2017年12月24日日曜日

イブに届いた訃報

 
有馬記念の出走が今、始まろうというその時、
手元のケータイの電話が鳴った。
 
液晶には母代わりのTさんの名前が表示されていたが、
出てみると電話の声は若い女性だった。
 
瞬間的に嫌な予感がしたが、正にそれは的中してしまった。
 
「叔母が21日の夜、お風呂に入っているときに亡くなったようで、
気がついたのは翌日の朝、ヘルパーさんだったんですけど・・・」という話だった。
 
入浴中に心臓発作かなにかを起こしたらしく、
その後、溺れて少しお湯を飲んでいるけど、さほど苦しまなかったということだが、
最後を見届けた家族は誰もおらず、
ひとり浴槽に沈んでいたらしい。
 
誰もいないところで亡くなってしまうと事故死扱いになって、
警察が入ることになり、解剖までしたらしい。
 
 
 
Tさんは12月6日に満90歳の誕生日を迎えた。
 
最近はどこが悪いというわけでもないのに元気がなく、
4月末に上野広小路のお豆腐専門店で食事をしたのが最後で、
それからは時折、電話で話す程度だった。
 
私は90歳のお祝いをさせて欲しいと外に連れ出そうとしたが、
「今はそういう気になれないの」と断られてしまったので、
ちょっとハッパをかける気持ちで、誕生日のお祝いとしてオシャレなステッキと
和菓子に卒寿のカードを添えて贈った。
 
それを涙が出るほど嬉しいと言って、お礼の電話をくれたのが
声を聴いた最後になってしまった。
 
その時、「今は病院と美容院ぐらいしか出歩かないの」と言うから、
「次の病院の時、お医者様にお豆腐食べに行っても大丈夫ですかって訊いて、
いいですよって言われたら、また、ご飯食べに行きましょうね。
その時はそのステッキを使っているところを見せてくださいね」と言ったのに・・・。
 
また、今年も年の瀬に大切な人が亡くなってしまった。
 
昨年は大学時代からおつきあいのあった額縁屋さんを、
一昨年はシンガポール時代からの親友を見送った。
 
いずれもその年の真ん中ぐらいから、それぞれ没交渉になって、
ちょっと嫌な予感がする。
 
そして、年内に決着をつけようとしたかのように暮れに訃報が届くのだ。
 
Tさんは私が小学生の時からを知っている母の友人で、
母を30代始めに亡くしている私にとって、
正に母代わりの大切な人だった。
 
思い出も数え切れないほどあるので、身に染みて悲しくなるのはこの先だろう。
 
今日の午後3時半、音を消したテレビの画面に、
武豊騎乗のキタサンブラックが鮮やかに先頭をきって駆け抜けていく姿があった。
 
引退を決めて尚、有終の美を飾ってゴールを決めた美しい馬と、
突然、天国に旅立ったTさんの姿が重なって、
走馬燈にようにTさんとの思い出が駆け抜けた。
 
29日の日、家族葬でひっそり送られるというご葬儀に呼んでいただけたので、
最後のお別れに行ってこようと思う。
 
2017年12月、私の痛めた首からくる左手のしびれは相も変わらずで、
日に何度も肘から指先まで電気のように流れては、私を苦しめている。
 
Tさんも手首の骨折以来、手の先はいつも痺れているのよと言っていたけど、
今はもうその痺れからも解放されてしまったんですね。
 
Tさん、どうぞ安らかにお眠りください。
合掌。

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