2017年6月29日木曜日

多目的アトリエ

 
 
 
6月11日に退院した娘が孫を連れて実家に里帰りしてからは、
私のアトリエである和室は乳児室として乗っ取られていた。
 
その間、版画を彫ることも摺ることも、
スケッチブックを広げてアイデアを練ることさえ出来ずにいる。
 
我が家に和室はひとつしかないのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、
20日も親子の布団が広がった状況が続いて、仕事ができなかったことは無いので、
ちょっと版画をしたい禁断症状が出てきている。
 
ただ単にそろそろ彫りたいなと思うだけでなく、
秋に予定されているいくつかの展覧会に提出する作品データも
撮らないと支障をきたす時期になった。
 
そこで、新生児には申し訳ないが、一時2階の次女の部屋に避難してもらって、
フォトグラファーのH氏に来てもらって、作品の写真撮影をすることにした。
 
午後1時の約束に向け、部屋中に広がった布団や衣類や
おむつ関連やミルク関連のアイテムをせっせせっせと2階へ運んだ。
 
何もなくなった和室は思いの外広く、清々した。
 
そこへH氏の持ち込んだ各種機材が所狭しと配置され、
この1年間に制作した大小合わせて6点の作品の撮影が行われた。
 
先程までの乳児室はあっという間にスタジオと化し、
手際のよいプロの技で、
的確かつスピーディに仕事が進められ、
部屋そのものの空気が新生児のいるゆるゆるとしたものから
ピリリとしたものに変わった。
 
自分のアトリエがいつもとは違う用途に使われることで、
こんなにも雰囲気が変わるんだと驚き、
新鮮な気持ちになった。
 
何十年と版画家として、家事や育児と両立させながら、制作してきたけど、
新生児はそれを許してはくれない頻度で母親を欲して泣いている。
 
自分もそんな風にふたりの娘を育てた日があったのだが、
そんなことはとっくに忘れているので、
子どもを産んだばかりの母親の様子を目の当たりにして、
人が人を育てる大変さを追体験しているところだ。
 
今日のスタジオ仕様は午後の2時間で終わってしまって、
何とか提出しなければならないデータも無事間に合いそうだ。
 
ここからはまた、もう少ししばらく、姫様のご意向に沿うよう、
乳児室の番をすることになるだろう。
 
人生にこんな体験もそう何回もあることではないので、
せいぜい娘の力になりつつ、
姫から何かインスパイアーされるイメージで、次作を創ろうと目論んでいる。
 
と書いている側から、
「ママ~、沐浴手伝って~」の声。
 
姫のまったり顔に癒されに、
いざ出動!

2017年6月25日日曜日

就職対策講座の非常勤講師

 
私の職業は版画家であったり、心理カウンセラーであったりと、
ちょっと得たいが知れないところがあるのだが、
それにもうひとつ、この時期は
横浜のパティシエ養成専門学校の非常勤講師というのが加わる。
 
教えているのは「就職対策講座」なる講座で、
内容のニーズからして、5月から9月までの期間限定の講座である。
 
元はといえば、コミュニケーションスキルの講師として(それも得たいがしれないが)
この学校の教職員向けのプログラムの講師として関わっていた。
 
それがいろいろ流転の末、
今はここ7~8年ぐらい学生相手に就職の内定を勝ち取るための講座を
オリジナルテキストを用いて、受け持っている。
 
もの作りを職業にしようとしている彼ら(私自身、版画家なんだから同じだが)は
往々にして、自分のことを言葉でアピールするようなことが得意ではない。
 
とはいえ、そんなことを言っていたのでは、エントリーシートをうまく書いたり、
就職の面接で自分を売り込んで、
内定を勝ち取ることが出来ないので、
いかにして「自己PR」するのか、「性格分析」して短所を長所へと導くのか、
「志望動機」でどれほど御社への就職を熱望しているのか、
語れることが必要になってくる。
 
それにはまず最初に第一印象をよくするための清潔感溢れるビジュアルも大切だし、
仕事が出来そうだなと思わせるかしこさとがたいの良さと、
人間関係を円満に築けそうだなと思わせる笑顔と溌剌とした物言いが求められている。
 
