2021年1月27日水曜日

商売道具の彫刻刀

 










木版の彫りの作業に必要なものは
彫刻刀である。

ひと口に彫刻刀といっても
その種類は相当な数になる。

しかも、単に丸刀と呼ばれるものでも
1mm、2mm、3mm、5mm、6mm、8mm~20mm
などなど、深さや幅の違うサイズが
極小のものから特大のものまである。

全部のサイズが必要なわけではないが、
あらかたのサイズは取り揃えて、
彫る場所に応じて使い分けている。

最初にアウトラインをとるための
印刀と呼ばれる彫刻刀は
使用頻度が半端ないので、
同じ6mmの印刀でも7~8本は持っている。

細かいところを彫るにはもう少し小さな印刀が必要で
4mmのものも5本ほど持っている。

他に、摺る時の和紙のズレを防ぐために
必ず紙の角を抑える「カギ見当」と「引きつけ見当」を
彫るための特別な刀
見当ノミとげんのうという道具もある。

更に、大きく彫り進めるための浅丸やさらえノミ、
エッジの効いた線を彫る三角刀、
平らにならしながら彫ることのできる間透、
薄くはぐような彫りに適した鎌倉など、
彫る場所と形状に応じた数種類の彫刻刀が必要だ。

今日は小品の平彫りから仕上げの飾り彫りまでを
一気に行ったので、
いろいろなタイプの彫刻刀が必要だった。

4月の個展までに
あと2点は小品を創ろうと思っているので、
1月中に2点分の彫りのパートを終えようと考えている。

それが終わったら、
彫刻刀の大々的なメンテナンスに出すつもりだからだ。

常には彫刻刀はある程度彫って、
切れ味が落ちたら、自分で砥石で研いで
切れ味を戻している。

しかし、均一に研ぎができていないと、
徐々に彫刻刀のすり減り方が偏ってくる。

世の中には「研ぎ師」と呼ばれる
彫刻刀の研ぎを生業にしている方がいるので、
2年に1度ぐらいの割で、
まとめて何十本も送って、
研ぎ直しをお願いすることにしている。

研ぎ師の方は
いわゆる普段使いの包丁を研いだりはしない。
木版画家や、能面の面打ちの方、鎌倉彫の方など、
主に芸術系の彫刻刀の研ぎをしている。

大学時代から通っていた秋葉原の研ぎ師さんが
なぜか廃業なさってからは、
その方の紹介を受けた千葉県在住の研ぎ師さんに
お願いしている。

遠くに住んでいるので、
一度もお目にかかったことはないのだが、
一見さんお断りで紹介がないと
請け負ってもらえないのだから
それほど専門性の高い職業ということになろうか。

江戸時代の木版画は
本来、絵師と彫り師と摺り師に分かれて作業する
分業制だった。

それを現代作家たちは全部ひとりで担って
作品を創っている。

しかし、彫り師の彫刻刀をメンテナンスして、
縁の下の力持ちなのは
研ぎ師と呼ばれる人たちなのだ。

それは江戸時代も現代も同じ。

私も木版画家の端くれとして、
自分では手に負えなくなった彫刻刀を
近日中に、
研ぎ師のおじさんにお願いしようと思っている。

たぶん、彫り師も研ぎ師も
種族としては絶滅危惧種に当たるだろう。

私も作業が立て込むと
すぐ腰やら肩や腕が痛くなる。
どこまでこんなガテン系の作業が続けられるやら…。

それでも力尽きて廃業を余儀なくされるまでは
まだ見ぬ研ぎ師さんと二人三脚で
彫り続けたいと思っているところである。

木版画にはほかにも「ばれん」という
特殊な道具を使って、
摺りの作業をする。

こちらもばれんの作り手が絶滅危惧種なので、
どうなりますやら。

日本の伝統芸術は
道具や道具の保持という点からいっても
風前の灯だ。

パソコンにとって代われない表現方法と技術だという
自負とプライドだけが、
それぞれの分野の担い手を支えている。


















2021年1月20日水曜日

オーママの味

 















