2018年1月29日月曜日

愛用品の廃番

 
 
 
1月に入って、2枚接ぎの作品の試し摺りと本摺りを行うにあたり、
十分な絵の具があるか確認したところ、
少し不足になりそうな色があることが分かった。
 
そこで、いつものように、蒲田のユザワヤまで出掛けていって、
その絵の具のコーナーで、目を疑うような張り紙を見た。
 
「彩は廃番になりましたので、在庫がなくなり次第、終了です」
 
聞いてない、聞いてない!
そんな~
これから私どうしたらいいのー!!
 
それが最初の心の叫びだった。
 
木版画の摺りに際し、私はここ30年以上、メインの絵の具に彩を使ってきた。
 
木版画には木版画用絵の具というのがあるのだが、
色数が少ないので、今までまったく試したことすらない。
 
木版には水性の絵の具が必要なのだが、
いわゆる水彩絵の具では透明度が高くて使い物にならないし、
ポスターカラーでは安価だけど、耐用年数が低くて使い物にならない。
水干絵の具の粉を膠と共に練り上げるのでは、時間と手間がかかりすぎる。
 
などの理由で、試行錯誤の末、日本画用のチューブの絵の具として出されている
「彩」もしくは「吉祥」という絵の具のシリーズに決め、
長年、愛用してきた。
 
しかし、「吉祥」はチューブが小さく、結果、単価が高くつくので、
どうしても「吉祥」の中のこの色でなければという数色を除いては、
「彩」のシリーズをメインにして、使用してきたのである。
 
その肝心要の彩のシリーズが廃番!
 
その衝撃たるや、一瞬、言葉を失い、
もう版画は辞めようかと思うほどのショックだった。
 
一昨年の暮れに
大学生の時からお世話になってきた額縁屋さんが65歳の若さで亡くなり、
額縁はもちろん、2枚接ぎの作品の接ぎの仕事をお願いするところがなくなった。
 
日本画の友人のつてで岡崎の経師屋さんを紹介してもらい、
昨年の2枚接ぎの作品は何とかその方に接いでもらった。
 
しかし、なじみの額縁屋さんが亡くなってしまったことの喪失感は
本当に大きかった。
 
何だか同志を失ったような気分。
 
その話を作品やプロフィール写真を撮ってもらっている写真家の人にしたら、
「作家さんにそこまで言ってもらえたら、冥利に尽きると思いますよ」と言っていたが、
作家は個人で活動しているようでも、
案外、周囲の助けに守られ、力をもらっているのだ。
 
長年、愛用の絵の具のシリーズが、突然、廃番になるということも、
これに匹敵するぐらいショックな出来事だった。
 
すぐにホルベインのお客様相談にメールし、困っていると告げると
代替になりうるガッシュという不透明水彩のシリーズの情報を返してくれた。
 
それはそれで、ありがたいことなのだが、
ガッシュを知らないわけではないし、
油絵科出身だから、英語表記の絵の具の名前になじみがないわけでもない。
 
しかし、私の中で「若苗」であったり、「牡丹」であったり、「緑青」だった色が、
何とかグリーンや何とかレッドになるのは、何かが違うのだ。
 
色自体も微妙に違うのはもちろん、
日本名のついた絵の具を手にし、日本名のイメージで選んでいた色は、
日本人の木版画家の気持ちに寄りそってきたはずだ。
 
それは海外転勤の最中も、帰国後も同様に、
自分が日本人であること、木版画の作家であることを意識づけてきてくれた。
 
つまり、アイデンティティが失われたような気分なのだ。
 
慌てた私は、まず、ユザワヤで残り少なくなっていた彩のよく使う色を買い占め、
2枚接ぎの作品の試し摺りと本摺りがすべて終わってから、
ホルベインの人に聞いた取り扱いのある画材屋さんに、
更に買い占めにいくことにした。
 