講座は夏休みをはさんで、週一で11回組まれていて、
夏休み明けには試験もあって採点評価もなされる。
 
他の「衛生学」とか「栄養学」みたいな国家試験にダイレクトにつながる科目と違い、
「就職対策講座」なんて、ただ聞いていればいいと考えている学生もいるので、
授業の合間合間に「これテストに出るわよ」と脅しを入れつつ、
ノートはちゃんと取るよう促す。
 
CMのダウンタウンの松本人志みたいに
「ノートを取るな、心に刻め!」と叫びたいのは山々なれど、
それで試験で赤点を取られると、後がめんどくさいので、ノートはとるように、
宿題はやってくるようにと口を酸っぱくして言っている。
 
そもそも就職して、社会人になる、パティシエやパン職人や和菓子職人になると
決めたのは自分なんだから、
その熱い想いを語って欲しいのだが、
案外、今どきの姉ちゃんやあんちゃんはそのあたりの熱が低い。
 
どうしてもあんなパティシエみたいになりたいという憧れの先輩もいないし、
ぜひ、どこどこのこれを創れるようになりたいというお菓子も知らないし、
何のためにパン職人になりたいのかみたいなきっかけもあまり見えてこない。
 
そんな薄~いかれらを鼓舞して、
ひとりでも多くに内定を取らせ、社会人として巣立たせるのが私の役目なのだが、
はてさて、今年の学生達はどんな結果になるのやら。
 
今週のテーマは「性格分析」、先週は「自己PR」、
来週はいよいよ「志望動機」だが、いかに・・・。
 
自分を知る。
自分を愛する。
 
相手を知る。
相手に焦がれる。
 
その難しい問いかけに答えを模索している。
 
今、目の前にいる乳飲み子の孫も、
いったいどんな女の子に成長し、将来、どんな職業に就くのだろう。
 
まだ、生後3週間にも満たない幼子相手に思いを巡らし、
あやしながら話しかけている。
 
「ねえねえ、志帆ちゃん、あなたは何が好きなの?何がしたいの?
何屋さんになりたいの?」と。
 
人が生きていくって、もしかして、最初から最後まで自分探しなんだなと
そんなことを考えている毎日である。
 
就活生、頑張れ!
しっかりしろ!
 
志帆ちゃん、頑張れ!
もっといっぱいミルクを飲んで!

2017年6月20日火曜日

天使の破顔一笑

 
 
 
孫が生まれて、今日で13日。
 
先週は月曜日から日曜日まで展覧会で毎日、出歩いていたので、
朝から晩まで側にいるのは初めてのことである。
 
産後のひだちのことを考えて、母親も新生児も丸1ヶ月はほぼ家に閉じこもって
パジャマで過ごすよう言われているとかで、
私達の時代より、より一層、大事をとるらしい。
 
今はまだまだ2時間か、うまくいっても3時間おきの授乳があるので、
そろそろ娘の寝不足もピークで、
正に3食昼寝付きどころか、3食と昼寝しかしない生活だ。
 
私は足りないものの買い出し係と、炊き出し要員と、
時には乳母として、ミルクを与えたり、沐浴を介助したりしている。
 
その間に可愛い顔の写真を撮ろうと、デジカメとスマホを手近において、
その瞬間を逃すまいと狙っている。
 
しかし、生後1週間や10日ではまだ目ははっきり見えていない様子だし、
耳は聞こえているようだが、当然、言葉はわからない。
 
それでも名前を呼びかけ、一方的に話しかけ、あやす内に
時折、ご機嫌さんの顔をふいに見せるときがある。
 
片っ方のほおをつつくとにこっと微笑むことはあったが、
大笑いしているように笑うことはまだない。
 
しかし、偶然にもご機嫌さんの顔の写真を撮ったそのシャッター音に反応して、
正ににっこりと笑った。
 
そこを捉えたのが2枚目の写真である。
 
また、ここのところお得意のほーのお顔というのがあって、
口をとんがらせておちょぼ口をするときがある。
 
そこをうまく捉えたのが3枚目だ。
 
こんな風にブログが孫一色になるのは本意ではないし、
本来、「和もの大好きおばさんの和ごとブログ」だったのだが、
「和=なごみブログ」ということでお許しいただきたい。
 
ことほど左様に生まれたての赤ちゃんほど、無垢で人を惹きつける存在はない。
 
そのことを実感する毎日である。

2017年6月13日火曜日

第18回 紫陽花展

 
 
 
 
 
 
