2020年2月27日木曜日

魂に届くコンサート








昨日、開催が危ぶまれる中、
サントリーホールで行われた
『ーいのちの花ー』
『ひとり、ひとりが花..いのちの花曼荼羅をここに』
というコンサートにいってきた。

コンサートとは銘打っているが、
主催は真言宗豊山派仏教青年会豊山太鼓「千響」

真言宗のお坊さんが奏でるというか唱えるというか・・・。
ご詠歌と雅楽と太鼓で、
真言宗の教えを説き、
人々の心を癒し、勇気づけるというもの。

キリスト教でいえば、
讃美歌であり、ミサであり、ゴスペルであり、
といったところか。

私としてはこのコンサートに行った目的は
ひとえに林英哲の太鼓だったわけだが。

それはそれは不思議なコンサートというか
不思議な空間における体験だった。

確かにお坊さんがお寺の本堂で
僧衣をまとって太鼓をたたくシーンというのは知っているし、
大勢のお坊さんが唱える読経の迫力もわかる。

しかし、そのお坊さん達と、
太鼓打ちである林英哲と英哲風雲の会のメンバー5人が
一堂に会して演奏する様といったら、
それはもう
言葉にならない得体のしれない波動を浴びて、
私を金縛りにした。

林英哲はなんと真言宗のお寺に生まれたとのことで、
その関係で太鼓の師匠として招聘され、
今日まで各地で「千響」の活動を
指導し、時には共に演奏してきたという。

今回は「千響10周年」の記念の年で
サントリーホールでの開催になったらしい。

最初の曲は
パイプオルガンと独唱による
「アメイジング・グレース」だったので、
会場は一気に教会のような雰囲気に包まれた。

2曲目は林英哲の大太鼓。
去年の最後に見た林英哲の神々しいまでの背中。

1曲目で作られた宗教的空気の中で
言葉を超えた命の響きとでもいうような、
太鼓の音がうねりとなって伝わり、
幾度となく
私の中にこれが「魂」なんだという感覚が舞い降りた。

次に暗がりから大勢のお坊さんが現れ、
ご詠歌が演奏というか唱和された。

鮮やかな紫とエメラルドグリーンの僧衣をまとい、
朗々たる声で厳かに華やかに歌い上げる。

ご詠歌の内容はお大師様の教え、
大和長谷寺ご本尊十一面観音菩薩様のお徳を
優しく説いたものと説明にはあるが、
私たちには何を言っているのかは
皆目見当がつかない。

それでも、その神々しさと有難いという気持ちにさせる
迫力と説得力は
太鼓に勝るとも劣らない。

休憩なしの1時間半、
一気に形を変え、演奏は続き、
会場は教会からお寺の本堂になり、
コンサートホールになり、京都のお祭りのようになった。

時代と国籍を自在に飛び越え、
見るものを軽々と精神世界へといざない、
未知の経験を通して、
祈りの境地へと導いた。

本当に不思議な時間と空間だったが
会場を見渡せば、
ひとり残らずマスクをしているという状況も
異様な感じで、
そこで起こった神秘的な体験と、
今、信じがたい状況にある現実がせめぎ合っていた。

