2024年1月25日木曜日

大相撲 友風応援団になって

 





















陶芸で親しくしている友人Kさんに誘われて
生まれて2度目の大相撲観戦に行ってきた。

Kさんのダンナさんは(Kさんも同じく)
元学校の先生で
ダンナさんが顧問をしていた時の教え子が
友風という力士だ。

友風は右足首に大きな怪我をして
(目下、障害者手帳をもって奮闘中)
幕内から幕下はおろか
序二段にまで一度は転落したけど、
また、幕内に戻ってきて頑張っていると
いうことは、だいぶ前から
陶芸の工房でも聞いてはいたが、
遂に国技館に行って
生で友風の相撲を観戦することになった。

ただ、今場所の友風は元気がなく
すでに負け越していて
今日までの成績は3勝8敗。

12日目の取組の相手は
難敵の御嶽海。

これまでの経験や今の状況からいって
勝つのはかなり厳しいかもしれないという。

大相撲にさほど精通しているわけではない私は
今場所はかなり真面目にテレビで観戦し、
友風はもちろんだが、
他の力士の顔と名前を見比べつつ
「推し」の力士の今場所の様子を
勉強した。

同じ大相撲観戦でも
知らない力士ばかりでは面白みも半減、
「推し」を応援してこその醍醐味だと思うから。

私の好みは
生きのいい力士か、姿かたちのいい力士だ。

生きがいいというなら、
翔猿とか、今場所大活躍の大の里、
姿かたちでいえば、
遠藤、一山本、阿炎あたりか。

もちろん友風も応援している。

Kさんとは早々と1時半には約束して
会っているので、
まずはのぼりの前で記念撮影をし、
席に着いてからは
両国国技館ツアーにくりだした。

席は2階の7列目だったので、
土俵は俯瞰して観る形になるけれど、
それはそれで会場全体が見渡せるので
会場の空気感や声援がよく聞こえ、
とても見やすい席だった。

回廊状になっている廊下には
いくつものお店があって
力士の名前のついたお弁当や
崎陽軒のシュウマイや
超有名な焼き鳥が売られていて
私は迷わず焼き鳥とウメッシュを購入した。

なぜか国技館の焼き鳥は美味しい。

国技館の外も回廊状になっていて、
遠藤がお姫様抱っこをしてくれる
顔出し窓の開いたボードがあったので、
思わず駆け寄って顔を出して
記念撮影した。

いくつになってもバカは治らない。
でも、こういう時、
「同じやるなりゃ踊らにゃ損々~」と
いう気になるタイプなのだ。

午後2時15分ごろ、十枚目土俵入りがあり、
そこからは私が知らない十両の力士の
対戦が続いたが、
お客さんの中には幕下の力士の応援で
来ている人も大勢いて、
会場のあちらこちらから
しこ名を呼ぶ大きな声が飛ぶ。

午後3時40分ごろ、中入りになり、
その後、幕内の土俵入りと
横綱の土俵入りが行われた。

ここからはほとんどの力士の名前と顔が
分かるので、俄然、面白くなった。

kさんも隣の席で
友風はどちらの花道から出てくるとか
川崎の後援会が贈った化粧まわしをしているとか
随時、教えてくれるので、
オペラグラスを覗く頻度が上がる。

中入り後の取り組みの5組目が
友風対御嶽海だった。
そこからはテレビで見ているより
ずっと早く対戦時間はやってきて、
今日は懸賞金も7本もかかっている。

仕切っている間中、
友人もダンナさんも野太い声で
「ともかぜ~!!」と声援を送った。
kさん達は友風の文字のタオルを広げ、
私も両手に「友」「風」の団扇を持って
一緒になって声をかけ、
いよいよ軍配が返った。

「御嶽海に組まれたらお終いだ」と
Aさんは危ぶんだけど、
はたして二人はがっぷりよつ。
それでも粘って粘って
最後は寄り倒して友風の勝ち!!