6月12日(月)から18日(日)の1週間、関内の画廊楽Ⅰにおいて、
第18回の紫陽花展がスタートした。
 
紫陽花展も早いもので、今年で18回目を迎えた。
 
最初はギャラリーヨコハマで10年、
ギャラリーヨコハマが介護施設に変わるのを機に、
岩崎ミュージアムで5年、
岩崎ミュージアムの大規模改修工事に伴い、
ガレリア・セルテに移って2年、
ガレリア・セルテの管理人退職でクローズすることになって、
今年から画廊楽へと発表場所を変えて、今日までやってきた。
 
新しい画廊は白くて、真四角くて、天井高もあって、気持ちのいい空間だ。
そこに新しくふたりのメンバーを迎え、
合計8名での再スタートとなった。
 
日曜日の夕方、搬入とセッティングが行われたのだが、
志帆ちゃんの退院とお七夜が重なり、私はパスさせてもらった。
 
今回の画廊には飾り付け担当のスタッフがいたようで、
絵描きでもある彼がレイアウトを考えてくれ、メンバーはお任せだったとか。
 
初日月曜日の午後、画廊に初めて出向いたところ、
まず、駅から歩いて来て、玄関ドアの直ぐ脇の大きなショーウィンドウに
私の大きな作品が掛けられてあるのに目が止まり、ちょっとビックリした。
 
6点出品した内の1番大きな作品だったので、
ギャラリーの中でゆっくり見て欲しかったのだが、
この位置はいわゆる「看板娘」の役どころで、
アイキャッチのための立ち位置である。
 
雨降りの今日などは、ウィンドウの前で立ち止まって見る人はいないに等しいのが
やや寂しいが、
背景のダークなブルーグレイの壁紙に浮かぶ作品は、
時計草のダークローズや紫色を際立たせ、なかなかいい雰囲気だ。
 
会場全体をひとつの作品と考えている様子で、
ひとつの壁に同じ人の作品を並べる今までの展示方法とは異なり、
ひとりの人の作品が会場のあちらこちらに散る形の展示で、
それぞれの作品が隣り合う相乗効果を狙った配置になっていた。
 
新加入の日本画とオシャレなミクストメディアの作品のふたりが、
新鮮な風を吹き込んで、
去年から参加の日本画の作家も昨年よりずっといい作品になって、
会場全体に女流作家ならではの美しい彩りが溢れ、
明るく都会的な印象の展覧会になった。
 
新メンバーもいい方達ばかりで、和気藹々。
初孫誕生でセッティングをパスしたにも関わらず、
口々に「おめでとうございます」とお祝いの言葉をいただき、嬉しかった。
 
私は例によって、採れたての写真の中からいいものを選んでプリントし、
ミニアルバムにして持っていったので、
メンバーと言わず、お客様と言わず、話題は作品よりも志帆ちゃんになってしまい、
「泣く子と地頭には勝てない」状態だ。
 
まだまだ新米ママの助けが必要なこの時期に展覧会が重なり、
ちょっとてんやわんやだが、
初孫誕生1週間にして、大勢の方から祝福の声をいただき、
幸福感がじわじわと湧いてくるのを感じている。
 
今年の最大の作品は『結』
 
見知らぬふたりが出逢い、結ばれることの不思議を作品化したものだが、
次は新しい命の誕生の不思議をテーマに何か出来ればと思っている。
 
この世は不思議で満ちているのに、
何でも当たり前に過ごしていたことに気づいた。
 
小さな命がそれを思い出させ、
今、生きていることのいとおしさと感謝が満ちてくる。
 
もっと謙虚に生きなければ・・・。
 
おっと、志帆ちゃんが泣き出した。
あの泣き声はお腹がすいたのか、おむつが濡れたのか。
 
遙か昔の我が子を抱きしめた時の感動を思い起こしながら、
孫で追体験する歓びを味わおうと思う。
 

2017年6月11日日曜日

退院 そしてお七夜

 
 
 
 
 
生後5日目にして、退院、そして、お七夜のお祝いをすることになった。
 
昨夜は若夫婦揃って、お祝いのディナーが病院で用意され、
娘の誕生の歓びを噛みしめたにちがいない。
 
メールで送られてきたフレンチのお祝い膳の写真は、彩りもよくとても豪華だったが、
そんなフレンチをこれから先、いつになったら食べにいける環境になるだろうと、
かえって切なくなったかもしれない。
 
