2015年11月29日日曜日

映画2本 ナチスに強奪された美術品奪還物語

 
先週、今週と休日に観た映画が奇しくも
両方とも第2次世界大戦終盤にナチスによって強奪された美術品を
アメリカ人が奪還する物語だった。
 
1本は『ミケランジェロ・プロジェクト』
もう1本は『黄金のアデーレ』
 
『ミケランジェロ・プロジェクト』の方はそろそろ上映が終わるかもしれないが、
『黄金のアデーレ』の方は一昨日から始まったばかり。
 
ミケランジェロの方は戦争終結間際の1945年頃
ナチスによって大量に強奪された絵画や彫刻が
焼き払われたり、国から持ち出されていると知ったアメリカ人の美術関係者が
7名のチームでドイツに乗り込み、
岩塩の鉱山や銅山に隠されていた美術品を探し出し救うという内容。
 
アイコンになっている作品が
ミケランジェロの聖母子像だったので、
邦題が『ミケランジェロ・プロジェクト』になったらしい。
 
原題はアメリカ人チームのチーム名だったけど、
それじゃ、日本でうけないとみて、
ミケランジェロ様の名前を借りたのだろう。
 
映画の出来映えもなかなかで、
主演がジョージ・クルーニーとマッド・デイモンなので、
もっとスピーディが売りの軽いアメリカンムービーかと思いきや、
案外、ちゃんと作り込んであった。
 
一方、『黄金のアデーレ』の舞台は現代。
 
戦後50年以上経って、クリムトに描かせた絵のモデルは自分の叔母さんで
当時、家の壁にかかっていたその絵をナチスに持ち去られ、
今はウィーン郊外のヴェルべデーレ宮殿のギャラリーに飾られているけど、
権利は自分にあると訴訟を起こしたアメリカ人女性の物語。
 
ウィーンに住んでいたマリアは、戦争末期にアメリカに逃れ、
50余年アメリカ人として暮らしてきたが、
母国オーストリアを相手取って,裁判で戦うという内容だ。
 
いずれも史実に基づいた話で、
とにかくナチスは酷いということと、
アメリカ人て、正義感が強いというか、権利を主張するというか・・・。
 
去年、ニューヨークとボストンに行った時に
とても観きれないほどの大量の美術品をアメリカは持っているとびっくりしたが、
あれは一体いつ収集したのとちょっと思ってしまった。
 
以前、オーストリアに旅行した時、
自由時間に大好きなクリムトの作品が観たくて、
ヴェルべデーレ宮殿を訪ねたとき、アデーレの作品は確かにそこにあった。
 
それが勝訴して、今はニューヨークのノイエギャラリーにあるらしい。
 
オーストリア人だったアデーレの肖像画なんだから、
オーストリアの美術館にあったままじゃいけなかったのかなどと思いながらも
映画としては映像もきれいだし、
凛としたヘレン・ミレンの老婦人役とへなちょこ若手弁護士との組み合わせも
面白いので、楽しめるいい映画になっている。
 
個人的には旅行した場所がどちらもふんだんに出てきて懐かしかったし、
知っている絵画や彫刻もたっぷり観られ、
とても目が嬉しかった。
 
私達は今のところ戦争をまったく知らずに暮らしているわけだけれど、
ほんの70~75年前には世界中大変だったんだなとあらためて知った。
名品と呼ばれる数多くの絵画や彫刻にも戦争による悲惨な歴史があって、
紆余曲折の果てに、今の美術館や教会にあるんだなと・・・。
 
ここのところ、パリがISの無差別テロに襲撃され、多くの人命が失われ、
世界情勢が混沌としてきている。
以前にはテロ行為によって、遺跡が破棄されたことも記憶に新しい。
 
『ミケランジェロ・プロジェクト』では
「人命はもちろん大事だが、絵画や彫刻も壊されてしまってからでは
取り戻すことが出来ない人類の宝である。
だから、我々、美術関係者がナチスの手から取り戻す意義がある」
という
「アメリカよ、お前は世界の警察か」みたいに突っ込みたくなるセリフがあった。
 
しかし、冗談抜きで,きな臭い事件が多い昨今、
こうしたものの価値は、テロ行為から必ず守らねば。
そんなことを考えさせられた2本の映画同時上映である。

2015年11月26日木曜日

タンゴとクラシックの夕べ

 
 