何カ所かの世界堂が取り扱っているはずと連絡を受け、
相模原や町田店に電話してみたが、
すでに店内からは撤去されたという。
 
世界堂新宿本店に残ったものは集められていると聞き、連絡すると、
売り切れた色も多多あったが、私のよく使う色も何色も残っていることが判明。
 
とにかく、それを買い占めなければと、新宿に向かった。
 
世界堂新宿本店は新宿駅の東口から、三丁目の交差点まで歩き、
更に少し行ったところにあった。
 
このあたりは40年ぐらい前に1年間、浪人の身で美術系予備校に通っていた。
しかし、うろ覚えの美術予備校は見当たらず、
そこに通いつつバイトしたハンドバッグ屋さんも、お茶屋さんも
別の店舗に変わっていた。
 
変わらないのは紀伊國屋書店と伊勢丹、
そして、世界堂の包み紙だけだなんて、センチメンタルな気分になり、
思わず、紀伊國屋書店のエスカレーターに乗って店内に入ってしまった。
 
そこで、今現在、生業のひとつにしている心理カウンセリングに必要な本を買った。
 
確かに40年前に、40年後、自分が心理カウンセラーになっているなんて、
想像もしなかった。
 
時は流れに流れ、
諸行無常、
変わらないものはなく、もの皆、移ろっていく。
 
昔のままに残っているものと、移ろっていくもの、
自分自身ですら、同じように昔のままの自分と変わっていく自分がいるのだから、
その変わっていくものも受け止めて、順応しなければと思った1日である。
 
あ~ぁ、
それにしても、彩、なんで辞めちゃうの?
おばさんは順応性が低いんだから、そのあたり、考えてよね!

2018年1月23日火曜日

2枚接ぎ作品の下半分

 
 
 
 
 
月曜日の雪は、予報をはるかに超えて、大雪になった。
 
大雪を心待ちにしていたのは、坂道でそり遊びを楽しみにしている子どもと
湿度が必要な木版の本摺りをしようと思っている私ぐらいのもので、
案の定、雪に弱い都会の人達は雪道で転んだり、
交通機関が止まって大変な思いをしたり、
普通のタイヤのまま車を出して、立ち往生したり、横転したり・・・。
 
そんなニュースを横目に、私は日曜日の夜から、
2枚接ぎの作品の下半分に取りかかっていた。
 
下半分とはいえ、メインの絵柄は下半分に集中しているので、
実際には大きさからいっても、色数からいっても、
上半分よりずっと込み入っていて、時間がかかることが予想された。
 
日曜日の夜から始め、主には月曜日の雪の日に作業を進め、
火曜日の午前中ぐらいまでは摺り終わるのにかかるだろうと踏んでいたら、
案の定、火曜日の昼過ぎまでかかってしまった。
 
しかし、4枚手がけた全てが無事に摺り終わり、
今はホッとして、急に腰の痛みと腕のきしみに気づいて、
ヤバイなと思っているところだ。
 
整体の先生には常日頃から「休み休み作業をするように」とか、
「途中でストレッチをした方がいいですよ」的なことは言われていたので、
無茶自慢は慎むようにしているのだが、
どう考えても摺りの体勢は健康的とは言い難いし、
集中し続ける時間が長すぎるのはいいこととは言えないのは分かっている。
 
今回も、長時間、集中していると頭がいっぱいいっぱいになってきて、
お風呂に入ったり、筆を洗ったりして、それまでのことはなかったことにしないと
次のやるべき事がスムーズに進まないなんてことが度々あった。
 
それだけ、脳みその考えるキャパが減少しているのかもしれない・・・。
 
けれど、摺り終えたときの、この達成感と満足感はやはり何にも代え難く、
まだまだ、できるという慢心を呼び込んでしまうのは困ったものだ。
 
この本摺りの3日間に、誕生日を迎えたダンナのため、
一応、日曜日からケーキを買い(誕生日当日の月曜日は引き籠もりの予定なので)
月末の人間ドックを気にして、ふたりで半分ずつ食べたのだが、
それを2日続ければ、お腹に入った量は同じなので、
効果は薄いと思われる。
 