番狂わせに会場は騒然、
「友風は今場所で一番いい相撲をとった」と
隣の友人夫婦も大興奮。
にわかファンの私も大興奮。

やっぱりせっかく着物まで着て
(しかも初おろしの着物)
応援にきた日に勝ってくれるのは嬉しい。

他の「推し」達は
翔猿は勝ち、対戦した一山本は負け。
遠藤も今場所は何だか元気がなく負け。

結びで照ノ富士との取り組みに抜擢された
大の里だったけど、
やっぱり横綱の腕力の前に負けを喫した。

最後の取り組みには32本もの懸賞金がかかって
旗が土俵を四周も廻ったけど、
一瞬の勝負で照ノ富士が持っていってしまった。

友風の出待ちをして、
生友風と記念写真を撮り、
握手をしたが、その大きな分厚い手。

今日は友風も先生にいいところを見せられ
ホッとしただろうし、
先生である友人のダンナさんも
帰宅して美味しいお酒が飲めただろう。

すべての取り組みが終わり、
外に出てみると
国技館の上の空には大きな満月。

冷たい冬の夜空に
まさに煌々と冴えわたり
男たちの勝負を見守っていた。









































2024年1月22日月曜日

映画鑑賞『PERFECT DAYS』

 






昨日、次女と一緒に
みなとみらいの映画館で
『PERFECT DAYS』を観た。

主役の役所広司が
昨年のカンヌ映画祭で最優秀男優賞を受賞し
話題になった映画だ。

日本とドイツの合作映画で、
監督はヴィム・ベンダースだが
俳優陣はすべて日本人だし、
舞台も東京だ。

物語は渋谷区の公共トイレの清掃員・平山の
日常を淡々と描いていて
セリフもほとんどないし、劇的展開もない
観る人によっては
「いったいどこがおもしろいんだ」と思うような
静かで抑揚のない作品。

清掃員の平山は、押上とおぼしき
築50年以上経っているようなぼろアパートに
住んでいて、
早朝、向かいのおばあさんが
竹ぼうきで落ち葉を掃く音で目覚める。

いつものようにせんべい布団をたたみ、
いつものように歯を磨き、ひげを整え、
いつものように清掃員の作業着に着替え、
いつものようにカメラと鍵と小銭を持ち、
ドアを開けると必ず、空を見上げる。

アパートの脇の自動販売機で
缶コーヒーを買って軽トラックに乗り込み、
缶コーヒーを一口飲み、車を出す。

走り出して少ししたら
東京スカイツリーが見えてきて、
それを合図にカセットテープをかける。

1960~1970年代のアメリカン・ポップスが
流れだし、
平山の表情がわずかに曲に合わせて和む。

『TOKYO TOILET PROJECT』で作られた
渋谷区の公園に点在する
オシャレなトイレを巡回し、
車を脇に止め、掃除道具を下ろし
手際よく丁寧にトイレを掃除する。

シフトによっては
若い清掃員と一緒の時もあるが
ほとんど何も話さず、黙々と清掃していく。

途中、どこかの神社の境内の木陰で
サンドイッチの昼食をとり、
その際、フィルムカメラで木漏れ日を撮る。
家にはそこの境内でみつけた樹木の若芽が
いくつもあり、
毎日、霧を吹いて大事に育てている。

仕事が終わって帰宅すると
自転車で銭湯の一番風呂に入りに行き、
夕飯は「おかえり」と声をかけてくれる
いつもの居酒屋で済ます。

就寝前には古本屋で買った本を読むのが常だ。
月に1回、フィルムを現像に出し
出来あがったものを引き取り、
いいものだけより分けて、
日付を書いて缶に保存している。
被写体は木の木漏れ日の様子ばかりだ。

毎日毎日、ルーティンのように
同じことが繰り返されているが、
時折、いつもとは違う人物が関わったり、
心が波立つような出来事がある。

まったく目立たない地味な繰り返し。
そこに『PERFECT DAYS』と題される
意味を見出せるか、
観る者に問いかけてくる。

それにしても、出演陣に
浮浪者のパフォーマーに田中泯
バーのママに石川さゆり
ママの元夫に三浦友和など
大物役者が出演していて
劇中で石川さゆりが歌ったりもしている。