3日間の版画の摺りの後、
次の日の火曜日は「シポリンワーク」の日であった。

カレンダーと相談しながら、
もし、摺りが終わらなかったら、
娘のところに行くのは1日ずらしてもらおうかとも
思っていたが、
何とか、月曜日中に摺り作業は後片付けまでできたので、
予定通り、火曜日に娘宅のご飯作りに向かった。

いつもなら、娘からは日曜日に希望するメニューと
揃えた材料が
長いLINEメールで送られてきて、
私は足りない材料やもう何品か考えたメニューの分を持って、
娘の家に向かう。

しかし、今回は摺りのせいで、体も頭もクタクタで、
新しい1品を考えたりする余裕はなく、
にんじん1本だけ、家の冷蔵庫から持ち出し、
朝イチで美容室に行き、ランチを済ませ、
娘の家へと電車に乗った。

というわけで、なんとか10品作ったのだが、
新味は全くなく、
既視感のある写真ばかりになっているが、
これがどっこい、シポリンにとっては
「おふくろの味」ならぬ「オーママの味」に
なっていたようだ。

今回のメニューは
「とんかつ」
「キャロットラペ」
「レンコンとサツマイモと豚肉の甘辛煮」
「サーモンのバターモンテ」
「ポテトのチーズ焼き」
「きのことピーマン、山芋のガーリック炒め」
「レンコンのきんぴら」
「真鱈の甘みそ焼き」
「ほうれん草とえのきのお浸し」
「ミネストローネ」
以上10品

要は和物と洋物をうまく織り交ぜ、
肉と魚が両方入ること、
野菜の種類も豊富に緑黄色野菜と根菜の両方入ること、
彩がいいこと。

特徴はこんな感じだ。
インスタ映えするとか何とかより、
彩のいい取り合わせは
栄養のバランスもいいはずだからである。

基本的には現在3歳半の志帆が美味しく食べられることが
第一条件なので、
大人しか食べられない味付けにはしないし、
生野菜はほとんどまだ食べさせていないので、
サラダがない。
例外はミニトマトで、
これだけは毎食、かなりの粒数食べているので欠かせない。

夕方、ママがベイビーを置いて
志帆の迎えに行く。
その間は料理の手を止め、ベビーシッターになるわけだが…。

戻ってくると、手洗いと着替えをし、
早々に「ごはん食べたい」と言ってくるので、
それまでにテーブルに10品揃え、
写真撮影も終わらせる。

大人にとっては早い時間だが、6時前から食卓に着き、
昨日も女ばかり4人(ベイビーも含む)で、
夕飯が始まった。

志帆はテーブルをぐるりと見渡してから
食べたいものを指定して、
お皿に取り分けてもらう。

必ず入るのが、
「ポテトのチーズ焼き」
「キャロットラペ」
「とんかつ」
「レンコンとサツマイモと豚肉の甘辛煮」
「レンコンのきんぴら」
あたりか。

かなりの量がすでにプレートに乗っているが、
娘としてはミネストローネも食べさせたいところ。

「それは明日の朝でもいいんじゃない」と私がいうと、
ママの「どうする?ミネストローネもいる?」
と訊く言葉に対し、
「それは明日の朝でいいんじゃない」と志帆は答える。

すぐに大人の言葉をオウム返しに使うので
怖い怖い!