今日はようやく次女が病院に来て、叔母としてベイビーと対面を果たした。
 
分娩室で撮った写真が衝撃的すぎて心配したらしいが、
日に日に顔つきが変わって、
5日目の今日はだいぶ女の子らしい顔だちになってきて、
叔母としてもホッとしたようだ。
 
最初にどうみてもパパ似の顔立ちだと思っていたのだが、
笑うとえくぼが出来るところや、長い眉と鼻の形は娘そっくりだと思えてきた。
 
こんな風に赤ちゃんは周囲のいろいろな人の顔に似ていると思わせて、
幸せを運んでくるんだなとしみじみ思う。
 
11時には病院を出、新米じぃじの安全運転で我が家へ。
 
いよいよこれから新しい環境で新米パパ・ママや新米じぃじ・ばぁばの生活が
始まる。
 
とりあえずは1ヶ月検診までは娘の実家である私の家にいて、
週末パパが見に来るということになる。
 
新米パパの初仕事として、命名用紙に娘の名前をしたためることと、
お風呂に入れさせることを課せられ、
おっかなびっくりやっている様子を見ながら、こうして誰しも親になっていくんだな
と思った。
 
名前は「志帆」
志を持って、帆を上げ、大海を渡っていって欲しいとの願いを込めたそうな。
 
案外、古風な名前に落ちついた。
 
自分の子どもを持ったとき、最後にひとつだけに絞るとなると、
漢字の意味が気になるらしく、「志」という字にこだわったとか。
 
少女よ、大志をいだけ!
 
また、お風呂ではパパの大きな手で支えられ、気持ちよさそうな顔で静かに沐浴。
 
ギャラリーが顔を突っ込んでは入れ替わり立ち替わり見に行って、
口をとんがらせて面白い顔をしたと言っては、カメラを向けていたのでは、
なかなかはかどらない。
 
そういう意味でも初夏に生まれて、風邪引く心配とかもないので、
6月はいい時期だったのかもしれない。
 
私もお七夜のお祝い膳として、あれこれ用意し、
シャンパンを抜いて祝杯を挙げた。
 
ちなみにメニューは
「ささみのフライ チーズ味と梅味」
「ピクルス」
「鰺の南蛮漬け」
「かぼちゃのミートパイ」
「カリフラワーのグラタン」
「トマトのイタリアンサラダ」
 
さて、いよいよ今夜から夜中の授乳が始まる。
こればっかりは新米パパはいないし、じじばばの出番でもないので、
新米ママが頑張るしかない。
 
まだ、傷は癒えないし、お乳も出ていない上に
ミルクを作るにも段取りの悪い娘にとって、
辛い日常の始まりだ。
 
私は私で明日から例年どおり紫陽花展がスタートする。
今夜は搬入と飾り付けだったにも関わらず、メンバーにお任せしてしまったので、
明日からは会場に行かなければと思っている。
 
忙しくも、可愛くて珍しくて懐かしい、初めてづくしのこの生活をしばらく楽しんで、
また、作品に転化できたらいいなと思う。
私にとっても娘の出産は人生のビッグイベントである。
 
 

2017年6月7日水曜日

ようやく誕生


 
 
 
 
 
ようやく初孫が誕生した。
 
五月晴れの5月下旬に産まれる予定が、遅れに遅れて、
梅雨入りの6月7日生まれになった。
 
3114グラムのパパ似の女の子である。
 
予定日を過ぎても、なかなか降りてきてくれない赤ちゃんに業を煮やして、
娘は6日の日から入院し、点滴で陣痛を促していたのだが、
陣痛そのものは順調に始まったのに、最後にトラブって、
相当な難産になってしまったようだ。
 
私は分娩室には入れないので、後から聞いた話では、
お腹の中で横向きになったまま、うまく降りて来られないベイビーを、
助産師3人が上から馬乗りになって押し出し、医師2人が引っ張り出すという形で、
娘はあまりの痛さに気絶寸前だったとか。
 
私が分娩室に入れてもらって面会出来た時も、娘はまだ痛みで唸っていた。
 
一方、生まれたベイビーは実におとなしく、
何ごともなかったかのようにスースー寝ていて、
パパが抱いても、私が抱いても、静かなものだ。
 
産むのは苦労はしたけど、「寝る子は育つ」系のベイビーかも。
 
娘は痛み止めを飲んで個室に移ってからは、徐々に痛みも引いて落ちついたので、
撮れたての写真を添付して、家族にLINEで誕生を報告したら、
「俺は生まれてからゆっくり見に行くよ」と言っていたウチのダンナが、
慌てた様子で「今から行く」と言ってきた。
 