若手俳優陣も秀逸で
イマドキを切り取った演技が
平山の人生に彩りを与えている。

また、カセットテープから流れる音楽が
私達の年代にはドはまりする曲ばかりで
英語の歌詞はよく解らなくても
曲自体は耳なじみのあるもので
時代の空気を運んで、
平山が過ごしたであろう若き日を
ほうふつとさせる。

映画館は割合、日曜日ということもあり、
若い人が多かったが
多分、若い人より
60~70代の人の方がいろいろな意味で
分かるのではないかと思った。

我が家のダンナのように
「トイレの清掃員の話のどこがおもしろいんだ」
と、観もしないで言っている70代もいるが
私はすごく染みるいい映画だと思った。

映画のエンドロールに
「木漏れ日」とはどういう現象かという
説明文が流れてきた。

映画のタイトルを
『木漏れ日』にするという手もあったと思うが
『PERFECT DAYS』にして
人生とは、生きるとはなど、
静かに考えてもらいたかったんだと思う。










2024年1月19日金曜日

彫り師 始動

 










数日前から、いよいよ彫りの作業を開始。
絵師の仕事から、彫り師の仕事へ移行した。

浮世絵で言えば、
「絵師」「彫り師」「摺り師」「版元」の
4つのパートに分かれているのだが、
現代版画はひとりの人間が4つのパートすべてを
行っていることになる。

そのうちの「絵師」の部分は
まず、作品イメージを思い描いて
モチーフがある場合は取材したり
そのものを手に入れデッサンしたりして
作品のイメージを構築する。

それを鉛筆による原画として作成し、
一本線で描く。
更にトレッシングペーパーに写し取り、
トレぺ原画なるものを作る。

ここまでが「絵師」の仕事で
そのトレぺ原画を版木に転写する作業は
絵師の範疇でもあり、
彫り師の範疇でもある気がしている。

版木転写は神経を使う
案外、時間のかかる作業なのだが、
どう分割して、
どう効率よく版木に転写するか、
何版で何色ぐらいになるか考えている間に
「絵師」から「彫り師」へと
気持ちも移行していると言える。

そして、「彫り師」として
彫り台の前に座った瞬間から
気持ちは職人になり、
いかに正確にきれいに彫り進めるかに集中し、
心静かに版木と対峙することになる。

心は静かなのだが、
手と目は版木に転写されたカーボンの線に
忠実に動いて
彫刻刀の刃先を選び、
作業は進んでいく。

ただ、頭の中は意外と空っぽで
もう、何十年も続けている作業なので、
何も考えなくても彫り進めることはできる。

そんな時、頭の中では
カウンセリングにいらしている
クライエントさんのことを考えていたり、
娘のところに行った時の孫との会話や
お稽古事で友人と話したことや
所作の順番などを思い出している。

性格的にはくよくよするタイプではないので
思い出して後悔するとかではなく、
この時間はものごとを整理する時間で
次の行動をどうとるのがいいのか
決める時間にもなっている。

案外、深いことを考えていても
手元が狂うことはほとんどない。

BGMにクラシックのCDや
気に入っているJ-POPのCDなどかけて
背中を押してもらうこともしばしば。

この彫り始めのBGMに選んだのは
亀井聖矢君のピアノリサイタルのCDで
若き才能の感情の揺らぎに身を任せ
気持ちよく彫り進めることができた。

今月の版画のミッションは小作品2点の
「彫りをスタートさせる」とあるので、
彫り上げられないまでも
彫り進めて半分ぐらい彫れれば良しとする
つもりだ。

しかし、実をいうと、
昔から、決めた予定をクリアし
更にその先までいけた時の歓びは
望外のものがあるので、
今月のミッションも
2点分彫り上げたりしたら
テンションは上がるだろうなと思っている。