昼間とは一転、寒い雨が降る中、みなとみらい小ホールまで
コンサートを聴きにいった。
 
私が好きなバンドネオン奏者の小川紀美代さんとカルテット・カノーロという
若手の弦楽器奏者4人とのコラボレーションだ。
 
いったいどんな感じになるのか分からなかったが、
昨今、私が勉強中のタンゴとクラシックとの融合はどのような計られるのか
とても興味があった。
 
バンドネオンという、どこかノスタルジックで叙情的な楽器に惹かれ、
ここのところ何人かのバンドネオン奏者の演奏を聴くことがあるが、
ようやく少し分かったことがある。
 
それは、だれのバンドネオンも好きなわけじゃないということだ。
 
だれの弾くヴァイオリンも好きなわけじゃないというのと同じで、
バンドネオンの音がしさえすればいいというものじゃないということ。
 
当たり前といえば、当たり前なのだが・・・。
 
小川紀美代さんは最初観た時から不思議な人だった。
 
まるで『異邦人』とでもいいたいようなくしゃくしゃの布でできた洋服を身にまとい、
静かに舞台に現れると中央の椅子にひとり座って演奏が始まる。
 
膝の上に置いたバンドネオンを大きく開いたり閉じたり、
体全体をくねらせたり反らせたりして演奏する。
顔は目を閉じているが、ちょっとエロティックな表情になる。
 
小柄なので、バンドネオンに操られるような感じで
体が縦横無尽にしなやかに揺れる。
 
曲のリズムに乗って、かかとで鳴らす音が舞台の音響効果のようだ。
途中、スッと吸い込む呼吸音さえ、指揮者のそれのように曲の一部になっている。
 
夕べの演奏を前から2番目中央のかぶりつきで見たり聴いたりしたことで、
自分がこの不思議なバンドネオン奏者自体が好きなんだと
分かった。
 
彼女が作曲した『光の道』『Delphos』という2曲は
以前にも聴いたことのある曲だったせいで、
ようやく体の中に素直に入ってきて定着した。
 
彼女の不思議な印象そのままの不思議な美しい曲。
 
タンゴの名曲『エル・チョクロ』『首の差で』という曲も
彼女の演奏ですこし前に初めて聴いたのだが、
鶴見大学でのタンゴの講座でも紹介された曲だと分かり、
点と点が線でつながったような気がした。
 
小川紀美代のバンドネオンとヴァイオリニスト上原千陽子の繰り出す
『コンドルは飛んでいく』はすごく情熱的で、
私達が知っている『コンドルは飛んでいく』とはまるで違っていて面白い。
 
それがオリジナル曲だということで、
訳詞を朗読の長浜奈津子が曲の合間に語るのだが、
そんな意味の歌詞なのかと驚く。
 
「私はかたつむりになるなら、スズメになりたい。
スズメになって空を飛びたい。
 
私は釘になるなら、ハンマーになりたい。
ハンマーになって打ち砕いてしまいたい」
みたいな歌詞なのだ。
 
2部は弦楽四重奏で耳なじみのあるクラシックの名曲を
4人の弦楽器奏者が5曲ほど弾いて
最後はまた、小川紀美代とカルテット・カノーノとの演奏で
『忘却』と『リベルタンゴ』だった。
 
最初、初めての演奏家を見たり聴いたりしたときには感じなかった
演奏家の人となりや生活感のようなものが
何度か同じ人の演奏を聴いている内にわかってくる。

演奏家も人の子だからね。
 
夕べも全身黒いボロ雑巾のような布を身にまとい、
黒い頭巾をかぶった小川紀美代が
古い愛器のバンドネオンを全身で奏でるとき、
人生をバンドネオンに捧げた彼女の生き様がひたひたと伝わってきた。
 
玉虫色のロングドレスに身を包んだ
クラシック畑に棲んでいるヴァイオリニストの上原千陽子とは、
楽器の演奏を通して意気投合し、
ビジュアル的にはちぐはぐなれど
お互いリスペクトし合って演奏していることが分かる。
 
言葉のいらない音楽という世界で
巡り会えた大切な友人なんだろう。
 
ふたりが心と心で通じ合っているということが伝わってくるコンサートだった。
 
きっと誰しも人はそうした出逢いを求めて生きている。
生きている間に
言葉を介さなくても通じ合う人に何人出会えるだろう。
 
音楽の楽しさ、人との出逢いの歓び、
そんな感覚まで伝わってきた、かぶりつきで観た舞台。
 
ひとりで聴きに行っているのが少し寂しい気もしたが、
それでもひとりほっこりした、いい時間だった。

外は急に冷え込んで雨まで降っているけど、
体の芯にろうそくの灯が灯るようなステキなコンサートだった。


2015年11月22日日曜日

秋の空に赤い柿

 
 