その日の夜、参加した心理学の講座は
2回続きの予定だったが、
来週の分が取りやめになった。

この先、日本はどうなるのか、
世界中に広まってしまうのか。

目に見えない新型のウィルス相手に
右往左往する人間の弱さが露呈し、
心がざわめいている。

サントリーホールで体感したあの感動を呼び起こし、
太鼓の響きを思い出し、
「大丈夫」と自分に言い聞かせようと思う。

そんなパワーをもらった演奏会だった。


2020年2月25日火曜日

あれも食べたい これも食べたい








毎週火曜日のシポリンワーク。
長女のところは3月末に引っ越しを控えているので、
今は部屋の中に段ボール箱が積んであり、
雑然とした雰囲気だ。

夫婦で仕事をしながら、
妊婦でもあり、
新型コロナウィルス対策も考えつつ、
引っ越し準備もしなければならない。

昔、自分も同じようにしてきたのに、
見ていて本当に大変だなと思う。

そして、待ったなしで食べることはしなければならず、
食欲旺盛な2歳児は
今日もウキウキ保育園から帰ってくるなり
食卓を覗き込んだ。

本日のメニューは11品。
『炊き込みご飯』
『大根と手羽元の煮込み 煮卵入り』
『かぼちゃの煮物』
『大学いも』
『メカジキと野菜のソテー カレー風味』
『セロリのかき玉汁』
『ひじきの煮物 枝豆のせ』
『枝豆としそ入りはんぺんバーグ』
『豆苗ともやしの中華炒め』
『ほうれん草と舞茸のお浸し』
『きんぴらごぼう』

そして、一目見るなり、
「さつまいも!」ときれいな発音で叫んだかと思ったら
「まずはこれ食べる」ときた。

「そうくると思ったよ」と受け、
さっそくフォークを手渡す。

じょうずにフォークで一つ目の『大学いも』を突き刺し、
口に運びつつ、
次に食べるものを物色。

で、結局
「もうひとつ、いい?」と『大学いも』をチョイス。

「のどに詰まるから、ゆっくり食べて」とお願いするも、
とにかく急いで食べなくちゃと思っている様子。

「もうひとつ、いい?」と訊くから
「だめ~、他のものを食べてからね」と促すと、
次は『ひじきの煮物』の枝豆をつまんだ。

そもそも『ひじきの煮物』は大好物なのだが、
今日はその上に大好きな枝豆までのっているとあっては、
またまた急いで食べなければというわけだ。

更に次は『五目炊き込みご飯』
これはスプーンで上手にすくっては
自分で「パクッ」「パクッ」と
副音声付きで、パクパク食べていく。

「大丈夫、なくならないからゆっくり食べて」と
お願いしつつ、
次のターゲットが
『枝豆としそ入りはんぺんバーグ』に決まったようなので、
また、フォークを手渡す。

あれも食べたい、これも食べたいという気持ちがはやり、
両手にスプーンとフォークを持って、
一心不乱に集中だ。

でもって、最後はようやくお許しが出て、
また『大学いも』を更に2つ。
計4つの『大学いも』は2歳児として食べ過ぎやろ?
さすがに今日の『大学いも』はこれでドクターストップだ。

まあこんな風景をみれば、午後中、ひとりキッチンで
あれこれ作り続けた甲斐があったというものだ。

そうこうするうちに娘が帰宅し、
またまた今度はママの横に座り直し、
更に『大根と手羽元の煮込み 煮卵入り』の
煮卵と手羽元にも手を伸ばした。

手羽元はスプーンでもフォークでも手に負えないので、
手づかみの5本箸だ。
『はじめ人間ぎゃーとるず』か、お前は?

というわけで、
よく食べ、よく遊び、よくしゃべる2歳児は
主に新しい言葉をテーブル周辺から習得しながら、
順調に成長しているようである。

メデタシメデタシ。



2020年2月24日月曜日

最終上映『七人の侍』




最寄り駅のTOHOシネマで10年間開催されていた
『午前10時の映画祭』が、
ついに3月26日で終わる。

午前10時から毎日1回だけの上映で、
昔の名画を
1本につき2週間ずつ上映してきた。

これまで、私も何回か観てきた。
「ティファニーで朝食を」
「ローマの休日」
「アラビアのロレンス」
「ニュー・シネマ・パラダイス」
「風と共に去りぬ」
「ゴッドファーザー」
「ベニスに死す」などなど。

主にというか覚えている限り、
洋画の懐かしいものを選んでみてきたが、
最後に来て、
黒澤明監督の「七人の侍」を観ることにした。

3月に入っての最後の2本は
「Back To The Future」なので
あまり興味がない。
なので、『午前10時の映画祭』としては
これが最後の作品になるだろう。

