昨日の朝、『題名のない音楽会』を観ていたら、
フランスの音楽祭に出演している林英哲のパフォーマンスをやっていた。
林英哲は鼓童という和太鼓のパフォーマンスで世界的に有名なグループの親方だ。
映像の中で誕生日を迎え、お祝いのケーキを若手メンバーからプレゼントされ、
「66になりました」と答えていたから、決して若いとは言えない。
しかし、その圧倒的な太鼓の音色、響き、リズム、肉体美、
どれをとってもそれはそれは素晴らしいし、大迫力だし、美しい。
どこの音楽祭かは聞き漏らしたが、
会場のフランス人は誰にインタビューしても、驚きと賞賛をもって、
林英哲のパフォーマンスを評していた。
それは単に太鼓奏者としての力量ではなく、
舞台にみなぎる活力と造形美、世界に類をみないパフォーマンス全体を指し、
スタンディングオベーションをもって、その演奏を讃えていた。
それを観ながら、同じ日本人として誇らしいと思うと同時に、
「日本人として何を残せるのか」という命題が、
頭の上に堕ちてきたたらいのように、正にがーん!と私の頭を直撃した。
彼は日本人のアイデンティティを体現しているのだ。
それを観客のフランス人が感じ取って、リスペクトの賛辞を贈っている。
そのことに気づいた私は、他人事ではないと瞬時に悟った。
私にとって、「日本人であること」は、いつもどこかで気にかかってることであり、
好ましく思っていることでもある。
海外旅行に行ってきたというと
「何かヒントを得て、また、それが作品になるんですか」という質問を受けるが、
決して、外国にネタを探しに行っているわけじゃない。
完全にリフレッシュのための海外旅行であり、
私の最大のストレスコーピングだという位置づけだ。
だから、今回のクロアチア旅行もとても楽しかったけど、
ドブロヴニクのオレンジ色の屋根と青い海なんかが作品になったりはしない。
気づけば、旅行を挟んで2ヶ月近く、木版画から離れてしまっている。
「次の作品どうするかな・・・」とは思っていたのだが、
「これだ!」と閃くものが何もないままに、日にちばかりが過ぎていた。
ゴールデンウィークもまったく版画には関与せずに、
ただ、いたずらに時間が過ぎていたのだが、
遂に林英哲が、私の頭にたらいを堕としてくれたようだ。
大きな真四角の画面、市松模様に区切られたベージュと黒のマス目。
ベージュは木目。
黒い背景に浮かび上がるのは赤紫の時計草。
着物の帯締めが画面に動きを与え、
静かな空間に流れを生んでいる。
ぼんやりとだが、最終の画面が思い描けている。
私にとっていい形の作品の立ち上がりだ。
81㎝×81㎝の大きな作品で創ってみようと思う。
2点対の作品にするつもり。
クロアチアで迎えた誕生日、
また、ひとつ歳をとって、尚、前に進む。
勝手に「私も林英哲のように頑張るわ」と心に決め、
方眼紙を広げ、原画に取り組むことにした。
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