まあ、本摺りの臨戦態勢の中でも、
「パパのお誕生日は、ちゃんと覚えてましたよ」という
プレゼンテーションにはなったかもしれない。
 
ともあれ、年間で1番体力勝負の2枚接ぎの作品の試し摺りと本摺りが、
こうして10日間で滞りなく終わった。
 
亡くなった80代の先輩作家が
「僕はベニヤ1枚の大きさの作品が摺れなくなったら木版を辞めるよ」といって
本当に亡くなる寸前まで、黒一色摺りの大きな作品を創っていらしたが、
作家は皆、自分に何かを課して、創作活動をしているのではと思う。
 
私も、この2枚接ぎの作品が摺れるところまでは、
2枚接ぎを作り続けようかなと考えた雪の日の本摺りであった。
 

2018年1月19日金曜日

2枚接ぎ作品の上半分

 
 
 
先週は金、土、日と3連チャンで着物を着て出掛けたので、
すっかり、和室には着物アイテムが広がっていたし、
気持ちも着物人になっていた。
 
しかし、今週の月曜日からは、気持ちを入れ替え、改心し、
版画人として、2枚接ぎの大作の摺りに取り組んでいる。
 
週の前半は試し摺りをとっていたので、ブログをアップする余裕はなく、
まだ、インスタ映えする写真もなかった。
 
しかし、来週の月曜日はなんと雪が降るというではないか。
この機を逃して何としよう!
 
冬期は寒いのはいいとして、空気が乾燥しているのが、何と言っても
木版の摺りの大敵である。
 
湿した和紙が乾いて縮むのを、ガンガン加湿器をたきながら、
部屋の湿度を保つことで防ぐのが、本摺りの重要な仕事になる。
そこで、雨や雪で世の中全体が湿気ているのは、大変、好都合なのである。
 
というわけで、22日の月曜日が雨か雪の可能性が出てきた段階で、
すべての工程はそこに照準が合わされ、
2枚接ぎの下半分、色数が多くて、めんどくさい摺りをそこへ持っていくかが
鍵になってきた。
 
例年なら、めんどくさいパートを先に摺り、大きさも小さいシンプルな方を後にする。
しかし、今年は先に上半分の方から摺ることにした。
 
歳と共に無茶をするのはよくないと分かってきたので、
来週の月火を下半分に当て、
比較的簡単とはいえ、ある程度時間がかかるとわかっている上半分も、
余裕をもって臨む事にしたのだ。
 
以前なら3日間時間を空け、1日は下半分、もう1日は上半分、
3日目は何かあった時のための予備日だったが、
今は夜ご飯の後に3時間だけ摺って、一旦、寝て、
起きてから6時間摺るというように、
間に睡眠や休憩を入れながら、体にお伺いをたてつつ進めている。
 
あ~ぁ、みんな、こうして老いと戦いつつ、
制作しているのかしら。
 
でも、こうして元気に制作できているのは幸せなこと。
 
創りたいと思う作品の構想が浮かんでくるのも幸せなこと。
 
しみじみ今あることが当たり前ではなく、幸せなことだと噛みしめられるのも、
幸せなことである。
 
ところで、さっき本摺りが終わった上半分、
上半分のはずだけど、十分、1枚の絵としてイケてるんじゃないだろうか。
 
いやいやいや、
なかなかどうして、いい作品になりそうな予感。
 
「一呼吸入れ、来週の月火で、下半分も頑張って摺るぞ!」
と、自分を鼓舞し、褒めてあげるのも、
歳をとってからの仕事の進め方なのである。
 
 

2018年1月14日日曜日

初釜のにぎわい

 
 
 
 
 
着物でお出かけ三連ちゃんの最後は、一番の着物修行、お茶の初釜である。
 
ちょうど一年前、今の先生のところに通い始め、
初釜は今回、初めての参加となる。
 
これまでにも春と秋にはお茶会形式の正式なお茶事をしていただき、
長丁場のお茶席は経験済みだが、
今年の初釜は参加人数10名と大変多かったので、
その分、長丁場も最長不倒時間を記録したのではないだろうか。
 