会場は8割がた埋まっていて、
おじさんが主で、
やはり若い人はほとんどいない。

モノクロームの昔の作品に惹かれている年代というか、
白黒の画面の美しさがわかる人たちという感じか。

なんと、本編が3時間27分という超大作で、
1954年4月26日公開。

ということは、私の生まれ年生まれ月なので、
当然、私は映画館で観たことはなく、
これが初の映画館鑑賞となる。

画面は以前ビデオで観た『羅生門』にそっくりで、
これが黒澤映画の画面創りかと思う
木の木漏れ日や焚火の陰影などをうまく利用した
モノトーン画面の絵画的な美しさが
随所に効果的に使われていた。

物語は
馬に乗った野武士の襲撃から村を守るために
7人の侍を雇い、
村人と総出で戦うという内容だ。

主演は
志村喬、三船敏郎、木村功。
出演者のほとんどが男性だし、
貧しい農民や着の身着のままの武士なので、
美しい画面になるはずもないのだが、
モノトーンの撮影による
計算された黒と白のリズムが
高貴な印象を作り出している。

スパイスのように登場する
半裸で長い髪を洗う女の後ろ姿と、
花畑でむつみ合うこの女と若い侍、
能面のような顔の寝床の女房の肌の白さが、
とても絵画的なまめかしく、
強烈な印象を残した。

この映画自体は4K処理されているらしいが、
今期の大河ドラマ「麒麟がくる」の
ギトギトしたグリーンやピンクにくらべ、
なんという違い。

「麒麟がくる」は4Kや8Kテレビを持っている人には
自然な色に見えるらしいのだが、
そうじゃないテレビしか持っていない庶民の家では、
とにかくギトギトし不自然な感じで見づらい。

映像技術は日進月歩で、
きっと65年前に公開された「七人の侍」と
今日、私が映画館で観たものは
相当違うのだとは思うが、
1度もスクリーンで「七人の侍」を観たことがない私には
これが記憶に残ることになる。

3時間26分かける必要があったのか、
総天然色で撮影されていたらどんな印象だろうとか、
疑問はいろいろあるが、
「世界のKUROSAWA」が残した映像美は
しかと受け止めることができた。

こうして「午前10時の映画祭」そのものが終わり、
あと数年したら、
あの頃は「午前10時の映画祭」なんていう
いい企画があったなぁなんて思う日がくるだろう。

私にとって一番印象に残っている
「午前10時の映画祭」はといえば、
「ニュー・シネマ・パラダイス」と
「ローマの休日」だろうか。

どちらも映画音楽と共に、
版画の制作時に何度となくリフレインされ、
人生を彩ってくれた。

新しい映画もいいけど、
昔の映画のノスタルジックな永遠性は
人の心の奥深くまで届いて染みるなぁと
しみじみした
「午前10時の映画祭」最終上映だった。


2020年2月23日日曜日

自宅で額装





先日、最後の本摺り作品が出来上がったので、
個展に出品する作品のラインナップを決めた。

個展会場の壁面の大きさや、
入口から奥への見せ方など、
何度か展示をしたことがある画廊なので、
今回のテーマに沿って、
どのように展示するのかあらかじめ決めておく必要があるのだ。

ざっくり言って5年分の作品を展示する予定だが、
やはり、5年前の作品と
最近の作品では、思い入れが少し違う。

5年前に考えていたことと、
ここ数年の出来事や感じたこと考えたことが違うので、
どうしても最近のものを展示し、
観てほしいという気持ちが強い。

会場には所狭しと作品を並べればいいというものでもなく、
お互いに相乗効果のある作品を、
適当な間隔をあけて展示したいと思っている。

時間が経つと
自分の作品でも多少は優劣があるし、
冷静に見て、
展示からは外そうと思う作品が何点か出る。

結局、時計草や紙風船をモチーフに使った作品がほとんどで、
鳥の羽根を使ったものは
親友の死に際し創った「レクイエム」と
もう1点ぐらいしか残らなかった。

展示予定の作品は大小含めて合計26点。

そのうち、今回の展覧会のために新しく注文した額が9本。

他はすでに手元にある額縁に入れて
展示する予定だ。

その中には、すでに何度も中身を入れ替え、
幾度となく展覧会で展示したことのある古い額もあれば、
前回の個展の時あたりに新調して、
まだ、1回ぐらいしか展示に使ったことのないものもある。