カメラを片手に車を飛ばしてきたらしく、ソックスもはかず、着の身着のまま。
 
明日以降にしかこないのかと思っていたけど、
写真を見せられ、じぃじの血が騒いだらしい。
 
病室で娘と孫をカメラに収めているところを、
珍しい光景とばかり、私もパチリ。
 
ふだん何かと私の大騒ぎを冷ややかに見ているくせに、
内心、やっぱり嬉しいみたいだ。
 
それにしても、ベイビーはパパに似ていて笑える。
パパ似の女の子は幸せになると、友人が慰めのメールをくれたけど、
どうなの?
 
せめてカメラを向けたときに目をつぶるのだけはパパに似ませんように。
我が家は写真写りの悪い子は認めませんから・・・。
 
とにかく、娘のお産が大変すぎて、自分も同じ経験をしてきたはずなのに、
側で見ていて、とっても疲れてしまった。
 
女性は偉大なり。
母は強し・・・である。

2017年6月3日土曜日

抹茶椀 その2

 
 
 
 
5月下旬に釉薬をかけた抹茶椀が、無事、焼き上がってきた。
 
同じタイプの釉薬をかけたものが、2ヶ月前にも焼き上がってきたのだが、
陶器は焼くと2割近く縮むので、
第1弾の3点は思っていたより小さく焼きあがり、
今回の第2弾が、そのリベンジということになる。
 
お陰様で焼き上がりの大きさは丁度よく、手に取ったときの収まり具合がいい。
 
ただし、釉薬のかかり具合は前回と同じにしたつもりが、
1回目と2回目では釉薬の濃度が違うのか、かける時の時間が違うのか、
焼成温度の関係か、よく分からないが、1回目とは少し感じが違った。
 
焼成自体は先生がしてくださっているので、
釉薬をかけた後は、あなた任せの無責任生徒なので、何とも言えないが・・・。
 
先生曰く、「全く同じ条件で焼いたつもりでも、毎回違う、それが焼き物だよ」と
いうことなので、生き物と考えるのが当たっているのだろう。
 
しかし、今回の4点を手に取り、ひとつずつしみじみ眺めてみると、
なかなかいい感じに焼けたのではないだろうかと思えてきた。
 
今日は午後の作陶時間の最後に、先生による講評会が行われ、
その時いた5人の会員の作品の講評がなされた。
 
1番古い20年選手の作品はろくろによるもので、年季がはいった手慣れた作品群だ。
ろくろにはなかなか手を出せずにいる私にとっては、
ある意味羨ましい作品だが、逆にいうと100均でも売っているような感じ。
 
先生の評価はかなり厳しく、
「ろくろに凝り固まって、作品がいつも同じだから、てびねりや板作りみたいな
他の手法をやってみたら?脱皮しないと」と、いうことだった。
 
他のメンバー3人は会員歴2年から18年と幅広いのだが、
キャリアのある人は、もっとチャレンジをという意見だった。
一方、まだ、入門して2年の人も、今のスキルでできるものばかり作らないで、
もっと大きいものを作ったらと言われていたので、
誰しも新しいジャンルに挑戦したり、難易度を上げるのは難しいということなのだろう。
 
もうひとり、基礎固めを怠って、
工芸作品として守らなければならないことを無視している男性は、
これまた厳しく「もっとちゃんと作れよ」と叱られていた。
 
陶器の厚みとか、歪みとか、高台と胴のバランスとか、
何でも適当に作って、歪んでいても味があるとか趣があるなどというのは
間違い。
 
自分を甘やかしてはいけない。
 
歪みを個性という2文字で誤魔化してはいけないのだ。
 
でもって、作陶歴5年半の私はというと、
先生の目にはとても強い発進力をもったハギワラワールド全開の作品に
見えるらしい。
 
これら4点は抹茶椀のつもりだというとようやく納得したようで、
「食卓にのせて他の器と並べようとするとちょっと強すぎるかなと思ったけど、
抹茶椀なら分かる。
薄暗い茶室に置くわけだし、料理ではなく抹茶が入るからね」という感想だった。
 