通常、お茶事は亭主役がひとりで
炭点前、懐石料理、濃茶、薄茶とお点前のすべてをするものだが、
初釜に限っては分業制である。
 
初釜ならではの特殊なお点前ばかりなので、
お弟子さんの中からそれの出来る何人かを選んで、
順番にそれぞれ別の人がお点前をする。
 
今回、私は中でも1番立ったり座ったり、口上を述べたりの多い懐石の亭主を
仰せつかっていた。
 
事前に流れを勉強し、あんちょこ用メモ書きを作って臨んだが、
覚えきれる量でもないし、所作や正客とのやりとりは生ものなので、
臨機応変に動かなければならず、現場で恥をかくのも修行だと思っている。
 
それより何より、
10名分の懐石料理とそのお道具や器類、お茶席に準備するものの多さを思うと、
先生の大変さは想像を絶するものだと思うので、
本当に頭が下がる。
 
この1年で入門された方が急に増えたため、
来年からはもっと簡便な形でしか初釜はできないとおっしゃっていたので、
これが最後の正式な初釜だったのかもしれない。
 
急な入門と言っても、初めてお茶を始めましたなんていう方はいない上に、
メンバーの年齢も30代後半から80代前半までと実に幅広いし、
お人柄やタイプ、お仕事などもバラバラで、本当に多士済々、
濃いメンバーが揃っている。
 
いつもは違う曜日だったり、お弟子さんではなく、先生のお友達だったりと、
なかなか普段はお目にかかれない方と年に1回、お会いして、
日本文化の神髄ともいえる茶道の作法に則り、
会話を楽しみながらお茶事をたしなむ。
 
嗚呼、日本文化の奥ゆかしさと雅さと言ったら、なんて素晴らしい!
 
日本人に生まれてよかった。
茶道という世界に巡り逢えてよかった。
 
5時間もの正座と着物でのお運びさんは確かにきついけれど、
それもまた、楽し。
 
そんな着物三連ちゃんが、無事、終わった。
 
 

2018年1月13日土曜日

ただ飯食らいの客

 
 

 
着物でお出かけ第2弾は、、ますいわ屋さんの呉服の催事に着物でいくこと。
 
毎年、新春のこの催事には写真撮影があり、
会場の入口に写真撮影用のバックが用意されていて、
プロのカメラマンが撮影してくれるのだ。
 
昨年もお誘いをいただいたが、あいにく帯状疱疹でうんうん苦しんでいる最中で
お断りしてしまった。
 
今年は昨年末に清水の舞台から飛び降りてしまった清左衛門さんの帯が
出来上がってきたので、それを「こんな風に着こなしてみましたよ」という
デモンストレーションが目的で伺うことにした。
 
帯の購入時に、
八代目清左衛門さんが私のイメージで染めてくださった艶やかな2色の帯揚げと
同じ地模様の白い半襟を活かすために、
先ず、茄子紺と濃いグレーのぼかしの訪問着を選び、
嵯峨野笹という柄のおニューの帯が最大限に引き立つよう
コーディネートしてみたつもりだ。
 
帯の中にはローズ色は使われていないが、
染め上がってきた帯揚げのローズ色の部分を使いたい一心で茄子紺の着物を選び、
帯揚げの結び目のところだけに空色を出す。
 
これには実は高等テクニックがいる。
 
また、 
帯締めは白と金で組んである太めのものを使用し、お正月らしい感じを出してみた。
 
とにかく、自分なりにこだわったコーディネートなので、
華やかな背景をバックに、プロの写真家に撮ってもらいたいと思い、
大手町まで出向いたが、
展示会の着物や帯を購入する気はまったく無いのだから、
呉服屋さんにしてみれば、空振りのお客さんということになるのかも・・・。
 