 
今年の秋はなんだか妙に温かい。
いつもならとっくに革ジャケットにショートブーツというのが定番のスタイルなのに
皮ジャケをきてしまうと汗ばむぐらいの陽気だ。
 
昨日の土曜日も朝はまだ雨の残りで路面が濡れていたけど、
そこから日中にかけては気温もあがり、
薄手のニットにデニムジャケットで十分な様子になってきた。
 
昼過ぎ、陶芸工房に行くため、家を出た。
2ヶ月に1度の釉薬をかける日なので、どんな釉薬をかけ
どんな作品にできあがるのか楽しみだ。
 
外に出ると太陽の日差しが温かい。
ふと見あげると空はどこまでも高く透明で、突き抜けるように青い。
 
そこに大きな刷毛で絵に描いたかのようなうろこ雲が
パーッと広がっている。
その空の青と、雲の白とのコントラストの美しいこと。
 
思わずバッグからカメラを出して何枚かシャッターを切りながら
階段を下りていくと小学校につきあたる。
校庭の脇には赤く色づいた桜の木と
たわわに実った柿の木がある。
 
その柿の実の大きいこと。
重みで枝がしなるほどの大きくて真っ赤な柿の実が青い空に映えて美しい。
これぞ秋の風景だと思いながら、桜の落ち葉を踏みながら歩いた。
 
きっと京都に行ったり、香嵐渓にいったりすれば、
もっとすごい紅葉が見られるだろう。
でも、人もいっぱいだ。
 
そこまでいかなくても、家の近所にも秋の風情はいろいろある。
近所の小さな秋を見つけるのも、十分楽しいし、
ほっこりできる。
 
そういう感性が自分にあるということにも歓びを感じる。
 
まあ、人間、感じ方次第で幸せにも不幸にもなるということを
真っ赤な柿の実とうろこ雲が教えてくれているんだと思う。
 
もちろん柿の実は食べても最高!
味覚の秋は至福の時をもたらしてくれるのでした。

 


2015年11月14日土曜日

タンゴダンスの世界へようこそ

 
 
戸塚のさくらプラザホールというまだ真新しいホールで
横浜タンゴと題されたコンサートがあった。
 
ここのところ何度も観に行っているヒラルディージョという団体が主催する
東日本大震災のためのチャリティコンサートのひとつ。
 
私としてはフラメンコのものを中心に選んできたが、
今回は大好きなバンドネオン、ヴァイオリン、ピアノと歌。
そして、何よりタンゴのダンサーが6組も出演するという。
 
実は最近、愛するピアソラのことをもっと知りたいというのと、
もしかして版17が数年後にブエノスアイレスでグループ展をするかもしれない
という淡い期待が実現したときのため、
大学の生涯教育の講座で「アルゼンチンタンゴ」について学んでいる。
 
講座の内容はアルゼンチンタンゴの発達の歴史に始まり、
タンゴダンスの特徴、男と女、粋な踊りとは・・・みたいなタイトルで
大学の教授が講義をし、
講座の後半に実際に受講生が組んでダンスを踊るというもの。
 
講座を受け持っているのは鶴見大学の文学部の教授だが、
彼はアルゼンチンタンゴの踊り手でもある。
後半の踊りのレッスンを受け持っているのは、
アルゼンチンタンゴのダンサーの女性で、教授の奥さんでもある。
 
そうした講師のこと、講座の内容のことは何も知らないままに申し込んだので
1回目を受講したときはいささか面食らった。
 
自分が踊るつもりはサラサラなかったので、
普段の靴を履いていったのだが、
講座の後半にはみんなダンスシューズに履き替えて・・・。
 
そんなわけで少なからず初めて会うおじさん達と組んで踊ることに
抵抗を感じつつ、
基本のステップを1講座1ステップ教えてもらって、
相手の足を踏まないよう、ヨタヨタとレッスンが始まった。
 
夕べで6回講座を終了したところで、このコンサートを見たせいか、
自分ではまだちっとも出来ないくせに、
人の足さばきや手の位置、男性のリードの仕方やふたりの呼吸の合わせ方など
ただ単にあの人かっこいい~の素人目線から、
少し踏み込んだ鑑賞が出来たかもしれない。
 