もちろん、個展でお買い上げいただいた作品は、
新品か新品同様の額に入れてお届けするのだが、
何といってもオーダーフレームは
一般の方の想像を超えるお値段なので、
今からすべてを新調するというわけにいかないのが現状だ。

今日は以前作った2点の額縁から、
前回の個展では
水の波紋をテーマにした作品をはずし、
新たに「爛」と「艶」という作品を
セッティングし直すという作業を行った。

この「欄」と「艶」という作品は
中国のガンラン版画美術館をいう美術館に
買い上げてもらった作品であり、
「欄」は「文学と版画展」で本の装丁に使用した作品でもある。

今回の展示では
「文学と版画展」で本の装丁に使用した4点の作品は
ギャルリー志門のオーナーの了解を得て、
作品の下に小さな棚を設置し、
装丁のかかった本も同時に展示しようと思っている。

単に額縁に入っている平面作品ばかりでなく、
今回のように本であったり、
椅子やテーブルなど、
版画を利用したオブジェ作品もあることで、
いろいろなジャンルの作品を手掛けていることを発表したい。
(今回、オブジェは1点もないが・・・)

個展だからこそ許される展示で、
最近の私の活動を「全部見せ」したいと思っている。

そういう意味では
陶芸で造った器でお茶やお菓子をお出しするのも、
そうした思いの延長線上にある。

案内状に力を注ぐのも
単にインフォメーションという意味だけではなく、
手に取った方が「素敵な案内状ですね」と思うような、
それをフレームに入れて飾ろうかなと思うような、
そんな案内状にしたいという思いがあるからだ。

まさか、それに1枚120円の郵送料がかかるとは思わなかったが
(はがき状のものは大きくても84円だと思っていたので)
ちょっと財布は痛いが、
もう、それはしかたない。

