結婚したい人がいると、彼を家に連れて来て以来、
11月に結婚式を挙げるまで、
毎月何かのイベントがあったせいか、あっという間の1年であった。
 
大抵の母親はその準備やなんやかやで終わってしまうのかもしれないが、
版画家萩原季満野としては、そこは何か作品に残すという大仕事がある。
 
11月中にまずは「人がご縁に恵まれ、赤の他人と結婚する」ということを
大きな作品にまとめることが出来た。
 
それでやれやれと思いたいところだったが、
「ママ、わたし、赤ちゃんできちゃったみたい」といわれて、
事態が慌ただしくなったのが2ヶ月前。
 
まだまだ危ない時期に結婚式があって心配したが、それも何とか乗り切り、
今はようやく安定期に入ったところ。
つわりもなく、娘は通常の仕事に戻っている。
 
私はといえば、5月末の出産時には、実家に戻るであろうことを想定して、
それまでに作品を6~7点は創らなくてはならない。
 
なぜなら、赤ちゃんがいては作品制作はできないだろうというだけでなく、
以前の娘の部屋は北向きで日当たりが十分ではないので、
今、アトリエに使っている8畳間をベビーとママの居室に提供せざるを得ないからだ。
 
そう考えると11月に2点創り終えて、安心している場合ではない。
 
早速、次なる一手を考えねば・・・。
 
来年も本の装丁を想定して、表紙を創る作品展へのお誘いは来るだろう。
 
その時のために心積もりしてきた小説がある。
小池真理子の『沈黙の人』である。
 
今年は瀬戸内寂聴だったが、
私はこの展覧会には女流作家の作品で揃えようと
心密かに決めている。
 
小池真理子の『沈黙の人』は
パーキンソン病になって、歩くことも話すことも出来なくなって亡くなった父親の
知られざる過去を題材に書かれた小説である。
 
時は残酷なもので、老いや病がいろいろなものを奪い去っていく。
物言わぬ人になってしまった父親にも、
娘の知らないドラマチックな過去があった・・・。
 
そんな内容の本に、私だったらこんな装丁を施すだろう。
 
時計草を使って、繁茂する葉の中にひっそりと咲く時計草の花を配した。
ぷっくり膨らんだつぼみは沈黙の中に温かな希望を内包している。
 
まあ、実際にはすでに新刊本として書店に並んでいるわけだから、
どんな表紙を創ろうとも、それがかかって書店に並ぶことは無い。
 
ただ、版画作品に物語を閉じ込める作業は楽しく、
創作意欲を刺激する。
 
娘の結婚やら出産やら、創作意欲を刺激する事柄には事欠かないが、
そうしたおめでたいことや人類の不思議についてもいいけど、
死について、いつも身近に感じて考えていたい自分もいる。
 
死について考えることが、生きることを慈しむことにつながるし、
今を大切に生きようと思えるから。
 
あら、何か今、私、いいこと言った!?
 
ちょっと教養が、つい、でちゃったわ。
オホホ。
 
というわけで、12月1日、師走に突入し、
新作の原画に着手している。