2022年4月29日金曜日

雨の日は準備の日

 








朝から冷たい雨が降っている。

ここのところ、1日おきに天気が変化し、
今日は雨の番。
昨日は蒸し暑かったけど、今日は寒い。
明日はいい天気で気温も上がるらしい。

というわけで、今日は1日家に籠る。
そう決めて、やるべきことを
リストアップした。

5月6月は
陶芸の展示会やグループ展など、
作品を展示する機会が続く。

それぞれお披露目するには
額縁に入れたり、
展示のレイアウトを考えたり、
必要な小物を揃える必要がある。

そんなこんなを一気に片づけると共に、
ゴールデンウィークに家族が揃う前に
お風呂のカビキラーをすることにした。

昨日、版画制作の1年の区切りとして、
写真家に作品撮影をお願いしたので、
その前に家の掃除も済ませた。

人が来ないと家を片づけないタイプなので、
お客さまを迎えるタイミングが
家の掃除のタイミングという
まなけものなのである。

写真撮影のため作品がリビングにでているので、
このタイミングで展示予定のものは
額装してしまえば、
後は展覧会の搬入日に持ち出すだけである。

朝イチにお風呂の床や壁の
カビのある部分にカビキラーを吹き付け、
アトリエに戻って、押し入れから額縁を
引っ張り出した。

家には個展や団体展など、
過去の展覧会で使用したあまたの額がある。
古いものも昨年の個展の時に新調したものも
なんだかんだ数十本の額がある中から、
今回、創った作品サイズに合うものを選び出す。

マットの窓枠のサイズも合わないと
使えないので、そのあたりをチェックしつつ、
計5枚の作品を新しい額縁にセットした。

紙の作品は額装すると、
まるで美容室で髪を整え、
お出かけ準備が完了したという感じになる。

数枚同時に本摺りをしたわけだが、
選ばれし最初の1枚にサインが入り、
額縁に納まると、凛として、
作品自体が誇らしげに見える。

5本の額に作品の入れ替えが完了。
ここで、お風呂のカビキラーを流し、
浴槽も洗い、
ゴールデンウィークのお客様仕様になった。

次は針箱から糸と針を取り出し、
陶芸展のテーブルクロスの縁をかがるという
お針仕事。

今回の陶芸展では
深いグリーンのクロスに
渋い金銀のランチョンマットを敷き、
新作の陶器を並べることにした。

すでに金銀のランチョンマットは見つかり、
グリーンの布も調達してあったので、
今日はその縁かがりをして、
テーブルクロスらしくしようと思う。

布を買う時に一緒に同色の糸も準備したので、
眼鏡を中近両用のものにかけかえ、
チマチマと作業開始。
針の穴に糸がスッと通らなくなって
久しい。

年をとると細かいものが見えなかったり、
あちこち体が痛かったり、
容易じゃないが
思えば、自分の好きなことは
こんな難儀なものばかり。

ため息をつきつつも、
米津玄師の歌声に励まされながら、
お針仕事終了。

その後は確か陶芸展のテーブルのサイズが
60×100だったと思うので、
グリーンのテーブルクロスを
そのサイズになるようたたんで、
陶器を並べてみることにした。

毎回、陶芸展の際、
私は2台のテーブルを希望していたので、
このサイズの倍の陣地に器を並べていた。
しかし、今回は1人1台と決められたので、
大した量が並べられない。

昨年秋に予定されていた陶芸展が
コロナで延期になった分、
創り溜めた器は相当な数になったが、
半分も並べることが出来ないので、
厳選せざるを得ない。

今回は和の器と洋の器。
それをつなぐ和モダンの器があるので、
それをどんなバランスで入れるか、
あれこれならべて考えた。

こんなことをしている時が
一番楽しいが、
外の雨はいよいよ激しくなり、
気温もグッと下がっているようだ。

知床の海に放り出された人は
どんなに怖かっただろう、
どんなに寒かっただろうと、
ニュースを見ては思っていたが、
自分は終日、家に籠って静かな1日だ。

人の運命はどうなるか
誰も分からない。

寒い雨の日でも
こうして展覧会やお客さんの準備をし、
それぞれ心待ちにできるのは、
本当に幸せで平和なことだと思う。

コロナやウクライナや
海難事故など、
暗いニュースばかりの毎日の中、
今あることに想いは馳せて
もっと日々を丁寧に生きようと思った。













2022年4月28日木曜日

版画制作1年の区切り

 