順調にポテトのチーズ焼きととんかつを
上手にお箸で挟んで食べだす。

「お箸、上手になったわね」と褒めると
即座に脇に置いてあった子供用スプーンを私によこし、
「これはもういらないの」という。

そして、キャロットラぺもお箸で器用につかんで
食べだした。

キャロットラペに関しては
事前に娘からおもしろいエピソードを聞いていた。
「志帆ったら、私が作ったキャロットラペを一口食べて
吐き出したのよ。失礼しちゃうわ!」と。

すると、私のキャロットラペを食べながら、
「ママの作ったキャロットラペ、
この前、お口から出しちゃったのよ~」と、
ニコニコして言う。

「え~、そうなの。なんで出しちゃったの?」と訊くと
「お味がないからなのよ。
ママ、ちゃんとお味つけてくださ~い」ときた。

どうやら、最初の下処理の塩が足りず、
人参臭さと硬さが残っていたようで、
私の作ったものとは違うと感じたらしい。

私の作るキャロットラペは
手で切った千切りの人参に塩をして
水気が上がってきたら、水気は捨て、人参を軽く絞る。
オリーブオイルと野菜ジュースとレモン汁を乳化するまで
よく混ぜて、人参と和える。

ドレッシングに塩は入っていない。

干しブドウは水で膨潤させ、人参と混ぜ、
あれば、上にローストしたスライスアーモンドを散らす。

自宅で作るときは
干しブドウはラム酒で膨潤させている。

訊けば、娘はスライサーで人参を千切りにし、
塩はほんのひとつまみ、
干しブドウはそのまま和えたらしい。

きっと、人参の食感、塩味、人参臭さ、
干しブドウと人参とのなじみ具合など、
いくつかの要素が私のものとは違ったのだろう。

それを敏感に舌で察知し、
一口食べて吐き出すとは…。
恐るべし3歳児。

こうして、とんかつも気に入り、
ポテトのチーズ焼きもお替りし、
レンコンもシャリシャリといくつも食べた。

3歳児の知能と味覚が
こんな風に日々、形成されていくんだなと実感し、
笑えるエピソードの中に
大人の責任を感じた。

好きなものなら、
3歳でも「キャロットラペ」と発音し、
数々の料理の名前も覚えていく。

食べたい一心がお箸もあやつり、
取り分けた分をきれいに食べることを覚える。

食育が生活の基本とか言われているが、
オーママの味が数値では表せない大切な何かを
育んでいるんだと思い、
孫を育てる一端を担う面白さと共に
責任を感じた夕ご飯だった。
















2021年1月18日月曜日

有言実行

 









土曜日から月曜日まで、
1歩も家から出ず、アトリエに籠って、
木版の試摺りと本摺りを決行した。

試摺りは1度はとっていて、
大体のイメージは掴めていたのだが、
金曜日に舟越桂の展覧会を観て、
大変刺激を受け、
もう一度、試摺りをとらなければという気持ちになった。

舟越桂の木彫の美しさ、
自分の作品も今回は彫り跡を生かした部分がたくさんある。
そこを大切にして、
画面で生きるように摺りたいのだ。

第3土曜日は陶芸の作陶日だったが、
1週間ずらしてもらい、
丸々3日間の時間を確保した。

買い出しも済ませてあるので、
完全に摺り師・季満野の態勢は整った。

土曜日に朝から今一度、1からの試摺りをして、
微妙に迷っていた部分の修正を加え、
イメージを固めていく。

土曜日の午後3時過ぎ、
本摺り用の和紙を湿し、
本摺り用の絵具を調合した。

本摺りの日は
そこで絵具をチューブから出して、他の色と混ぜたり、
水で溶いたりはしない。

本摺りの日はひたすら摺ることだけに集中する。

日曜日、朝5時半に目が覚めたので、
そのまま起きて、
朝飯前の摺りを始めることにした。

自然に目が覚めることが肝心で、
目覚まし時計は使わない。

普通の日は起きたら、
まず、朝食を作って食べるわけだから、
朝飯前の作業はノーカウントというか、
自分の中では「お得な作業」という位置づけだ。
(よく意味が解らないが、気分的にそんな感じ)

2時間、摺りをしてから
7時半に朝ご飯を作り、食べたので、
2時間で進んだ摺りは、
今日の予定の中で、お得に済ませられたというわけだ。

朝食で気分をリセットし、
午前中の作業開始。
(いよいよここから始まるという気分)