そうは言っても、ウン十万もするものをつどつど買っていたのでは、
到底、身が持たない。
その辺は分かっていただかないと、長いおつきあいは出来ないというものだ。
 
ついでに今日の催事では、事前にお誘いがあり、
パレスホテルの「和田倉」でいただく和食のランチがついていた。
 
こちらもとても美味しくて、手の込んだお料理をいただけて満足満足。
 
しかも同席のご婦人が私の帯を見て、
すぐ、「清左衛門の帯ね」と分かってくださったのも、
着物巧者ばかりの集まりという感じだ。
 
初めての方達との会食だったが、終始、着物の話題で、楽しい時間が過ごせた。
 
これも呉服屋さんにしてみれば、ただ飯食らいのお客なのかもしれないが、
私としては骨折しそうなぐらい思い切ったのだから、
許していただけたらと思う。
 
担当のNさんはその辺のことはよく承知してくれていて、
気持ちよく応対してくれる。
 
自分が呉服屋の娘に生まれながら
(両親は亡くなっているので、もはやお店はないのだが)
着物は本当に高価なだけに、呉服店とのおつきあいは難しい。
 
自分のお財布と相談しながら、
呉服屋さんとはつかず離れず、
これからも楽しみながら着物ライフを充実させたいと願っている。
 
さあ、御所車をバックに、どんな写真が出来てきますやら。
 
楽しみがまた、ひとつ増えた。
 
 


2018年1月12日金曜日

新春浅草歌舞伎

 
 
 
 
 
着物イベント第1弾は、新春浅草歌舞伎。
 
お茶のお稽古で一緒の友人と、浅草まで歌舞伎鑑賞に。
 
歌舞伎座だとちょっと敷居が高いというので、それなら新春淺草歌舞伎なら、
役者がみんな若手ばかりで、お値段も安いので、
ちょうどいいのではということになった。
 
10年以上前、毎年のように1月にこの新春淺草歌舞伎に通っていた時期がある。
その頃は、今の勘九郎が勘太郎、七之助は七之助だが、
猿之助は亀治郎だった。
 
この新春淺草歌舞伎は、若手に大役をやらせる機会になっていて、 
初役で大きな役をやらせてもらえるので、どの役者も意気込みは凄く、
初々しくも一生懸命さが伝わってきて、とても好感がもてた。
 
その当時の若手は今、完全に中堅になって、
本丸の歌舞伎座で、大きな役をもらって大活躍中だ。
 
今の淺草新春歌舞伎は、
尾上松也と板東巳之助が中心メンバーになって4年経つということだが、
私は初めて淺草でその舞台を観るというわけだ。
 
昼の部の演目は「義経千本桜」の内の「鳥居前」と
「元禄忠臣蔵」の内の「御浜御殿網豊卿」
 
いずれも演目としては有名だけど、典型的な場ではなく、珍しい場面。
 
最初の年始ご挨拶は尾上松也が務めた。
 
今回、成長著しかったのは、この尾上松也で、
元禄忠臣蔵の徳川綱豊という将軍役だったのだが、長いセリフが延々と続き、
巳之助演じる富森助右衛門との掛け合いはとても素晴らしい出来だった。
 
座敷の中で大きな動きのない中、
仇討ちの本当の意味は何か、お家の再興とは何かを説得する綱豊と、
徐々に心を改める助右衛門の心理変化を二人ともうまく表現し、喝采を浴びていた。
 
何だか、昔から若手の登竜門的位置づけだっただけに、
その歳月の流れと役者の成長に、おばさんはいたく感激してしまった。
 
2時半、昼の部の公演が終わり、外に出ると、
公会堂の前にずらりと人力車が並んでいて、
ひとり1台に乗っていたと思われる淺草の芸者衆が大勢入って来るところだった。
 
後で友人が調べてくれたところ、
今日の夜の部は地元の淺草観光連盟による淺草総見と呼ばれる催し物だったらしく、
10名の芸者衆が階段でお客様をお出迎えし、
その後、芸者衆も一緒に客席で観劇したということだ。
 