木版画の制作は
出品予定の展覧会の会期に合わせ、
逆算して創り始めることが多い。

性格的には追い詰められて力を発揮する
追い込まれ型ではないので、
基本、余裕をもって仕上げたいタイプだ。

中には展覧会の搬入日に
まだ、絵具が濡れているような状態で
作品を運び込む作家もいるが、
版画はその制作の性質上、
そんなに泥縄式には創ることができない。

私の場合、
今は6月に紫陽花展というグループ展、
9月初めに文学と版画展というグループ展、
10月に版画協会展という団体展が
定期的な展覧会として入っている。

それぞれ搬入日や搬入受付締め切り日があって、
展覧会直前に搬入日のものもあれば、
1か月以上前に締め切りがくるものもある。

私は年間5~7点ほど大小合わせて制作しており、
それを何年か溜めて
個展をするというのが、
これまでのパターンだ。

個展には25~30点ほど出品するので、
木版画のように制作に時間がかかる技法の場合、
毎年、個展をするというわけにはいかない。

私にとって
個展はもちろん大きな区切りになるが、
個展のあるなしに関わらず、
1年間の区切りというと、
ちょうど今頃、
紫陽花展の案内状を作るための締め切りが
それにあたるといえよう。

昨年4月の個展からちょうど1年、
個展後に創った「雨のシリーズ」が
大小合わせて5点できた。

できた作品は1年に1度、
写真家のH氏にお願いして撮影し、
写真データとして
作家本人とH氏とで保存管理している。

できれば、紫陽花展までにもう1点、
もっと小さいサイズを創りたいとは思っているが、
案内状用の写真データの締め切りが
ゴールデンウィーク明けなので、
ここらへんでプロの写真家に撮ってもらわないと
印刷に間に合わない。

先日、5点目の作品の本摺りが終わったのを期に、
ここでH氏に自宅まで来てもらって撮影しなければと、
今日の13時に約束した。

折しも今日の午前中、
10日ほど前に彫刻刀の研ぎをお願いしてあった
ものが、研ぎ上がって自宅に届いた。

まだ、切れ味の落ちていないものは出さず、
18本の酷使した彫刻刀の研ぎを
お願いしてあったものだ。

研ぎ師さんのお店は千葉県にあるので、
遠くて実際に伺ったことはないが、
研ぎ上がってくると、その切れ味は
みぞおちのあたりがゾクゾクするほどだ。

今回も歯っかけ婆さんみたいな丸刀や、
未熟な技術ゆえ先を欠いた印刀など、
いずれもシュッとした姿になって
戻ってきた。

これで彫刻刀が見事によみがえり、
いつでも次の作品の彫りが始められる。

一方、13時から始まった作品の撮影は
大きな作品から中ぐらいの作品へと、
流れるようにスムーズに作業は進み、
自分でいうのも何だが助手としての動きも円滑、
無駄なく補佐できるようになったので、
5枚を1時間15分ほどで撮影終了した。

最後にお茶をしながら、
昨年の春、H氏に個展用のプロフィール写真と
制作風景を撮ってもらったことに話はむいた。

本当に時が経つのは早いが、
今年もまた、一区切りとして
1年間に制作した作品の写真を
撮ってもらうことが出来た。
(個展はないのでプロフィール写真はない)

