先程、メールを開いたら、
いきなり「喪中欠礼」というタイトルの一文が飛び込んできた。
いきなり「喪中欠礼」というタイトルの一文が飛び込んできた。
発信元のMさんとは、20年近く前にシンガポール駐在時代知り合って、
今日まで交遊がある。
今日まで交遊がある。
私より10歳ほど年齢は上だと思うのだが、
その方のご次男の奥様が亡くなったということだった。
享年39歳、壮絶な癌との闘病の末、力尽きたとのことだ。
そのメールには、ここ3年ほどの癌告知から出産を経て死に至るまでの様子が、
長い長い追悼文という形で綴られていた。
私は今朝、報されたもうひとりの長い知り合いの早すぎる死を悼んで、
ブログを書こうとパソコンを立ち上げたところだったので、
いきなり現れた新着メールの内容に打ちのめされてしまった。
今朝、かかってきた電話は見知らぬ女性からのもので、
聞けば、30数年もお世話になっている額縁屋さんが、19日に亡くなられたとのこと。
電話の主は額縁屋さんの奥様だが、
今まで直接お目にかかったり、お話ししたことはなかった。
しかし、ご主人の残した顧客名簿の中で、よく知る名前だと思われたようで、
直接、ご連絡いただいたという次第だ。
この春、2枚接ぎの大きな作品の接ぎの作業をお願いしたときに、
額縁屋さんの声が少ししゃがれていたので、
「お風邪ですか?」と尋ねたところ、
「お風邪ですか?」と尋ねたところ、
「咽頭癌になっちゃったんだよ」という思いがけない言葉が返ってきた。
「ちょっとセクシーな声になっちゃったよ」と笑いながら話されたのが印象的だが、
きっとあの頃、もうだいぶしんどかったのかもしれない。
奥様は初めての私にも、ここ数ヶ月のご主人の様子を丁寧に話してくださり、
電話の向こうで、時折、声をつまらせた。
享年65。
早すぎる。
23日の今日の段階で、まだ、火葬場が混んでいるらしく、葬儀は終わっておらず、
家族葬で営むのでご心配なくとのことだった。
ということは、まだ傍らに眠る額縁屋さんがおられるのかもしれず、
そうした中、ひとりひとり連絡なさっているのかと思ったら、
言葉にならない切ない思いがこみ上げてくる。
ちょうど1年前の12月10日に、私の親友が亡くなり、
故人の意向で親族のみのご葬儀が11日に営まれ、
12月16日には早くもご主人から喪中はがきが届くということがあった。
まるで用意されたかのようにすばやく投函された喪中はがきに、私は憤りさえ感じ、
今年中にとにかく決着をつけねばと逝ってしまった親友の覚悟を思った。
毎年11月12月には喪中はがきが送られてきて、
今年も16枚もの喪中はがきが届いて、多いなと感じていたが、
更に今日、はがきも間に合わない年の瀬に、
死出の旅路へと発たれた人の報告を受けてしまった。
死にゆく人の心中は計りかねるが、
たぶん、気力の尽きたところで、神様が許してくださり、
あちらの世界へと手を差し伸べてくださるのだとしたら、
1年がもうすぐ終わるこの12月という月は、
気力を振り絞りきって、静かに休みたいと願う節目の時かもしれない。
旅立った人は今年中におしまいに出来たと思っているかもしれないが、
残された人は次の年にも度々あなたを思い出し、
その方との関係によっては、苦しんだり悔やんだり、引きずることもある。
今年の私は親友のために「レクイエム」という作品を創ったのだが、
その2枚接ぎの大きな作品の接ぎの作業を請け負ってくれた額縁屋さんが、
今また、旅立ってしまった。
この秋、制作した長女の結婚を機に創った2枚接ぎの作品は、
一、誰が接いでくれるのか。
今、私は途方に暮れている。
これまで何度となく作品に合わせて額縁を注文してきたし、
版画協会の搬出入も、額縁屋さんに何十年もお願いしてきた。
私がなかなか準会員から会員に推挙されずにいた頃は、
私の色鮮やかな作品が引き立つよう、
モノクロームの作品と作品の間に受付がくるよう受付を通してくださったし、
晴れて会員になった年の版画協会のレセプションにはお祝いに駆けつけてくれた。
今、じわじわじわじわと、いくつもの額縁屋さんとの思い出や
額縁屋さんの声が耳元によみがえってくる。
年の終わりはそれぞれいろいろな思いを抱きつつ、
新しい年を迎えようとしているが、
私は今年もだいぶ切ない年の暮れになってしまった。
聖夜は静かに在りし日の友を思い、安らかな眠りを祈ろうと思う。
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