5年に1度の大盤振る舞い、
完璧を目指すしかない。

こうして予定通りのものもあれば、
想定外のものもありつつ、
個展の準備はひとつずつ前に進んでいる。

あとはコロナウィルスの悪影響だけはご勘弁願いたい。
早期の終息を心待ちにしている今日この頃である。


2020年2月20日木曜日

最後の本摺り









個展に向け、最後の1点の本摺りを行った。

個展は4月6日からなので、
まだ、1か月半ぐらいある。

まだまだ余裕がありそうなものだが、
私は追い込まれて、力を発揮するタイプではない。

作家の中には追い込まれないとのってこないという人も多い。
展覧会の初日が迫ってきて、
ようやく徹夜で作品を仕上げるなんていうタイプだ。

しかし、私の場合は木版画なので、
本摺りは実に職人的。

つつがなくミスのないように確実に摺る必要がある。

追い込まれて、勢いで摺ると、
どうしても細部にまで気持ちが行き届かず、
乱暴な摺りになる可能性がある。

だから、私は気持ちの余裕がある時に、
時間にも余裕をもたせて摺りに臨むことにしている。

最後の1点は
『夜空の華』

花火にも見えるような時計草が、夜空に浮かんでいる。
紙風船がひとつ、
月夜に花火というのも少しおかしいのだが、
幻想的な心象風景とでもいうべきか・・・。

解釈は観た方にお任せする。

基本、私の私的な体験から発想して作品を創ってはいても、
観た方が自由に解釈していいし、
「好きだ」、「そうでもない」と
勝手に言っていてくれて構わない。

作品は額縁に入って、世の中に出たら、
もはや私のものではない。

そこに『一期一会』の何かを感じて、
手元に置きたいと思っていただけたなら、
そんなに幸せなことはないわけで、
そこに理由や解釈などないのだ。

作品のタイトルも同じで、
どのようにでも取れるような、
含みを持たせたタイトルをつけることで、
そこからひとりひとりが物語を紡いでくださればと
考えている。

今、日本はコロナウィルスの蔓延に戦々恐々となっている。
対岸の火事が自分の国にも移ってきて、
初めてのことに不穏な空気だ。

個人的には個展までには終息してほしいし、
長女は妊婦だし、小さな孫も心配だ。

クルーズ船の船内の狭い部屋に閉じ込められ、
何週間も過ごした人の下船が始まり、
政府の対応がどうだこうだと批判が高まっている。

何が正解だったか、まだわからないが、
豪華客船に乗って夢のクルーズに出たはずが、
悪夢になってしまったのは間違いないだろう。

自宅に戻って、夜空を見上げ、
ホッと一息つける時間が訪れることを願っている。

人生、本当に何が起こるかわからない。

今日一日、
つつがなく終えられることは
幸せなことなんだなと思う今日この頃である。

2020年2月10日月曜日

個展の案内状出来上がり




個展の案内状が刷り上がってきた。
予想通りというか予想以上の出来上がり。

日本画作家の平野氏に
いわばアルバイトのような形でお願いしたのだが、
意思の疎通がうまく図れ、
イメージしてた案内状ができあがってきた。

サイズは通常の葉書をそのまま3割増しにした形で、
正方形の作品を左寄せにして配置。
背景をグレーにした。

作品タイトルその他の文字は白抜きにして、
極控えめに入れた。

写真家の橋本氏による撮影で
作品の映像は用意したので、
その精度の高さが生かされるよう、
それだけを願っていたのだが、
木版の色の重ねや摺りの風合いなど
かなりいい感じで印刷されていて感動した。

あて名書きの面は
何度か校正をかけ、手直ししてもらったおかげで、
小さく入れた作品と展覧会の日時や名前、
画廊のインフォメーションなど、
いいバランスでできたと思う。

ただ、校正の時、全く気に留めなかった切手に相当する
画廊のマークが、
紙の大きさに対して右上の端っこになってしまい、
そこに関してはもっと内側にしてほしかった。

グラフィックデザイナーの次女が見たら、
きっとそこを指摘されてしまうだろう。

「その点だけが惜しい!」と平野氏に伝えると、
「紙が大きいので、もう5ミリ内側にすればよかったですね」
と返ってきた。
正にその通り。
惜しい!

しかし、それを除けばパーフェクト!

今までの個展の案内状の中では
一番の出来なのではないだろうか。

次女のような専門家に注文してしまうと、
この程度のものでもウン十万円取られるかもしれないので、
格安にて出来上がったのだから、
良しとしよう。

我が家に600枚。
画廊に1000枚。

それだけご案内したとしても
どれだけ集客できるか。

広告の集客に関するシビアな数字については
考えたくもないが、
とにかくこうして案内状ができあがり、
皆様に手渡しできたり、
郵便でお届けできるのは幸せなことだ。

これからの仕事は
案内状をお出しする名簿作りとあて名書き。
ひとりずつ、お顔を思い浮かべながら、
一筆添えて、投函するつもりだ。

新型コロナウィルスの影響なく、
当日を迎えられるよう、
心から祈りながら、
ペンを執ることにしよう。

2020年2月9日日曜日

『星に願いを』本摺り








個展に向け、ラストスパート。
あと2点の作品の本摺りを予定している。

サイズは小品の部類に入るが、
おうちに飾るにはちょうどいい大きさかもしれない。

紙風船を月に見立てたシリーズで、
この作品は夜空にたくさんの星があり、
一筋の流れ星の軌跡が月の脇に配してある。

タイトルはちょっとロマンティックに
『星に願いを』にした。

もちろん有名な『星に願いを』の曲を意識し、
夜空を見上げながら、
口ずさむような雰囲気の作品にしたつもり。

この作品を制作する時は
BGMには延々と『イル・ディーボ』のCDをかけていた。

イル・ディーボの4人の声は
全員聞き分けられるので、
とりわけ好きなセバスチャンの声のパートは
セバスチャンが自分にだけ歌ってくれているような気分で
顔を思い浮かべながら、
ばれんを動かしていた。

セバスチャンの声は
とにかくセクシーでなまめかしい。
彼だけがクラシック畑出身じゃないので、
邪道なのかもしれないが、
ちょっと鼻にかかったささやくような
それでいて艶っぽくて響く声がたまらない。