私にとって、1年に1度、
H氏に作品写真を撮ってもらうことは
今年も健康で一定数制作できた証。

H氏にとっては
長いお付き合いの作家たちから
1年に1度、作品写真の依頼を受け、
記録することが彼の生きている証だという。

彼は評論家とかではないし、
絵の作家でもないが、
写真家としての審美眼で
その作家の今が、充実しているかどうか
作品を見れば分かるらしい。

幸い、私の今年の作品群も
個展の前と変わらず、
シリーズも新たになり、
ぎゅっと詰まっているものを感じたという。

それは写真撮影をひとつの区切りとしている
私にとって
とても安心感を得ることのできる言葉だった。

版画制作という孤独で答えのない作業に、
「よくできました」と💮をもらったようで、
また頑張ろうという気持ちになった。

今日は彫刻刀もピカピカになって戻ってきたし、
小さな新作の原画を考えなければ、
そんなパワーが湧いてきた1日だった。
























2022年4月27日水曜日

仁左衛門と玉三郎『桜姫東文章』

 










明日には上映が終わるというので、
ギリギリのところで
シネマ歌舞伎『桜姫東文章 上の巻』を観てきた。

最初は友人に誘われ、前売り券を求め、
日にちの調整をして
いっしょにみなとみらいの映画館に
観に行くつもりだった。

しかし、ふたりの都合のいい日は
最終日に近い頃だったので、
様子をうかがっている内に
かかっている映画館の上映回数が
どんどん少なくなって
遂には「朝9時10分からの1回のみ」
のような具合になってしまった。

午前中は仕事か用事が入っている日が続き、
友人とは時間が合わないことが判明。

友人は1週間ほど前に
先にひとりで観に行き、
感想をメールで寄せてきてくれた。

相当、艶っぽい映画だというので、
私もやっぱり観なければと思ったが、
朝8時半過ぎに川崎に降り立つのは
なかなかハードだった。
結局、
千秋楽の1日前にようやく間に合った形だ。

シネマ歌舞伎『桜姫東文章』

映画は
2021年の春、歌舞伎座で
36年ぶりに再演された
仁左衛門と玉三郎による歌舞伎の演目を
映画に興したもの。

原作は鶴屋南北。

<あらすじ>
僧の清玄は稚児の白菊丸と道ならぬ恋の果て
心中を図るがひとり生き残ってしまう。
17年後、
高僧となった清玄は白菊丸の生まれ変わりとも
思える桜姫を出会うが…。

何しろ、上の巻だけで2時間半、
下の巻も2時間半の超大作。

しかも、この時代の男女の仲の
荒唐無稽なことと言ったら!

16歳の生娘(どこかで聞いたばかりの言葉)
桜姫は暗闇の中で
見知らぬ男に襲われ、強姦されてしまう。
その1回だけのまぐわいの末、妊娠。
男の子を生み落とす。

桜姫は一夜の甘美な思い出が忘れらず、
その肌の温もりが今も夜な夜な蘇る。

そんなある日、
腕に鐘と桜の刺青のある男・権助と巡り合う。
桜姫が忘れられずにいる男こそ権助だった。
再び、権助に身をゆだねる桜姫…。

って、どんな乱れた男女の中!!
相手はあんたを強姦したんでしょうよ、
しかも、1発で妊娠!
初めてなのに、その温もりが忘れられない?
痛くないんかい?
怖かったんじゃないんかい?

突っ込みどころ満載で
全然、話の筋が入ってこない。

しかし、目の前の映像の仁左衛門と玉三郎の
行き交うまなざしはいとも美しく色っぽい。

36年前といえば、
私が歌舞伎にドはまりして、
玉三郎を追いかけていた頃。
(正確には45年ぐらい前から)

その当時の玉三郎は、三島由紀夫にして
「この世のものとも思えない美しさ」
と言わしめ、
篠山紀信が専属で毎舞台、カメラを構え、
写真集なども刊行されていた。

玉様は仁左衛門、当時の片岡孝夫と組めば
「たまたかコンビ」
亡くなった団十郎、当時の市川海老蔵と組めば
「えびたまコンビ」と呼ばれ、
一世を風靡した。

私は圧倒的に
孝夫ちゃんの方が好みだったので、
玉三郎と仁左衛門が組む演目を目指して
歌舞伎座に通っていた。

ファンとしては
玉三郎のファンになると思うのだが、
今日、映像を見ていて気付いたことがある。

仁左衛門さんが
あまりにも当時の元カレに似ていることだ。

仁左衛門さんほど線は細くないが、
目を細めて笑うその表情や、
人が話している時に
じっと見つめているその優しい瞳。
微笑んだ時にこぼれる歯並びや
口元の皺、顎のラインまで
とにかく似ている。