今はまだ男性のリードに身を任せるとか、
ちょっとしたサインを感じるとか、全然出来ていないので、
ややもすると自分から動こうとして注意されてしまうのだが、
舞台上のダンサー達の関係性や呼吸みたいなものが気になって仕方ない。
 
1番楽しみにしていたバンドネオンはダンスの伴奏にすぎなくて、
あまり見せ場がなかったせいか、すっかりダンスに霞んでしまった。
 
フラメンコとは全く違う持ち味のアルゼンチンタンゴのダンス。
 
まだちょっと自分自身がその世界に足を突っ込む勇気はないが、
タンゴの曲に合わせてあんなに格好良く踊れたら気持ちいいだろうなと
他人事として楽しく鑑賞することは出来た。

2015年11月10日火曜日

初体験 株の売り抜け

 
11月4日に上場され、市場に出た日本郵便関連の株が、
かんぽ生命・ゆうちょ銀行・日本郵便と3つあり、
いずれも好調なスタートをきって、株価が上昇している。
 
未だかつて株というものを1回も買ったことなない私だったが、
ある銀行の担当さんに勧められ、
ひと月ほど前に申し込み、
かんぽ生命とゆうちょ銀行の分を少しだけ買ってみることにした。
 
あまりの人気に、当初何百万分も買いたいと申し込んだ人も
証券会社や銀行側で、みんな平等に少しずつという取り決めがなされ、
私もそのとりきめの分だけ買っていたのだが・・・。
 
それがそれが、ビックリするほどの上昇をみせ、
とりわけかんぽ生命が先週の水曜日に売りに出されるや
次の日には早々に買ったばかりのものを売却する動きになったとか。
 
私はそんなこととはつゆ知らず、
株というものはしばらく持っていて、いずれタイミングをみて売るものだと
認識していたので、
買って数日で売り飛ばすなど、天から考えずにいた。
 
そんな時、担当の女性から電話があり、
「けっこう皆さん売っていますが、いかがなさいますか」と打診があり、
思いも寄らない展開にオロオロ。
 
自分で株価の動向を見る画面をパソコン上に出すことさえしたことがない
無知な人間が、今何をすべきかさっぱりつかめなかった。
 
それでも新聞の株価のページぐらいは見ることができたので、
生まれて初めてしげしげと覗き込み、
先週の金曜日の終値がなんと4190円だったことを確かめた。
 
1株2200円だったものが次の日に4190円になるとは
いったいどういうこと?
 
それが、売り注文の嵐が吹き荒れたらしく、以後はどんどん失速して
月曜日の終値は3640円。
 
株価は1分ごとに変わるので、1日の内でも上げたり下げたりしているが、
結果的に言えば、4190円を最高値にして、どんどん下がっている状態だ。
 
とはいえ、
2200円だと思っていたものがたった4日間で3640円になるとしたら、
それこそまだまだ十分に大もうけと言えるだろう。
 
額に汗して働くのが馬鹿らしくなるような大化けぶりだ。
 
まだ年末にかけ、上がるという人もいる。
昨日、ニューヨーク株が値を下げたから、今日は下がるという予想がある。
 
でも、たった1日なのに、株価が気になってそわそわしている自分が嫌になる。
結局、毎日、数字の上がり下がりに一喜一憂することが
どうにも性に合わないと感じた。
 
そこで朝の一番に銀行に向かい、
担当の人に「とにかく朝イチで売ります」と宣言した。
 
昨日の夕方、右往左往していたはずなのにどうしたことと目を丸くされたが、
「どんな値になっていようと構わない。
株価に翻弄されるのが駄目みたい」というと、
了解して、売り方の手順を丁寧に教えてくれた。
 
結果は1株3660円で昨日の終値より20円高。
私にしては上場の出来だ。
 
これで、あぶく銭が結構な額、転がり込むことになる。
 
嬉しいような、そうでもないような不思議な気持ち。
これで明日からかんぽ生命の株価に一喜一憂しなくて済むことの方が
嬉しい。
 
人間、コツコツ真面目に働いて対価を得るのが本当なのに・・・。
そんなことを思いながらも、
本日の大仕事を朝イチに終え、
「株を高値で売り抜ける」という初体験は無事、終了した。

2015年11月9日月曜日

大邸宅のグループ展

 
 
 
 