こんな風に自分の性格を理解した上で
上げたり下げたり、くすぐりながら、
予定を遂行する
それが私のやり方である。



















2024年1月17日水曜日

恩師の賀状に想う

 




1月も半ばを過ぎ、
そろそろ年賀状の返信がくるのもお終いの時期。

昨日、最後の年賀状かなと思われる
寒中見舞いが届いた。
恩師のI先生からのものだった。

私の年賀状のやりとりは
元旦にお出しした方の7割ぐらいが
相思相愛の状態で届くのが常だが、
中には元旦に年賀状は書く主義の方もいるし、
こちらの年賀状を見て
慌てて返信をくださる方もいる。

年内に喪中はがきを出さなかった相手(私)の
年賀状が届いて、
年明けに寒中見舞いとして
ご挨拶くださるケースもある。

とにかく、いまだに150枚ぐらいの年賀状が
行き来しているのだが、
その中で40年以上繋がっていて
未だに返信が来るのを気にしている先生がいる。

ひとりは私が小学校の3年生の時から通っていた
お絵描き教室のI先生(女性)
もうひとりは藝大の3年の時、
版画研究室に専攻を決めて以来
お世話になっているN先生(男性)

I先生は私が美大に進むことを決めるところまで
教室に通っていて、ずっと応援してくれている。
ここ何十年分の版画の年賀状はすべてとってあり
先生のお部屋の柱にずらっと貼ってあるとか。

個展などでお目にかかる度に
「きみちゃんは私のお教室の一番の優等生よ」と
言ってくださっていた。

そんな先生が昨年の年賀状のお返事を
くださらなかった。

ちょっと心配がよぎったが、
今年の「龍」の年賀状は構わず出してみた。
すると昨日、
寒中見舞いという形でお返事が届いた。

「きみちゃんよね。
大きくなられたことでしょう。
今年は何才になられるのかしら…?」

萩原季満野という名前に対し、
「きみちゃんよね?」との呼びかけは
心臓がどきっとするほど驚き、
と同時に、とても切なくなった。

「大きくなられたことでしょう。
今年は何才になられるのかしら」との文字に
I先生にとっての私は
小学校の時のきみちゃんなのかと思って、
涙がこぼれそうになった。

もう1枚の年賀状はN先生からのもの。

N先生からも昨年は返信がなく、
もう年賀状を書くのは辞めてしまったのか、
何か喪中のようなご事情があったのか、
私なんか返信を書くメンバーから外されたのかと
かなり落ち込んでいた。

その前の年の返信は
まさしく先生の作品そのものだったので、
とても嬉しくて
裏に私の制作について褒めて書いてあったけど
構わず、作品が見える形で
額装して飾ってある。

今年の返信はなかなか来なかったので、
もう出しても無駄かなと思っていた矢先、
12日になって返信の年賀状が届いた、

そこには
「立派な辰年の賀状、早々にありがとう。
龍のバックの玉のグラデーションがいいですね」
とある。

見慣れたいい感じに崩れた先生の文字。
ポストにその文字を見つけただけで
小躍りした。

今では藝大の名誉教授であり、
芸術協会の会長であり、
2度も勲章をもらっている雲の上のような人。

だけど、藝大で学んでいた当時は
彼はまだ講師か助教授になりたての頃。
芸術祭の音楽イベントで
抱き合って踊ったのを思い出す。

時はビュンビュン音をたてて流れたけど、
未だに彼の文字を見れば
胸がキュンとなる。

今年の龍の年賀状は
かなりの人に褒めていただいたし、
「額に入れた飾ったわ」という声も
何軒か聞いている。

それでも、やっぱり
N先生に褒めてもらいたいんだなと
あらためて自分の気持ちを知った。

私にとって
「お絵描き」と「版画」のふたりの先生。

おいくつになられても
彼らにとっては
あの頃の私、あの頃の生徒や学生のまま。

そんな私は
いくつになっても
先生に褒めてもらいたい生徒のままなのである。








2024年1月14日日曜日

新作のトレぺ転写

 