映画館に来ていた10名ほどの叔母さまたちは
どんな気持ちでこのふたりのからみを
見ていたか想像できないが、
私は完全に個人的な思い出の中に入り込み、
甘美な記憶に溺れていた。

今、その元カレは齢80を過ぎ、
すっかりおじいさんになっているが、
人生、ときめくことのできる若い時は短く、
あれは最も輝いていた頃だったと実感する。

結局、映画の2時間半の内
途中で話が追いきれなくなったり、
睡魔に襲われたりして、
今は下の巻を観に行くべきか悩ましい。

ともあれ、仁左衛門と玉三郎の
艶っぽいからみの映像だけが鮮明に
脳裏に焼き付き、
青春プレイバックみたいになって
本日の映画鑑賞は終わった。

約半世紀ちかく、
時は流れたのである。
あ~ぁ、青春は日々に疎し。



















2022年4月24日日曜日

成育歴の影響

 





最近は土曜日も日曜日もなく
カウンセリング予約が入っていて、
カウンセリングルームとして借りている
討議室に通うことが多い。

今日も朝9時半から2本、
カウンセリングが入っていた。

駅前の鎌倉街道に出る手前には
大岡川が流れており、
昨日から川を横断する形で
こいのぼりが吊り下げられ泳いでいる。

毎年この光景をみると、
「子どもの日」が近いことを知り、
世の中の親は等しく
子どもの成長と健康を祈って
こいのぼりを飾るんだろうなと思う。

しかし、昨今、
カウンセリングルームを来訪する
クライアントさんの傾向として、
『成育歴』
つまり、どんな親にどんな風に育てられたかが、
問題になっているケースが多い気がする。

カウンセリングを受けようと思うきっかけや
理由はさまざまだけれど、
追及していくと
今ある目の前の困りごとが
親との関係、子ども時代のトラウマなどに
起因しているのだ。

「機能不全家族チェックリスト」と呼ばれる
20項目ほどのリストで
当てはまるものがあればと
チェックしてもらうと、
そのほとんどが当てはまるなどという例もあった。

機能不全家族というのは
大きくいうと2パターンあり、
①親が肉体的・精神的に虐待をする家庭
②親が多大な期待をかけたり、
子どもが家庭内の不和などを調和させようとして、
子ども自身が
大人の振る舞いをしなければならない家庭
ということになる。

例えば、①は
なぐる・言葉の暴力・ネグレクト(育児放棄)など
②は
長男なんだから後を継げ、
医者の家なんだから医者になれなど。
自分はさておき親の精神的な世話をする。
家族がもめた時、仲裁役になって
なんとかしようとするなど。

しかし、
わかりやすい虐待とかではないケースは
表に出にくいし、
表面だけつくろう高学歴の家族のように、
はたからは羨ましがられるような家庭もあって、
そうした家庭に育った子供は
大人になった今も
うまく人間関係が結べなかったり、
自己肯定感が著しく低かったりして
苦しんでいる。

なぜかそうしたアダルトチルドレンと呼ばれる
簡単にはケアできない
根の深い悩みを抱えたクライアントさんが
増えて
今、正に
カウンセラーとしての力量を試されているような
気がしている。

カウンセラーとしての経験は約11年だが、
これまでの中で
今が一番、重たい症例の方を
何人も診ていると感じている。

「アダルトチルドレン」とは
親との関係で何らかのトラウマを抱えた人
というのが定義である。

そうした「アダルトチルドレン」は
どうやって克服するのかというと
1.まず自分がACであることを受け入れること
2.嘆き…喪失した健全な親子関係
健全な発育という子ども時代の喪失
3.人間関係の再構築
という流れになるが、
ことはそんなに簡単ではない。

