2016年12月1日木曜日

新作に向け始動

 
 
 
今日から12月。
2016年も最後のひと月になってしまった。
 
歳をとると年々歳々、1年の過ぎるのが速くなるというが、
今年はとりわけ、春に娘が結婚したい人がいると、彼を家に連れて来て以来、
11月に結婚式を挙げるまで、
毎月何かのイベントがあったせいか、あっという間の1年であった。
 
大抵の母親はその準備やなんやかやで終わってしまうのかもしれないが、
版画家萩原季満野としては、そこは何か作品に残すという大仕事がある。
 
11月中にまずは「人がご縁に恵まれ、赤の他人と結婚する」ということを
大きな作品にまとめることが出来た。
 
それでやれやれと思いたいところだったが、
「ママ、わたし、赤ちゃんできちゃったみたい」といわれて、
事態が慌ただしくなったのが2ヶ月前。
 
まだまだ危ない時期に結婚式があって心配したが、それも何とか乗り切り、
今はようやく安定期に入ったところ。
つわりもなく、娘は通常の仕事に戻っている。
 
私はといえば、5月末の出産時には、実家に戻るであろうことを想定して、
それまでに作品を6~7点は創らなくてはならない。
 
なぜなら、赤ちゃんがいては作品制作はできないだろうというだけでなく、
以前の娘の部屋は北向きで日当たりが十分ではないので、
今、アトリエに使っている8畳間をベビーとママの居室に提供せざるを得ないからだ。
 
そう考えると11月に2点創り終えて、安心している場合ではない。
 
早速、次なる一手を考えねば・・・。
 
来年も本の装丁を想定して、表紙を創る作品展へのお誘いは来るだろう。
 
その時のために心積もりしてきた小説がある。
小池真理子の『沈黙の人』である。
 
今年は瀬戸内寂聴だったが、
私はこの展覧会には女流作家の作品で揃えようと
心密かに決めている。
 
小池真理子の『沈黙の人』は
パーキンソン病になって、歩くことも話すことも出来なくなって亡くなった父親の
知られざる過去を題材に書かれた小説である。
 
時は残酷なもので、老いや病がいろいろなものを奪い去っていく。
物言わぬ人になってしまった父親にも、
娘の知らないドラマチックな過去があった・・・。
 
そんな内容の本に、私だったらこんな装丁を施すだろう。
 
時計草を使って、繁茂する葉の中にひっそりと咲く時計草の花を配した。
ぷっくり膨らんだつぼみは沈黙の中に温かな希望を内包している。
 
まあ、実際にはすでに新刊本として書店に並んでいるわけだから、
どんな表紙を創ろうとも、それがかかって書店に並ぶことは無い。
 
ただ、版画作品に物語を閉じ込める作業は楽しく、
創作意欲を刺激する。
 
娘の結婚やら出産やら、創作意欲を刺激する事柄には事欠かないが、
そうしたおめでたいことや人類の不思議についてもいいけど、
死について、いつも身近に感じて考えていたい自分もいる。
 
死について考えることが、生きることを慈しむことにつながるし、
今を大切に生きようと思えるから。
 
あら、何か今、私、いいこと言った!?
 
ちょっと教養が、つい、でちゃったわ。
オホホ。
 
というわけで、12月1日、師走に突入し、
新作の原画に着手している。
 
 

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