2024年が明けてから
4日には早くもカウンセリングが始まり、
3日続けて予約が入っていた。
その週末には今年初の陶芸工房も始まった。

成人式のあった3連休は
日月と着物を着て、
友人との新年会と初釜とに出席したし、
その次の日にはばぁばご飯もスタートした。

「やれやれ肝心の版画制作はまだかいな」と
自分に喝を入れつつ、
「そうは言ってもそろそろ始めなければ」と
重い腰をようやく上げた。

1月の版画制作の目標は
「小品2点分の原画作成」
「小品2点分のトレぺ原画作成」
「小品2点分の版木転写」
「彫りスタート」
といったメニュー。

月半ばで何も手つかずでは
「彫りスタート」の位置につけない。

そう思って、数日前、
2点分の原画作成に着手した。
今回は木版画のスタイルを同じ感じにして
モチーフの花を2種類使うことにした。

延々と紫陽花をモチーフに
「雨のシリーズ」と作り続けてきたが、
個展が2025年の12月に決まったので、
クリスマスやお正月を意識したモチーフにした。

1点は「ポインセチア」
もう1点は「万両」

ポインセチアは12月に
鉢植えを買っておいたものをデッサンし、
万両は庭に咲いていたものを
お正月用に切って水仙と共に
飾っていたものをデッサンした。

いずれも赤い花と実のところだけ
色彩豊かな版を起こして、
葉っぱの部分は線描のモノトーンにするつもり。
(ポインセチアの赤は多分、葉っぱだし
万両の赤は実だとは思うが…)

この2点は対の作品というわけではないが
対に飾っても成り立つように
1点は三角、もう1点は丸の中に納まるよう
ある程度、デザインして描写した。

昨日と今日は画室に籠って
1点ずつ、版木への転写をして
これでいよいよ彫りのスタートラインに
つくことができた。

月半ばにはここまでやり終えたいと
思っていたので、
何とかミッション・クリアである。

『一年の計は元旦にあり』
という観点でいうと
「今年は計画したことをきちんと実行する」
というのが私の目標である。

元々、案外、根が真面目で
予定を立てたら
それを着実に実行しないと気が済まない質で
何かに阻まれて遅延したり断念したりすると
ストレスになるタイプ。

それ故、
今年は自分で計画したことは
着実に実行することを旨として
毎日を丁寧に生きていきたいと思っている。

というのも、実は昨年末、
夫の妹の連れ合いが71歳であっけなく
亡くなった。

5月ぐらいから
手足のしびれなどがあったらしいが、
ASLと診断がついてたった2か月での旅立ちで
とても空しい想いがした。

人間、いつ何があるか分からないと
その時も痛感したのだが、
私もいつ何が起きても悔いのないよう、
自分の体と相談しながら、
有言実行することを心に決めたというわけだ。

ポインセチアと万両、
いずれも季節や行事を思わせる
冬の代表的な花である。

ポインセチアは12月25日を過ぎると
ものの見事に花屋の店先から消える。
万両は
千両の実の需要にはかなわないが、
その真っ赤でたわわになる実が
豊穣や実りをイメージさせ、
お正月に用いるとおめでたいとされている。

クリスマスもお正月も終わったけど、
我が家では両方とも
まだまだ元気にその赤さを競っている。

月の後半は
摺りのことを頭の片隅におきながら
少しずつ彫りを始めることにしよう。

ということで、とりあえず
1月の計画は予定通りに進行中。













2024年1月10日水曜日

友達もきもの沼にズブズブと

 










今年に入って初めての新年会は
近年、よく旅行にご一緒するTさんと
きものでお食事とお買い物ということになった。

2年ぐらい前から
Tさんは本格的にきものの着付けを習い始め
それより遡ること数10年前から
きものには興味があって
少しずつ買い求めてきたというので、
私は早く一緒にきものでお出かけしようと
けしかけてきた。

