金曜日は雪になるかもしれないというので、
急遽、予約をとって
上野の都美術館に
「エゴン・シーレ展」を観にいってきた。
午前10時から入場の回に申し込み、
10時ジャストは混むと予想して、
10分過ぎぐらいに到着するよう出かけた。
明日が雪になるなんて全く考えられない
冬晴れの美しい日。
会場内は若い人が多く、
エゴン・シーレが現在も老若男女に
影響を与えていることが分かる。
私も学生時代から
この時代のウィーン派の画家の
クリムトやシーレは大好きで、多分に
絵画的な影響も受けていると思っている。
今回の展覧会はエゴン・シーレと
その仲間たちというくくりなので
クリムトの作品も何点か来ているし、
当時の彼らの写真も展示されている。
エゴン・シーレは若くして才能を認められたけど
心には闇を抱えていたようで、
特に若い頃の作品には常に
「死」が傍に張り付いていて
どの絵の人物も暗く陰鬱な表情をしている。
私が好きな作品は主に裸婦なのだが
その美しくも腺病質なデッサンや油絵は
シーレそのものの狂気や
ひりひりするような尖った感性を
物語っている。
エゴン・シーレは早くに亡くなっていることは
知っていたが
今回、28歳の時に当時流行ったスペイン風邪が
原因で亡くなったことがわかり、
少し意外だった。
てっきり自殺なのではと思い込んでいたので。
その時、同時に妊娠中だった妻も亡くなっており、
3日後にシーレが亡くなったとある。
何だかコロナで世界中で恐ろしい数の死者が
出てしまった現代にも
同じように夫婦して相次いで罹患した人も
いたのではないかと思った。
会場はコロナのせいで
入場制限がかかっているので、
逆にほどほどの人数しかいないから、
展示としてはゆっくり観ることができた。
ちょうど12時ぐらいに見終わり、
駅ちかの「風花」という台湾料理のお店で
「ルーロー飯セット」なるものを注文して
ひとりランチを済ませた。
その後は東京駅と新橋駅に降り立ち
3軒の展覧会場を巡り、
友人のグループ展と個展を観て回った。
最近は展覧会のDMもめっきり少なくなり、
若い人の展覧会のお知らせは
なかなか届かない。
人の展覧会に義理があって出かけることも
コロナ以降、めっきりなくなっている。
以前は必ず月曜日にオープニングパーティが
あったけれどそれもないし、
会場でお茶菓子やお茶がでることもないので、
たとえ会場に作家がいたとしても
話し込むこともできない。
しかし、3軒のうち1軒の会場で
版画の団体展の友人と一緒になり、
その人があまりに暗い顔をしているので
思わずお茶に誘った。
彼女も版画家で
彼女の作品は精緻で上品なリトグラフで
版画家としてのステイタスも確立しているし
個展も2年に1度ぐらいのペースで
きちんとやっているような立派な人。
それなのに「人生が楽しくない」というので
思わずカウンセラー魂が何とかしなければと
騒ぎ、袖をひっぱってしまった。
彼女の方も私がカウンセラーもやっていると
知っていたので、
「お代をお支払いしなくちゃね」と
言いつつ、誰かに聴いて欲しかった話を
打ち明けてくれた。
作家はみんな孤独。
作家は好きで作品を制作しているけど、
それが売れるわけでもないし、
だれかに褒めてもらえたり
認めてもらえるわけでもないので、
とにかく無性に寂しいんだという。
オフレコでと懇願された家族の話も
あったけど、
それより作家としての気持ちを聴いて
さっき観たばかりのシーレの暗い顔と
目の前の彼女の暗い顔が
だぶって見えた。
しばらくカフェで話してから
少し陽が西に傾いた頃、
どちらからともなく席を立った。
道で別れる時に友人は手を出して
握手してきたので
私も握り返して友人の肩に手を置いた。
「私なんて真面目と責任感だけしかない」と
自負する友人の言葉が耳に残り、
初老の域に達し
人生に楽しみが特にない人の孤独が
身に迫ってきた。
誰もが自分の人生には
自分でおとしまえをつけなければいけないけど
彼女の人生に
何かできないものかと考えてしまった。
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