 
7日の土曜日から、田園調布にあるみぞえ画廊で、
銀杏の会『2015 美術の庭』展が始まった。
 
8日にオープニングパーティが行われ、
今回のテーマが『音楽と美術』だったんので、それにちなんで
バロックの演奏会が開かれた。
 
みぞえ画廊はこれがギャラリーかと疑うような
田園調布にある立派な日本家屋の邸宅で、
この各部屋に40名ほどの参加作家の作品が展示されている。
 
今年は
「音楽に関連した作品を」というテーマが与えられていたので、
私はピアソラの音楽に着想を得た作品を出品した。
 
他の人達は作品の中にピアノを描いたり、ギターを描いたり、
テーマをはっきり意識した作品もあった。
 
また、タイトルに私のように作曲家の名前や音楽家の名前が入っていたり、
作品自体が音楽に啓発されているなと感じさせるものも多かった。
 
私もタンゴを踊る男女をイメージした絵柄をグロリオサの花で表現し、
しかしながらピアソラの旋律の切ない感じを出すために、
色は赤と黒みたいなドラマティックな感じではなく、抑え目にした。
 
逆にどこが音楽?といいたくなるぐらいいつもどおりの人もけっこういたが、
今回のお題を意識した人同志は
お互いに「いつもとちょっと違うね」とか「このための新作だね」などと
それぞれの作品の新味について評価し合った。
 
オープニングパーティでは基調講演として、
美術評論家の倉林靖氏の「美術と音楽」という講義があり、
「共感覚」という耳なじみの薄い言葉について、いろいろ話され、
興味深かった。
 
講義の後にはバロックのサロンコンサートが催され、
倉林氏がリコーダー、
他に女性のアーティストがチェンバロとヴィオラ・ダ・ガンバを演奏して、
シューベルトやヘンデルの曲を1時間半ほど聴かせてくれた。
 
思いがけずに長時間の演奏だったので、
会は絵の展覧会ではなく、演奏会になってしまって、
100名ほどのお客様はすっかりバロックの夕べに酔いしれて、
あやうく全く絵を観ないで帰りそうになるぐらいだった。
 
演奏会の後にはキッチンで近所の奥様方が作ったというパーティ料理が
次々出され、ワインも大きなグラスにたっぷり注がれ、
なんともリッチな場所で贅沢な展覧会のオープニングになった。
 
九州のどことかの建築会社の持ち物だという邸宅に
靴を脱いでお邪魔したはいいけど、
なんだかあんまり立派すぎて居心地が悪い。
そんな感じのパーティだった。
 
きっとそこに集った作家達もみんな同じ想いだったのではないだろうか。
知り合いの作家達ともでる言葉は「凄いね」ばかり。
 
ちょっと気恥ずかしそうに壁に掛かっている我が作品、
会期中に田園調布のどなたかの目に止まってくれますように。
 
そんなことを考えながら、
作品だけ大邸宅の壁に残して
帰路についたのであった。

2015年11月5日木曜日

勇壮!唐津くんち

 
 
 
 
 
 
 
11月2日から2泊3日で、九州唐津に行って来た。
一番の目的は「唐津くんち」というお祭りを観ることだった。
 
くんちという名前は長崎くんちの方が有名かもしれないが、
唐津くんちもどうしてどうして200年の歴史があり、
唐津っ子は1年をこの祭りの3日間のために生きているといっても過言では無い
というぐらい、祭りに命をかけ、守ってきたそうな。
 
祭りでは14基の山車がでて、それが街中を練り歩くのだが、
その山車の美しさと勇壮さは観るものを感動させる。
 
1基2トンから4トンもあるという山車を200人から250人ぐらいの曳き子と
呼ばれる男性達がかけ声と共に曳いて歩く。
 
それぞれの艶やかなはっぴ姿と山車との取り合わせが美しく、
笛の音や太鼓の音とともに
かけ声が街中にこだまして祭りの臨場感を盛り上げている。
 
曳き子の男性にはイケメンが目立ち、
浅黒い肌の色、細面の顔だちで、
濃い眉にりりしい目鼻立ちの青年が、目の前を威勢よく駆け抜ける様に
うっとりしてしまう。
 
同行の30年来の友人と、山車の巡行順路の地図を見ながら
何時頃どこに行けば山車を見られるのかあたりをつけ、
初めて訪ねた唐津の街を歩き回った。
 
14基がすべて通り過ぎるのに約50分かかるという大がかりな行列を
1.5回分観ることが出来、存分にお祭りの熱気を味わうことができた。
 
2泊3日の間には他に佐賀牛や、呼子の透き通ったイカの活き作りのランチ、
伊万里焼の窯元が集まった集落での買い物、
九十九島のクルーズと、ザビエル記念教会など平戸の散策などが含まれ、
快晴のお天気に恵まれ、
命の大洗濯ができた3日間だった。
 