しかし、いくら着付けのお稽古をしても
いざ自分で着付けて外に出るとなると
怖気づいてしまって
なかなか実現せずに時は流れていたのだが…。

遂にこの冬、
Tさんのきものデビューの日がやってきた。

まずは紬のきものに合わせて
どんなコーディネートにするのかさんざん悩み、
馴れない草履で長歩きは出来ないというので
デートの場所は横浜駅に近い高島屋の
天ぷら天一に決まった。

更に
数日前から緊張で眠れなかったというし、
前日には美容室で髪をアップにして
夜は横向きのまま一夜を明かし、
朝はある程度着付けてから
ご自宅マンション内のお茶の先生をしている
お友達に帯の仕上げをしてもらったとか。

彼女が紬にするというので、
私も結城紬に織の袋帯でいくことにした。

高島屋の正面玄関に入ったところで待ち合わせ、
少し早めについて待っていると
いつもは白い髪のソバージュスタイルを
きれいに結い上げたTさんが
おすまししてやってきた。

きものの着付けをお友達に手伝ったもらうのは
知っていたけど、
髪をアップにするのに美容室まで
行くとは思っていなかったのでびっくり。

白い髪の色と道行コートの金茶色が
よく似合っている。

まずは10階のレストラン街まで行き、
天一の中に通されると
スタッフがきもの用の長いエプロンを持ってきて
後ろに回ってひもを結んでくれた。

やはりきものを着ているというだけで
サービスがひと味違うのは
よく経験することだ。

帯を締めての食事はきつくて大変かもと
心配していたが、ちゃんと一人前に食べられて
ミッションをひとつクリアしたので、
食後は同じ階で開催されている
呉服の催事「五味の市」へ。

ふたりとも道中着を着ずに帯付きのまま
会場に入ると
すぐさま着物を着た店員さんが寄ってきた。

言葉巧みに、まずはふたりのきものを褒め、
どんなものを探しているかと尋ねられたので、
ふたりは少し分かれて、
リユースきもののコーナーから見ることにした。

女性は買い物という段になると
自分のことでいっぱいいっぱいになるので
店員さんに「彼女にはこんな感じ」と伝えて
後は自分に合いそうなものがないか
完全にカチッとスイッチが入った音がした。

しばらくして
それぞれが気に入ったきものを見つけ
きものの上からではあるが
試着もさせてもらい、
結局、Tさんは大島紬の黒地に竹の柄の着物と
白っぽい織りの帯。
私は白っぽい染め大島の作家ものの着物と
裾に金箔を使った
たたき染めの付け下げを購入。

かくして
Tさんも私同様、きもの沼にハマったという
顛末だ。

きもの沼は着物を着ない人や男性には
まったく理解できないと思うが、
一度ハマるとなかなか出ることができない
厄介な沼なのだ。

不治の病と呼ぶ人もいるほど
その魅力に取りつかれると
つい散財してしまう魔力を持っている。

あと生きている間に何回着るのか
冷静に考えると恐ろしいけど、
好きな着物を見つけると
そうした計算ができなくなるのが着物だ。

ふたりは高島屋の薔薇の紙袋を抱え、
資生堂パーラーに寄り、
苺パフェをいただきながら
飽くことなくきもの談義を続け、
今度は買い求めた大島を着て
「また、お食事に行きましょう」と
相談がまとまった。

写真嫌いのTさんが
珍しく記念写真を撮りたいというので
隣のホテルに河岸を変え、
前から横から後ろからと
何枚もシャッターを切った。

これで着付けのお手伝いをしてくださった
お茶の先生にも
張りきって髪を結ってくれた美容師さんにも
自慢ができるだろう。

始めの一歩は何でも勇気がいるけど、
歩き出してしまえばもう大丈夫。

さあ、これからはもっともっと
きものを着て
日本人に生まれてよかったと
享受しよう。

だいぶ前の家庭画報のきもの特集の巻頭に
「日本の女性はふた通り
きものが着られる女性と着られない女性」
というのがあって
いささかその言い方に驚いたことがある。

Tさんはきものが着られる女性になったんだから
自信をもって出歩こう。
ズブズブとどこまでも。