即効性のある薬があるわけでも、
手術のような方法があるわけでもない。

何十年もかかって
おりのように積もった心の傷なのだ。

私が当初より掲げている「認知行動療法」を
更に深めた「スキーマ療法」は
「アダルトチルドレンの克服」に
効果があるとエビデンスが報告されている。

目下、私のカウンセリングルームで
スキーマ療法を実施している方は
5名。

どの方も年単位で私の元に通ってきて、
自分らしい人生を取り戻そうと
頑張っている。

すでに20数年から40年近く経った人生を
より生きやすく・輝いたものにするため、
リセットし、新しい価値観を身に着け、
前に進もうとしているのだ。

そんな人の人生に深く関わっている自分を
はたと見つめ直す時がある。

自分は親としてどうだったかと。

そして、月に数回、娘のところで
ばぁばご飯を作ったり、遊んだりしていることが
どんな形で孫の人生や
娘の人生に影響しているのかと。

人は良かれと思ってしていることも
相手にとってはトラウマになることもあるし、
知らずにトラウマを与えていないとも限らない。

そんなことを
今、関わっているクライアントさんから
感じる度に、
日々の小さな積み重ねを大切に
しなければと思う。

川面にそよぐこいのぼり

子どもは生来持っている
「中核的感情欲求」を満たして
自由闊達に育つように、
親は見守ることが何より大切だと
そう思う今日この頃である。









2022年4月21日木曜日

最後の釉がけ

 











陶芸の展覧会は5月24日から1週間、
神奈川県民ホールギャラリーで開催される。

昨年の9月に予定されていたものが
コロナで延期になり、
会場も市民ギャラリーから
県民ギャラリーに変わり、
ようやくここにこぎつけた。

4月の後半は展覧会に向けての
最後の釉がけ週間だったので、
私は同じ時間帯で活動する友人を誘い、
2人だけで釉薬をかけることにした。

通常は第1と第3土曜の午後が活動日だが、
そこには5名の会員が登録しており
5人がそれぞれ大量の器を広げ
釉薬をかけるとなると
相当な混雑が予想された。

なので、本来、クラスのない曜日を選んで、
ふたりだけで作業することで
集中してできるし、効率もいいので、
振り替えることにしたのだ。

釉薬は10種類以上あるが、
あらかじめ何を使うつもりか相談し、
共通のものはひとりが攪拌すればいいので、
ひとりでやるより楽だし、
道具を出したり片づけたりも
ふたりの方が早い。

午前午後の通しで工房を予約し、
奥で先生も
体験希望のお客さんの相手をしている中、
私たちは工房中に大風呂敷を広げて、
釉薬をかけることにした。

友人はこの3月まで
小学校の先生をしていたし、
年齢的にも近いので、共通の話題も多く、
手と目は器に集中しているが、
口はフリーなので、
楽しくおしゃべりしながら作業を進めた。

今回、私がかけようと思った釉薬は
「氷裂」という青磁色の釉薬なのだが、
工房に備えられたのが最近で
まだ、ひとりしか使ったことがないものだった。

その釉薬を用意した器のほとんどに
かけるつもりでいたら、
先生が「それかけるの?すごく難しいよ。
まずはお試しでかけた方がいいんじゃない」と
今更、それを言いますかというようなことを
言ってきた。

ここまで来て、お試ししてからとかは
出来ないので、
「もう、この器たちは氷裂でいくと決めたので、
やってみます」と強気の発言をして、
押し切ることにした。

攪拌すると
確かに他の釉薬とは少し感触が違うが、
そこで他の釉薬に宗旨替えしては
イメージしていたラインナップとは
違うものになってしまう。

陶芸は焼いてみないとどうなるか分からないので、
特に今回みたいに初めて使う釉薬は
リスクがあるが、
失敗を恐れていては前に進めないので、
結局、今回のほとんどの器に
「氷裂」をかけてしまった。