「声のいい男っていいよね~」などと
誰に言うでもなく
ひとりごちながら、
黙々と粛々と摺り続ける。

でもって、
作品タイトルが『星に願いを』である。

まったくの仮想空間に、
ひとりどっぷり浸りきりながら、
職人のように制作する。

妄想力がたくましくないと
木版画の作品制作はできない。

たったひとりこの世界に入り込んで、
誰にも邪魔されることなく、
新しい作品を生み出す。

やがて、できた作品に額縁というお化粧をほどこし、
みんなの前にお披露目する。

その時はすでに私の手元を離れ、
作品は一人歩きを始めるのだが、
アトリエで少しずつ版を重ね、
徐々に変化していく間、
作品は作家ひとりのものなのだ。

今日の作品は
イル・ディーボのセバスチャンが私に力をくれ、
暖かく見守り続けてくれた。

どんな歌や歌詞が私の背中を押してくれたか、
ここに書くのは野暮というものだ。

そんな風にして出来上がったこの作品。
歌詞のとおり、
なかなかロマンティックな作品になったのではないかと思う。

どうだろうか。

2020年2月6日木曜日

今日も満腹食堂







毎週火曜日の「ばぁばの食事当番」
今週も11品つくり、
売れ行きも絶好調であった。

今週はほとんどの食材を娘が用意してくれ、
メニューのリクエストも
『ラザニア』
『ささみのフライ』
『炊き込みご飯』
『ニラともやしの土佐風お浸し』
と、具体的だったので、やりやすかった。

作り手としては足りない食材をたくさん買い増したり、
10~11品のメニューを全部考えるのが
めんどくさいので、
いくつかリクエストがくれば、
それを踏まえてバランスよく他を考えられるので、
楽ちんなのである。

それにしても、
『ラザニア』は手がかかる上に、
普通の主婦がササっと作れるメニューでもない。
『炊き込みご飯』も具材がいろいろ入るから、
それを細かく切るだけでも大変だ。

『ささみのフライ』は中に
しそと梅干や粉チーズがサンドイッチされているし、
揚げ物だから、小麦粉や卵、パン粉もつけるし、
第一、揚げ油がいる。

揚げ物は「最近、すっかりやらなくなったわ」と
キッチンをあずかる主婦が真っ先に手を引くアイテムだ。
とにかく、作るのが大変なだけじゃなく、
キッチンが粉やパン粉で汚れるし、
ボールやバットがいくつも必要だし、
後片付けが面倒だし、
キッチンが油でベタベタになるのが
その理由だ。

それを簡単に「作って~」と言ってくる娘は
自分では全く作らないので、その煩雑さを知らない。
自分ではやる気もないくせに
「食べた~い」という欲望のままに要求してくる。

「私はレストランのシェフじゃない!」と
怒りの声をあげたいところだが、
「よ~し、やってやろうじゃないか」という
私の負けず嫌いを逆手に取った
荒手のおねだり作戦である。

しかも、孫のしぽりんは食べることが大好きなので、
「たくさん食べる」
「何でも食べる」
「上手に食べる」
「きれいに食べる」
「おいしいおいしいと喜ぶ」と
作り手の心をくすぐる食べっぷりなのである。

今週も、まずは即座に
『ひじきの煮物入り卵焼き』を手づかみで食べながら、
「次はこれ食べる~」と
『炊き込みご飯』を要求。

『炊き込みご飯』を食べながら
目の前のお料理群を物色し、
まだ、口に入っているのに、
「次はこれ食べる~」と『ラザニア』を指さす。

正に、
「食べ放題」「ビュッフェ・スタイル」
「満漢全席」の
「満腹食堂」だ。

これで、太らないはずがないが、
やっぱり食がいいと親(ばぁば)としては嬉しいので、
与えてしまう。

せいぜい野菜とタンパク質のバランスをよく、
ばっかり食べにならないように、
数種類のおかずを食べさせるようにしている。

きっと今日も保育園の連絡帳に書ききれないほどの
アイテムをたいらげて登園しただろう。

その中でも一番のヒットは
『ラザニア』だったようで、
めんどくさい調理も報われた主婦シェフである。