淺草といえば、仲見世、浅草寺、人力車。
更に本物の艶やかな芸者衆も垣間見られて、
「こいつぁ、春から縁起がいいわい~」という感じ。
 
公演がはねてからは、私達は舟和のカフェでクリームみつ豆をいただき、
おみやげにあんこだまと芋ようかん、そして、くず餅も、
更に、梅林堂の人形焼も買って帰ってきた。
 
淺草は我が町上大岡とは、京急線一本でつながっている。
マジックアワーの息を呑むような美しい夕焼けを車窓から眺めながら、
1時間足らずで最寄り駅まで戻ってこられた。
 
何だか江戸気分に浸り、
「ニッポンていいなぁ~」としみじみ感じた1日であった。
 
 
 
 
 

2018年1月11日木曜日

着物好き 至福の時間


 
 
 
明日から3日間、着物で出掛けるイベントが続く。
 
12日の金曜日は、友人と新春浅草歌舞伎の公演を観に行く。
13日の土曜日は、呉服屋さんの催し物に行って、着物姿の写真撮影とお食事。
14日の日曜日は、お茶の初釜である。
 
着物を着ていく目的がそれぞれ違うので、数日前から、
どんな着物と帯の組み合わせでいくのか、あれこれ考えてきた。
 
着物はその日の朝のお天気や気温だけで、
ササッと決めて出掛けるわけにはいかない。
 
事前に半襟をかける針仕事はあるし、アイロン架けもあるし、
着物小物やコート、ショール、バッグや草履の用意も必要だ。
 
それを大体の人はめんどくさいと感じるのだと思うのだが、
それを楽しむのが着物好きといえるかも知れない。
 
ましてや、今回のように連日、着物を着るとなると、
自分の中での気分の変化も楽しみたいし、
疲れすぎないように、最初からしんどい着物を選ばずに、
最後の初釜の長時間正座の修行に耐えうるコーディネイトが必要になってくる。
 
浅草公会堂の歌舞伎は歌舞伎座の歌舞伎と違って、
役者も若いし、場所も下町だ。
 
だから、あまり格の高い着物より、粋な小紋にしゃれ袋あたりがふさわしい。
 
大きな格子柄によくみると全体に墨流しも施してある縮緬の着物に、
白と紺の横段の縞模様、銀の差し色と縞の幅が違うところが粋な袋帯。
 
色数は使わず、帯揚げは墨色、帯締めは白である。
 
歌舞伎は舞台の上で華やかな演目が繰り広げられているので、
観客は一緒に場を盛り上げるつもりで華を添えたい。
 
最近はそんなつもりで来ているお客さんは少ないので、
カジュアルな恰好であらあらと思うような人も多いけど、
江戸の文化を繋ぐひとりとして、心意気だけは見せたいと思っている。
 
13日の呉服屋さんのイベントは
昨年12月に京都・丹後の永治屋清左右衛門さんの帯をもとめた折り、
八代目さん自ら、私のイメージでアディショナルで染めてくださった帯揚げと
白い地模様織りの半襟を活かすためのコーディネイト。
 
通常、お茶の世界では無地の半襟しか使えないので、
清左右衛門の嵯峨野笹の帯と艶やかな色の帯締め、織りの半襟を活かすために、
着物は全体に濃い紫とグレーのぼかしで柄は無し。
 
14日はお茶の初釜なので、
前日とは打って変わって柔らかい色目の訪問着。
 
着物は雪輪という古典柄がふんわり浮かび上がるぼかし模様で、
抑えた藤色やピンクなので、帯はお気に入りで最多出場、紫系の袋帯。
小物を淡いピンクにすることで、初春らしさを演出してみた。
 
他にも、道行コートは黒にするのかグレーにするのか、
ストールは銀ギツネなのか、ブラックグラマなのか、
バッグも荷物の量を考え、草履も着物との色合わせ、格などを考慮する。
 