1日目は平摺りといって、1版目のたいらな摺りが
延々と続く。
木版は想像以上に力仕事だ。

作業は畳に置いた版木に向かって、前かがみになり、
ばれんを持つ手に全体重をかけ、
腕全体を使って摺る。

1度ではつぶせないので、
2度ずつ、絵具をのせては摺る、
絵具をのせては摺るを繰り返し、
均一な画面を作り出す。

その作業の果てに
腕は肩甲骨からずり落ち、前にズレるせいで、
手が後ろに回らなくなる。

トイレに行ってもウ〇チはしてはいけない。
なぜなら、手がお尻に届かないので、
拭くことができないからだ。

腰は90度とは言わないが、
75度ぐらいに曲げた状態で力を入れ続けるので、
気が付けば、ギックリ腰かと思うような痛みを伴う。

ダンナが最近、医者でもらってきた
ギックリ腰用のロキソニンテープを分けてもらい、
腰と肘に貼るも、痛みが引くわけではない。

そんな満身創痍はいつものことなので、
半ば、快感と諦観の内に、
作業は粛々と進められる。

なにしろ本摺りは慎重さと集中力が勝負。
時間をかけ、イージーミスだけはしないように
全神経を摺りに捧げる。

日曜日に予定以上のところまで、
本摺りは進んだのだが、
ここで色気を出して、もう少しで終わるとかと考え、
先を急ぐとろくなことはない。

頭と体が限界を超えて、
凡ミスを誘発するからだ。

終盤のデリケートな作業は次の日に見送り、
一度は筆を置くことが
大人のかしこい判断というものだ。

こんな風に1日目の本摺りは
8割がた、摺り終えたところで手を止め、
乾燥を防ぐ作業を施した。

その後、夕飯の準備とお風呂、
そして、始まった「天国と地獄」の初回を観た。

綾瀬はるかも高橋一生も渾身の演技で、
「麒麟が来る」なんかより全然面白かった。
(つまり3時間ぶっ通しでテレビっ子)

月曜日、今日はさすがに朝飯前の作業はなく、
いつものように起きて、朝食作りから始まった。

体はバキバキで、手もしびれているが、
少し、手は後ろに回る。
よく寝たので、頭も回るはず…。

残りの作業は
前回の作品で失敗した細いラインと、
細かい葉っぱ、
背景の大きな2版目の摺りだ。

背景の2版目は
1版目の絵具が十分紙に浸透していないと
艶びけを起こし、思った彩度が得られない。

つまり、黒に近い濃紺をのせたのに、
下の色と混ぜたような鈍い色になってしまう。
そうしたことも防ぐために
1日寝かすということが必要なのだ。

全部、摺り終え、
多少、リタッチを加える。
あまりリタッチを加えるとせっかくの彫り跡の
意味がなくなるので、
隙間ができて紙の白がうるさいところだけ、
ほんの少し、絵具をのせる程度にする。

そして、無事、摺り上がった4枚を
板に水張りし、乾くのを待つ。

和紙は乾くときに縮むので、
テープで止めてあるので引っ張られ、ピンと張り、
摺りの時にできたヨレヨレがシャンとする。

その時、絵具の特性で
乾くと色が明るく白っぽくなるが、
それは想定内の出来事として、
摺る時の色は調合されている。

こうして4枚の本摺りが完成した。
今回はイージーミスをすることもなく、
落ち着いて摺り上げることができた。

コロナ禍に2人目の孫が生まれたことに創意を得て、
創ったばぁば作品。

1人目の時だけ創って、
2人目はパスではかわいそうなので、
こんな風に作品に残せてよかった。

明日は気を取り直して、
ばぁばご飯を作りにいこう。

毎日、何かを作っているような気がするが、
何かを作れることの喜びと
だれかに喜んでもらうことは幸せだと感じる。

この腰の痛みと腕のしびれは
その勲章ということなんだと甘んじて受けようと思う。

「ばぁば頑張ったで賞」進呈!



