本人はさほど個性が強いものを作ったつもりはないのだが、
人が見ると相当個性的らしいことは、他のメンバーの反応を見ていても感じる。
 
ろくろがちっともうまくならない+あまりやる気にならないのは
ろくろの作品はつるりとして、きれいに丸く、薄いことを良しとしているからだが、
陶器の魅力をそのてびねりゆえの温かみに感じるのはどうしようもない。
 
ここから先、ろくろで新境地を開くのか、
あくまでてびねりで強い個性を更に確立するのか、
私も岐路に立っているのかも知れない。
 
先ずは、出来たての自作の抹茶椀で、お茶を一服点てながら、
この先を考えてみるとしよう。
 
孫はまだ産まれる気配がない。

2017年6月1日木曜日

完膚無きまでの薔薇の剪定

 
 
 
 
 
先週末から予定は一切入れずスタンバイしているにも関わらず、
直接の説得むなしくベィビーはまだ生まれてこないので、
ヒマである。
 
新しく買い揃えたベビーものの衣類や布団類の洗濯と日光干しも済んだし、
いつもはアトリエ仕様の和室も掃除機をかけ、雑巾をかけ、
除菌スプレーもかけた。
 
あとはベィビーの「出待ち」ということで、
昨日今日は花の植え替えをすることにした。
 
今年の薔薇はいつもの年より盛大に花をつけ、きれいに咲いたので、
毎日こまめに手の届かない高いところの花がらを椅子にのって摘んだり、
枝を少しずつ落としたりしたせいか、
まだまだ十分、見頃を保っている。
 
しかし、そのまま薔薇の花が全部咲ききるのを待っていては、梅雨入りしてしまう。
 
それから夏の花を植えるのでは、お天気との相談もあるし、
植え替え時期のタイミングを外してしまう可能性が出てきたため、
この際、まだたっぷり咲いている薔薇の花を思い切って落としてしまうことにした。
 
先ず、昨日、車を出して能見台近くの大きな種苗屋さんまで行って、
花の苗と土を大量購入。
 
ベィビーを迎える華やかなアプローチにしたくて、
いつもの年より花数も多めだし、カラフルにしてみた。
 
ハンギングになる鉢8つにはペチュニアを。
大きなプランター4つには日々草とキンギョソウを。
地植えのところには松葉ボタンとマリーゴールドとペチュニアを。
ドア前の寄せ植え用プランターにはちょっと珍しいゴージャスな色の花を植えた。
 
しかし、花の数が多過ぎて、くどい。
 
やっぱり可哀想だけど、これを機に薔薇は全部、剪定するしかない。
 
そう考えて、昨日の午後と今日の午前中とで、
フェンスにからまっている大元の枝を除いて、
花といわず、葉っぱといわず、茎といわず切り落として、薔薇を丸裸にした。
 
たった1本の薔薇なのに、小さいとはいえ家の正面の壁面だけでは飽きたらず、
脇にまで触手を延ばした手強い奴。
 
例年、あまりの生命力の強さに、これでもかと完膚無きまでに叩きのめすのだが、
それがかえって敵の闘争本能(薔薇にそんなものがあるのか?!)に
火をつけるのか、切っても切っても瞬く間に繁ってくるのである。
 
そうやって20年来つきあってきたので、今年も小さな葉っぱ1枚残すことなく、
徹底的に刈り込んだ。
その量、なんと45リットルのゴミ袋4つ分だ。
 
明日、金曜日はゴミの日なので、
朝、この大量のゴミ袋を出してしまえば、今年の剪定と植え替えも終わる。
 
斜め向かいのおばさんに「散髪ですか」と声をかけられ、
目の前のおうちの人は出掛けに挨拶して、テニスから帰ってきた時もまだ
私が外にいたので、「ご精が出ますね。大変ですね」と半ば呆れていた。
 
向こう角のご夫婦も犬の散歩の帰りに、
「きれいにしているわねぇ。薔薇育てるの上手よね」と声をかけてくれる。
 
ガーデニングなんて大して興味がない私も、こうして薔薇の剪定時期だけは
近所づきあいのいい、花好きの働き者の奥様をやっている。
 
本当は薔薇の生命力に振り回されているだけだが・・・。
 
しかし、2日がかりで何とか夏らしいカラフルな玄関アプローチが出来上がった。
 
あとは引っ込み思案のベイビーが退院したら、
「このあたりで記念写真を撮ろうかな」と思い描くばぁばだが、
今のところ、玄関アプローチで「出待ち」である。