とまあ、大騒ぎなので、
今、我が家のリビングと和室は着物で溢れかえっている。
 
しかし、昨年の今頃は、1月2日から症状が出て、帯状疱疹で2ヶ月間、
痛みに苦しんでいたわけだから、
それを思えば、着物を家中に広げられることの何と幸せなことか。
 
昨日も整体の先生のところに伺って、そんな話が出た。
 
あの時、先生に5回も往診していただいた布団を敷いた和室に、
こうして広がる絹物の数々。
 
歳月の流れの早さと共に、
健康で新たなる歳を迎えられた歓びを抱きしめた。
 
 
 

2018年1月4日木曜日

ようこそ還暦の世界へ

 
 
 
 
 
ここのところ海外旅行といえば一緒に行っているKさんが
ようやくというか遂に昨日、還暦のお誕生日を迎えた。
 
私とは4歳ちかい3歳差になるわけだが、
同じ年の娘をふたり産んだせいか、
感覚としては同じ年のような感じでおつきあいしてきた。
 
昨年の初めに2ヶ月近く体調を崩したのも同じだったので、
「私達も、もうそういう歳になったということね。
今ある幸せは当たり前ではなく、本当にありがたいことだと感謝しなくちゃね」と、
感じているあたりも似ている。
 
私が還暦を迎えた時も、彼女にはとても手厚く祝ってもらったので、
お返しはちゃんとしなければと、今日は銀座のレストランの個室を予約した。
 
とても元気のいいユーモアのあるスタッフが担当について、
終始、なごやかににぎやかにフレンチのコースを楽しんだ。
 
年末のクリスマスからお正月にかけての近況報告に始まって、
昨年1年の振り返り、自分が今、大切にしていること、
これからの人生の抱負等々、話題はつきることなく楽しい時間を過ごした。
 
価値感が合う友人、同じものに同じように感激できる感性の友人をもてたことは
とても得難い幸せだと感じる。
 
プレゼントに選んだシャネル5番の香水と、
エッフェル塔とマカロンをかたどったチャームを
大層、喜んでくれ、
長年、おつきあいしてきたお陰で、好みのものを選べたことに安堵した。
 
ここのところ、12月に毎年、大切な人が亡くなったりして、
生まれる命、旅立つ命の宿命みたいなものを感じることが多かったから、
還暦を迎え、また、1から始まるのねと気持ちも新たに微笑む友人を
心から応援したいと思った。
 
ふたりして、
「やっぱり1日1日を大切に生きることが大事よね」と思いをひとつにし、
最後に、次の旅はクロアチアにすることに決まった。
 
したいことは出来るときにする。
行けるときに行きたいところに行く。
 
それが本日、私達が達した結論である。
 
いざ、クロアチアへ!
 
 
 

2018年1月3日水曜日

初詣と初売り

 
 
 
 
年があらたまり、ひととおりの食いだおれ行事が済んだところで、
箱根駅伝を見ながら、これからどうするかという話になった。
 
 次女も私も初売りの福袋をめがけて突進するタイプではないし、
今年、後厄を迎える次女は
同じ学年の女子と川崎大師に厄除け祈願にいくというので、
私とは珍しく鶴見の総持寺に初詣に行くことになった。
 
