2020年6月8日月曜日

自粛明けの銀座









約3か月ぶりに銀座に行ってきた。

4月始めに個展をする予定だった画廊に、
個展を延期にしてもらったお礼と、
すでに発送した案内状の切手代の一部を
お支払いするのが主なる目的だ。

久しぶりに降り立った銀座の街は、
まばゆい日差しに照らされて、
一見、元気を取り戻しているかのようだが、
よく見ると以前とはだいぶ違っていた。

人通りは以前の半分ぐらい、
インバウンドが戻っていないので、
日本人だけのせいか、人は静かに行きかっている。

大通りの向こう側に黒い大きな傘が、
一定の間隔をあけて並んでいる。
どうやらAppleStoreの前に並んでいる人波が、
お店が用意した黒い傘によって、
social distanceを保ちつつ、
日差しをよけているらしい。

傘が黒いのと、大きいので、
ちょっと不気味な感じだ。

東京アラートで赤く染まったレインボーブリッジのような
まがまがしい印象だ。

最初に養清堂に向かい、
女性オーナーとひとしきりおしゃべりし、
お礼の品と切手代をお支払いした。

2代目さんなので、
子供のころから自分の家の庭のように感じていた銀座が、
見たこともないゴーストタウンになって、
本当に気持ちがふさいだと話していた。

私にとっても、今日の銀座は、
この50年間で、初めて見る銀座の様子だが、
正にゴーストタウンかと思った4月始めから5月いっぱいまでを
知らないので、
人っ子ひとり通らない銀座はさぞや怖かっただろう。

養清堂は
未だに2階の画廊は閉めているので、
2階に向かう階段前のシャッターは下りていて、
1階の版画のショップ部分しか開いていない。

開いているとはいえ、
ショップの部分も夕方5時で閉めるとか。

隣のブティックも格子のシャッターが下りているので、
今まで通りの銀座が戻ってくるのは
まだまだ先の話かもしれない。

他の作家たちも
コロナで心が折れ、創作意欲が萎えてしまった人が多いらしく、
画廊の計らいで、
3月末の個展の人から6月末の個展の人まで、
そっくりそのまま来年の同じ時期にずらしたとか。

向こう3年の予定を順繰りに次の年に移動したと聞き、
画廊の英断に拍手を送った。

たいていは、
飛んだ予定を、夏場の空いている週に詰め込んだり、
2月の人気のない週にねじ込んだりするものだが、
4月の人は来年の4月に、
5月の人は来年の5月にしてもらえるのは、
本当にありがたい話だと思う。

養清堂での用事を済ませ、
久しぶりに外食がしたくて、
京橋にほど近い
上海ジョーズというおしゃれな中華レストランまで
足を運んだ。

毎日毎日、3度3度、ご飯を作っては食べ、
作っては食べしていて、
早くレストランで食事がしたい、
誰か人の作ったものを食べたいと思っていた。

事前に誘った歌舞伎フレンドの友人は
銀座の呉服屋さんにお勤めなのだが、
今日はまだお休みだというので、
ひとり、レストランに向かった。

入口で消毒をし、検温をして、
通されたテーブルにも、お酢や醤油と並んで
ミニボトルの消毒液が置いてある。

もちろんお店の人はマスク着用。
テーブルの数が間引いてあり、
人と人の距離をとるようにセットしてある。

そんな変化はありつつも、銀座の雰囲気は壊さずに
味も以前のまま。
小籠包のあふれる肉汁が口いっぱいに広がって、
たとえひとりででも、
ここのランチを食べに来てよかったと思う。

その後、柴田悦子画廊の日本画のグループ展にお邪魔し、
オーナーの悦子さんとおしゃべり。

ふたりともマスクで遮られようとも
久しぶりのおしゃべりが止まらない。

私たちはFaceBookでもつながっているので、
この間の情報は得ていたので、
情報の詳細や感想を述べあい、
瞬く間に時間は過ぎていった。

誰もが止まってしまった約3か月の時間を、
取り戻すかのごとく、
堰を切ったように話し、
つくづくこんな時間に飢えていたと実感した。

帰り道、
東銀座の駅から地下鉄に乗ろうと、
歌舞伎座の前まで来ると、
重く扉を閉ざした見たことのない歌舞伎座があった。

大きな鳳凰が金色に輝く大看板が立てられ、
古来よりの言い伝えの説明文と共に、
不老不死の象徴・鳳凰を掲げることで、
「この難局を乗り越えたのちに
また歌舞伎座で会いましょう」とあった。

歌舞伎座では、
予定された大きな演目や襲名披露が水の泡と消え、
まったく目途が立たない今、
この新しくなった歴史的建造物は何を思うのか。

300年の長い歌舞伎の歴史の中でも
類を見ない禍を
鳳凰は見守っているのか。

久しぶりに銀座の地を踏み、
日本の最先端をゆくこの地も
コロナ禍の中で
まだまだ彷徨っていることを感じた1日だった。


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