さて、どうなりますやら…。

蓋物のような難易度の高いものもあるし、
仕上がりが心配だが、
最後の釜で焼く作業は先生がなさるので、
後は先生に任せるしかない。

出来上がりはゴールデンウィーク終盤の
土曜日なので、
その時を心待ちにして、本日の作業は終了。

こうして今回の工芸展の作品制作は
すべて終わったことになる。

出来上がってきたDMを見ると、
初めて知るお名前の方が何人かいる。

同じ曜日ではないメンバーが
どんな作品を出してくるのか、
グループ会の楽しみは自作の出品だけでなく
他の人の作品を観ることにある。

この展覧会は半年以上、
延期になったので、
尚更、楽しみにしているところである。









2022年4月17日日曜日

本摺り『朱い橋』

 

















当初の予定通り、
土曜日と日曜日の2日間で
本摺りを決行した。

旅行から帰ったばかりだし、
筍の到来物があったりして、
体はかなりきつかったが、
来週以降の予定に丸々2日間の空きが
なかったので、強行することにした。

旅行でもらった滝桜パワーを信じて、
頑張るしかない。

一昨日、和紙の湿しと絵具の調合を終え、
土曜日の朝はいつもどおりに起床し、
まずは朝ご飯を作って食べて…。

今回の作品は
絵柄のサイズが63×47cmの中型サイズ。
7枚の和紙を湿してスタートした。

1日目は雨の部分や花弁や葉っぱなど、
グラデーションが多く
デリケートで神経を使うパートから始めた。

背景など、バレンのつぶしが入り、
力が必要なところをどのタイミングでやるか、
頭で体力の配分を考えながら、
目と腕は目の前の繊細なバレンワークに集中する。

その合間にも
新筍の料理やそれに合った献立を考え、
ランチやディナーで作ったものを
撮影し、筍をくれた友人に送ったり、
ブログに上げたり、忙しいことこの上ない。

1日目はあらかたのデリケートな1版目を
摺り終え、
5時に作業を終了した。

昔のような「恐怖の15時間摺り」のような
無茶はせず、
完全に2日間に分けて摺ることにしている。
ばぁばの知恵である。

2日目は、前日、早めに寝たせいか、
自然に5時前に目が覚めたので、
このタイミングで起き、
「朝飯前」の作業を始めることにした。

つまり、朝食の前に
一番体力のいる背景のベタのつぶしを
1か所摺り終えることで、
朝食作りと食べる時間を休憩に使えるので、
体力的に楽なのである。

今回は「朝飯前」に
上半分の濃い紫色の背景を摺った。
そのパートを7枚摺るのに1時間半かかった。

それでも7時前にはキッチンに立ち、
朝食を作ることが出来たので、
気持ちもリフレッシュする。

その後は下半分の
クリーム色と金黄土と暗い鉄色の茶色の
3段グラデを摺り、
背景の出来上がり。
同じくこのパートも1時間半かかった。

この作品のお供は
買ったばかりのCD
JUJUのユーミンカバーアルバムだ。
1枚、聴き終わるのに約1時間なので
それを目安に時間を計っている。

残るは花びらや葉っぱなど、
2版目の飾り彫りと称する部分だけだ。
ここは力は全くかけずに
ひたすら優しく撫でまわすように摺る。

ここまでくると頂上は近い。
八合目というあたり。

ところで、今回の作品には
雨のシリーズで初めてカタツムリが登場する。

原画のプランには入っていなかったが、
原画をいざ、描いてみたら、
急に上下の境のラインの上を
カタツムリが這っていたら面白いのではないかと
ひらめき、遊び心で足してみた。

ほんのアクセントのつもりだったが、
赤橙のラインの上に並んだカタツムリは
徐々に自己主張し始め、
摺りの後半にはこの子たちにフォーカスした
タイトルをつけたらいいのではと
思うようになった。

最初はこの作品は
「七変化」という紫陽花の別名を
タイトルにしようと決めていたのに、
作品が摺り上がる頃には
「朱い橋」が自分としてはしっくり来ていた。

橋は具体的には描かれていないのに…。
カタツムリは
お寿司のガリみたいな存在だったのに…。

「朱い橋」
いかがだろうか?