2021年1月15日金曜日

胸に迫る「舟越桂展」

 











1月15日、真冬の寒さと曇天と。
こんな日ならと思い定めて、
展覧会巡りをしてきた。

たぶん2万歩近く歩いたのでは…。

横浜在住の私は、朝9時に家を出発。
まずは、渋谷の松濤美術館で開催中の
「舟越桂展」を観た。
次に銀座に移動し、2か所のギャラリーを訪問。

そこで「野見山暁治展」の招待券をいただいたので、
有楽町から東京駅まで移動し、日本橋高島屋まで。
そこでようやくランチ。
いつもは満席で座れない小籠包の美味しいお店は
今日はすきすき。

そこから東海道線で横浜駅まで戻り、下車して
画材屋で絵具を調達。
急ぎ自宅に帰り、
車を出し、スーパーに買い出し。

とまあ、どこが不要不急の外出はNGなのか、
東京じゅうを巡り歩いてしまった。

野見山暁治も御年100歳になる
日本画壇の重鎮なのだが、
それよりなにより
「舟越桂展」がすごかった。

舟越桂は1951年生まれの69歳だから、
まだ現役バリバリの彫刻家だ。

写真にある通りの木彫の作家で、
本の表紙などに使われたりしているので、
なじみのある方が多いかもしれない。

そんなまだ現役の作家が
入場料を500円とって
美術館で個展をするということが
どれほど大変なことか。
(野見山暁治は高島屋で1000円取っていたが…)

それは少し絵画について知っている人なら
想像がつくだろう。

とある人が、FaceBookで
「舟越桂、行ってきたけど凄かった」と書いていて、
これは是非、行かなければと思い立ったわけだが…。

実際に本物を目の前にすると、
その静かなたたずまいから、放たれた魂のようなものが
私を圧倒した。

木彫とはもちろん木が素材で、
舟越桂の場合は楠らしいが、
なぜ木なのかが手に取るようにわかった。

ミケランジェロが大理石を素材に
あのような華麗な彫刻を彫り上げたように、
日本人である舟越桂は木を素材に選び、
人をモチーフに、
深遠で唯一無二のメッセージを
伝えている。

木には木目があるわけだし、
それに彫刻刀を入れれば、木彫の彫跡が残る。
そのぬくもりがあるのにどこか乾いた質感の布のひだや
頭髪、肌の感触が、
日本人のDNAに組み込まれた何かを刺激する。

自分も木版画を制作しているが、
銅板でもリトグラフでも、油絵でもなく、
木を素材にしている木版なんだということが、
共通していると、嬉しくなった。

コロナのせいか、来訪者はほとんどいなかったので、
開館の直後に入場し、
じっくり観ることができた。

「お前もしっかり作品に向かい合えよ」と
作品に背中を押され、
後の展覧会の作品群は、実は上の空だった。

絵具はやっぱり今日中に不足分を買いに行こうと
横浜に立ち寄った次第だ。

スーパーの買い出しもこれからアトリエに籠るための
下準備。

私も木という素材を選び、
その彫り跡に魅せられたひとりなのだから、
それを次の作品で証明しなければ。

そんな思いがこみ上げてきている。

「理論化できないことは、物語らなければならない」
という言葉が
舟越桂の図録の冒頭にあった。

イタリア人の記号論学者・ウンベルト・エーゴの言葉
ということだが、
舟越桂はその言葉に強い光を感じたとある。

舟越桂と同時代を生き、
似たようなことを見聞きしている私も、
何か物語らなければと、
今、自分の作品を前に、そんな気持ちでいる。














2021年1月11日月曜日

新春リベルタ・ライヴ

 