新幹線のぞみで約5時間、
朝6時に東京駅を出発して、
名古屋も大阪も岡山も広島もぐんぐんびゅんびゅん駆け抜ければ
11時前には博多に到着。
 
遠いはずの九州に降り立ち、歴史ある祭りと焼き物と土地の料理を楽しんだ。
 
飛行機でいく旅とはまた違って、
陸続きに走っているのに、
5時間で九州についてしまうことに不思議な感じを覚える。
 
唐津は唐(朝鮮)とのつながりがあったから唐津という名前だそうで、
その昔は捕鯨で栄えた村で
異国の血も混じっているとおぼしきイケメンばかり。
 
遠いようで意外と近い街に降り立ち、
同じ日本人でありながら、歴史や風土の違いを感じた。
 
日本新発見ともいうべき出逢いと体験に
海外もいいけど、日本をもっと知りたいという想いを強くした九州の旅だった。


2015年11月1日日曜日

パティシエ学校の文化祭

 
 
9月初旬まで「就職対策講座」の講義に講師として通っていた
パティシエ養成専門学校の文化祭が行われたので、久しぶりにいってみた。
 
門の前には学生やスタッフの先生が大勢出ていて、
みんな気さくに声を掛けてくれる。
 
担当している部署によって、スーツを着ている学生もいれば、
揃いのTシャツで売り子をしている学生もいる。
カフェ担当の学生はレストランのホールスタッフの制服なので、
随分大人っぽい。
 
まだ、横浜駅の近くにできたばかりの新校舎は8階建ての立派な建物で
まずは8階まで行ってから、降りつつ、各階の展示を見て回ることにした。
 
8階はこどもを対象にした「ケーキデコレーション体験教室」で
カップケーキに生クリームを絞り出し、
好きなチョコビーズやカットフルーツなどをのせ、
可愛いスイーツをつくって持ち帰ることができるらしい。
 
階段形状の大きな会場なのに、親子連れでごった返していて、
私みたいな大人のおひとり様は中に入ることさえ出来ない。
首をのばして様子をうかがっただけで、早々に階下に降りていくしかない。
 
7階はアジアンレストラン
6階は洋菓子クラスの学生が作った洋菓子販売ブースだけど、
いずれも階段にまで人の列ができていて、
とても食べたり買ったりできそうにない。
 
でも5階にきて、ようやく人垣がまばらになったので、
パンの販売ブースでいくつか菓子パンと
甘味処でお持ち帰り用の和菓子のセットを手に入れることが出来た。
 
どちらも講義の時にいた顔なじみの学生が売り子さんだったり、
会計係だったので、オススメアイテムを訊いたりして、
文化祭らしい雰囲気をようやく味わった。
 
こうしてパンやケーキを作るだけでなく、接客もしながら、
世の中に出ていくトレーニングを積んでいく。
アルバイトでコンビニのレジなどをしている学生は大勢いるのだが、
自分の本職での就業体験に近い作業で疑似体験を積んでいるわけだ。
 
4階と3階のケーキ・和菓子・パンを使った作品展示は
各自力のこもった作品で、日頃の成果を見せてくれている。
いろいろな賞も用意されているので、
自分の実力を認めてもらった学生はそれを糧に
今後も頑張ろうと思うに違いない。
 
食べ物を提供しているブースはどこも混雑なので帰ろうかと思ったら、
この春辞めてしまった教務部長だった先生から声を掛けられ、
すこし列に並んで、カフェでランチをいただくことに。
 
親御さんの介護で離職を余儀なくされた方だったので、
今も続いているお母さんの介護の話や受け持っている今年の学生の話などを、
学生の作った少々硬いブリオッシュサンドを食べながらおしゃべりした。
 
9月初旬には終わってしまった今年の非常勤講師のお役目も
まだまだ続いていて、
後期はゼロになったしまったわけじゃないことを確認して帰って来た。
 
次に会うのは今日の学生がキモノや袴を着て出席する卒業式になるだろう。
 
まだ、ちょっと言葉遣いや対応がぎこちない彼らに
全員就職先が決まって、明るい未来が開けますように。
 
そんなことを想いながら、
ちょっとご無沙汰だった学園の門を出た。