初詣といえば、鶴岡八幡宮か、川崎大師か、伊勢山皇大神宮か、
いずれにせよ神社にお参りするのが慣例だったので、
お寺に初詣に行くというのは初めてかも知れない。
 
総持寺は曹洞宗の大本山、
私が最後の厄年を迎えた時も、年女の豆まきに志願して、
厄除け祈願を行ったところでもある。
 
広大な敷地に立派なお社がいくつも建っているお寺で、
そのスケール感が好きなので、一度は次女を連れていきたいと思っていた。
 
ダンナは自転車で走ってくると、相変わらずのマイペースなので、
そこはほっといて、ふたりで初詣に行くことにした。
 
1月2日の八幡様や川崎大師は、まだ、恐ろしいまでの混み具合だが、
総持寺はちょうどいいぐらいの混み具合だった。
少し並んで、お参りの順番が来た。
 
そこには大きなお賽銭箱が特設で置かれているのは他の神社と同じだったが、
いくつもの香炉が置かれ、ひとりずつお焼香する形式でちょっとビックリ。
 
お神社の正しい参拝は二礼二拍手一礼だが、
曹洞宗の正しいお焼香は何回つまむのかしらなどとドギマギしながら、
とりあえずお願いごとをしなくちゃと手を合わせた。
 
社殿の中での厄除け祈願をお願いした人達は、大祖堂のお座敷に上がって、
10名ぐらいの大勢のお坊さんにお経を上げていただける。
儀式の間はずっと大きな太鼓の鳴り物入り。
 
途中、お経の教典をパラパラッと蛇腹折りを左右に閉じたり開いたりと、
見ている私達もパフォーマンスを楽しめる感じ。
 
次女は「こっちの方が効き目がありそう」といいながらも、
厄年をはさんだ3年は同じところで祈祷してもらった方がいいのかなと
殊勝なことをいう。
 
冬晴れの風もない穏やかな一日。
 
2018年の平穏無事を願った。
 
 
初詣の次は、当然のごとく、初売りだ。
 
地元のデパートで、大好きなワインレッドのバッグが40%Offになっていた。
 
去年のお正月は確かKate Spadeはセールをしていなかったのを思うと、
それまで全くその気はなかったのに、急にこれは買わねばというモードに突入。
 
たまたまその時着ていたモノトーンコーデの洋服に
効かせ色としてぴったりだったせいと、
40%Offになって手が届くところまできたせいで、ついついお買い上げ。
 
そして、もう1点。
 
京急恒例、1月1日から7日まで限定のカレンダー半額セール。
(それ以降はカレンダー売場からカレンダーは姿を消す)
 
カレンダー売場でつい3日前まで正価で売っていたカレンダー。
1冊は11月下旬に正価で買い、1月からの予定を書き込んで使い始めていた。
 
しかし、キッチン用の少し小ぶりのカレンダーは、この半額セールが狙い目だ。
 
自分の書き込み用カレンダーは「猫のポッケ」か「うさぎ」の写真ものが多いが、
今年のキッチン用はオシャレな犬と花のイラストのものにした。
 
戌年だからね。
 
さてさて、どんな戌年になるのやら。
健康に留意して、楽しい1年がおくれますように!
 
 
 
 
 
 

2018年1月2日火曜日

元旦の食いだおれは続く

元旦の午後3時、
例年通り、親族が5人我が家にやってきて、親族会なる大宴会が始まった。
 
今年は長女夫婦がベビーを連れて、新婚旅行代わりのハワイに出掛けたので、
親族会は大人ばかり8名。
 
この会もだいぶ回数を重ねているので、その分、みんな年齢を重ね、
男性陣は3人がリタイア組、
ひとりが「結婚はまだか~」とプレッシャーがかかるようなお年頃。
 
女性陣もリタイア組の連れ合い3人と、我が家の次女なので、同じく妙齢だ。
 
リタイアメンバーはお酒も弱くなってきたし、
食も細くなってきたというのに、
相も変わらず大量に料理を作る困ったおばさんに合わせて
みんな一生懸命食べてくれた。
 
それが、以下の写真のお料理だ。
 
ホタテと玉ねぎのマリネ
 
シャキシャキレンコンと豚しゃぶの梅ドレッシングがけ
 
アボカドとレンコン・チーズの春巻き
 
卵入りミートローフ
 
コーンフレークごろものフライドチキン
 
ぶりの柚ネギソース
 
さといものおやき 明太マヨがけ
 
数の子とカブの和え物

ガトーショコラ
 
結局、お腹がいっぱいとストップがかかって、
牛すじの煮込みと餅入りおぜんざいは陽の目を見ず。
 
そりゃそうだ。
みんな、じーさんばーさんなんだから、
そんなに食べたら、食べ過ぎじゃ。
身のほど知らずはけがの元。
 
2018年、「何ごとも腹八分目」を座右の銘にいたしまする。