2021年、初のコンサートというかライヴというか、
「トリオ・リベルタ ニューイヤー・サロン・コンサート」
と、銘打たれたミニコンサートに行ってきた。

今年初のコンサート、
しかも目の前で聴ける狭いサロンと聞き、
いそいそと着物で出かけることにした。

もちろんお目当ては
ヴァイオリニスト石田泰尚氏であるが…。

私は石田様とお呼びして、もう何年も追いかけているが、
石田様はヴァイオリニストとして
数々の顔を持っている。

どういうことかといえば、
石田様がどこのだれと演奏するかによって
違う表情を見せるということである。

例えば、
神奈川フィルのコンマスとしての石田様は
クラシックを演奏するオーケストラを音で束ねる長としての顔。

石田組の組長としての石田様は
男ばかりの若手弦楽器奏者を率いる組長としての顔。
(や〇ざではないのだが、その匂いがプンプン)

YAMATOの石田様は
キャラの際立つ弦楽器奏者4名の一人として、
バンマスとしてと、メンバーとして
バランスを取りつつの顔。

三浦一馬率いるキンテートの中の石田様は、
バンドネオンの三浦一馬という若きリーダーを立てつつも
ヴァイオリニストとしての確固たる立ち位置で、
観客を魅了する顔。

そして、本日のトリオ・リベルタでは、
ヴァイオリン・サックス・ピアノの3人編成で
ピアソラを弾きたいという熱い思いを共有しつつ、
圧倒的石田ファンの視線を浴びて、他の2人を振り切る顔。

今回はそのトリオ・リベルタのコンサート。

今年で結成20年になるというから、
まだ、学生上がりの頃から、
近い年齢の3人がバンドを組んで活動してきた。

演奏場所も大きなホールとかではなく、
一昨年、閉店してしまったKAMOMEのような
ライヴハウスや300名規模の小ぶりなホールだったので、
ますます学生臭さが抜けないというか、
ピアソラ同好会の匂いがプンプンの
石田様としては最もフランクな顔を見せるトリオといえる。

そもそもタンゴの演奏をしたくて始めたのに、
バンドネオン奏者がはいっていないし、
サックスの松原さんが入っているあたりからして、
同好会的なのだが、
それがトリオ・リベルタの魅力というか、
この3人の音楽にサックスがいないなんて考えられない。

本日のプログラムも
1部はモーツアルトだのドビュッシーだのだったが、
2部はほとんどピアソラだった。

ピアソラでないものも
アレンジがタンゴになっていて、
当然、熱の入りようも2部の終わりに近づけば
近づくほど熱くなっていき、
最後から2曲目の「バルダリード」(ピアソラ)が
最も石田様の顔が恍惚としていた。

私と友人は
70名しか入れない小さなサロンの3列目に席が取れたので、
至近距離でその表情を拝顔しながら、
2021年最初の石田様のヴァイオリンに聴き入った。

アンコールは4曲。
内、2曲目の最初で
石田様が「あ、間違っちゃった」と言って
演奏を辞め、
3人で最初から弾き直すなんていうハプニングもあった。

初めて見るミスった石田様。

まるで私の芸大時代、
道を隔てた音校の奏楽堂で学生が弾いている演奏みたいだ。

ミスったメンバーを他のメンバーが
ニヤニヤ笑いながら、
「しょうがないなぁ」という感じでやり直す。

そんなことが許されるのが、
トリオ・リベルタの空気といえばいいのか。

今日のリベルタは
サックスの松原さんの出来がとてもよく、
久しぶりに見たら、また、一回り大きくなっていたが、
体重が音にのって、キレもいいし、迫力もあった。

ピアノの中岡さんは
ちょっと雑なピアノで、
繊細なヴァイオリンを時折、ぶち壊していたから、
今頃、石田様が何か文句を言っているかもしれない。

でも、お前だって間違ったじゃないかと
学生時代の内輪もめになっているのか
いないのか。

まあ、そんなことが言い合えるような3人だから、
20年も続けてこられたのかもしれない。

ファンとしては
年の初めに、手を伸ばせば届く位置で
石田様を拝め、
二礼二拍手一礼という感じ。

ピアソラ生誕100年の今年、
コロナ禍をかいくぐって、
何とか石田様の演奏を聴く機会がありますようにと
願っている。